【IOF_26.log】工業用石鹸
「それは名刺といいます。自分の所属や役職、名前、連絡先などを記したものです」
フクハラ様が教えてくださいます。
「この文字が描かれている純白のものは何ですの?」
「これは紙といいます。神とは関係ありません」
紙というのですね。オヤシーマ王国にはないものですわ。
「えっと、リリヤさん、私はまだ名刺をもらってないんですが」
フクハラ様が半目でリリヤ様を見つめます。リリヤ様に向かってそのような不遜な態度! さすがは使徒様であらせられます。尊敬いたしますわ。
「えっ、渡してなかった? ごめーん。はい、わたくし、こういう者です」
創造神様がそのような軽いノリでよいのでしょうか。
「はい、頂戴いたします。家名がコノエなんですね。ガチでやんごとなき御家柄のお嬢様じゃないですか」
「な、なんのことかわからないわー。コノエなんてありふれた名家でしてよ」
「そこは『家名』です。まあ、そういうことにしておきますね」
フクハラ様の方が立場が上のように感じるのは気のせいでございましょうか。
わたくしたちは、フクハラ様の先導によりショの中に足を進めました。
ショの中は、見たこともない物ばかりです。珍しさのあまりお行儀がよろしくないと思いながらも、きょろきょろと見回してしまいますわ。
「聖なる紋様だらけでございますね」
マーガレットが耳打ちして参りました。
わたくしは無言で頷きます。
「事故で手足が汚れていらっしゃいますね。油がよく落ちる工業用せっけんがありますから、まずは汚れをおとしてしまいましょう。木村係長、あ、足を出すことになりますから女性の方がいいですね。可愛さん、案内をお願いできますか」
「了解っす」
フクハラ様に下命されたカワイ様のご案内でショの中庭に進みます。
裏庭には、様々な大きさのクルマがいくつもありました。中には車輪がふたつしかないクルマもございます。あれでは横に倒れてしまうように思います。
「こっちっすよ」
カワイ様が不思議な装置をひねると、それにつながった青い管の先から水が出て参りました。なんですの、この謎技術!
不思議な装置は「ジャグチ」、青い管は「ホース」というそうですわ。初見ですわね。
「このピンク色したやつが工業用せっけんっす。これをこうして手に取って、ごしごしとこすり合わせるっす。そうすると、しつこい油汚れなんかもきれさっぱり落ちるっすよ。ただ、スクラブが入ってるすから、ちょっとお肌が荒れるかもっす」
ご説明のところどころに理解が及ばない単語が混ざるものの、おっしゃっていることはおおむね分かりました。これもリリヤ様の言語補正による恩恵でございましょう。
カワイ様がピンク色の「コウギョウヨウセッケン」でごしごしと手を洗って見せてくださいました。
「洗ったあとは、水で流すっす」
なるほど、概ね要領は理解いたしましたわ。
「ここはまずわたくしが」
マーガレットが進み出て、コウギョウヨウセッケンを手に取ります。勇気ある行動ですわ。
「確かにざらざらした感じがございます。ですが、手に着いていた汚れが徐々に落ちていきます。これはすごい」
「わたくしも洗いますわ!」
たまらずわたくしもコウギョウヨウセッケンに手を出しました。
「本当にしつこい汚れのときは、そこにあるブラシでこするといいっす。ただ、ものすごく肌が荒れるっすから、貴族のお嬢様にはお勧めしないっす」
カワイ様が指さしたのは、馬丁が馬の毛並みを整えるのに使うような厳ついブラシでございました。あれでわたくしの肌をこするのは、ありよりのなしですわ。
「どうでしたか、工業用せっけんは。私も初めて使ったときは、あまりの洗浄力に感動したのを覚えています。手荒れするのが難点ですけど」
フクハラ様もお使いになっていたのですね。
「ところでローレル様、ドレスのスカートが破けておみ足が覗いていらっしゃいます。貴族の女性として脚を晒すのはよくないことと聞いたことがあります。替えのドレスはご用意できませんが、スウェットスーツであればご提供が可能です」
なんとありがたいお申し出でしょう。やばいですわ。わたくしも、先ほどからずっと気になっておりました。渡りに船とはこのことですわ。喜んでお借りするわ。
「スウェットスーツって、こんなんすけど、本当にいいっすか?」
先ほど手洗いの手引きをしてくださった女性が手に持った長四角の薄い板のようなものをわたくしに見せてきました。
その板には、人の手になるものとは思えないほど精緻な絵が描出されておりました。
やばいですわ!
その絵には数人の男女が描かれており、すべてここにいらっしゃる方々です。リリヤ様と思しき女性のお姿もございますが、なにかとてもだらしのない服装でいらっしゃいます。その表情も緩みまくりで、一見して酩酊していらっしゃるように感じます。まさか創造神様がかような姿を見せるとは考えられません。
「あー、その一番だらしないのがリリヤさんなんすよ。で、リリヤさんが着てるのがスウェットスーツっす」
そのまさかですわ。
リリヤ様がお召しになっているスウェットスーツなるお召し物は、上下とも灰色で一見して柔らかそうな生地でございます。ただ、全体的にだぼっとした、よく言えばゆとりのある、悪く言えばだらしのないシルエットでございます。
これは、この国の感性に照らして「無理」と判断せざるを得ませんわ。
せっかくのお申し出ではございますが、お断りいたします……口に出そうとした瞬間、わたくしの頭にひとつの考えが浮かびました。
「スウェットスーツを着れば、創造神様と御揃いになれるのでは?」
なんと光栄なことでしょう!
リリヤ様の御威光の前では、我が国の美意識などクソくらえでございます。
「是非もございません」
平伏する勢いでスウェットスーツの借用をお願いいたしました。




