第16話 完成者の正体
《新規時間軸汚染率:1%》
黒い俺が笑う。
その背後で、生まれたばかりの時間が染まっていく。
図書館の床。
本棚。
空中に浮かぶ地球。
すべての輪郭へ、黒いノイズが入り込んでいた。
《汚染率:2%》
「完成者……」
俺が呼ぶと、そいつは首を傾けた。
「その呼び方は正確ではない」
声は俺と同じ。
だが、一つの喉から出ているとは思えない。
男。
女。
老人。
子ども。
数え切れない声が、俺の声の奥で重なっていた。
「私は完成者そのものではない」
「なら、何だ」
「観測端末だ」
黒い俺は自分の胸へ手を当てる。
皮膚の下で、無数の目が開いた。
「お前たちが偽装情報を送った瞬間、完成者との接続が生まれた」
九条が銀色の右目を光らせる。
《外部監査》
《対象を解析》
だが。
表示されたのは赤い警告だった。
《解析不能》
《対象は世界情報に登録されていません》
「登録されていないなら」
九条が銃を構える。
「排除対象と判断します」
発砲。
弾丸が黒い俺の眉間へ飛ぶ。
命中する直前。
弾丸が静止した。
黒い俺は指一本動かしていない。
空中で止まった弾丸の表面から、色が抜けていく。
金属。
速度。
熱。
形状。
情報が一つずつ消え、最後には透明な点となった。
《汚染率:3%》
「削除した?」
「違う」
原典が低い声で言う。
顔が青ざめている。
「完成させたんだ」
九条が原典を見る。
「どういう意味です」
「弾丸には、飛ぶ、命中する、破壊するという未完了の目的があった」
原典は黒い俺から目を離さない。
「そのすべてを終了したことにされた」
弾丸は消されたのではない。
役目を終えた。
完成した。
完成したものは、それ以上変化しない。
だから世界から切り離された。
「それが完成者の能力か」
「能力ではない」
黒い俺が答える。
「法則だ」
一歩。
こちらへ近づく。
足元の床が黒くなる。
《床》
《役割:人間を支える》
《状態:完成》
床が消えた。
俺と九条の身体が沈む。
「接続!」
消える直前の床を近くの本棚へつなぐ。
足場が横へ移動。
俺たちは崩れかけた棚へ着地した。
《共同編集:成功》
黒い俺は拍手する。
「優秀だ」
「褒められてもうれしくない」
「私は心から評価している」
そいつの視線が、図書館の数千冊へ向く。
「個を維持したまま、共同で一つの世界を動かす」
本が次々と黒く染まる。
「実に非効率で、美しい失敗だ」
《汚染率:5%》
『レン』
頭の中でもう一人の俺が言う。
『あいつ、俺たちの接続をたどってる』
共同編集システム。
数千人格をつなぐ巨大な網。
完成者の端末は、そこへ侵入している。
一人格を汚染すれば、全員へ広がる。
「接続を切る」
『待て』
原典が叫んだ。
「共同編集を解除すれば、世界維持処理が止まる!」
「このままでも乗っ取られる」
「切断すれば新規時間軸は十秒も保たない!」
二択。
共同編集を維持して汚染されるか。
切って世界を崩壊させるか。
また、用意された選択肢。
黒い俺が笑う。
「悩む必要はない」
「お前に聞いてない」
「どちらを選んでも、完成する」
男が両手を広げる。
「世界が崩壊すれば、その結末は完成する」
右手。
「私が支配すれば、編集作業は終了する」
左手。
「抵抗は過程にすぎない」
《汚染率:7%》
本棚の一部から悲鳴が上がる。
黒く染まった本が閉じていく。
《試作人格二百三号》
《編集作業:終了》
《人格目的:達成》
「待て!」
俺は本へ接続する。
だが、開かない。
二百三号は消されていない。
存在している。
記憶もある。
しかし。
もう何も望んでいない。
世界を編集する理由も。
生きる理由も。
すべて完了したことにされている。
『……疲れた』
本の中から声が聞こえた。
『もう、終わっていい』
接続が切れる。
《共同編集参加者:二千四百八十二→二千四百八十一》
「感情まで完成させるのか」
「未練、希望、恐怖、欲望」
黒い俺が答える。
「すべて未完成だから生じる」
「希望を消してるだけだ」
「希望は欠落を美化した言葉だ」
そいつは俺を見る。
「お前も理解しているはずだ」
視界に映像が流れ込む。
ブラッククラウンに見捨てられた瞬間。
ケルベロス。
削られた記憶。
父さんの死。
姉さんの顔を思い出せない空白。
もう一人の俺を失いかけた恐怖。
「お前が苦しんだのは、物語が終わらなかったからだ」
黒い俺が手を差し出す。
「私なら終わらせられる」
目の前に文章が現れた。
――灰原レンは姉と再会した。
映像。
姉さんがいる。
俺を見て、笑っている。
顔は思い出せないはずなのに。
なぜか、それが姉さんだと分かる。
『おかえり、レン』
胸が痛む。
――灰原誠一の死は無駄ではなかった。
父さんがいる。
穏やかに笑っている。
『よくやった』
――ブラッククラウンは罪を償った。
ジンが頭を下げている。
――白とナギは名前を取り戻した。
二人が手をつないでいる。
すべて。
俺が望んでいた結末。
「受け入れれば、この結果を確定させる」
黒い俺が言う。
「犠牲もない」
「嘘だ」
「事実にできる」
「完成させるだけだろ」
再会した瞬間。
喜びは終わる。
父さんに認められた瞬間。
その感情は固定される。
罪を償った瞬間。
その後はない。
「未来を殺して、きれいな一枚絵にする」
黒い俺の笑みが消えた。
「未来は苦痛を生む」
「喜びもだ」
「喜びはいずれ失われる」
「それでもいい」
「なぜ」
「失うからって、最初から終わらせる理由にはならない」
黒い俺の顔が歪む。
初めて。
感情らしいものが浮かんだ。
怒り。
いや。
困惑。
「不合理だ」
「ああ」
「苦痛を選ぶのか」
「選ぶのは俺じゃない」
俺は世界のタイムラインを開く。
新しい一秒。
その先には、まだ何もない。
「生きる人間が、それぞれ決める」
九条が俺の隣へ立つ。
「会話は終わりですか」
「はい」
「では、排除方法を」
「考えてます」
「まだ?」
「今、考えてます」
九条がため息をついた。
その声で、少しだけ頭が冷える。
完成者の端末は共同編集網へ侵入した。
接続を切れないなら。
接続の意味を変える。
「逆に流す」
原典がこちらを見る。
「何を」
「完成者の情報を、共同編集者全員へ分配する」
「正気か!」
「今は向こうから汚染が流れてる」
黒い液体のような情報が、一方的に人格へ入り込んでいる。
接続は双方向。
なら。
こちらからも送れる。
「端末を数千人で解析する」
「完成者の情報量に耐えられない!」
「一人ならな」
共同代償と同じ。
数千人格へ分散する。
一人格が受け取るのは、ごく小さな断片。
「危険です」
九条が言う。
「情報を受け取った人格が変質する可能性があります」
「だから承認を取る」
視界へ表示する。
《完成者端末の分散解析に参加しますか》
《危険性:人格汚染、記憶破損、目的喪失》
《拒否可能》
黒い俺が笑う。
「誰が承認する」
最初の返事。
《試作人格三号:承認》
次。
《十一号:承認》
《二十六号:承認》
《百四号:承認》
光が次々と灯る。
『完成なんてごめんだ』
『外へ出たこともないのに終われるか』
『三号の仇だ』
『まだ海を見ていない』
数千の声。
《参加者:二千三百九十七人格》
全員ではない。
拒否した人格もいる。
それでいい。
強制すれば原典と同じだ。
「開始する」
《逆方向接続》
黒い俺の身体から伸びる線をつかむ。
そいつの目が見開かれた。
「やめろ」
「怖いのか」
「お前たちには理解できない」
「理解するためにやるんだよ」
赤いペンを振る。
《完成者端末の構成情報を分割》
《二千三百九十七人格へ送信》
黒い俺の身体が引き裂かれる。
肉ではない。
情報の層が分離していく。
《外殻:灰原レン》
《接続機能:観測》
《処理機能:完成》
《目的:未完成世界の削除》
さらに奥。
黒いノイズ。
そこへ触れた瞬間。
数千人格の悲鳴が頭へ流れ込んだ。
宇宙。
一つではない。
無数の世界。
文明。
生命。
歴史。
それらが完成者に観測され。
消えていく。
完成者は世界を憎んでいるわけではない。
楽しんでもいない。
ただ。
完成したかどうかを判定している。
「誰が、こんなものを作った」
原典がつぶやく。
さらに分離する。
《完成者》
《分類:自律編集システム》
《作成目的:物語世界の収束》
《作成者――》
文字がノイズに隠れている。
俺は赤いペンを当てる。
黒い俺が絶叫した。
「見るな!」
「原文を表示しろ!」
《作成者情報を復元》
ノイズが剥がれる。
そこに現れた名前を見て。
原典が息を止めた。
九条の銀色の目が大きく開く。
俺は、意味を理解できなかった。
《完成者・開発責任者》
《灰原レン》
「俺?」
「違う」
原典が震える。
「私ではない」
「原典のあんたでもない?」
「私は完成者から世界を隠した側だ!」
なら。
誰だ。
作成日時を見る。
《開発開始:二千百四十六年》
現在より百年以上先。
未来。
完成者は、未来の灰原レンが作った。
「時間を逆行してきたのか」
黒い俺が崩れながら笑う。
「ようやく見つけた」
「何を」
「起点を」
黒い腕が伸びる。
俺の胸へ突き刺さった。
痛みはない。
代わりに。
世界中のタイムラインが一斉に開く。
未来。
数十年。
百年。
その先。
人類は編集技術を発展させている。
病気を削除。
死者を復元。
争いを接続解除。
誰もが現実を編集する時代。
そして。
世界は分岐しすぎた。
一人が望む世界。
別の誰かが望む世界。
矛盾する現実が無限に作られる。
宇宙は耐えられない。
未来の灰原レンは、選んだ。
すべての時間軸を一つへ収束させるシステム。
完成者。
「俺が、作るのか」
「そうだ」
黒い俺が耳元でささやく。
「お前が自由な編集を世界へ広げた結果、未来は崩壊する」
視界に未来の俺が映る。
老いた顔。
赤いペン。
無数の死体。
『もう、選択肢を増やしてはいけない』
未来の俺が言う。
『世界には、正しい結末が一つだけ必要だ』
黒い俺と同じ目。
「私は、お前がこれから作る」
完成者の端末が笑う。
「お前が私の父親だ」
《因果接続を確認》
《完成者誕生条件》
《主導編集者:灰原レンの生存》
《世界編集技術の拡散》
《無限時間軸の発生》
《収束システムの開発》
「俺が生きれば」
声が震える。
「未来で完成者が生まれる?」
「そうだ」
「なら、今ここで俺を消せば」
九条が俺の腕をつかんだ。
「考えないでください」
「でも」
「未来は確定していません」
黒い俺が首を振る。
「確定している」
《因果一致率:99.99%》
表示。
赤い波線はない。
「お前が第三の選択肢を作るたび、時間軸は増える」
黒い俺が続ける。
「可能性を守るほど、宇宙は壊れる」
俺の信じてきた方法。
決められた二択を拒否し。
新しい答えを作る。
それが。
未来では世界を壊す。
「完成者は、お前の思想が完成した姿だ」
黒い腕が胸の中へ深く入る。
「だから、私はお前を殺せない」
身体に黒い文字が刻まれる。
《完成者開発権限》
《継承処理を開始》
「何をしてる!」
「未来の記憶を返している」
黒い俺の身体が崩れる。
情報となって、俺へ流れ込んでくる。
完成者の構造。
開発理論。
時間軸収束技術。
俺が未来で生み出すはずの知識。
「これで未来は早まる」
原典が叫ぶ。
「接続を切れ!」
切ろうとする。
だが、できない。
黒い腕と俺の身体の境界がない。
同じ灰原レン。
同じ構成情報。
完成者は、俺の未来として接続されている。
《継承率:30%》
《46%》
頭が焼ける。
無数の世界が消える映像。
泣き叫ぶ人々。
それを見ながら、未来の俺は赤いペンを振っている。
『これが最小の犠牲だ』
違う。
そう言いたい。
だが。
未来の俺の感情が流れ込む。
疲労。
絶望。
何億回も第三の道を探した記憶。
すべて失敗した。
だから、一つに決めた。
その苦しみを。
俺は理解してしまう。
《継承率:69%》
『レン!』
もう一人の俺が叫ぶ。
『飲まれるな!』
「分かってる」
だが。
何が正しい。
自由な未来を残せば、宇宙が崩壊する。
収束させれば、無数の可能性を殺す。
どちらかしかないなら。
黒い俺が、最後に笑った。
「未来で会おう」
身体が完全に崩れ。
俺の中へ吸収される。
《継承率:100%》
《完成者端末:消滅》
《新規時間軸汚染率:12%で停止》
静寂。
図書館に残ったのは。
俺。
九条。
原典。
そして、数千人格。
敵は消えた。
だが。
俺の右目が黒く染まっている。
視界の端に、今までなかった機能が表示された。
《削除》
《復元》
《接続》
《文章編集》
そして。
《完成》
九条が銃を俺へ向ける。
迷いはない。
銀色の右目が光っている。
《外部監査対象:灰原レン》
《危険度:世界級》
「レン」
冷たい声。
「答えてください」
俺の胸には、未来の記憶がある。
完成者を作る方法も。
時間軸を一つへ収束させる方法も。
すべて分かる。
「あなたは今」
九条の指が引き金へかかる。
「灰原レンですか」
答えようとした。
その瞬間。
口が勝手に動いた。
俺の声で。
未来の俺が答える。
「いいや」
右手に。
赤ではなく、黒いペンが現れる。
「まだ未完成だ」
《新規機能・完成を起動》
《対象:九条シオン》
《目的:灰原レンの監視》
《状態:未完了》
《完成処理を実行しますか》
俺は必死に右手を止める。
だが。
黒いペン先は、九条へ向いたまま動かない。
《実行まで残り五秒》




