第16章:私の戦い
【SIDE:桐原梨紅】
絶対に負けられない戦いがそこにはある――。
私は静まり返った教室の中でプリントに向き合いながら問題を解いていた。
数学の小テスト、これまで私が苦労してきた苦手科目。
いつもの私は適当に問題を埋めると諦めてしまう事が多々あった。
でも、それは過去の私。
今の私は、大河先生のデートという目標のために勉強を頑張ったの。
そのおかげで、それまで以上に数学を理解した。
「見せてやるわ、私の実力っていうのを……」
試験開始、解ける、解けるよ、問題がすいすい……解ける?
あれ、最初の方は簡単だからあっさりできたけど、途中からややこしくなってきた。
しばらくして、シャーペンが完全に停止する。
「……しまった、これ勉強してないところだ」
出ないと思って勉強を避けた所が見事に出てしまう。
えっと、この問題だとこの公式が必要で……こうすればいいはずだから、ん?
難解な問題に苦労しつつ今日の私は諦めない。
しつこく考えに考えて、公式をひとつひとつ解いていく。
先生とのデート。
それが私を突き動かす原動力。
他の科目なら一応、トップクラスの学力があるので、やる気の問題なの。
頑張ればできないことなんてないのよ。
家庭教師効果に期待、ちゃんと勉強をした分だけ返ってくるはず。
ここまで必死に勉強したのって中学受験以来かも。
私立中学の入学試験は算数が足を引っ張って苦労したもの。
絶対に私とは相容れない存在ね、普通に生きていれば難しい数学なんてほとんど必要ない科目だと思うの。
「はい、そこまで。後ろから答案用紙を集めてきてくれ」
教師の言葉に私はシャーペンを止めて、名前の確認だけして集めてきた子に渡す。
長い戦いは終わったわ。
あとは明日、答案が帰ってくるのを待つだけ。
戦いを終えた私は緊張感から解放されてぐったりしていた。
翌日、数学の時間になり、昨日の小テストが返却される。
100点中60点以上なら先生とのデート。
前回の小テストは20点だったのでそれでも十分ハードルが高い。
大河先生が家庭教師をしてくれたこの1ヶ月間でどれだけ成長できたか。
私なりに手ごたえはあったので、自信をもって返却された点数を見る。
「……えっ!?」
私は戻って来たテストの点にびっくりした。
だって、そこに書かれていた点数は……。
その夜は大河先生の家庭教師の日だった。
私は落ち着かない様子で自室で彼を待つ。
「先生、驚くわよね……?」
私はそう呟くともう一度、そのテストのプリントを見つめる。
何度見ても、その点数は間違いない。
私がこんな点をとるなんて……本当に嘘じゃないよね?
「お待たせ、梨紅ちゃん。それじゃ始めようか」
先生が部屋に来たのでいつものように家庭教師が始まる。
その前に先生が「そういえば、テストはどうだったの?」と聞く。
「……ふふふっ、見て驚かないでよ?」
「おっ、何だか自信ありげじゃないか。見せてもらおうか」
私は先生にテストプリントを手渡す。
彼はそれをジッと見て「……ホントに?」と予想通り驚いた顔をする。
「えぇ、ホントにその点なのよ」
そこには大きな文字でこう書かれていた。
『―― 32点』
……何度見ても32点、間違いなく32点、声に出して読んでも32点だった。
アレだけ頑張ったのに、まさかの展開でびっくりしたわ。
しかも、中途半端すぎて冗談としても笑えない。
「ふぇーん。普通さぁ、こういうい展開っていきなり80点とか取れて私って超すごい~っ!?と言う展開になるでしょ?何で、普通に32点なわけ?イベント補正は?超展開、ご都合主義はどこにあるの!?」
「俺に言われても……。中学の赤点って30点以下だろ?赤点は回避できたじゃないか?」
困り果てた先生の顔、失望させてしまったに違いない。
泣きたい、私の努力は実らず、高得点ならずの結末に泣いてしまいたい。
違うでしょ、ここはイベント的にこうじゃないはず。
高得点ゲットで先生とのデートと言う流れなのに。
私達の予想を見事に裏切る結末に私はがっかりしてた。
「そ、そんなに肩を落としてしょげなくても……?」
「がっかりするでしょ?私がどれだけ頑張ったと思うの?睡眠時間を削ってまで頑張ってもこれ?マジでありえないっ」
「確かに問題をみれば頑張ってるのは分かるけど、使う公式はあってるのに、使う問題間違える時点でどうかと……」
ちゃんと真面目に勉強した結果が32点、60点なんて夢でしかないの?
「家庭教師も一ヶ月ちょっとじゃないか。実力が付きだすのはこれからだと思うよ?そんなに焦ってすぐにできないって」
「……私のテンションはさがりまくったわ。もう数学嫌い。デートだってできないし、時間の無駄だったのね。ふんっ」
私は拗ねてしまうと見かねた先生が言う。
「落ち込まないで、梨紅ちゃん。努力した事は無駄じゃない。次はホントのテストが3月にあるんだろ?だったら、それで頑張ればいいじゃないか。本番はそこだろ?」
「……やる気起きないから無理。はぁ」
自信があっただけに今回の顛末には自分が情けなくなる。
「私は戦いに負けたのよ。デートもできず、努力も報われず、敗者はただ現実を受け止めることしかできないの」
「戦いって大げさな……梨紅ちゃんは頑張ったじゃないか。12点UPだよ?」
「大河先生。負け犬の私に優しくしないで。今の先生の優しさが私には辛いの」
私は視線をそらして言うと、彼は静かな声で、
「それじゃ、気分を変えて問題をはじめよっか。えっと、前回はここまでしたから……」
「ちょっと待って!?ホントにそこで話題は終わり?」
「だって、優しくしないでって。プライドのある梨紅ちゃんがそう言うからこの話はやめておいた方がいいのか、と?」
「違う~っ!?そんなの本音じゃないのにきまってるじゃない。本音は先生とデートしたいのっ!甘い恋人みたいに一緒に遊びに行きたいの~っ。つまらないプライドなんていらない!」
私はちょっぴり涙ぐみながら先生の身体に抱きつく。
「梨紅ちゃん。勝負の世界って非情なんだよ。1点差もダメなのに、残り28点足りてないから全然ダメ」
「ひどいっ!?努力は認めてくれてもいいじゃない。よく結果だけじゃなくて過程が大事って言うでしょ!」
「いや、テストは結果が全てだから。こーいうことって……甘やかせすぎるのも悪いだろ?」
ヘタレ先生に言われると何だかなぁ。
人生ってちょっとくらい甘くたっていいじゃない。
「大河先生。ポジティブ思考に考えてみて。現役女子中学生とデートができるのよ?」
「俺がロリコンなら喜ぶだろうが、別に年下属性ないからな」
「……可愛い美少女とデートできるのよ?」
「確かに梨紅ちゃんは可愛いけど、俺は別にデートしたいわけじゃないし」
私、完全に子供扱いじゃない?
あれぇ、おかしいな……。
出会った当初は手玉にとるくらいこちら有利だったのになんか余裕じゃない?
「ダメなのよ、先生。この流れはおかしいわ」
「いや、いきなり真顔で言われても」
「だって、先生が私の可愛さにドキマギしてくれなきゃダメじゃないっ!」
「そんなに自信持って言われても、普通に困る」
……ぐすっ、先生ってば冷たい。
私が拗ねてると「仕方ないなぁ」と彼は苦笑いをする。
「分かったよ。梨紅ちゃんが今回頑張ったのは事実だから俺も譲歩しよう。さすがに60点取れると思っていなかったし。でも、目標の点数はとれなかったから、どこでもOKってわけじゃないけどいいよね?」
「え?どこかにデートへ連れて行ってくれるの?」
「……まぁ、考えておくよ。今週の日曜日くらいで予定たてておくけどいい?」
先生が場所を決めると言う条件付き。
それでも全然OKなので、私が頷くとようやく授業が始まる。
先生とデート、というのが私の目的だったからいい。
本当に行きたい場所はあったけど、それはまた次の機会にとっておく。
「大河先生、優しい~っ。今のは好感度UPよ」
「そう?梨紅ちゃんもやればできるって事が分かってよかったよ」
私はそこまで数学ができないダメな子と思われていたの?
なにはともあれ、先生と無事にデートができることになりました。
今度は自分の実力でしてもらえるようになりたいな。
「えっと、漫画喫茶とかでもいいかな?」
「それは絶対に嫌っ!!」
不安だわ、デート慣れしていない先生に任せて大丈夫なのかしら?