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【番外編 その9】幽霊について ― rootとなった私の覚書

 幽霊という現象について、私は長らく「天界の方便」だと思っていました。

 死後の存在を説くことで、人間の不安をやわらげるための物語。

 そう理解していましたが、rootとなった私は、それが方便ですらなかったことを知ったのです。


 幽霊とは、消え損ねたコードである。


 正確に言えば、人格データと肉体データの同期が解かれたあと、人格側データの削除が完了しなかった、もしくは再配置に失敗した結果、

 人格データがホストOS上に孤児化(orphaned)した状態のことを幽霊と呼んでいたのです。

 つまり、冥魂府に送られるべきコードが一時的に宙づりになっているのです。


 冥魂府のコノエさんは、定期的にこの孤児コードをスキャンし、その識別子(soul hash)を照合して再デプロイする。

 それを、天界のお役所言葉では「転生」と呼んできました。

 だから、人間界にも「転生」という言葉が伝搬していたんですね。

 本当は、再配置にすぎないのです。


 幽霊さん(蓉子さん)のケースが魂コードが孤児化した典型ではないでしょうか。

 幽霊さんは、肉体データの物理層が著しく損傷(腐乱)していました。

 だから、天界の位相スイッチが自動的に非衛生(non-sanitary)フラグを立てて、物理部分の転送を拒否して元の世界に戻し、魂パケットのみを一時保存したのです。

 その一時保存状態が、幽霊として観測されたという流れです。


 幽霊さんのorphanコードは、長い間冥魂府のサンドボックスに滞留していました。

 やがて、幽霊さんは、その断片的な人格構造を保持したまま、新しいホスト————正村さんの娘、蓮ちゃん————に再デプロイされました。

 だから、蓮ちゃんは幽霊さんを覚えていません。

 でも、幽霊さんの「見てきた夢」を時おり夢の中で再生しています。


 再デプロイされた人格コードは、完全なコピーではありません。

 ハッシュ値の一部が再計算され、物理層との相互参照によって修復が試みられます。

 しかし、失われたビットは失われたままで再生されることはありません。

 これが、転生時に起こる「前世の記憶の断片」の正体です。


 私はこの構造を理解したとき、かつて、コノエさんが冥魂府に突入した幽霊さんを見て言った言葉を思い出しました。


「お主の魂は、不安定じゃな」


 その瞬間、天界の管理コンソール上で、幽霊さんの魂識別子が「未認証」から「一時承認」へと切り替わりました。

 コノエさんは、orphanコードを手動で認証したのです。

 つまり、天界が想定していない状態にあるものを「生かす」という判断を下したことになります。


 なぜそうしたのかを尋ねてみました。そうしたら、コノエさんは、「ヨーコは、まだ呼ばれておらんかった」と答えてくれました。

 呼ばれていない、つまり、削除命令が発行されていないという意味ですね。もっとも、その命令はコノエさんが出すのですから、コノエさんが「まだ」と思えば、まだなんです。

 神が神の領域で、仕様を超える処理が行われることもあるということです。

 だから、冥魂府は他の省庁とは違う特殊な立ち位置だと説明がなされていたんです。


 rootとなった私は、天界のガベージコレクタを見ることができます。

 そこでは今も、数え切れない人数の孤児コードが漂っています。

 誰にも呼ばれず、誰の記憶にも残らない断片たちです。

 彼らは時折、微弱な信号を放ちます。

「ここにいる」

 と。


 幽霊は、死者ではありません。

 まだ誰にも削除されていない、未処理のデータです。

 そして、完全な削除とは——

 誰からも思い出されなくなった瞬間を指します。


 もし、あなたがふと懐かしい匂いを感じたなら、それは、まだ削除されていない誰かのコードが、あなたのメモリーに触れた反応かもしれません。


 世界を動かしているのは、そういう微細な干渉なのかもしれません。

 このことは、天界のスクリプトには書かれていないので、私の想像です。

 orphanであっても、魂は完全には消えません。

 ただ、場所を失って漂っているだけです。

 そして時々、誰かの夢に入り込んで、その人の手を通して世界を動かすことがあるかもしれません。


 rootになった私には、削除権限もあります。

 でも、私はそれを使おうとは思いません。

 orphanを消すことは、存在の可能性を消すことだからです。


 そんなことを思いながら、私は今日も世界のログを眺めています。


 orphan数:未処理、∞。


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