【月白/19年】人間の魔法理論
「身体性、ですか……」
安洛通運の中庭で、ヴェンツェルが首を傾げる。
「ザフィルが昨日、そういう話をしてたんです。なんか、ほんとすごくて!」
紅嵐は、安洛城に来ていたヴェンツェルに食いつき、昨日のことを嬉しそうに説明した。魔法の一歩を踏み出せたことが嬉しかったようで、瞳がキラキラ輝いている。
ヴェンツェルは当初、微笑ましく話を聞いていたが、次第に表情が曇っていった。
「紅嵐、その手法は危険です。最初からそれにすがるべきじゃない」
「え、でも。全然できなかったのに、できたから……」
「ザフィルも言ったのでしょう? 人間の魔法理論を学ぶべきだと」
「はい……」
勢いをなくしていく紅嵐に若干の後ろめたさを感じながら、ヴェンツェルは言葉を続けた。
「人間の魔法理論は、当然ながら、人間という生き物の特徴に沿うようにできています。我々人間が、魔力を事故なく確実に、安全に使うための方法論です。詠唱も動作も、そのために必要で、意味のあるものなんです」
ヴェンツェルの口調は穏やかだ。それなのに、有無を言わせない迫力がある。
紅嵐は不安そうな様子で、話を聞いていた。
「ザフィルの手法も理解はできます。詠唱も動作も意味はない。どんな言葉や動作でもいいし、慣れたら不要。突き詰めれば、そう言える。魔力を極めて精密に、事故なく扱える者にとってはね」
男性の話し声が聞こえてきた。ふたり、こちらに向かってくる。
聞かれて困る話ではないので、ヴェンツェルはそのまま続けた。
「人間の魔法理論は、確かに面倒で迂遠かもしれません。ですが、その迂遠な理論を理解し、正しく手順を踏めば、誰でも再現できるように構成されているんですよ。その魔法を使うための魔力量を持ってさえいればね」
紅嵐はしょんぼりと俯いてしまった。
話し声の主が、中庭を通りがかった。影嵐と黒嵐だ。
「あれ、ヴェンツェルさんと紅嵐。どうしたの」
黒嵐に声をかけられ、ヴェンツェルは苦笑した。
「こんにちは、黒嵐、影嵐。紅嵐がザフィルに魔法を習ったみたいで、その話をしていたんですよ」
黒嵐の顔が不快そうにしかめられ、影嵐はため息をついた。
「天才に無茶振りされたか」
「ご明答」
影嵐の察しの良さに感嘆しつつ、ヴェンツェルは返事をした。
******
影嵐は、自身の執務室を話し合いの場として提供した。
紅嵐とヴェンツェル、黒嵐がついてくる。
「で?」
影嵐が説明を促した。紅嵐は、昨日ザフィルに言われたことと、雪柱を壊す課題を与えられたことを説明する。ヴェンツェルもまた、紅嵐に伝えたことを簡単に解説した。影嵐と黒嵐なら、概略だけで理解するだろう。
案の定、黒嵐が真っ先に否定した。
「その方法は絶対ダメ。ヴェンツェルさんが正しい」
「えぇー」
紅嵐が不満げに声を漏らすが、黒嵐は意に介すそぶりさえ見せない。
影嵐は、紅嵐の様子を見ながら口を開く。
「紅は梅の教え方が合ってたみてぇだからな。あの兄弟のやり方が合っているのかもしれねぇ」
紅嵐の表情が少し明るくなった。やっと味方を見つけたという風情で。
「だが」
はっきりと、影嵐は否定の声を出した。紅嵐の表情がふたたび陰る。
「梅は体を動かしにくいと言って、鎧を着ねぇ。あの身体能力があるから通用するが、そうじゃなけりゃあ、とっくに死んでる。わかるな?」
紅嵐は小さく頷いた。
「ザフィルのやってることも、きっと梅と似たようなことだ。そうだな、ヴェンツェル」
「ええ。正しい解釈だと思います。魔力を自在に操る技術がないと成立しない手法です。それこそ、自分の手足以上の精密さで扱えなければ」
影嵐は頷き、言葉を続ける。
「紅、お前にザフィル程の才能があるなら、そのまま続けろ。だがそうじゃねぇなら、人間の理論『も』覚えろ」
紅嵐がぱっと顔をあげた。ヴェンツェルと黒嵐も、驚いた様子で影嵐を見る。
影嵐は眉をひそめ、さも心外と言わんばかりに3人を見渡した。
「新しいことをすんのに、覚えやすさは大事だ。そこは否定しねぇ。だが、正道も覚えろ。正道をないがしろにするなら、魔法なんてやめちまえ」
慌てて首を縦に振る紅嵐を見て、影嵐は苦笑した。
「魔法がなくてもお前は強い。紅、忘れんじゃねぇぞ」
「紅嵐、武術は俺より上だしね。悔しいけど」
黒嵐の言葉に、影嵐が顔をしかめる。
「黒は斜に構えすぎだ。搦め手ってのは、最小限で出すから決まんだ。常に出すモンじゃねぇぞ」
「そう言われてもなぁ」
「あっという間にシルリネアに抜かされて、何呑気なことを言ってやがる」
「湖姐が武術できない間に、また追い越すよ」
「どうだか」
いつもの口論に近いやり取りをはじめてしまった影嵐と黒嵐を見て、紅嵐は呆れてしまった。
「私の話じゃなかったっけ?」
影嵐は面倒そうに紅嵐を睨む。
「終わりだ終わり。お前らの話は聞いた。俺の意見も言った。これ以上、言うことなんかねぇよ」
紅嵐は思わず笑ってしまった。
「ありがとう、影兄。ヴェンツェルさんと黒嵐も」
ヴェンツェルも微笑んだ。
「参考になったなら良かったです。『正道』ならいつでもお教えしますよ」
「ありがとうございます。せっかく梅兄と湖姐が口添えしてくれたから、今回はザフィルのやり方を試してみます。でも、また教えてください」
「もちろん。魔法使いが増えるのは歓迎しますよ」
ヴェンツェルは快諾し、紅嵐はもう一度笑った。
******
9日後。
紅嵐はザフィルから提示された期日ぴったりに、雪柱を壊すことができた。
だが。
「もうやってらんないんだけど!」
その日の夜、紅嵐は黒嵐を相手に愚痴をぶちまけていた。
「やっと壊せたのに! 次の課題を出されて強制送還なんて酷くない!?」
「人の心がない奴なのは、わかってただろ」
黒嵐がザフィルを辛辣に当てこすった。
「そうだけど。梅兄と湖姐もいなくて寂しいし、家の中も外も寒いし、もう何なのあれ」
「そういう奴なんだろ。もう習うのやめなよ」
「うー……」
卓に突っ伏しながら、紅嵐は考える。
黒嵐の言うことはもっともだ。ザフィル以外に習えばいい。黒嵐だって教えてくれるだろう。
だが踏ん切りがつかない。
一番覚えやすいのは、間違いなくザフィルの教え方だからだ。
正道「も」覚えろという影嵐の言葉が、脳裏をよぎった。卓に頭を預けたまま、黒嵐に話しかける。
「ねぇ黒嵐。影兄の言う『正道』、教えてくれる? ヴェンツェルさん、忙しそうだし」
「符術のための基礎理論でいいならね」
「基礎ってあまり変わらないんでしょ?」
「うん」
「じゃあ、それでいい。教えて」
「明日からね。今日は寝ちゃえよ」
「うん」
紅嵐はため息をついた。
符術は昔、黒嵐に聞いてもさっぱりわからなかった。
今なら少しは理解できるだろうか。




