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第8章「森に還る灯」

《ルーメンの森 屋敷 〜ユハ〜》


朝の光が、やわらかく差し込んでいる。


壊れたままだった柵は直され、

踏み荒らされた土にも、少しずつ緑が戻ってきていた。


行き交う足音は、もう慌ただしくない。

あの夜の気配は、少しずつ薄れている。


それでも。

足は、自然とあの部屋へ向かう。


何度も通った廊下。

ひとつの扉の前で、一度だけ足が止まる。


一度、深呼吸して。

そっと扉を開けた。


薄く、カーテン越しに差し込む光。

静かな部屋の中、規則正しい呼吸だけが聞こえる。

ベッドの上。変わらない姿。


『……リアン』


小さく名前を呼ぶ。

返事は、ない。


ベッド脇の椅子に腰を下ろす。

気づけば、これが当たり前になっていた。


朝も、昼も、夜も。

時間があれば、ここに来ている。


指先で、そっと手に触れる。


まだ少し、熱が残っている。


『……まだ、起きないね』


小さく笑おうとして、うまくいかない。


『もう大丈夫だよ』


ぽつりと、こぼれる。


『みんな戻ってきたし…屋敷も、ほとんど元通りで』


⦅だから⦆

『……起きてもいいんだよ』


言葉だけが、静かに落ちていく。

返ってくるものは、ない。

分かってる。

それでも、

いつの間にか、視界が滲む。


『……っ』


握る手に、少しだけ力がこもる。


そのまま、額をそっとベッドに預ける。

少しだけ、休むつもりで。

ほんの、少しだけ。

静かな時間が、流れる。


ふと。


微かに、指先が動いた気がした。


『……ぇ』


顔を上げる。


⦅今の、気のせい?⦆


息を止めて、見つめる。


もう一度。

ほんの僅かに、指が動く。


『リアン…?』


声が、震える。


ゆっくりと、まぶたが揺れる。

光を拒むように、細く開いて——


「……ん」


かすかな、声。


『リアン!』


今度は、はっきりと呼ぶ。


焦点の合わない視線が、ゆっくりと彷徨い。

やがて、ユハを捉える。


「……ゆ、は……?」


掠れた声。


一瞬、何も言えない。


『……っ』


顔が、ぐしゃりと歪む。


『……うぁ……っ』

『うぁぁぁぁん』


堰を切ったように、涙が溢れ出す。

今まで閉じ込めていたものが、一気に崩れ落ちる。

握った手に、強く力を込める。


その時。


勢いよく扉が開く。


「ユハ!どうしたんで——って」

「……リアン?」


泣き声に気づいたフェリクスが、目を見開く。

すぐに、安堵したように息を吐きながらベッドへ歩み寄る。


「……良かった。本当に…」


リアンは、まだ状況が掴めないまま、ゆっくり瞬きをする。

何かを言おうとして、


「……ど、おっ……」


言葉にならず、強く咳き込む。


『リアン!ごめっ、大丈夫⁉︎』


「ユハ、落ち着いて」

「リアン、喉が乾いています。体、起こせますか?水を飲みましょう」


フェリクスが身体を支え、

ユハがそっと背中を支える。


震える手に水を持たせる。

ゆっくりと、少しずつ飲ませる。


水を含みながら、リアンは周囲を見回す。

そして、二人に視線を向ける。


「……おはよぉ」


いつもの、柔らかい声と表情。



朝の光が、少しだけ強くなる。


止まっていたものが、


ようやく、動き出す。





《ルーメンの森 屋敷 〜ヴェスカ〜》


『……目を覚ましたのね』


フェリクスの報告を聞いた瞬間、

胸の奥で張り詰めていたものがようやく緩んだ。


表情には出さない。


けれど、


「はい。先ほど」


わずかに息を整える気配が、自分でも分かる。


『様子は?』


「まだ万全ではなく、ユハに支えられなが動いています。」

「しかし、時期に体が慣れ普段どうり動けるようになるかと。」


短く頷く。


『リアンの所に行くわよ』


廊下を歩き出す。

足音はいつもと変わらないはずなのに、

どこか、静かだった。


⦅……無事で、よかった⦆




屋敷の中庭へ出たところで、足を止める。


視線の先にはゆっくりと歩く二人の姿。


『……』


支えられるように歩くリアンと、

その隣で少しだけ誇らしげに、でも心配そうに寄り添うユハ。


住民たちが、二人に声をかける。


「無事でよかった」


「ありがとう」


その一つ一つに、リアンは足を止めて丁寧に応えている。


「……律儀ですね」


隣でフェリクスが小さく呟く。


『ええ』


短く肯定し、2人の元へ足を進める。


やがて、リアンがこちらに気づく。


少し驚いたように目を見開いて、すぐに姿勢を正そうとする。


「ヴェスカ、様……」


そのまま、一歩踏み出そうとして

わずかに体が揺れる。


『無理をしなくていいわ』


先に言葉を落とす。

リアンは、それでも立ち止まり、頭を下げる。


「……この度は、本当に……」


言葉を選ぶように、ゆっくりと。


「私の安易な行動で…皆さんを巻き込んでしまって……すみませんでした」


少しの間。沈黙が落ちる。


『顔を上げなさい』


静かに、しかしはっきりとした声。

リアンがゆっくりと顔を上げる。


『まず、礼を言うべきはこちらよ』

『貴方の角がなければ、あの場は確実に崩れていた』


一歩、距離を詰める。


『…よくやったわ』


その言葉に、リアンの目がわずかに揺れる。


『ただし』


空気が、少しだけ変わる。


『戦いでの貢献と自己犠牲は話が別』


真っ直ぐに、見据える。


『私は、この屋敷の者を守る責任がある』

『当然、貴方もその中に含まれているわ』


言葉を区切り、一呼吸おく。


『今回の行動は、確かに結果として正しかった』

『でも——』


『貴方自身を粗末に扱っていい理由にはならない』


静かに、しかし強く。

リアンの視線が、揺れる。


「……」


何も言わず、ただ言葉を受け止める。


『覚えておきなさい』

『貴方は』


ほんの僅かに、声の温度が変わる。


『貴方が思っている以上に、周りに愛されているの』


ユハの手に籠る力が強くなる。

住民たちの視線。

フェリクスの静かな気配。


全部がそこにある。


『だから、』

『もっと、自分を大事にしなさい』


静かな風が吹き抜ける。

リアンはしばらく何も言えなかった。


やがて。


「……はい」


小さく、でも確かに頷く。


その表情は少しだけ泣きそうで、でも、どこか穏やかだった。





《ルーメンの森 屋敷の外れ〜リアン〜》


賑やかな声が、遠くから聞こえる。


笑い声。火の弾ける音。誰かが名前を呼ぶ声。


屋敷の庭では皆が集まっていた。

「完全復活」の名目で始まったそれは、いつの間にかただの賑やかな食事会になっている。


⦅……すごいな⦆


少し離れた丘の上からそれを眺める。

灯りがあちこちで揺れていて、まるで森の中に、小さな星が落ちたみたいだ。


頬に触れる風が少しひんやりとして心地いい。

火照った感覚がゆっくりと冷めていく。


⦅…なんだろう、この感じ⦆


嬉しい。安心している。

それは分かる。

でも、それだけじゃ足りない。


胸の奥がじんわりと熱を持っている。

言葉にしようとすると、零れてしまいそうな何か。


⦅……夢、みたい⦆


静まり返った森を眺め、ぽつりと思う。


あんなふうに誰かが自分のために怒って、泣いて、笑って。

そんなもの、自分には縁のないものだと思っていた。


それが、

⦅こんなにも、あたたかい⦆


「——もう、一人でも大丈夫なのね」


後ろから、落ち着いた声に振り返る。


『ヴェスカ様』


静かに歩み寄ってくる姿。

変わらない、落ち着いた佇まい。


『少し、風に当たりたくて』


そう言うとヴェスカは小さく頷く。


「顔色は悪くないわね」


『はい。もう、大丈夫です』


短く答えてから、少しだけ言葉に詰まる。


『……あの』


視線を庭の方へ向ける。


『皆…すごく、楽しそうで』

『……でも、ああいうの…あまり経験がなくて』


少しだけ、言葉を探す。


『本当に嬉しい、んですけど』

『どう言えばいいのか、分からなくて』


胸に手を当て、少し俯く。


『ここが、ずっと暖かくて……』

『でも、これをどう表現するのかも、皆にどう返したらいいのかも分からなくて』


小さく、息を吐く。


『……なんだか、夢みたいで』


静かに、言葉が落ちる。

風だけが、二人の間を通り過ぎる。


そして、


「なら」


ヴェスカが、ゆっくりと口を開く。


「これから、学んでいけばいいわ」


『……え』


「その感情も、その返し方も」

「今、分からなくて当然よ」


隣に並ぶ。

同じように、庭の灯りを見つめながら。


「貴方は、ここに来てまだ日が浅いのだから」


静かで、でもどこか優しい声。


「時間は、いくらでもあるわ」


リアンの目が、わずかに揺れる。


『……はい』


小さく、頷く。


「それに」


ほんの少しだけ、視線をこちらへ向ける。


「難しく考えなくても良いのよ」

「感じたままを、大事にしなさい」


遠くから、誰かが声を上げる。


「リアンー!どこー!」


聞き慣れた声。

思わず、少し笑みが溢れる。


『戻らないと』


「ええ。これ以上遅れると、あの子が泣き出しそうね」


わずかに、冗談めいた声音。


リアンは一度だけ庭の光を見つめる。


それから。


『行きましょう』


二人で歩き出す。

賑やかな声と、あたたかな灯りの方へ。


⸻⸻


森の中に灯る光は、

消えることなく、そこにあり続ける。


誰かが誰かを想って、

そっと灯した、小さな輝き。


気づけばそれはひとつじゃなくて。

いくつも、いくつも積み重なって——


迷うことがあっても。

立ち止まることがあっても。


これからも、静かに灯り続ける。


⸻森に帰る灯。


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