【IOF_31.log】辺境伯ヘキチ
娘のわがままに振り回されるのはいつものことだが……
オヤシーマ王国オーメ領辺境伯ジョシュア・タマ・ヘキチである。
息災であるか。
「ローレル! ローレルはいるか?!」
くそっ、またいなくなった。
行き先は分かっているのだが。
いなくなったのは娘のローレンシアだ。
ゆうべ、西の山すそに光の柱が降り立ったと兵から報告があった。あの報告をローレルに聞かれたのがまずかった。
何かの吉兆かもしれないと興奮して、現場を見に行くと騒ぎ出したのだ。
光の柱が降り立ったのは、クソウズ池がある方角だ。あそこは、不定期に視察に向かい、遠くから様子を窺っている場所だ。
クソウズ池は、別名「死の池」。近寄ってはいけない場所として領民なら誰でも知っている。
よりにもよって、その方角に光の柱が降り立ってしまった。ローレルは、その現場を見に行ったのだろう。
クソウズ池が近いことから兵を先遣に出してからにするよう言ったのだが、まったく聞き入れる様子がなかった。
そして、今朝、目覚めたときには姿を消していた。メイドのマーガレットまで連れて行ったようだ。
まったく、王国の第四王女殿下が辺境の牧場で日がな一日牛と昼寝していたり、ある朝突然姿をくらましたりするなんて聞いたことがあるか?
ローレルは、王命で俺が預かり養育している。かつての戦友のよしみで受け入れたものだ。ともに先陣を競い合い、死線を乗り越えてきた仲の国王からの頼みとあっては無碍に断ることもできない。
以来、表向きは辺境伯家の娘を名乗っている。どうやら王都では王女様らしくおしとやかに振る舞っているらしい。
公文書では明確に第四王女として扱われているし、王位継承権も持っているから、正当な王女様なのだが、ここでの生活を見ていると俄かには信じがたい。
あいつは、「辺境で広い視野を育み国の政に活かせ」とかもっともらしいことを言っていたが、これでは物理的な視野ばかり広がっていきそうで将来が思いやられる。
あの野郎、やっぱりわざと俺に苦労を押しつけたな。
今日は、マーガレットが付いている分、むしろ幸いか。あいつならたとえ熊が出ようと負けることはないだろう。賊が襲ったら、むしろ向こうが気の毒だ。
マーガレットは、王直轄の暗部にいた女性で、ローレルの護衛のためメイドとして派遣されてきた。正直に言って彼女ひとりでも護衛としては過剰戦力だ。
俺も武闘派を自認している以上、剣の腕に自信はある。しかし、マーガレットと手合わせをしたら、まったく歯が立たず完敗した。あそこまでの実力差を見せつけられると、むしろ清々しい気持ちにさえなる。今では辺境伯軍の戦略級兵器と言っていい。
一度飛び出したローレルは、いつ帰って来るのか予想できない。こちらとしてはじっと待つしかない。第四王女様を預かる身にもなってほしい。マーガレットもよく薬師に胃薬をもらっているようだが、俺もお世話になっている。
執事のセバスチャンには、ローレルが戻ったら俺の執務室に来させるよう申し付けた。
ローレルが戻ったのは、陽もだいぶ傾いた夕方近くであった。
部屋着のドレスをまとい執務室に入ってきたローレルは、何食わぬ顔で「ご用でしょうかお父様」と言い放つ。
ご用があるから呼びつけたのだ。
そのご用を作ったのはほかでもないお前だ。
お前は、いつもいつも……
ああ、いかんな。無事に帰ってきてくれたことが嬉しくて、つい小言を漏らしてしまった。
ローレルから馬車の事故で立ち往生していたと聞いたときは血の気が引いた。見たところケガもしていない。不幸中の幸いだ。
その直後、俺はとんでもない報告に開いた口がふさがらなくなるのだった。
曰く。
異世界のニッポンコクという国から来た女性に助けられた。
その女性は、昨晩発生した光の柱とともに異世界から転移したらしい。
その女性は、褐色の肌で建国の祖であるテンテル様と見紛うほどの美貌である。
その女性は「ジュリ・フクハラ」と名乗り、クルマという馬が引かない馬車のような乗り物に乗っている。
フクハラ様は、神宮の秘とされる「自警」の紋様を文字として読むことができる。
フクハラ様は、クソウズ池からほど近い森の中の広場に建つ「ショ」という巨大な建物に住んでいる。
始めはローレルの気がふれたのかと思った。しかし、ローレルに促され、執務室の窓から外を見たら、玄関脇にクルマという乗り物があり、ローレルの言っていることが本当なのだと思えた。
報告を総合すると、フクハラ様はテンテル様ご自身の再臨か、テンテル様の使徒であろう。
ここは、領主として俺がご挨拶を申し上げなければなるまい。
俺は、ローレルを連れてフクハラ様が控えている応接室に向かった。
俺が応接室に入ると、手前側のソファに座っていた女性が、わざとらしくない自然な動作で立ち上がり一礼した。ここまでの所作でこの女性が洗練された礼儀作法を身に着けていることが分かる。この国の作法ではないが、どこに出ても通用する、誰に対しても失礼のない立ち居振る舞いだ。
お互い立ったままなので、フクハラ様とお連れの男性には一度腰を下ろしてもらう。連れの男性は、なかなかの強面だ。戦士だろうか。一度手合わせを……いや、今はそういう場ではないな。
フクハラ様は、神の使徒であり畏れ多いお方ではあるが、ここは領主としてまずは俺から自己紹介と挨拶をすべきだろう。
「ようこそ、わが領へ。私は、この辺境の地オーメ領を預かる者、ヘキチ辺境伯である。まずは名乗りをあげさせていただこう。そして何よりも先に、我が娘ローレンシアが道中、馬車の難儀に遭った折、あなた方に助けられたと聞いた。父として、また領主として、このご厚情に深く感謝申し上げる。あいにく急なことで、馳走の支度も十分には整わぬが、できうる限りの歓待はさせてもらおう。今宵はどうかこの館に泊まられ、旅の疲れを癒されるといい」
フクハラ様が微笑みをたたえたまま俺の挨拶を受けてくださった。完璧な貴族のほほ笑みだ。かなりできる女性とお見受けした。
俺の挨拶が終わると、フクハラ様はすっと立ち上がりカーテシーを執った。これも完璧だ。
スカートではなくズボンなので、裾を摘まみ上げる動作はない。右足を斜め後ろに引き、左足の膝を軽く曲げた流れるような所作に目を見張る。ローレルのカーテシーも見事なものだが、これほどまでに美しいカーテシーを執れる女性が我が国にどれだけいるだろうか。
「初めまして。わたくしは異界の地にございます日本国より参りましたジュリ・フクハラと申します。父が外交の務めにありましたゆえ、その折に礼を学ぶ機会を得ました。本日はその心得の一端をもって、まずはご挨拶を申し上げます。見知らぬ地にございますゆえ至らぬ点も多かろうと存じますが、貴領と良きご縁を結べればと願っております。どうぞよろしくお願い申し上げます」
フクハラ様は、落ち着いた声で自らの名を告げ、父が外交に携わっていたとさらりと言い添えた。
俺はその一言に頷く。「なるほど」と。
それならばこの自然な礼も得心がいく。
単なる市井の民ならば到底身につかぬ、節度ある所作。
貴族でもなく、兵でもなく、それでいて場を弁えた言葉回し。
なるほど、外交官の娘という素養がここに現れているのだな。
さらに、気取っていないのもまた良い。「父が外交官だった」と言えば本来は重い肩書のはずだが、彼女はそれを自らの権威づけには使わず、ただ礼を学んだ背景として口にした。
その謙虚さは、この国の若き貴族の娘にこそ学ばせたいほどだ。
俺は胸中で舌を巻いた。
異界から来たと聞いた時は半ば荒唐無稽に思っていたが、この女性を侮れば痛い目を見るやもしれぬ。
少なくとも、この国の第四王女である自分の娘にも到底真似できぬ落ち着きと格を備えている。
この国は、外交関係がそれほど多くはない。せいぜい隣国との交流がある程度だ。そのような中でフクハラ様のように多数の国と渡り合ってきた経験に基づく作法と品は、王族をも軽く凌駕するものがある。教えを乞うことはあっても、敵対するようなことがあってはならない。




