61.Interlude・4
「動きませんね。むしろ、何騎か城へと帰還した様子があります」
副官のハーミッドが、敵陣の様子を知らせに本陣へ戻ってきた。
「さて……? 何を考えているのやら。
予想とは違うが、ふむ、であれば此方はどう動くか」
聖女を無闇に危険に晒すわけにはいかないが、という一言は、どうにか喉の奥へ押し込めた。
指揮官として、私情に駆られるなど言語道断だ。
――だがしかし、聖女の安全確保は、私情を挟まなくとも重要な課題で……。
私の思考を遮るように、シオンが遠慮がちに声を出す。
「コレを言ったら怒られそうな気もするけど……やっぱり戦わなきゃダメ?」
ハーミッドがぎょっとした顔でシオンを見る。
「いえ、しかし。クルスト側で何かが起きていることは確実です。然もなくば、この緊張状態の中、苟も隊長級が戦場を離れることなど有り得ません。これは又とない好機です」
彼の言うことは尤もだ。
だが、シオンは引かない。
「あたしはね、シヴァももちろんだけど、フェイファー軍の人たちが傷付くのを、黙ってみてるのはヤなのよねー。
戦わないで済むなら、それで済ませちゃいたい。
そりゃー、あたしの世界だって、戦争してる場所とかあったけど? それでもあたしの暮らしてた辺りじゃ、殺し合いどころか、ケンカだってそうそう見なかったもの。
いくら覚悟してきたからって言っても、怖いものは怖いし、嫌なものは嫌だし……」
「私としましても、聖女様のお気持ちは理解できます。しかし、ここで引くのは下策かと」
私は二人の会話に口を挟まず、ひとまず傍観を決め込んだ。
こういった論議は、シオンの糧にもなる。
既に知った仲の二人だ、忌憚なく意見を言い合えるだろう。
「引くというかね。戦わずにユタル神殿を譲ってもらうことは無理なの?」
「は……?」
「あ、そういう交渉は、最初にしてた? 既に決裂済み?」
「いえ。そも、ユタル神殿奪還へ舵を取ったのは、聖女様が降臨なされてからですので。そのような交渉はなされて……」
いないのでは、と言いたげな目が、こちらを向く。
私は黙って首を横に振った。そう、そんな交渉など一顧だにもしなかった。
「なーんだ。じゃあ、交渉の余地は残ってるんじゃない」
「しかし、斯かる条件、此方にとって圧倒的不利です。ラヴィソフィ領深くにある神殿をおいそれと差し出すとも思えません。であれば、多少手荒であろうと」
「だーかーらー、犠牲を少なくすることを考えようよー。話し合いで済めばラッキーじゃないの。ダメなら、まぁその時は、戦争になるのかもしれないけど……。
とにかく、国のためだからって最初から犠牲をヨシとするのは、よくないと思う!
思い出して、あたしたちの目的は何?」
シオンが膨れっ面になる。
「聖地ユタル神殿の奪還の後、聖女様に彼の地で神との契約を行っていただき、フェイファー皇国内の安全と、周辺諸国に対する確固たる地位を確立すること、です」
当然、ハーミッドは淀みなく返答を口にする。
「それそれ。政治的な云々はあたしはまだ口を出せないから置いとくけど。
とにかく、あたしが神殿に行って神様と話すことが一番大事なんでしょ?」
「待て」
傍観していたが、思わず制止をかけた。嫌な予感がする。何を言い出すつもりだ、シオン。
恐れが胸の中にこみ上げてくる。
「待ーたーなーいー。
皇国が何者にも脅かされないようになるってことは、だよ? シヴァも、ハーミッドさんも、皇王様や皇妃様や皇子様や皇女様や、神官さんたちや、国民の人たちや、もちろんあたしも。安心して生きていられるってことでしょ?
それなら、今すべきなのは、戦争より先に、あたしが神殿に行く方法を考えることじゃない」
「敵国の真っ只中に、あなたを放り出せと言うのか!?」
「聖女様、それは!」
私とハーミッドの声が重なった。
「ストップストーップ。落ち着いて二人とも。何も考えなしにビエスタ国に行くんじゃないよ?
一番良いのは、神殿をこっちに譲ってもらうこと。神殿がフェイファーの物になれば万々歳。できなければ、あたしを含めた使節団? が、ユタル神殿を安全に訪ねるのを認めてもらうこと。
ね、ね、交渉ごとはね、最初に『到底無理だ』って思える条件を出して、そこから本当の条件を出すと、飲んでもらいやすいんだよ。値切りと一緒!」
「知っている。しかし、そのような手法、先方も重々承知のはずだ」
「それもそっか、交渉術の初歩だし、結構みんな知ってるかー。
まーまー、ともかくね、ビエスタ国は元々戦いたがってないんでしょ? 戦ってどうにかしたいのは、タカ派の皇王様たちじゃないの。
目的を見失わないで。戦争は手段であって、目的じゃない」
ハーミッドは完全に沈黙した。
シオンはようやく口を閉じて、私たち二人を交互に見比べる。
……ある考えが頭に浮かんだ。
「シオン――いや、聖女様。あなたは、皇王に匹敵する権力を存分に行使するお覚悟はございますか?」
臣下としての私の発言に、シオンがふわりと笑う。
「それが、シヴァのためになるのなら。いくらでも頑張るわ」
この手は正直、私の首を絞めるかもしれないが。
「ハーミッド。父上へ、書状を」




