第12章:悪魔の嘆きと悲しみと
【SIDE:日野大河】
「ったく、うちの姉ちゃんもホントに人使いが荒い」
今日は土曜日、何も予定はなく大抵は美鶴姉ちゃんと一緒に食事をする日だ。
俺は姉ちゃんに頼まれてあちらこちらに買い出しに出かけていた。
その帰り、マンション付近まできたところで可憐の姿を見かける。
「よぅ、可憐。何だかつかれた顔をしているな?」
「んー?大河クンか。バイト帰りでお疲れ気味なの」
可憐は俺の住むマンションの向かい側のマンションに住んでいる。
女性向けのマンションで、姉ちゃんも去年まではそちらに住んでいたらしい。
「アルバイト……。あぁ、例の駅前にできたコスプレ喫茶か」
「違うって!?ただの喫茶店、ちょっと可愛い服装のお店であってそういう変なお店じゃありません。一回来てみなさいよ。あ、いや、ダメ。今は来ないで。これ以上仕事したくない」
ぐったりとしている様子から察するに人気があるお店のようだ。
噂だとオープンして間もないのにかなり繁盛しているらしい。
「開店当初から繁盛していていいじゃないか」
「どんなに忙しくても時給が一緒なら暇な方がいいわよ。忙しいだけつかれるの。今はオープンで忙しいから、しばらくして盛り下がってきたら来て。またその時には連絡するわ」
「その言い方もどうかと思うぞ。まぁ、可憐の制服姿がどういうのかは興味あるが」
可憐も見た目だけなら可愛いからな。
それはそれで期待しておこう。
「そうだ、大河クン。もうすぐテストじゃない。そこで、経済学の授業のノートを貸してくれない?私、あれってあんまり講義に出てなくてノートも取ってないのよね。テスト範囲ってノートから出るらしいから写させて」
「うん、嫌だ」
「なっ!?何で拒否するのよ。いいじゃない、貸してくれても」
「前期のテスト時にお前にノートを貸して、散々な事を言われたからな。字が汚い、もう少し要点まとめて書けやら文句ばかり……貸す気になれないから貸しません」
人にノートを借りといて字が汚いと文句を言った人にはこころよく貸せない。
別に俺がケチだとかそういうわけじゃない。
「あー、そんなこともあったような。あんまり細かいことを気にしてると将来後頭部の薄さに悩まされるわよ?」
「――お前は俺を怒らせた。絶対に貸さない」
親戚一同、薄毛に悩んでいるだけに俺も将来心配なので冗談でも許せないネタだ。
俺は「もう知らねー」と可憐を置いてマンションへと戻る。
「ちょ、ちょっと、待ってよ。こっちは単位落としたくないの。協力してよ」
「人にものを借りる態度じゃないから嫌だ。ていうか、ついてくるのか!?」
結局、強引な可憐は俺の部屋までついてくる。
「大河クン。女の子がこれだけお願いしているのに冷たいわ」
「……お願い?脅迫の間違いでは?」
なんて俺達が会話してると、室内から叫び声が聞こえた。
「きゃーっ!?」
その声の主はまさかの美鶴姉ちゃんらしい。
「今の美鶴さんの声よね?」
「そのようだな。何かあったのか?」
俺達は顔を見合わせて「?」と疑問に思いながら家に入る。
キッチン付近で何やら震えている美鶴姉ちゃんを発見。
「どうしたんだ、美鶴姉ちゃん……ハッ!?」
俺達は見てしまった、姉ちゃんの手に握られているものを。
それは赤い血に染まった包丁、震える美鶴姉ちゃん、そして、叫び声……。
そこから導き出される答え、それはひとつしかない。
「ね、姉ちゃん……ついにやっちまったのか?誰だ、誰をやったんだ!?」
「美鶴さん、自首するなら付き添いますよ?」
ついに姉ちゃんが……いつかやると思ってました。
「そ、そんなわけないでしょ!!」
美鶴姉ちゃんは涙目で俺達に怒りを向ける。
「私は誰も殺してないわよ、ふたりして失礼ね」
まな板に魚がのっているので調理中だったようだ。
なるほど、魚の調理の血だったのね、誤解してしまったではないか。
「だったら、何で叫んだんだよ?」
「あ、あれが出たのよ、もうダメだわ。この家は既に侵略されているわ。すぐに逃げないと……」
「アレ?何だよ、それは?何かいるのか?」
「いるから私が怖がってんでしょっ!!空気くらい読みなさい」
普段は強気全快のサディストお姉様の美鶴姉ちゃんが震えている時点でおかしい。
彼女を震え上がらせるもの、それに俺は一つだけ思い当たるものがある。
「まさかアレか?我が家にも出たのか、アレが!?」
「そうよ、アレよ。アレがついに出たのよ。ふぇーん」
半泣き状態の美鶴姉ちゃんが俺に抱きついてくる。
「うぉ!?ちょ、おまっ!?嬉しいけど、包丁持ったまま抱きつかないで?!」
嬉しさ半分、恐怖半分……めっちゃ危ねぇ。
とりあえずは包丁は回収、抱きついた状態は維持で話を続けることにする。
「あのさ、アレって何?美鶴さんは何を怯えているわけ?」
姉ちゃんの普段とのギャップに困惑してる可憐は俺に尋ねる。
「アレって言ったらアレだよ。家庭の天敵、黒い悪魔と恐れられている通称、アレだ」
「……あーっ、ゴキ●リか」
「嫌~っ!?その名前を言わないで」
美鶴姉ちゃん、威厳ゼロ……この可愛いお姉さんは誰だと言いたい。
あのヤクザすら睨み殺す面影はどこにもありません。
「最強乙女と言っても過言ではない姉ちゃんにも苦手なものはある。主に虫全般がダメなんだが、特に黒い悪魔だけはマジでダメなんだ。どれだけダメなのかはこの光景を見てくれたらわかるだろ」
「そりゃ、アレが得意な人はいないでしょうけど、ここまでおびえるもの?」
「小さい頃に実家で強襲された事があってね。それ以来、トラウマらしい」
部屋にわいて出た黒い悪魔が飛び回る光景。
想像するだけでも気持ち悪いが、さらに言葉にできない仕打ちをされたらしい。
こうして弟に抱きつきながら震える姉を見ているとトラウマがかなりのものと分かる。
世界の嫌われ者、黒い悪魔はすぐにでも退散願いたい。
「しょーがない、ここはお前に任せよう。可憐」
「おーい。私もか弱い女の子で、誰も得意だとは言ってませんけど?」
「頼むよ、可憐。実は俺も苦手なんだ。処分してくれたらノートを貸そう」
というか、この状態では身動きできないし。
「ひっく……えぐっ、怖いの嫌だぁ……」
しかも、美鶴姉ちゃんが涙目でめっちゃ可愛いからしばらくこの状態を維持したい。
普段から散々な目にあわせられているからなぁ。
俺と姉ちゃんに視線を向けて可憐は「ラブラブねぇ」と呆れた口調で言う。
「大河クンってシスコンだよね。人様の姉弟事情にクビ突っ込むつもりはないけど」
「誰がシスコンだ。俺はその趣味はない」
「美鶴さんの方はどうかしら?はぁ。嫌だけどノートのために頑張るわ」
ゴキブリ用殺虫剤を手にした可憐はため息をつきながらキッチンへと消える。
しばらくして、暴れまわるような音が聞こえてから沈黙が続く。
キッチンから出てきた彼女は「殺虫剤使わなかったわ」と俺に手渡す。
「……処分完了か?」
「窓際に追い込んでやったら勝手に窓から飛び出したわ。無駄な殺生すると後片付けが面倒なのよね。無事終了よ」
「部屋から出て行っただけマシか。おい、美鶴姉ちゃん。終わったぞ?」
俺が美鶴姉ちゃんに話しかけるとようやく正気を取り戻したらしい。
「な、何をいつまで抱きついてるのよ!?この変態っ!」
俺を突き飛ばして真っ赤になりながら姉ちゃんは濡れた瞳をぬぐう。
「ふんっ。大河のくせに。いつかし返してあげるわ、覚えてなさい」
「俺が抱きついたわけじゃないってのに、何たる仕打ちだ」
いつものことだが、俺の対応の改善を求む……いや、本当にさ。
その後、黒い悪魔を追い出した可憐は姉ちゃんに誘われて一緒に夕食を取った。
何気に姉の可憐への扱いがよかったので、俺が倒しておけばよかったぜ。
食後、俺と可憐は俺の部屋にてノートを探していた。
「それにしても、美鶴さんにでも弱点はあるのね」
「そりゃ、あるだろう。あれでも一応、女の人なわけだし」
「大河クン。私も女だからね?その辺、自覚してるかしら?」
「……可憐と話しているとどうにもその自覚が薄くてな」
ホントに女として意識してたら俺はドキマギしっぱなしであろう。
俺は経済学のノートを見つけたので彼女に手渡す。
「かなり失礼な人ね。こんな美人な女の子を自室に連れ込んでるくせに反応もしないなんて。別にいいわ。私も大河クンの事なんてちっとも人間として認識していないもの」
「そこはしておくべきだろう!?」
「……これからポチって呼んでもいい?」
「犬!?ワンコ扱いかよ」
可憐の逆襲、地雷を踏んでしまった。
「どうしたの、ポチ?何かあったの?ポチのくせに私に文句言うつもり?」
「ごめんなさい、可憐さんは立派な成人女子です。これからは意識するようにこころがけますので人間扱いしてください」
可憐を怒らせると本当に後を引きずるから謝るに限る。
以前にひどい目に合ったからなぁ。
家も近所で会う事も多い友人なので余計に大変だ。
「まぁ、大河クンに女の子として意識されすぎるのも嫌だけど。私の事を好きになっちゃダメなんだからね?大河クン」
「それはないから心配するな」
「……そこで即答するから大河クンはヘタレだと言われるのよ」
なぜか怒られました、何で?
不満そうに言う可憐に俺は女の子とは気難しいと改めて思うのだった。
「カテキョの生徒の女の子にもそういう態度とってないでしょうね?」
「梨紅ちゃん?うーん。別に普通の態度だと思うけどな」
「それならいいわ。大河クンって女性慣れしてないというか、女性の扱い方が致命的に下手なの。それじゃ、恋人なんて夢のまた夢よ。いい加減、恋人欲しいのならちゃんと努力しなさい」
「……男として何も言い返せないのが悲しい」
可憐に凹まされた俺はうなだれるしかなかった。
ちなみに黒い悪魔に半泣きだった美鶴姉ちゃんが翌日、家の一斉掃除に取り掛かった。
「この家に二度とアレを発生させないために徹底的に掃除するわ」
そのせいで俺の部屋にあったエロい本を含めた雑誌類が発覚、巻き添えの処分という犠牲になりました。
ちくしょー、黒い悪魔めっ、二度と部屋に来るなっ!!