第6話:女神の手がかり
──すみませーん。
ルリエールの声だ、とすぐわかった。
──ルリエールですー、おはようございますー。
あー、もう起きないとまずいのか。
──あのー……ルカさん、いらっしゃいますかー?
目、冷めた。いや、覚めた。
目を開けば古びたあのおんぼろの家だった。うん、そうだ、ルカの家だ。やばい、寝た記憶なんてまるでないのに、なんで俺ちゃっかり寝台で寝てるんだろう。しかもなぜかルカまで行儀悪く寝ている。酒飲みながら寝たのか片手に酒瓶を持ったまま、俺を蹴飛ばすように寝ている。──うん。起きた途端、突っ込みたくなることが満載だ。
──ルカさんー?
ルカ、呼んでるけど。起きる気配なし。ルカを飛び越えて寝台を降りると、本の山に滑ってこけそうになる。あー、思い出した。そうだ、昨日最初は不服だったものの、ルカに云われるがまま調べていたら糸口が見えそうだった。と、足を引っ掛けたせいで少し本の山が崩れた。……何所まで読んだかわかんなくなっちまった。
──……まだおやすみですか。
取り敢えず健気なルリエールを救ってやるか。いろんなもん飛び越えて、どうにか玄関へとたどり着く。昨日ルカの攻撃を受けても意外に生き延びた扉を開けば、ルリエールがちょこんと立っている。
目が合うとルリエールは3歩ぐらい下がって、俺をまじまじと見る。なんだ?
「──おはよ」
「え……っと」
「悪い、本気で今起きた。ついでにルカ寝てんだけど、ルカに用事?」
「え……」
ルリエールは完全に固まっている。どうすれば良いんだろう。とりあえず中に入ってもらった方が良いではないだろうか、と思ったところで、
「ビル邪魔!」
と家主に突き飛ばされた。
「ルリエールごめんなさい、上がって! 大丈夫、この莫迦が何を云ったか知らないけど、あたしはあんたが好きよ」
意味わかんねぇこの展開。面倒くせぇと振り返ると、さらに本がめちゃくちゃになっている。
「おまえね……俺の昨日の珍しい努力をどうしてくれるんだよ」
「あんたって本当に鈍感ね」
いや、そこで東の言葉使う理由がわかんねぇし。ってか、なんでそんなべらべらしゃべれるようになってんだよ。ジョーは感覚で生きているような人だから、教えるのには向いてなさそうだ。医者やってんだからルカも頭はそれなりに回るんだろうけど、そんな簡単に習得できるものなら俺ももう少し話せるようになりたい。意外と手に職な奴らが多い。そうしないと生きていくのが難しいからか。
そういえばと思い出してルリエールを見ると、相変わらず固まっている。
「あ、ルリ、昨日、飯用意してくれてたよ、な?」
「……あ、いえ、その……でも、しょうがない、です、し……?」
表情は固まったままなものの、たどたどしい受け答えを返してはくれた。
「悪い、今日は宿に泊まるし金も払う」
「いえ、……私が勝手にしたことなので」
「──あんたもう黙ってたら?」
驚いたように恐縮しながら断るルリエールから俺に視線をよこしたルカは、呆れたように口を出してくる。俺が全面的に悪い気がしたから謝っただけなんだけど、この微妙な空気感はなんだろう。
「だいたい、ルリエールに払うならあたしにも宿代払いなさいよ。診療代もね」
「むしろおまえが黙れ」
むしろ俺が怒りたい。散々使い回された挙句、俺が一生かかっても読まないだろう本の束を説明もなく渡されたのだ。最初は本気で帰ろうかと思ったぐらいには少し苛ついていた。ある意味天才肌のルカみたいなやつは、説明をしてくれないからとんでもなく厄介だ。
このままでは収集がつかないと思ったのか、ルカがひとまずと俺を押しやるようにしてルリエールの手を引く。
「ルリエール、とりあえずあんた、ごはんでも食べて行きなさいよ」
「あ、あああの、でも……!」
やけに動揺しているルリエールだが、そういえばこいつは普段すっとぼけている割には頭が良い。リヴァーシンと関わりはなかったものの、ルカとは違い港の国に元々住んでいた人だ。
「もし時間があるなら、ルリにもちょっと教えてもらいたいんだけど」
「へ? あ、あの、教えて、もらうって?」
「男を落とす基本その3、まずは相手を知るのが一番大事でしょう?」
「おまえはどんだけ説明下手なんだよ」
ルカに渡された本の山はすべて、リヴァーシン関連のものだった。至って普通に西の言葉を話してはいるが、これでも俺はアリカラーナの人間である。ふと目について咄嗟に読めるのはやはり共通語で、西大陸の言葉がすぐ頭に入って来るわけではない。だからそれがリヴァーシンの本だと気付くのに、少しばかり時間がかかった。
おまけにルカの狭い家の奥にある小さな部屋は、正しく書庫であり積み重なった本が腐るほど置いてあった。その中からこれとこれを持って行きなさいと指示されるがまま動いてはいたものの、窓も開いていない部屋に俺が長時間居座ることはできず、そのままぶっ倒れたのだと思い出した。
「ちょっとは役に立つもんあるかなって思って漁ったんだけど、そんな顔して病弱っていうの忘れてたわ」
どんな顔だよ、と思いつつ大事なことをすっかり忘れていた。
「……ああそうか、俺、倒れたのか」
「あんた、今頃思い出したわけ?」
本当に呆れたように云われたものの、それに対しては俺も申し訳ないと思うしかない。アリカラーナから一直線にここまでやって来て、無駄に重たい本を運ばされたのだ。俺にしては重労働である。倒れてもおかしくはない、と思う。
「重たいあんたを寝台まで運んであげたんだから、治療費もらっても良いぐらいよね」
「そのまま放っておいても意外と平気なんだけど」
「あのね、あたし一応看護師なの」
あ、はい、すみません。主治医と云いルカと云い、医療従事者には、どうも優しくしてもらった記憶がない。俺が病人らしくない所為でもあるとは思うが、医者に運ばれて助かったありがとうと思えた記憶すらないのはどうなのだろうか。
「まぁ薬も適当にぶち込んだし、そんだけ頭回ってるなら平気ね」
おまえ本当に看護師なのかと問い質したいところだが、たぶん仕事に関しては本気でやっている。寝ている間に薬をぶち込まれることぐらい慣れているが、あまり良い気はしない。
さっきまでおかしいぐらい動揺していたルリエールが、ようやく表情らしい表情を取り戻した。
「えっとつまり、ビルさんが具合悪くなって倒れられてしまったということですか……?」
「そうなのよ、ルリエール。まったく迷惑な奴でしょう。か弱い看護師は必死に寝ずの看病をしたのよ」
「……とりあえず俺、中に戻って良いか」
芝居がかって泣くふりをするルカの手には、まだ酒瓶がある。何も云い返す気も起きない。寝起きから疲れた。
・・・・・
昨日宿に来なかった俺の安否を心配していたルリは、そのまま疲れて家に帰ったんだろうと思いつつも、わざわざ朝食を用意して、俺の家へと向かう途中ここへ寄ったらしい。どっかの看護師とは大違いの待遇である。ここでは一人分しか座る場所などないので、狭苦しい部屋の床になんとか居場所を作りながら、ルリの差し入れサンドイッチを摘む。ルカが珍しくちゃんと用意したお茶もそろって、ようやく落ち着いて話が本題へと進んだ。
「リヴァーシン神国の、歴史ですか」
ルリエールは一冊手に取り、興味深そうに中をめくる。
ルカが渡してくれた本は歴史だったり文化だったり、リヴァーシン神話だったり、つまりはリヴァーシン関連のものばかりだった。おかげで今までよくわかっていなかったこともわかりたくなかったことも、いろいろと調べられた。とりあえず、ネイシャ自身よくわかっていないところを補完できたのは良かったと思う。たぶん天帝側はすでに把握していることだろうが、俺は別にリヴァーシンに興味など最初はまるでなかったから、ルカの提案は間違ってはいなかった。
ロウリーンリンク家はもともとリヴァーシンの王族に当たる。代々同じリヴァーシンの王族の中から結婚を繰り返し、女神を輩出していたようだ。俺の母国と同じく約500年続いているリヴァーシン王国では、ネイシャが歴代33代目の女神になるらしい。血筋を追いかけるとかろうじて王族につながっていることにはなっているぐらい遠いのだが、毎回王族と結婚しているために血はそこまで薄くなっていないのだろう。その濃い血こそが、リヴァーシン女神との橋渡しになれる唯一の存在だと信じられている。
「だけど、ネイシャの前が切れてる」
「……切れてる?」
「まぁそれがどう関係して来るかはまだわかんねぇけど」
その最後の女神がちょうどネイシャ、その前はネイシャの祖母に当たる人物になっている。不自然に切れているその家系図は、ネイシャの祖母ラジアンテから真っ直ぐネイシャに引かれている。それもこれがネイシャのことだろうと当てをつけたのは、ただ家系図の最後にあったという理由だけ。そこには第33代としか書かれていない。他の女神には与えられているはずの名前が、ネイシャにはない。
俺には小難しくてよくわからないその本をじっくり読んだのか、ルリエールは小さく溜め息を吐いた。
「たいていこういう書かれ方をするのは、異教徒関連の可能性が高いですよね」
「異教徒?」
思いもしない言葉だったが、そういえば神官に、賊徒だの異教徒だの散々云われたことを思い出す。俺の国で信仰するのは王しか居ない。
「リヴァーシンはリヴァーシンの神話を一番にしているところです。このエウロペ大陸は戦ばかりですが、西大陸の中でもさらに東西に分かれて代表する国があります。西ではレジーク王朝、東ではリヴァーシン王国。レジーク王朝の方が先に滅んではいますが、言語に残っているだけあって大陸では最も覚えられている歴史ある王朝がレジーク王朝です」
さすがの俺でも知っているレジーク王朝は、西大陸にありながら1000年以上続いた王朝だ。その王族の一人がアリカラーナ建国の際、一役買ったとの話も聞いたことがある。ルリエールが云うように、レジーク語の基礎はレジーク王朝から来ている。云うならば西大陸の祖だ。それに対抗するかのように、レジーク王朝が全盛期を迎えた頃に現れたのが、リヴァーシン王国である。
「リヴァーシン王国は特に宗教性が高く、神官は王族の血がないとなれないそうです。詳しく儀式の様子などがこちらに書かれていますが、王よりリヴァーシン女神に祈りを捧げるため、国民にも強い宗教性を要請し、従わない者たちは無理矢理入信させるか、不適切な場合は国から追放することもあるぐらい、少々過激と云ってもおかしくないんです」
「……まぁそんな感じだよな」
俺も倒れる前に読めるところは読んだものの、何時に祈りを捧げるだの、女神と話をするだの、教会へ行けなど、細かい設定がたくさんあって、俺には到底無理そうな宗教であった。そもそも俺が何かに信仰するというのが有り得ないことではあるが。
「つまりそういった宗教に身を置いている方々の中で、重要な任務に就いている方が、彼らの云う異教徒に流れてしまった場合、こういった記録的抹消が起こり得ると思うんです」
「ネイシャの父親なり母親なりが、異教徒になったってことか?」
「はい、詳しいことはわかりませんが、ネイシャのお母さんが女神になるはずだったのにそれが消され、ネイシャに付けられたはずの名前も消えているということは、完全に異教徒との関わりを抹消しているようにしか見えません」
「可能性として考えられるのは……」
寝ているかと思っていたルカが、いきなり声を上げる。そそくさとサンドイッチを食べて寝台に寝っ転がったかと思えばまたしても酒をかっ喰らっている。その姿はものすごくだらしないのだろうが、妙に似合ってしまうから不思議だ。
「母親が異教徒になったか、旦那が異教徒だったのどちらかね」
「……で、名前が抹消されて、ネイシャが女神として居たってことは」
「二人共、殺されているわね」
「そうですね、もしご存命なら神官があそこまでネイシャに喰いつくとも思えないので、たぶん二人共無事ではないと思います」
あっさりと云い切るルカはいっそ潔く、ルリエールも顔に似合わず残酷な結末を表情も変えず云う。
「もしネイシャのお母さんが生きているのなら、異教徒の血が流れる娘に固執するはずがないんです」
それもそうだ。あの神官はネイシャが祠に入ったときから近くに居たと云っていた。ということはネイシャの祖母に相当心酔していた可能性がある。彼にとってネイシャは大切な教祖の唯一の血縁ということで、固執するのもおかしくはない。そこにたとえ、異教徒の血が少しでも流れていようが、唯一の砦だと云える。
母国でも西大陸でも血の話。正直面倒くさいと思ったところで、ルカが現実的な質問をしてくる。
「要するにネイシャに女神になってもらって、リヴァーシンを存続させたいっていうのが目標なんでしょ。神官の他にどれぐらい仲間が居るのか知らないけど、結構な人数なわけ?」
「さぁ……一掃されてからの残りの人数までは把握できてないけど、この間とっ捕まえて本国に送られたのは500人程度だ」
おそらくこの間俺とシーバルトが乗り込んだ時に、残党はほぼ散り散りになり女神も奪われてしまった。新たな王者セイルーンという人物に、勝ち目はないと投降する奴らが出て来てもおかしくはない。
「まぁどっちにしろ、ネイシャは子ども生ませてある程度育ったら用済みってことね」
けろっと続くルカの残酷な言葉に、
「でしょうね、異教徒の血が混じっているぐらいなら、同じ宗教の地位の高い人間の血のほうが好まれます。ネイシャの子どもが最終的な目標でしょう」
ルリエールが相変わらず、似合わないのにまた平気で残酷なことを口にする。しかしそれが当たり前だとわかっているからこそ、そういった話が現実にあったからこそ、体験者の言葉は予想以上に重たく、俺はそれに口が挟めない。「同じ宗教の、地位の高い人間っていうのはあれ? あの神官ってことになるわね、あの人自分の花嫁探ししているの?」
ルカの言葉は相変わらず軽い。しかしその具体的な内容に、俺は今度こそ言葉を失う。
閉じ込められた後に待っている、政略結婚、そして捨てられる未来。俺はその行く末を、知っている。
「え? でもネイシャってもう子ども産める年齢?」
「実年齢がわかりませんからなんとも云えませんが、将来的には可能ですよね……」
あんな餓鬼にそんな未来を押し付けるなんて、勘弁して欲しい。……あれでもあいつ、いくつなんだっけ。正確な年齢は本当にわからない。たぶん11歳ぐらいだとは仮定した。ここでは早すぎると云われるだろうが、母国では来年にでも正式に婚約していておかしくない年齢ではある。
「本当に縁起でもありません。軍の皆さんは知っていらっしゃるのでしょうか……」
「知ってはいるんじゃないの。こんなの初歩的だもの、誰だってわかることだわ」
空になった酒瓶を振り回しながらルカは立ち上がったかと思うと、ルリの横にしなだれかかるように座った。
「ねぇ、ビル」
ルカはさっきまでの笑い顔をしまい、珍しく真顔で問いかけて来た。
「あんた、ここに移住する気なんてないんでしょう?」
「ない」
それに対しては即答できる。結局俺はあの島国から出られない外国人のままだ。
「ならどうして、あの子を助けたの?」
「それは声が……」
って俺は何を云おうとしているんだ。
──声が聞こえるの。
それだけで別に助けたわけではない。それに俺は、ネイシャを助けたつもりもない。
「……おまえがぶっ倒れた俺を助けたのと同じ感じ」
「──ずっるい男だ。ねぇ、ルリー」
戸惑うルリに構わずあれこれと文句を云うルカ。確かにずるいなと自分でも思う。よっぽど切羽詰っていなければ、目の前で倒れている人を見捨てるやつは居ない。そうやって俺はごまかしている。ネイシャをあそこから連れ出す選択肢を与えたのは、自分が耐えられなかったからだ。そんな自分勝手な理由が混じっていたことは、もうすでにわかっていた。ただそれを、誰かに云うつもりはまだない。云える勇気もない。
前に広げた本をぱたんと閉じる。目がちらちらする。しゃべるのは平気でも、読むのはそんなに得意じゃない。ちなみに書くのは下手くそだし時間がかかる。集中した所為で疲労感がいっきに押し寄せて来た。
「とりあえず今は、風呂入って寝たい」
せっかくルリと買いに行った服も着替えておらず、目立つだけで役に立たない高級品はすっかり汚れていた。




