74 第3章:開戦(絶望のペントハウス)
第4節:亡霊の告発
血のような不気味な赤色に染め上げられた壁面のディスプレイが、不気味な電子音を細かに刻み続ける超高級タワーマンションの最上階。ペントハウスの広大なリビングルームは、外の夜空がもたらす漆黒の闇と、室内の壁面から放たれるエラー警告の赤光とが混ざり合い、まるで地獄の底のような異様な光景に包まれていた。
脱出口であるはずの頑丈な金属製玄関ドアは、内部の油圧シリンダーによってロックされ、護衛たちのいかなる物理的攻撃も受け付けずに冷たくそびえ立っている。プライベート・エレベーターはシャフトの途中で緊急停止させられ、外部との通信回線もすべてルーティングを書き換えられて遮断されていた。外の世界から完全に切り離されたこの地上百メートルの完全密室の中で、政財界の暗黒のフィクサーである黒木宗一郎は、己の帝国が音を立てて崩れ去る現実の前に、呆然と立ち尽くしていた。
そして、その足元――床に這いつくばり、頭部から血を流した愛華は、先ほど黒木に蹴り飛ばされた衝撃と、数百億円のエスクロー口座が永久凍結された絶望のあまり、もはやまともに声を出すこともできず、ただ湿った嗚咽を漏らしながら震えることしかできなかった。
リビングの隅。高級な木枠で作られたベビーベッド。
そのシーツの上に横たわっているはずの赤ん坊――生まれて間もないはずの佐藤一真の肉体が、いつの間にか静かに上半身を起こし、その小さな両手をベッドの木枠にしっかりと添えていた。
赤ん坊は、泣いていない。怯えてもいない。
その幼い顔立ちからは似ても似つかないほど冷徹で、容赦なき「処刑者」の光を宿した瞳が、黒木と愛華の姿を見据えていた。
『人間の魂や執念というものを、お前のような浅薄な毒婦が理解できるはずもない。お前たちが俺の肉体を毒殺し、その命のすべてを踏みにじったからこそ、俺の魂は消え去ることなく、この赤ん坊の肉体に宿り、お前たちの足元へ舞い戻ってきたのだ。すべては、お前たちが敷いたこの完全犯罪のレールの上で、お前たち自身を地獄へ引きずり込むために』
「ひっ……! ああ……、ああっ……!」
愛華は恐怖のあまり両手で自分の頭を抱え込み、大理石の床に額を擦り付けるようにして身悶えした。
目の前にいるのは、自分が手にかけて殺したはずの夫の魂を持った赤ん坊。自分たちのすべての悪事を見抜き、すべての富と権力を一瞬にして奪い去った真の復讐者。
その事実が、愛華の精神を完全に粉砕し、発狂の淵へと突き落としていた。
『だが、それだけではない』
スピーカーから響く一真の声は、一段と重みを増し、ペントハウスの空気を凍りつかせた。
『お前たちが掠め取ったあの次世代AIインフラ特許。そして、お前たちが俺の命を奪うことと引き換えに手に入れようとした数百億円の利権。それらすべては、最初からお前たちを破滅へと誘うための「最大の罠」だったのだ』
「なっ……特許が……罠だと……!?」
黒木は歯噛みし、信じられないというようにベビーベッドを見つめた。
『そうだ、黒木。お前が構築した決済システム「Project-ZERO」のバックドアは、俺が前世の段階ですべて設計し、脆弱性を意図的に残したものだった。お前が自らの手で最終承認ボタンを押した瞬間、すべての資金は凍結され、お前の裏金工作と殺人教唆の証拠のすべてが警察とメディアへ一斉送信されるようにプログラムされていた。お前が俺から奪い去ったと思ったものはすべて、お前自身を絞首台へ送るための「首輪の鎖」にすぎなかったのだ』
その言葉を聞いた瞬間、黒木宗一郎の脳裏に、凄まじい衝撃が駆け抜けた。
この赤ん坊が発している知性と、緻密に計算し尽くされたハッキングの技術、そして自分たちのスキームのすべてを先回りして掌握していたこの圧倒的な謀略――。
それは、偶然の産物などではない。
目の前にいるこの赤ん坊は、ただの「愛華との間に出来た後継者」などではなかった。
――佐藤一真。
あの冷たい病室のベッドの上で、自らの手で毒殺し、完全に葬り去ったはずの天才エンジニア。その人間の魂と復讐の意志が、文字通りこの赤ん坊の肉体に転生し、すべての復讐を成就させるために自分の足元へと舞い戻ってきたのだ。
「ば……馬鹿な……そんなことが……そんな超常的なことが、あってたまるか……!」
黒木は恐怖のあまり後ずさりし、その巨体を背後の壁にぶつけた。
彼の顔から血の気が完全に引き、目の前の赤ん坊を見る目は、まるでこの世の終わりの化け物を見るかのような、底知れぬ恐怖に満ちていた。
『お前たちが奪った特許も、命も、そして――お前が「我が最高の後継者」だと信じて疑わなかったこの「息子の肉体」すらも、すべてはお前たちをこの地獄へ叩き落とすために俺が用意した究極の罠だったのだ、黒木』
赤ん坊の小さな唇が不気味に笑い、天井のスピーカーから響く一真の声が、最後の審判を下した。
『さあ、味わい尽くせ。お前たちが作り上げた完全犯罪の神話が、お前たち自身の血と絶望によって完全に崩れ去る、その終わりの始まりの瞬間を』
ペントハウス全体が、静まり返った絶望の闇の中に沈み込んでいく。
絶対的権力者である黒木宗一郎が、目の前の赤ん坊の正体を悟り、抗いがたき恐怖の底で完全に打ち砕かれた瞬間であった。




