【IOF_30.log】セバスチャン
街道を走っている間、ときどきすれ違う馬車の御者さんがこちらを見て目を丸くしていたり、歩きの旅人と思われる方が慌てて森の中に逃げて行ってしまい、追いかけて行って事情を説明して街道に戻ってもらったりとしましたが、大きなハプニングもなく走ることができました。
「ここからは、お屋敷まで馬車で4半刻くらい、距離にして1リーほどでございます」
どうやら、この星での時間は、地球とほぼ同じ進み方をしているようです。ですから、マーガレットさんがおっしゃった4半刻というのは、私たちの感覚での15分くらいということになります。
1リーは、たぶん4キロメートルくらいだと推測します。諸々の単位が、どうにも尺貫法ぽいのです。「間」だの「丁」だのがありましたし、今のは「里」ですよね。一度皆さんとお話をして、単位に関する意識合わせをしておく必要がありそうです。
「間もなくでございます」
マーガレットさんの案内で、車窓から見えている広い敷地の屋敷が辺境伯邸であることが分かりました。
屋敷を囲む塀は、城壁と表すべき高さと堅牢さを備えているように見えます。
辺境伯は、常在戦場と聞きます。外壁にもこれくらいの強さが必要だということですね。
城壁が欠けたところに木製の重厚な門扉が見えます。きれいに整列して打ち込まれた鋲が威厳を示しているようです。
私たちの車をみつけた門番の兵士が慌てたように剣を抜き、大盾を構えて駆け寄ってきます。
「クルマを止めてください。わたくしが降りて話をつけて参ります」
ここはお屋敷の関係者から説明してもらった方がよさそうです。
南畝主任に車を停めてもらい、マーガレットさんを降ろします。
マーガレットさんの姿を認めた兵士は、吊り上げていた眉を下げ、安心した様子で並足になりました。
「ローレンシアお嬢様のお帰りだ!」
しばしマーガレットさんと会話をしていた兵が門に戻り、城壁内の兵に大きな声で開門の指示を出します。
重量感のある音を立てて分厚い門扉が開きました。
門扉が開いた先には大きな館が……見えません。
館どこ?
敷地が広すぎて門からお屋敷を見ることができません。
「門から道なりに進めばお屋敷の前に出ます。クルマは、玄関の横に停めていただければ幸いです」
マーガレットさんの指示どおりに門をくぐり、ゆっくりと道なりに進みます。
なるほど、門から見て真正面には庭園があって、直接お屋敷を見通せないようになっているわけですね。これも防衛上の配慮なのでしょうか。
車を玄関の脇に停め、最後のメリット交信を行います。
結果は、メリット5。
屋上に上げたアンテナの威力は抜群です。周囲に高い建物がないのも功を奏しました。署と領主邸の距離で無線通話ができるのは、今後の活動をスムーズにしてくれるはずです。
「ただいま戻りました!」
玄関を入ったローレル様が元気に挨拶をします。私たちはローレル様に続いてしずしずと玄関を入ります。
「お帰りなさいませ。閣下が執務室でお待ちでございます」
年齢五十代くらい、ロマンスグレーの男性が恭しく礼を執ります。
執事服を着用しているところを見ると、このお屋敷の執事か家令でいらっしゃるのでしょう。
「げっ、セバスチャン……」
ローレル様があからさまに嫌そうな顔をしています。
あ、やはりセバスチャンなのですね。きっと執事です。
「お嬢様、『げっ』ではございません」
マーガレットさんに叱られるローレルお嬢様です。
「それにいたしましても、そのお召し物はいかがなさいました。辺境伯のご息女がそのようなだらしないお召し物を身にまとうなど言語道断でございます」
セバスチャンのこめかみに青筋が浮かび上がってます。怒ってますね、あれは。
「セバス、わたくしから説明いたします。移動途上、馬車がノライノと衝突して横転いたしました。その事故で馬車が自走不能になり、その場から動けなくなっているところをこちらにいらっしゃいますフクハラ様及びその配下の方々が助けてくださったのです。事故の際、お嬢様のドレスが破けてしまい、おみ足が露になってしまったため、フクハラ様のご配慮によりスウェットスーツなるお召し物を拝借した次第です。どうぞお叱りにならぬよう」
神云々のあたりをうまく避けて説明してくれました。マーガレットさんグッジョブです。
私は、マーガレットさんとアイコンタクトを取り、軽く頷きあいます。
「こほん。そういう事情であればやむを得ません。しかし、いつまでもそのお召し物でいらっしゃるのはいただけません。早々にお召し替えなさった上、閣下の執務室に足をお運びください。マーガレットはお嬢様のお召し替えを。わたくしは、お客様を応接室にご案内いたします。皆さまこちらへ」
セバスチャンさんが、私に一瞥をくれて応接室へと案内してくれました。あまり歓迎されていないような雰囲気です。
ローレル様とマーガレットさんは、ホール中央から2階へと続く階段を上っていきました。私室は2階なのですね。
ここまで、セバスチャンさんには幽霊さんの気配を気取られていない様子です。
南畝主任の顔を見て、一瞬怯えたような表情を見せましたが、すぐに元の無表情に戻りました。さすがプロです。
セバスチャンさんの案内で通された応接室は、20畳くらいはありそうです。辺境伯らしい質実剛健さが感じられる、虚飾を排した質素さの中にも威厳を示す装飾品の数々に目を奪われます。勇者だけが抜ける聖剣のようなものはないんですね。
「どうぞこちらに」
入口からみて手前のソファを勧められました。まあそうですよね、私たちの方が身分が低いわけですから下座に着くのは当然です。
私たちがソファに腰を下ろすと、マーガレットさんではないメイドさんがお茶と焼き菓子をサーブしてくれました。早速、ソーサーごと持ち上げてお茶の香りを楽しみます。銘柄とかはよく分かりませんが、いい香りです。
カップの取っ手をつまむように持ち、温かいお茶を口に運びます。
ベルガモットのような香りが口の中に広がり、鼻孔を抜けていきます。アールグレイのようなお茶です。
1時間ほど待たされたでしょうか。背後のドアが開きました。
待たされた時間が1時間は、貴族社会では早い方です。父に連れられて各国の皇族や貴族とお目通りの機会をいただいてきましたが、1時間待ちは好待遇だといえます。




