第5話:旅人の存在
「あら!」
ナバラのおばさんが俺とルリエールを見て、声を上げた。
「あらあらあらあら、小母さん嬉しいわー。本当、生きて来て良かった」
カーヴレイクに行く度に名物になっている気がするのは、この小母さんの所為ではないか。で、これはなんの騒ぎなんだよ。俺はルリエールを見るが、彼女も小首を傾げている。
ルリエールとごたごた話をした後、そういえば服を買いに行くんだったと思い出したものの、既に日が沈んでいたので翌日に持ち越した。帰って来たダグが嬉しそうに若かりし頃の服を貸そうとしてくれたが、それはむしろなぜ取ってあるのかわからないぐらいぼろぼろで、船乗り用のものだった。何歳の時に初めてなんとかっていう魚を釣った時の記念だのなんだの……話が長くなるからとルリエールが切り上げてくれなかったら、俺は危うく真面目に聞いてしまうところだった。不思議とダグと話していると時間が経ってしまうのだが、やっぱりダグの話はこれからも半分だけ聞いておこう。
翌日、仕方なしにまた派手な準正装を着込み(タイはハヴァーズの云う通り締め方がわからなくてやめた)、相変わらず客の来ない宿を後にして、俺はルリとカーヴレイクにやって来た。忙しい商店も少しは閑ができたのか、一直線にルリエール行きだ。
何をどうしてこんなテンションが高いのかわからないのは、俺だけではなかったようだ。ルリエールも俺と目が合うと肩を竦める。まぁ性格がよく出るとは思うが、こういう時面倒と目を逸らすのが俺で、どうしたのかと話を促すのがルリエールだ。
「どうかしたんですか、ナバラさん」
「そうねぇ、もう幸せの絶頂よねぇ! 私も嬉しいことは嬉しいけど、少し複雑な気分でもあるわ」
「あの、だからナバラさん、いったいなんのお話……」
「だからルリちゃん!」
がっしりとルリエールの両手を掴んで、話す隙すら与えない。俺はこの場から離れるべきなのか、それとも助けた方が良いのか、どうしたものかと思いつつ助ける方法も思い浮かばずぼんやり見守ってしまう。
「ぜひとも私をタジュールの代わりに見守らせて!」
「……はぁ」
「本当? 良いの? 良いのね?!」
「ナバラさんにはいつもお世話になっていますから、もう街のみなさん家族と同じようなものですし……」
「嬉しいじゃない、もうっ!」
云いながら手を振り落とした。その反動でルリエールは少しよろけて後ろに下がる。支えようと一応は咄嗟に前へと出た俺だが、それよりも早く反動を与えた張本人がまたしてもルリエールの細腕を掴んで引っ張ってしまう。
「じゃあ私が早速見立ててあげるわね!」
「え? ナ、ナバラさん、見立てるのは私ではなくてビルさんの……!」
「ビル坊は既に良い服を来ているじゃあないの」
だからビル坊はやめてくれよ。どうでも良いことを思いつつ、目の前の騒ぎにもう参加するのが面倒くさくなって来ている。
「で、ですから、ビルさんの普段着を見に……」
「……あれ、挙式の準備に来たんじゃあないのかい」
「きょ……きょしっ?!」
ルリエールはおもしろいぐらい言葉をつっかえている。あー、なるほどね。そういう勘違いをされるのなら、なおさらこんな服を来ていたら迷惑だ。事情がようやく呑み込めたところで、俺は初めて口を開く。
「今日はルリいじりもそれぐらいにしとけよ、頼むから」
「あら、ビル坊。あたしゃこの娘が小さい頃から見て来てんだよ。だからこの娘の花嫁姿を見るのが後の楽しみでね。おまえさんも、見たくないのかい?」
「──まぁ、呼ばれたら行くけど」
「ビルさん!」
間髪入れずにルリエールが顔を真っ赤にして怒鳴って来た。なんで俺、怒られてんだ?
国では一番上の従兄が結婚していないからか、別段気を遣っているわけでもないのにみんな婚期を逃しつつある。見知らぬ貴族なら招待を受けたところで無視だが、従兄姉弟妹のだったら仕方ないと云いながらも顔ぐらいは見せる。それと同じぐらいに、ルリエールのだったら別に行っても良いとは思う。のに、怒られてしまった。やっぱりこういうところは母国の女と違う。俺の周囲も恋愛結婚が増えて来たが、血にこだわる貴族連中は縁談ばかりだ。だからこうやって恥ずかしがって動揺するルリエールの姿は、非常に新鮮でおもしろいと思う。まだ学院に通っていた時、女子共が恋愛話に花を咲かせ盛り上がることはあっても、いざ縁談となると何かを忘れて来たみたいにさらりと話す。ああそういえば、来週婚約発表だった、というような調子。そういうのが、俺たちの普通だ。
「そ、そんな話をしに来たんじゃあないでしょう?! ビルさんの普段着を買いに来たんです!」
「おや、もう一緒に住んでいるのかい?」
「だからっ!」
「……ルリ、そうやってムキになるからからかわれるんだぞ」
一応忠告してやると、ルリエールは商店を見てから俺を見て、すっと黙った。わかり易い奴だなぁ。ルリエールぐらい素直だと、冗談すら笑って済ませないのだろうか。
そう思ったところで、俺を見た商店が小さく呆れたような溜め息を吐く。
「かわいそうにねぇ、ルリちゃん」
「な、何がですか」
ルリエールがまだほんのりと赤い頬を冷ますように、ぱたぱたと手で仰ぎながら尋ね返すも、商店の視線は俺の方に向いている。
「ビル坊、ルリちゃんを幸せにしない野郎は私がぶっ飛ばしてやるから」
「ああ、そう。まぁルリならそんなのに嫁がないだろ」
仕事ができて愛想が良くて家族にも協力を惜しまない、そんな真面目な「好青年」ってやつが似合う。ふいに従兄の顔が思い浮かぶも、いけないとすぐに消し去る。でも、リュークは本当にそういう奴だ。あの真面目過ぎないながらに誰にでも好かれる奴を見ていると、ふとベルクスが思い当たった。──ああ、ああいう奴ね。ルリエールの結婚相手はああいう奴かもしれないと、勝手に想像する。
しかし積年の悩みを吐き出すかのように、商店は溜め息混じりに愚痴り出す。
「それが案外そうでもないみたいでねぇ、真面目な娘ほど悪い男に捕まり易いのよ」
「ナバラさん……!」
耐え切れなくなったようにルリエールが叫ぶと、商店はさらに憐れんだ目で彼女を見る。
「……ルリちゃん、道のりは長そうだねぇ」
「も、もうっ。ナバラさん、余計なこと、云わないでくださいよ……」
「私はいつだってルリちゃんの味方のつもりだけどねぇ」
「ですからっ!」
反論するルリエールをしり目に、既に商店は俺の方に向き直っている。
「ビル坊はしかし、着飾るとさらに良い男だねぇ。見栄えだけはするんだな」
今さらのようにじろじろと頭から足の先まで見られての評価はそれだ。なんで国でもここでも云われることは同じなのだろうか。まぁ別に何を云われても良いんだけど。
「後もう少し、頼りがいのある男になれたら、私のルリちゃんをやっても良いんだけどね」
「頼れない男に余所の子どもを嫁がせようとすんなよ」
「ナ、ナバラさん、ビルさんも」
「だって私のルリちゃんは何所に出しても恥ずかしくない娘だろう? だから逆に、ここらは頼りない男どもばかりだからさ。嫁がせるのはもったいなくてね」
さようですか。ていうか、いつから商店のルリになったのだろう。
「嫁がせるならやっぱ好いた相手の方が良いだろう? ただ、ルリちゃんはちょいと押しが弱いのよ」
「あ、何、ルリって結婚相手決まったの?」
それは初耳だ。俺が居ないうちにそんなに話が進んでいたとは思わなかった。戦争の後でも男は居るから、相手に困ることもないだろう。ルリエールほど器用な嫁だったら楽だろうし、戦争で多くの人命が奪われたこの国で、子どもは次代への大切な宝として扱われる。国は以前の国境に捉われない自由な結婚を推奨しているし、家庭への支援もあると聞いている。
自然に話を振っただけだというのに、ルリエールはまた顔を赤くして強く首を横に振る。
「ち、違います! そんな人居ません!」
「結婚相手はまだ居ないけどね、ほら、好いた男が居てねぇ。ここ最近うまくいってるっぽいんだよ」
「何、俺も知ってる奴?」
「知らないはずがないねぇ」
なんだ、デヴィットたちが余計なことを云うからほんの少し心配したものの、そういった線はなかったようだ。それにしても最近仲が良いとは、前はあまり交流がなかったということか。俺が居ないうちにやっぱり、時は流れて人は動いて物は変わっている。
「ルリに好かれるなんて、相当良い奴なんだな」
「え?」
今まで忙しく慌て続けていたルリエールが、唐突に俺を見て固まる。え、なんで?
「ルリって誰にでも優しいから、わかり易そうなのに誰だかちっとも予想付かないけど。まぁルリなら大丈夫だろ」
思わず弁解を試みるが、商店には溜め息を吐かれた。
「……ルリちゃん、これはもう……」
「ナ、ナバラさんは余計なこと、云い過ぎです!」
なんか間違ったこと、云っただろうか。
・・・・・
やけにテンションが下がってしまった商店から、どうにか服を買って帰ろうとしたところでルカに会った。俺を見て目を見開くほど驚いたのは意外だったが、次に出て来た言葉は、
「あんたらついに?」
って、なんでみんなと同じなんだよ。やっぱり着替えとけば良かった。ここで着替えたら持って帰るまでに皺になるから、帰ってからすぐ洗えと指示されたのだ。別にまたすぐ着るわけでもないしからどうでも良いんだけど、良いものは無駄にしちゃいけないという商店のお達しに逆らえず残念ながらそのままだ。
「だ、だから違うんです!」
「あら何が違うの? あたしはついに、しか云ってないわよ」
すでにさっきの学習を忘れ慌てるルリエールをからかうルカを見て、小さく溜め息を吐く。本当に流れている。ネイシャが居なくてもこうやって世界は流れている。レーイが居なくても、周りが動くように。
「ルリちゃーん、ダグが呼んでるよ」
街中で立ち止まってしまった俺たちに、魚屋の店主が叫ぶ。どうやら俺の恰好の所為でだいぶ目立ってしまっているようだ。「何所の貴族がうちのアイドルを連れ去りに来たかと思ったよ」と余計な野次まで飛ばして来る。シーバルトだけではなくカーヴレイクでもアイドルなのか。ルリは大変だ。
「え? あ、済みません、私じゃあ戻らないと……」
「じゃあビル、あんたはうちに来なさいよ」
「へっ?」
俺がなんでと問いかける前に、ルリエールが声を上げた。
「そしたらあんたに良いことがあるわよ」
「……ご用件は」
「そうねぇ、あたしの愛人になれるかも?」
「ルカさん!」
まともに聞いた俺が莫迦だった。
──あら、子卿。私に何か用事があるんだと思っていたのですけれど、違いました?
帰ってからぐだぐだとしている間に、俺は小さな領地の領主キャサリン・ウィリアムズに呼び出された。正確には「お帰りになったのならお顔を拝見したいと思います。私はいつでも領地に居ります」と、立場的には俺の方が上だからものすごく遠慮した感じの誘いではあったものの、間違いなく俺にさっさと来いと命令しているのがありありとわかる書簡であった。
この西大陸でルカ・ウィリアムズという存在を知ったから、気にならないと云ったら嘘になる。ついでに西で困らない程度の言語能力をくれたのはウィリアムズなので、大人しく領地を訪れた。訪ねたら訪ねたで、「あら、子卿。わざわざご足労戴き申し訳ございません」なんて頭を下げる。顔だけではなく、そんなひねくれた性格すらルカに似てる。
ウィリアムズの年齢なんて知らないが、うちのおふくろぐらいかそれより上かだろう。家族が居るというような話は聞いたことがない。ウィリアムズの母国の話はなんとなく聞かされるものの、肝心のウィリアムズ自身のことは知らない。それでも領主になれてしまうあたりが恐ろしいが、なんの問題もなくアリカラーナに馴染んでいる。
ほんの少しかすめた顔と目の前に居る顔、若干の面影が見えなくはない。
「……まぁ、じゃあ行くか」
「あら、そんなにあたしの愛人の権利魅力的だった?」
「本気でそんな話題だったら帰る」
「まったく遊んでもくれないなんてつまらないわね」
ウィリアムズのことをこっちは真剣に考えているっていうのに、こいつがこんな調子だから云い難い。隙を見て何か聞いてみたい気はするが、結局ウィリアムズにも訊けていないのだ。どっちから切り出すべきか悩むのと同時に、俺が首を突っ込んで良いのかもわからない。非常にやり辛い。やり辛いながら、放って置いている。
「じゃあルリ、付き合ってくれてありがと。気をつけて帰れよ」
「ビルさん、あのでも、帰りは?!」
「あー、適当に歩いて帰るから」
「適当じゃあ着きません!」
まぁダルシーでちょっとかかるから、歩くとそれなりの距離はある。だがさっき適当にルリエールに付いて行っただけで着いたのだ。方角さえわかっていれば帰れるだろう。ネイシャの居ない、あの家に。
「あの、宿で待ってますから!」
「良いよ、あっち戻るから」
あそこに居ればネイシャがいつか帰って来るなんて甘っちょろい期待はしていないものの、帰るとしたらあっちだ。少しの間だけ、ネイシャと暮らした町の隅の家。宿はたまに借りるつもりだったのだが、ルリエールはずっと居ろというつもりだったのか。悪いことをした。
「そ、そうですけど、とりあえず夕飯、食べましょう」
「あーはいはい……ありがと」
面倒見が良いというかお人好しというか、断るのも面倒になって俺は折れる。手を振って去るルリエールを見送れば、ルカがじっと俺を見ていた。え、何その目。
「ルリって本当に、かわいそうだわ」
「なんだよ、突然」
「べっつにー」
意味がわからないままに歩き出したルカの後を、ひとまず付いて行く。そういえばルカの家に来たのは、ルリエールに連れて来られた時だけだ。すごく前というわけでもないのに、この複雑な路地を歩けるようになっている自分が怖い。それにたった少し前が既に懐かしく感じている。
相変わらず小汚いルカの部屋に入り扉を閉めた途端、いきなり前に居たルカが振り返って俺に詰め寄って来た。
「──なんだよ……」
「見栄えはするのに、言動がまるで合ってないわね。もったいないわ」
なんで俺はこうしていろんな人に罵倒されなければならないのだろうか。いや、気持ちはわからなくはないんだけど。
「ねぇ、あんた、ルリと結婚するわけ?」
「……だからなんでそうなるんだよ」
「正装でめかしこんで来たから、ついにさらいに来たのかと思ったわ」
「これは急いでたから、そのまま出て来ただけ」
「いつもそんな服着てるわけ?」
どうなってるのとコートの間からベストの刺繍をまるで鷲掴むかのように見て来る。昔はここらでもこういった高級品の出回りはあったと思うが、ルカたちには無縁だったのだろうか。
「やめろよ、ほつれたら後が面倒だろ」
「なんで?」
「正装の中でこれが一番ましなんだよ。買い換えるのも面倒くさい」
「──あんたって本当、良いとこの坊ちゃんなのね」
「あ?」
「普通こんな高そうな正装なんて常備できるもんじゃないわ、できたとしても一着ね。しかもちょっとほつれただけで買いなおすなんて、流石貴族様って感じ」
そんなこと知らねぇし、そう云われても俺には返しようがない。好きで金持ちの家に生まれたわけでもない。
「そんな正装を、国ではいつでも着てるわけ?」
「そんな国ならなおさら帰りたくない」
そう、ネイシャ。とりあえず居なくなったネイシャを捜すために戻って来た。だから俺はあっちでの雑事もすべて放り投げてここに居る。
「本当にわかり易い男ね」
いきなり異国の言葉が飛んで来て、俺は面倒くさくて下げていた顔をつい顔を上げてしまう。得意げな顔をして笑うその様はいつものルカだった。
「東国の言葉教えてもらったの」
「誰に」
「ジョーだけど? ちゃんとわかった?」
あいつはろくな言葉を教えないだろうし、ルカはルカでろくな言葉を教えてもらおうとしないだろう。事実今云った言葉すらろくなもんではない。小さく溜め息を吐いてまた俯く俺を、ルカは覗き込むようにして見上げて来る。
「落ち着いた? 今さら焦ったところでネイシャはもう捕まってるんでしょう。遅いわよ」
だろうな。俺があっちで莫迦に時間潰していた時、既にネイシャは悩んでいて、俺がぐだぐだしている間に捕まっている。たぶんだけど、天帝の完全な包囲でも見つからないのでは、その可能性が高い。でも捕まったということは、死んではいないということだ。西特有の変な戦に巻き込まれているよりは、まだ希望が持てる。
「──本当に口に出さない男ね、こりゃルリも大変だわ」
何所らへんが。あ、俺口に出してねぇのか。そんな意識すらねぇよ。
「ルリは関係ねぇだろ」
「あの娘はあんたが帰った後も、口を開けばあんたのことばっかりだったわ、ネイシャと同じぐらいね」
あれでも、なんか好きな男ができたんじゃなかったっけ。まぁ良いか、それは。
どうして俺はここにそんな存在を残しているのだろう、本国では役人とか下級貴族にさえ忘れられてんのに。別に覚えて欲しいわけじゃねぇけど。
「それぐらいあんたのことを心配していたの。あたしもね、あんたのことはそれなりに気に入ってるのよ」
「だから?」
「だからね?」
勢い良く扉に押し付けられて、俺は思わずその場に座り込む。こんな力を扉に加えて良いのだろうか、今にも倒壊しそうだ。俺の力が弱いのもあるが、ルカの力が強いのもある。看護師って患者を抑えたりするのに力があるって云うけど、こいつもやっぱりちゃんと看護師だったか。
だがにっこりと笑うその美女の顔はとても看護師には見えず、逆に恐ろしかった。