第二十二話 トゥエル
精神世界的な。
——よう。
と、誰かに呼びかけられた気がして、俺は目を開けた。
(誰かとは大したご挨拶だな)
一面に白い空間が広がっていた。
右を向いても左を向いても、後ろを見ても上を見上げても景色は変わらない。天と地の境目も分からない、真っ白な世界がどこまでも続いている。
体を包む暖かな浮遊感がなければ、方向感覚を失って酔いそうである。
(無視かよ)
自分の体を見下ろしてみると、驚いたことに、前の世界の姿がそのままそこにあった。
俺が死んだ時よりも、少し若いだろうか。高校生くらいだ。
(おい)
そして最後に、先ほどから俺に呼びかけているらしい目の前の白い少年を見る。
その姿は、現世の俺——トゥエル・エルフィアにそっくりだった。
背丈は今の俺の腰くらい。見た目は俺と異なり、髪は白く眼は赤い。白い外套のようなものを羽織っており……何か、ちょっと性格が悪そうだ。
なんとなく、色んな人にクソガキ呼ばわりされる理由が分かった気がした。
(オレのせいかよ、ひっでーなぁ)
どうやらコイツは俺の思考を読めるようだ。
とりあえず君は誰ですかと聞いてみる。
(よく聞いてくれるな。人の体を勝手に乗っ取っておいて)
……乗っ取った?
眉をひそめると、トゥエルは吐き捨てるように言った。
(オレが、本当のトゥエルだ。本来ならオレがトゥエルとして生きていたはずだった。それをお前が横から滑り込んできて……奪いやがった)
というと、俺はトゥエル・エルフィアに憑依しているような状態ということか。
二重人格……とはまた性質が違う。
俺は別の世界を生きた転生者。
一つの体に二つの魂が同居している状態か。
(人の体を、我が物顔で動かしやがって)
トゥエルが恨みがましい視線を向けてくるが、俺は肩を竦めるしかない。
そんなこと言われても、俺にどうしろというのだろうか。
とりあえず、第二の人生満喫させてもらってます、ペコリ。
(ハッ。勝手に死んでおいて何言ってやがる)
ああ。
そういえば胸の辺りをぺしゃんこにされた気がする。
まさか殺されるとは思わなかったが、あの後どうなったのだろう。
(殺されるとは思わなかった? こりゃ傑作だ、馬鹿丸出しだなお前。あの獣人が優しくしてくれるとでも思ったか)
その通りである。
見た目の《赤毛》という強烈なインパクトでくらんでいたが、あれは《狼》の獣人だ。顔もよく見れば眉目秀麗の美男子で、どこか貴族に連なる血筋を感じさせるものがある。
その他にも、常人離れした戦闘能力、若くして《覚醒》を使いこなす才能。
何より、白狼聖の娘を《セレナ》と名前で呼んだこと。
セレナの家族構成を聞いていなかったのが悔やまれるが、これだけ要素が揃えば大体の推測はできる。
(……あいつがセレナの、お兄ちゃんだとでも言うのか?)
おう。
お兄ちゃんとはまた可愛い言い方だ。
(ぶっ殺すぞお前)
トゥエルの顔がうっすら赤くなったように見えた。
なんとなくだが、俺は目の前の少年の性質を理解したような気がした。
この少年は、まだ四歳なのだ。少なくとも精神的には。
俺の記憶を引き継いだ影響なのか、口だけは達者なようだが。
(クソが)
図星らしい。
こういう分かりやすいところは俺の妹にそっくりだ。
すると、トゥエルは頬を吊り上げてニヤリと笑みを作った。
(ふん。お前の言う通り、オレもお前の記憶を引き継いだ。おかげでこことは全然違う世界の知識やら言葉やらを知ることができた。面白かったぜ、そこは感謝してるさ)
そんな風に素直っぽく見せかけている時はろくなことを考えていない。
その辺も妹にそっくりなわけだが、本当に俺の記憶を引き継いでいるのだろうか。
むしろ真似してる説まである。
(……黙れ)
さっきから口は閉じっぱなしなのだが。
思考を読み取られているのだから黙るも何もない。
(その減らず口もいつまで続くかな)
そこまで言うなら無心になろう。
真一文字に唇を引き結んでみせると、少年の眉間のしわがますます深くなった。
四歳でストレス溜め込みすぎではなかろうか。
もっと気楽に行こうぜ。
(いいか。俺はお前の記憶を引き継いだ)
それはさっき聞いた。
(分かってないな。つまり、お前の過去も見たってことだ。最初から最後まで、全部な)
……。
(やっと黙ったな)
いや、なるほど。
確かに、人間には他に見せたくない急所というものが存在する。
俺の場合は、まさにその《過去》が急所と言えるだろう。
(お前、あの世界で一体何してたんだ?)
そうだ。何もしなかった。
(あいつらが目の前で死にかけてるのに、お前は横でぼーっと突っ立ってるだけだった)
そうだ。何もできなかった。
(それどころか、自分の不幸を人のせいにしたな。自分の無力さを棚に上げて、挙句の果てに全部ぶち壊そうとした)
そのだ。俺はどうしようもないクソ野郎だ。
(——お前の家族は、お前のせいで死んだんだよ!)
全部少年の言う通りだ。俺はみんなを見殺しにした。
だというのに、俺は変わることができなかった。
前の世界の俺にはそこそこの才能があった。やろうと思えば何かできたはずだった。なのにやらなかった。無理だと分かった瞬間に、俺は挑むことを止めていた。誰も俺をとがめようとしないのをいいことに、全ての責任を他人に押しつけた。
認めよう。全部丸ごとひっくるめて俺の過去だ。
(……、オレはエルフィア孤児院が好きだ)
ふむ? と俺は小首を傾げてみせる。
トゥエルはまた少し顔を赤くしながら、しかし芯のある目で俺を睨みつけた。
(可愛くて頼れるお姉ちゃんが、ちょっとカッコ悪いけど強いお兄ちゃんが、いつも失敗してばっかりの優しいお母さんが好きだ)
そうだな。
最初の親には捨てられてしまったが、俺はむしろエルフィア孤児院に引き取られて良かったと思っている。自分のやるべきことができる環境というのは才能以上に重要なものだ。
少し嫌われているのが残念だが、甘やかされないくらいがちょうどいい。
(お前みたいな奴に、エルフィア孤児院を任せておけるか)
ほう、それが本音か。
(今もそうだ。お姉ちゃんたちを危険に晒してるだろ)
……今?
俺はじっと少年を注視する。
一瞬、トゥエルの顔に『失敗した』という色が走った。
(とにかく、お前じゃ孤児院は守れない。だからオレと変われ。交代しろ!)
失敗を見抜かれたところで交渉のカードを切るのは愚策だと思うが——と、強気になろうとしてなり切れていないトゥエルを眺めつつ、俺は肩の力を抜いた。
てっきりここが死の世界か何かだと思っていたが、どうやら俺は死んでいないらしい。
体を奪い返す。それがこの少年の、トゥエルの狙いか。
確かに彼の懸念は尤もだ。
前の世界で、俺は大切な人を救うことができなかった。救おうともしなかった。
周りに当たり散らして、自分の無力さを思い知った。
そんな奴に家族を任せるなんて、俺だって嫌だ。
(そうだろ。けど、オレなら守れる。守り切ってみせる)
何か秘策でもあるのだろうか、どこか自信に満ちた物言いだった。
ならばと俺も自信を込めて言わせてもらう。
——今の俺は、前の世界とは違う。
(この期に及んで口答えすんのか……どこまで勝手なんだよ、このクソ亡霊が!)
勝手は百も承知。
だが、俺はこの世界に転生して、変わることができた。
努力を重ね、思考を回し、工夫を凝らして最善を生きてきた。
(そうやってまた家族を、孤児院のみんなを見殺しにすんのかよ!)
もう二度と同じことは繰り返さない。
覚えている。目の前で全てを奪われる絶望の味。
知っている。覆しようがない理不尽な現実。
分かっている。どん底に落ちてなお変われなかった救いようのない己の本質。
忘れたくても忘れられない。それはまるで棘の生えた茨のように俺の心を捕らえ戒める呪いだった。
それでも俺は、自分のエゴを押し通す。
(く、そ。お前って……本っ当に、クソだ。最悪のクソ野郎に乗っ取られちまったよ)
そう、最低の人間だ。
それを隠すつもりはない。だから罪悪感は感じても謝罪はしない。
全部終わったら、これまでの罪を全て背負って地獄へ突っ込んでやろうじゃないか。
(勝手にしやがれ)
気が付くと、目の前からトゥエルの姿が消えていた。
最後に刺し殺すような視線をしていたのが目に焼き付いていた。
どうやら俺は、また一人見殺しにしてしまったようだ。
心の中の姉と妹は、無言でそっぽを向いている。俺の背中を押してはくれない。
これで良いのかという躊躇いはある。
これが正しいのかという迷いもある。
それでも、進もう。
俺はシェイラに任されたんだ。
『ちゃんと守ってあげてね』って。




