第1話 俺の死は生配信されている
ダンジョン探索が世界最大の娯楽になった時代。 戦闘能力を持たない灰原レンは、人気探索者パーティーで荷物持ちと動画編集を担当していた。 どれだけ働いても、仲間からの評価は「役立たず」。 そして深層級の魔物に襲われた日、レンは仲間を逃がすための囮として、ダンジョン内に置き去りにされる。 その様子は十万人の視聴者に生配信されていた。 死を覚悟した瞬間、最低ランクと判定されていた《編集》スキルが覚醒する。 レンが編集できるのは映像ではなく、目の前で起きている現実だった。 攻撃が命中する瞬間をカットし、敵の動作を繰り返し、音を削除する。 ただし、現実を編集するたびに、レン自身の記憶が一つずつ消えていく。 「全部忘れる前に、俺を見捨てた連中より上へ行く」
「レン、お前が残れ」
深層級の魔物が迫る中、仲間は俺の右足を鎖で壁につないだ。
しかも、その様子は十万人に生配信されている。
「……何をしてるんですか、ジンさん」
自分の声とは思えないほど、かすれていた。
暗い通路の奥から、重い足音が響いてくる。
七秒おきに一歩。
足音の間隔から考えて、魔物がここへ来るまで一分もない。
正面には、地上へ帰るための転送門。
青白い光を放つ装置の前で、黒瀬ジンが俺を見つめていた。
国内有数の探索者。
パーティー「ブラッククラウン」のリーダー。
そして、俺が三年間信じてきた男だ。
「誰かが魔物を引きつけなければ、転送門を起動できない」
ジンは肩に付けた配信カメラへ顔を向けた。
「レンが自分から残ると言ってくれた。俺たちは救援を呼ぶ」
コメント欄が勢いよく流れる。
《レンが?》
《そんな話してたか?》
《さっきまで全員で逃げるって言ってなかった?》
「違う」
俺は鎖を引いた。
金属音が洞窟に響く。
「俺はそんなこと言ってない。これを外してください」
「レン」
ジンは困ったような顔を作り、俺へ近づいた。
カメラには映らない位置まで来ると、声を落とす。
「お前一人で四人が助かる。簡単な計算だろ」
胸の奥が冷たくなった。
俺が眠る時間を削って編集した動画。
炎上しそうな失言を消し、戦闘で格好よく見える場面をつなぎ合わせた。
ジンを英雄にした映像の半分は、俺が作ったものだ。
それでも、この人にとって俺は数字でしかなかった。
「救援なんて、呼ばないつもりでしょう」
「呼ぶさ。間に合うかは知らないが」
ジンは笑顔のまま離れた。
ほかの三人は、すでに転送門の中へ入っている。
誰も俺を見ようとしない。
「ジンさん!」
転送門が閉じ始める。
「俺が作った地図がなかったら、ここまで来られなかった! 装備の管理も、配信も、全部――」
「だから感謝してる」
ジンが最後に言った。
「最後まで役に立ってくれ」
光が消えた。
静寂が落ちる。
残されたのは、俺と配信カメラだけだった。
《管理局へ通報した》
《救助隊、最短でも十五分》
《鎖を壊せ!》
《後ろから来てる!》
足音が止まった。
俺は振り返れなかった。
首筋に、生臭い息が触れる。
三つの頭を持つ巨大な獣が、俺を見下ろしていた。
ケルベロス。
推奨討伐人数は、上級探索者十二名。
俺の装備は作業用ナイフ一本。
固有スキルは、映像の雑音を消すだけの《編集》。
「無理だろ……」
ケルベロスの右前脚に、古い傷があった。
歩くたび、わずかに体が左へ傾いている。
負傷している。
そう気づいても、俺に倒せる相手ではない。
魔物が前脚を持ち上げた。
爪が迫る。
逃げようとして、鎖に引き戻された。
死ぬ。
俺は反射的に目を閉じた。
だが、衝撃は来なかった。
恐る恐る目を開く。
世界が止まっている。
爪は俺の額に触れる直前で静止し、空中の砂粒さえ動いていない。
視界の下に、見慣れた横長の画面が浮かんでいた。
動画編集で毎日見てきた、タイムライン。
そこには、ケルベロスが爪を振り下ろす数秒間が表示されている。
《編集可能時間:三秒》
《対象:視界内で発生した現象》
《生物本体の削除はできません》
意味を考える余裕はない。
俺は爪が額に当たる直前の部分を選んだ。
《選択範囲:〇・二秒》
《必要容量:記憶一件》
記憶?
警告の意味は分からない。
だが、命より大切なものではない。
「カット」
選択した部分が消えた。
世界が再生する。
ケルベロスの爪が振り下ろされ――俺の頭を砕く瞬間だけが抜け落ちた。
次に認識したとき、爪は床へめり込んでいた。
俺は生きている。
《今、すり抜けた?》
《映像が飛んだ》
《レンのスキルか!?》
立ち上がろうとした瞬間、頭の奥に鋭い痛みが走った。
《編集完了》
《消費された記憶:母親からもらった十六歳の誕生日プレゼント》
「え……」
母さんから、何をもらった?
確かに大切にしていたはずなのに、形も色も思い出せない。
記憶を使った。
たった〇・二秒を消すために、俺の過去が一つ消えた。
ケルベロスが爪を引き抜く。
同じ攻撃は、もう編集できない。
なぜか、それだけは理解できた。
次は避けられない。
逃げるには、足の鎖を外す必要がある。
俺はケルベロスではなく、傷のある右前脚を見た。
体重をかける直前、必ず一瞬だけ動きが止まる。
動画編集者として何千時間も映像を見てきた。
派手な攻撃はできない。
だが、動きの継ぎ目を探すことなら誰にも負けない。
ケルベロスが口を開いた。
喉の奥に炎が集まる。
吸気。
魔力の収束。
着火。
攻撃には順番がある。
炎そのものを消す必要はない。
最初の一つを崩せばいい。
俺は、魔物が息を吸う〇・一秒を選択した。
《同一対象への連続編集》
《必要容量が増加します》
怖かった。
次に何を忘れるのか分からない。
それでも、ここで死ねばすべて終わる。
「俺を切り捨てた連中のために、死んでたまるか」
カット。
ケルベロスの吸気が消えた。
炎が喉の中で破裂する。
三つの頭が悲鳴を上げ、巨体が傾いた。
負傷していた右前脚が床を滑る。
俺は作業用ナイフを抜き、鎖を壁へ固定している金具に突き刺した。
一度。
刃が欠ける。
二度。
手の皮が裂ける。
三度。
金具が壁から外れた。
右足には鎖が残っている。
それでも、走れる。
《逃げろ!》
《転送門まで行け!》
《生きて帰れ、レン!》
コメント欄に、俺の名前が流れていた。
今まで俺の動画を見ていた人間は大勢いる。
けれど、俺の名前を知っている人間はほとんどいなかった。
誰かの活躍を輝かせるため、邪魔な部分を切り取る。
それが俺の仕事だった。
だが、今日からは違う。
「俺の人生まで、勝手に編集させない」
俺は立ち上がったケルベロスへ背を向けず、ナイフを構えた。
逃げるだけでは、転送門の起動時間を稼げない。
この魔物の動きを観察し、弱点を見つける。
そして生きて帰る。
視界に新しいタイムラインが現れた。
映っているのは、血まみれで立つ俺自身。
その終端には、赤い文字が表示されている。
《灰原レン死亡》
《確定まで、残り四分五十九秒》
一秒減る。
《残り四分五十八秒》
「上等だ」
俺は作業用ナイフを握り直した。
「その結末から先に切ってやる」




