第二十一話 凡人の限界点
*補足①
ここまでのお話で分かるかもしれませんが、エルの唯一の特技は《予測》。
局面においても戦闘においても、先を見通すことに長けています。
戦闘の余波で駐屯所はほぼ半壊し、レイチェルの爆撃を嫌って獣人が後退を繰り返したこともあって、戦いの場はいつの間にか近くの木立に変わっていた。
二人の少女と一人の獣人が再び交戦を開始する。
「レイ、君は少し休むんだ! 前衛はボクがやるっ」
「何よエルシー、そう言って美味しいところもってくつもり? そうはさせないわよッ!」
「そっちこそいきなり魔法剣なんて派手なモンぶん回して目立ちまくってたじゃないか、次はボクの番だ!」
「あんただって使えばいいじゃない!」
「ボクにはボクのやり方があるっ!」
圧倒的強者を前にして、二人はなぜか妙な小競り合いを起こしている。
しかし不思議とその衝突の矛先は獣人へと向かっていて、
「ボクが——ッ!」
「私が——ッ!」
「くッ……!」
連携皆無で放たれる魔法の波状攻撃に、獣人は反撃どころか回避すらままならない。
剣から風圧を飛ばして魔法の軌道を逸らし、直撃を凌ぐので精一杯のようだ。
「姉さま、相手は疲れてます、今がチャンスです!」
「もちろんだとも任せてくれ!」
「ま、待ちなさ……く……っ」
自らに《硬化》をかけたエルシリアは剣を構え、疲弊したレイチェルのカバーに入る。
基礎に忠実なエルシリアの攻め方は一見して地味で地道だが、魔法と同じく剣の基礎もまた防御に他ならない。《黒水流》や《白土流》を駆使した堅実な守りは容易には崩せず、一歩でも引けば強烈な魔法が飛ぶ。
獣人はレイチェルよりも戦いにくそうに攻めあぐねている。
(優勢……か。よし……)
軽く呼吸を整えてから、俺は思考のスイッチを入れた。
——ひとつ、気がかりなことがある。
レイチェルが思わぬ力を見せたものの、予想では獣人の圧倒的優勢で勝負はついているはずだった。一人でも獣人の増援が来ればその瞬間に決着するだろうからだ。
だが不思議なことに、戦闘が始まってそこそこ時間が経つというのに誰も来ない。
駐屯所も、まるで他に誰もいないかのように静かだ。
割とまとまった数の騎士がいたはずだが、《赤毛》たちが押し寄せたのなら早々に片を付けて俺たちの戦いにも介入してきそうなものである。血気盛んな《赤毛》がこのじれったい戦いを黙って眺めているとは思えない。
セレナは《白の国》と《赤の国》の抗争に終止符を打つキーカードになり得る。シェイラや騎士が足止めしたとしても、必ず数人か増援に来ると思っていたが。
(騎士さんは『たった一人で突っ込んできた』と言ってたけど……)
今まで、獣人の増援が来ないのは他の騎士たちが抑え込んでくれているからだと思っていたが、もしかすると、この獣人は本当に一人で来たのかもしれない。
一人で駐屯所に攻め入り、全ての騎士を無力化した上で、裏口に回り込む。
普通の人間が実行するにしてはどう考えてもオーバーワークだが、獣人の戦闘力と敏捷性をもってすれば不可能なことではなさそうに思える。
この膠着状態の説明としても妥当なところだろう。
あと必要なのは理由だ。
獣人が一人で襲撃してきた理由、他の獣人が増援に駆けつけない理由。
騎士曰く——『我々と同じく、奴も彼女を見失った』という。
俺を捕まえるために獣人側も各方面へ捜索に散ったというなら、これまた集合の合図くらい決めていそうなものだ。そうでなくとも獣人は五感に優れる。これだけ賑やかな戦闘を見逃すものだろうか。
希望的観測をするなら、シェイラが手を打って獣人側の足を止めたとも解釈できる。
それならそれで作戦成功だ。これ以上俺がやることはない。
そして、そう上手くいかないのもまた現実。
実は最初の逃走劇から破綻していて、セレナは既に敵の手中、なんてこともあり得る。
だからこそ俺は、たとえ道化に成り果ててでも自分の役目を全うしなければならないのだ。
(引き付ける芝居が弱かったか……? それとも意図を見抜かれたか)
このままでは、囮としての役目を半分も果たせない。
敵がまだいるなら何人か誘引したいところだが、そもそも他に仲間がいるのか。
獣人の戦いには手出ししないとかそういうローカルルールを持ち出されたら流石にお手上げだが、少なくともこの獣人は目的を達成するために手段を選ばないタイプだ。俺のような雑魚相手にすら容赦しなかった。むしろ人手が余っていれば多人数で袋叩きにしただろう。考えるだにぞっとする展開だ。囮とか二度とやりたくねえ。
その他にも、集合の合図を忘れたとか手柄を独り占めしようとかそういうちっぽけな理由で王女奪還を失敗するような温さは感じられない。
なぜだ。
白の国の王女を掻っ攫うこの絶好機に、なぜ獣人は一人しか来ない?
逆に、この獣人が何らかの事情で国に切り捨てられたと考えた方がまだしっくりくる。
(……。切り捨てる?)
先ほど——獣人が俺に剣の切っ先を突き付けたときに掠めた違和感を思い出し、俺は獣人をじっと観察する。
紅く染まった四肢の毛並み、流線型の尻尾、とがった獣耳。
明らかに目を引くそれらの要素に気を取られていたが、この獣人、二重の意味で——
「あーもうっ、煮え切らないわねぇっ! さっさと片付けなさいよ!」
後ろに下がって休息を挟んだレイチェルが再び前線に上がる。
爆炎の魔法剣が戦場を一気に過熱し、俺も《応援》に集中する。
「レイ、あまり突っ込みすぎな……聞いてないな、まったく!」
「ほらほら、自慢の足がもたついてるわよクソ獣人ッ!」
「お二人ともすごいです! 押してます! ……っと!」
レイチェルの言う通り、二人がかりで戦い始めてから獣人の動きは精彩を欠いていた。
特に著しいのが、獣人の戦闘スタイルの根幹を支えているであろうスピードだ。
獣人は持ち前の俊敏性にあぐらをかくことなく、緩く左へステップしたかと思うと鋭く右へ踏み込んだり、一気に距離を詰めてきたかと思えば後ろへ回り込んだりと加速の緩急を加えることでさらにその脚力を際立たせている。
だが、今はなぜか、その足が空回りしているかのように加速が覚束ない。
(上手く機能してくれてるみたいだな、良かった)
原因は、戦いが始まる前に俺がこっそり使用した下級水魔法《泥沼》。
本来は直径・深さ共に一メートルほどの沼地を発生させ、主に足止めや罠に用いられる魔法なのだが——今回は《改変術》に《重ね》を加え、深さはたった数ミリ、代わりに超広範囲に展開させた特別仕様だ。
さながら雨上がり直後のように水が染み込んだ土は、ある一定以上の強さで踏み込んだ足のグリップを呆気なく失わせ、滑らせる。
無論、獣人もこういった悪条件での戦い方は考えてあっただろう。
レイチェルやエルシリアも同じ条件下、滑りやすい足場で戦うことになる。
だから、アドバンテージを生じさせているのは『ただ滑りやすい』ことではない。
「そぉりゃあああああッ!」
(今!)
俺が二人の姉の足元を操作して、普通の土に戻しているのだ。
勢いよく突進したレイチェルの魔法剣が炸裂し、獣人は近くの木を足場に跳躍してギリギリで回避する。
爆心地の泥は粗方消し飛んでしまったが、水膜を張り直すだけなら少しの魔力消費で済む。
同時に、前進した二人の少女の足場に干渉して水分を排除。土を乾燥させる。
(てか、魔法剣の余波でほとんど蒸発してるな……助かる)
レイチェルの爆炎が補助となって負担も軽い。
獣人は攻め切れず、避け切れない。戦況は少女二人の方に傾きつつある。
決め手には欠けているが、これで十分だ。
このまま、この状況を維持すれば——。
たった数センチのスリップゾーンが、必要な時間を稼いでくれた。
「——こ、これは何事か!?」
駐屯所の門に、騎竜に乗った一人の騎士の姿があった。
異変を察知したのか爆音を聞きつけたのか、それはこの際どうでもいい。
「《赤毛の獣人》ですっ、助けを呼んでください!」
「くそッ!」
助けを求める俺と、焦燥を吐き捨てる獣人。
間を置かず状況を把握した騎士は、「救援を要請する!」という一言と共に騎竜を反転させて走り去った。
これで、獣人に後はなくなった。
怒涛の攻めを敢行する二人に援軍が加われば、獣人は引くしかない。
これが最後のチャンスだ。仲間が控えているなら出てくるはず。
逆に、ここまで来てなお一人で戦おうというのなら、
「——お、ォおおおおおッ!!」
この獣人は——《白》だ。
ボッ! と獣人の全身から形容し難い威圧感が放出され、赤毛が針鼠のように逆立った。
レイチェルが前線から引いて以降、獣人もまた温存していた《覚醒》。その解放だ。
「ちょっとコラ、逃げんじゃないわよ!」
大きく後ろに跳躍した獣人は、しかし逃走を図ったわけではない。
降着したその足が踏みしめるのは木の側面。
先ほどレイチェルの魔法剣を回避した時のように、木を蹴り飛ばして空中に飛び出す。だがそれだけに留まらず、《覚醒》の力が更にその先の超人的な機動を実現する——木から木へ跳躍を繰り返し、まるで稲妻のようにジグザグと紅い閃光が宙を裂く。
地上が走りにくいのなら、木々を飛び移って移動すればいいという強引極まる力技である。
「! 違うっ、行かせちゃダメだレイ——」
ただし、獣人が狙っているのは二人の少女のどちらでもない。
前の世界と同じだ。
猛獣が狙うのはいつだって《強者》ではなく、その陰に隠れた《弱者》だった。
詰まるところ、俺である。
「——逃げろ、エル!」
(そういうわけにもいかないんですよねー)
ここで攫われたら今までの苦労が水の泡なので泣き言も言っていられない。
とはいえ、この時点でほとんどチェックメイトみたいなものだ。
冷静に対処しよう。
「《グノーム》」
木々の間を縦横無尽に跳ね回りながら、獣人はこちらに接近する。
魔法の射線が散らされ、狙いが定まらないが——それはさっき見た。
「《ラディウス》」
励起させるのは土の魔力。重ねた両の手のひらの真ん中に巨大な岩石が生成される。
しかし、《重ね》による効果増幅の副作用で、岩石は手のひらの中でぎゅんぎゅん回りながら発射されることはない。これはまだ《溜め》の段階だ。
撃つのが速いか、肉薄されるのが先か。それくらい瀬戸際のタイミング。
自らの足に絶対の自信を持つ獣人は迷いのない軌道で木を蹴り飛ばしてくる。
それを見て、俺はほうと息を吐いた。
「安心しました」
誰にともなく呟いた俺の声に、一際強く樹木を蹴る音が応える。
目の前から掻き消えた獣人に構わず、俺はもう一言続けながら——ぐるりと百二十度左側に体を回転させる。
「——予測通り、です!」
死角に回り込んでいた獣人の姿を、俺は再び真正面に捉えていた。
急加速して視界から外れ、標的に一番近く、かつ死角の木へ移って最短距離から最速で首を取る。確実で油断がなく老獪な、いかにもこの獣人らしいやり方である。
完全に動きを読まれた獣人が一瞬目を見開き、直後に臨界を迎えた《重ね土弾》が射出され凄まじい反動が両腕に跳ね返ってくる。
(獲った)
たたらを踏んだ俺は、同時に手応えを感じていた。
これで仕留めたという確信にも似た感覚。
魔法の威力は申し分ない。残る俺の全魔力を消費して《重ね》ただけに、防御しても威力は殺し切れない。回避はもとより空中にいる獣人には不可能だ。
必殺にして必中——魔力が少ないなりに精一杯策を凝らして実現させた最上の一撃。
そのはずだった。
まさかそれが、
「ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」
真正面から破られようとは。
土の砲弾が爆散するのを俺は唖然とした顔で眺めていた。
獣人が取った行動は防御でも回避でもない。
攻撃。
砲弾に体当たりをぶちかましたのだ。
(いや、それだけじゃな——)
粉々になった土弾を突き抜けてきたのは、赤い毛並みの巨大狼。
厳密には、顔や首、胴の部分が人型のままだが、獣人の両腕両脚は完全に猛獣のそれに変形していた。関節部分の形が変わり、指先から長い爪まで生えている。
と、考えることができたのはそこまでだった。
「ごぶっ」
獣の腕が振り下ろされ、一瞬だけ意識が飛んだ。
ぐしゃりという肉と骨が潰れる奇妙な音を、俺は他人事のように聞いていた。
どこか聞き覚えのある音だった。
(……あれ? 息、が……くるし……)
いつの間にか、俺は地面に横たわっていた。
うつ伏せになって、呼吸も出来ないまま、地面に広がっていく紅い海を眺めている。
見覚えのある光景だった。
「……が、はっ、あぐ」
喉に何か針の塊のようなものが詰まり、焼けるような痛みと共にソレを外へ吐き出す。
何だか寒い。寒いのに、体の芯は白熱した鉄のように熱い。
ああ、何だろう、これも覚えのある感覚だ。
そうだ、これは前の世界で、車に轢かれた時と同じ——
次の瞬間、俺の目の前が真っ暗になった。
*補足②
魔力にも身体能力にも乏しいエルくんは、駒としては最弱の歩・ポーン相当。
その弱い駒に、竜や馬、クイーンやナイトが寄ってきてくれたら——さらにその中の一人でも仕留めることができたら、それだけで十分な成果、というわけです。




