花(その1)
困ったことが起きた、と押入れの中にあるプラスチック製のケースを開けながら、暁人は呆然と立ち尽くしていた。
友美と会うの日、その約束の時間が迫っていた。二時に、新鎌ヶ谷駅近くのショッピングセンターの入り口。それが約束の時間だ。暁人は、デジタル式の時計を眺める。カーテンの隙間から差し込んだ光が、時計の画面にうまく反射する。首をグッとひねると、表示された時刻が一三時十八分だと分かった。
普通に行けば、慌てるような時間ではない。殊の外、問題が起きていた。
着ていく服がない。
押し入れにあったのは、どれも中学生の時に着ていた服。ダサいとか、洒落ているなんて以前に、サイズが小さかった。
手当たり次第にシャツを手に取り、裾についているラベルを見てみるが、どれも消えそうな字でSサイズと書かれていた。
当たり前なことだが、部屋に籠もっぱなしだった為、普段着ていた服はジャージ。汚くなったり小さくなれば、ネットで新しいものを買ったりしていたが、さすがにこの服装で二人に会いに行くのもどうかと思う。
なんとか入る服はないものかと、必死に探すが見当たらず、暁人はまた時計を見る。
十三時三十五分。
今出て、ようやく五分くらい前に着けるくらいの時間だ。暁人は、諦めてジャージで行くことにした。できるだけ失礼がないようにと、一番高いジャージに着替えて家を出る。
◇◆◇◆◇◆
集合場所には、五分早くついた。ジリジリと照りつける太陽の陽射しが痛い。暑くてまくり上げていた袖を、暁人は元に戻した。
部屋にいたせいで、暁人の肌は白い。どれだけ引き込もっていても、日に焼けた肌がどれだけ痛くなるかは、容易に想像できた。なるだけ日陰になっている庇の下へと、暁人は逃げ込む。
集合時間になる前に、友美がやって来た。
ハイウエストなショートパンツに、白と黒のボーダーのシャツ。耳には、この間もしていたイヤリングが光っている。小柄なことを気にしているのか、ヒールが高めなサンダルを履いている。
思わず、ショートパンツから伸びる白く真っ直ぐな足に目がいった。意識せずに視界に入れてしまったことに気づき、暁人は慌てて目をそらす。
「どこ見てんの?」
カンカン帽のツバで陰った友美の目が、ギュッと細まった。朱色に染まった暁人の頬を見て、ケラケラと友美は笑い出す。
「冗談、冗談。出してんだから仕方ないよね」
暁人は、不服そうに喉を鳴らす。そんな暁人の態度を気にも止めず、友美はショッピングセンターの中を指さした。
「店は、決めてあるから先に入っちゃおう」
「大原はいいのか?」
「なに? そんなに花菜が気になるの?」
イタズラに友美の双眸が、暁人を見つめた。長いまつ毛がしなやかに揺らめく。その奥に潜んだ綺麗な瞳が、暁人をじっと捉えた。
「なんで、俺が大原を気にするんだよ」
暁人の言葉を聞いて、友美は堪えきれないとばかりに笑う。暁人は、自分の言った言葉の真意は、あまりにも明白だったことに気づきこの場から逃げ出したくなった。
「ごめん、ごめん。まぁ、なーちゃんは、昔から可愛かったからね。男子は、みんな花菜のこと好きだったんでしょ?」
懐かしそうに潤んだ瞳に、どことなく寂しさが滲んでいた。切なそうに、頬を緩ませた友美の表情が、暁人にはひどく大人に見えた。
その表情を隠すように、友美はくるりと、踵を返す。肩からぶら下げられた小さなカバンが、遠心力で少しだけ友美の体から離れる。
「花菜は、少し遅れて来るから。ここで待ってても暑いでしょ?」
首だけをこちらに向け、友美はそう言った。ニコりと作られた笑顔が、何かを隠している。それがなんのか、暁人には分からなかった。
友美が「さぁ、いこ」と一歩進み出す。
ショッピングモールの大きな自動ドアが開いた。冷たい空気が外気と触れ、なんとも言えない肌触りとなって、暁人の頬を叩く。
暁人は、ひらひらと揺れるカンカン帽のリボンを眺めながら、その後を着いていった。
ショッピングモールの中程にある、一軒の喫茶店のような雰囲気を帯びたカフェへと友美は入っていく。見覚えのある店だが、こういうところに入るのは勇気がいる。
「ここに集合だったら入りづらかったでしょ?」
図星なことを友美に言われ、彼女の背中越しで暁人は素直に頷いた。
友美は、真っ直ぐに注文をするカウンターへと向かう。
カウンターの横の大きなボードには、たくさんのメニューが並んでいる。期間限定と銘打たれた大きなソフトクリームの乗ったティラミスが大きく書かれていた。
「ご注文はお決まりですか?」
店員に声をかけられ、暁人は俯いた。見かねた友美が愛想よく、キャラメルフローズンを注文した。
「山中は、どうする?」
友美に尋ねられ、暁人は俯いたままオレンジジュースを指す。
「私、持って行くから、席とっておいて。なーちゃんも来るから四人がけね」
友美に指示されるまま、暁人は店の端にある四人がけの席の壁側に腰掛けた。なんとなく人の気配が少ないところが良かった。こちらを隠す観葉植物の向こうに、注文した商品を待つ友美のカンカン帽が見えた。
すぐに、友美がお盆に飲み物をふたつ乗せ、こちらに向かってきた。
「山中、コーヒー飲めないの?」
そう聞かれて、暁人は小さく頷く。
「私もコーヒーは飲めないな。こうやって、ものすごくアレンジされたら飲めるんだけど」
暁人の向かい側に座り、透明なカップを差し出す。冷たい汗をかいたカップを滑らさないように、暁人は両手で掴んだ。
「今日は、来てくれてありがとうね」
太いストローを口に加え、友美は口を細めた。吸い上げたシャーべットを、シャリシャリと口の中で砕く。
「別に来るくらい‥‥」
「花菜に会いたかったんだもんね」
「そんなんじゃない」
フフ、とまるで年下をあやすような口ぶりで、友美は暁人をからかう。ジュンは、どんな風に接しているのだろう、と暁人はなんとなく気になった。
コホン、とわざとらしく友美が咳こむ。改まった様子で、こちらをじっと見た。
「からかうのは、これくらいにして。本当に来てくれてありがとう。もしかしたら、来てくれないんじゃないか、ってちょっとだけ思ってた」
優しく頬を緩めるが、彼女は当時、暁人を学校へ連れ戻すためにどれだけの時間を割いたことだろう。その努力に報いることが出来なかった自分が実に腹立たしい。
「そうだよな。何度も来てくれてたのに」
「ううん。昔のことは良いよ。私だって委員長として、みたいなところもあったし。自分の責任感だけで動いていた。学校に行きたくなくなるほど、嫌なことなんて、私にはなかったもの。山中の気持ちなんて、全然分かってなかったんだよ。本当は」
でも今は。友美は、なにか少しだけ考えて言葉を続けた。
「本当に、山中に来てほしいって思ってるよ。同窓会を成功させたいんだ。なーちゃんの為に。クラスの為に。そして、私の為に」
友美の目は、真剣だった。真っ直ぐに、本当のことを口にしている。そう感じてしまう程、彼女は真面目に素直に、暁人の目を見つめていた。
どうしてそこまで、同窓会に拘っているんだろうか。暁人は純粋に気になった。
「どうして、このタイミングで同窓会なんだ? 成人式と大学卒業のタイミングとかなら分かるけど、まだ卒業して三年も経ってないだろう‥‥」
暁人に聞かれて、友美は柄にもなく黙る。リップでぷるっとした唇が、一の字に閉じられた。
黙る友美を見つめながら、暁人はオレンジジュースを口に含む。一〇〇パーセントの濃い味が口の中に広がった。
「受験でみんな忙しい。って言ってたけど、急がなくても、受験が終わって大学生になってからでもいいんじゃ‥‥」
今すぐに結論を出すことは、暁人にとって難しく感じた。だから、少しでも引き延ばせられれば。そんな意気地のない暁人の言葉を遮るように、友美が口を開く。
「すぐじゃなきゃ、ダメ!」
まるで、子どものような口ぶりで言い放たれた言葉に、暁人はキョトンと目を丸くした。
「すぐじゃなきゃ、ダメなの」
大きな声を出してしまい恥ずかしかったのか、友美の言葉尻が弱くなっていく。
「なんですぐじゃなきゃダメなんだよ?」
暁人の問いに、友美は押し黙ったまま視線を下げた。含みのある言い分の、理由を言おうか迷っている様子で、はっきりとした目鼻立ちが帽子のツバで曇る。
素直な印象の彼女がこれほど隠したがることを、暁人はあまり追求できそうにないと思った。
カフェの隅っこに、淀んだ空気がたまる。暁人は思わず、口の中に広がったオレンジの苦味を飲み込んだ。
友美は、よほど暁人に来てほしいのか、必死に頭の中で伝えれる限界を模索しているようだった。
「いいよ。言えないなら。無理に聞かないから」
しびれを切らして、暁人が言った。
「なーちゃんの為だから、ちゃんと開きたいの」
らしくない声色で、友美が漏らす。店内に掛かった音楽が、妙に悲しげな雰囲気を作る。
暁人は、細いストローを口に含むと、カップに入ったオレンジを吸い上げる。ずずずっ、と氷だけになったカップから音が鳴った。透明な蓋を取り外し、中の氷を噛み砕く。ひんやりとした感触が、口の内側に残った。
長かなったので、二分割しました。
続きは、明日投稿します。




