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【番外編 その7】ティラミスの宝箱

 アヤメと中谷がいる並行世界は、リリヤの同期、ティラミスが作った世界インスタンス。

 ここは、ティラミスの「宝箱」。


 美しい魂。

 その世界にいては結ばれない魂。


 そんな魂を集めた並行世界。

 死後、魂を呼び寄せることもあるが、複製を作って配置することもある。

 アヤメと中谷は、後者だ。

 白百合館での出会いと別れを知ったティラミスが、2人の複製を作った。


 世界インスタンス#47――リロード後24時間ログ


 リロード開始時刻 07:30

 空が最初に生成された。

 雲は薄く、色温度は中立。音はまだ登録されていない。

 アヤメが目を開けた。

 ベンチの上。肌の温度は36.6度。

 和装でも娼館の制服でもない。

 藍のワンピース。

 隣に中谷がいた。彼の呼吸は整っている。

「ここは?」

 アヤメの声が少しだぶって聞こえる。

「さあな。知らない場所なのは確かだ」

 中谷は目を細めて笑った。

「もう一人の私がいます」

「ああ、俺ももう一人いる」

 風が立ち上がる。

 世界が、彼らの存在を承認した。

 店の看板が読み込まれ、舗道に影が生成される。

 〈カフェ 大警視〉

 アヤメが首を傾げて中谷を覗き込む。

「入ってみる?」

「そうだな」

 扉を押す。ベルが鳴る。

 音が確定した。

 カウンターの奥に初老の男性がいた。

 口ひげを生やし、白いシャツに黒いベストを着ている。

 胸の名札には「川路」と書かれている。

 マスターは、カップを拭きながら、一言だけ告げる。

「おかえりなさい」

 この言葉は、再起動時に自動で挿入される定型句である。

 2人はカウンターに座った。

 コーヒーが淹れられる音を聞いて、アヤメが呟く。

「この世界は、静かですね」

「再起動されたばかりだからです。まだ音ができあがっていないのでしょう」

 マスターが淡々と答えた。

 カップから立つ湯気。

 アヤメは指先でそれをなぞる。

 中谷は時計を見た。秒針が一瞬止まり、また動き出す。

 ――その時、音が二重になった。

「聞こえますか?」

 声が重なる。

 店内の空気が微かに揺れた。

「こちら、オリジナル」

 もう一人のアヤメからコールされた。

「聞こえるわ。こっちは、複製の私」

 会話は、同一人物間で正確に進行した。

 声は似ているが、少しだけ位相がずれていた。

 呼吸の間隔が違うのだ。

 アヤメは、自分の声を聞いて少しだけ眉を寄せた。

「変わっていないですね」

「変わらないように作られたのだもの」

 中谷もまた、自分と対話していた。

「お前は、まだそっちで外務大臣してるのか?」

「ああ、やってる。今日も会見の予定がある」

「なら、俺が静かでいる分、お前がうるさいのも仕方ないな」

「役割分担だ」

「そうだな」

 2人の会話は、同一意識の間で行われているため、理解が早い。

 一方が言葉を発するより前に、もう一方が応答している。

 ログ上では、同時に書き込まれている。


 同期率:99.9997%。

 位相差:0.002秒以内。


 ティラミスが上層からモニターしている。

 この世界は彼女にとって、宝箱のひとつにすぎない。

 だが、その箱の中では、言葉のやりとりがひとつの祈りとしての形を持つ。


 昼。

 リロードから6時間が経過。

 アヤメと中谷は、店の前の通りに立っていた。

 街は完全に安定している。

 物理演算、天候スクリプト、群衆モデル。

 全てが正常稼働。

 アヤメは、小さな声で言った。

「私、あっちの私を他人として見られません」

「当然だ。コピーだからな」

「でも、他人として扱わなければ、会話が成立しないんです」

「だから、2人いる」

 その会話も、どちらのアヤメが発しているのか、もう区別できなかった。

 彼女は両方とも、本物だった。


 夜。

 世界の照度が下がる。

 ティラミスが「日没」を定義した。

 この世界に太陽はない。照明条件の変更だけで夜が訪れる。

 2人は再び〈大警視〉に戻る。

 中谷がカウンターに肘をつき、マスターに尋ねた。

「俺たちの同期は、いつまで続く?」

「続けようと思えば、永遠です。でも、永遠が続くことを永遠とは言いません」

「では?」

「止まるまでの時間を、あなたたちが日常と呼ぶ」

 アヤメは頷いた。

「私たちは、止まるまでここにいるんですね」

「はい。止まるまでです」


 リロードから24時間後。

 アヤメと中谷の意識は完全同期を保ったまま、ログの末尾に記録された。


 世界インスタンス #47

 同期率 100.0%

 位相差 無視可能

 感情波:平静

 状態:恒常稼働

 備考:自己と自己の対話により安定。終了条件なし。


 ティラミスは、処理ログに1行だけ追加した。


「この2人は、ここに来たのではなく、在ることを選んだ」


 世界は、静かに稼働を続けた。

 風も光も変わらず、会話もまた続いていた。

 それは、祈りの形をしていない祈りだった。


 2人の日常


 昼下がり、石畳の路地に風が通った。

 煉瓦の壁に古い真鍮のプレートが光る。〈カフェ 大警視〉。

 ドアベルが短く鳴り、ふわりと焙煎の香りが漂う。

 カウンターの内側で、白いシャツに黒いベストのマスターがサイフォンを火に掛ける。

 口元に薄い笑み、背筋はまっすぐ。額の皺は深いが、眼差しは若い。

 名を訊けば「川路」と名乗る。

 だが、常連はひそかに「大警視」と呼ぶ。

 伝票の隅にはいつも、万年筆の青いインクで小さく書かれている……「声なきに聴き、姿なきに視る」。

「お2人さん、今日は静かめに? それとも、喧嘩前の火消しブレンドにしますか」

「喧嘩なんてしてませんよ」

 アヤメは笑って、肩の力を抜く。藍のワンピース、耳朶で小さくゆれる銀のピアス。ここでは和装ではない。

「じゃあ、火消しは1杯だけで」

 中谷が応じる。

「彼女には本日のおすすめを」

「了解」

 マスターは短く答え、湯を落とす手元を、少しだけゆっくり見せる。ガラスの器に金色の気泡が昇り、底の粉がわずかに花を咲かせる。

 この世界には国名も肩書もない。交差点の名前とパン屋の名前、雨上がりの匂いと近所の猫のあくび、そんなものが地図のすべてだ。

 けれど2人は知っている。遠いどこかの世界で、もうひと組の自分たちが、真顔をきめてマイクの前に立っていることを。

 意識と感覚だけが同期し、動作は別々。こちらではカウンターのパンナコッタを匙で掬いながら、あちらでは原稿の一文(「相互の尊厳」)に赤を入れている、みたいな。

「ところで、今日の限定『うどん』はまだありますか?」

 中谷が急に身を乗り出す。

「ありますとも。昆布と鰹の合わせ出汁(だし)。塩は控えめ、仕上げにライムを一滴」

「それ、2つ」

 湯気の向こうで、彼はふと遠くを見るような目をした。

 往時の記憶がよぎったのだろうか。剣呑も剛直も脱ぎ捨て、いまは匙と箸で町を守る。

 守る、という言葉もここでは少し大げさだ。見張らず、煽らず、ただ先に湯を沸かしておく。それだけ。

 ドアベルが再び鳴って、若い夫婦が入って来た。

 男は栗色の髪、女は白いワンピース。手を繋ぎ、恥ずかしそうに笑う。

「ロメオさん、ジュリさん、席空いてますよ」

「マスター、いつもの」

 ジュリが少し舌足らずに言う。

「今日は争いはなし?」

「なし。母から柘榴(ざくろ)をもらったので、喧嘩する理由がない」

 ロメオが肩をすくめる。

「よし。では、柘榴とベリーのタルトに蜂蜜を少々。甘すぎたら、互いに半分ずつ分けること」

「はい」

 返事の調子まで揃っていて、アヤメは思わず目を細める。

 別世界の悲劇が、この世界では「半分こ」の約束に変わっている。

 失われたものは戻らないけれど、同じ魂は別の場所で、別の形を受け取る。ティラミスの宝箱は、そういう仕掛けでできている。

「ねえ」

 アヤメが小声で言う。

「あっちの俊博さん、いま何してる?」

「首相官邸の廊下で、のど飴を配ってる」

「彼、喉から先に心を開くから」

「こっちの俺は、うどんで胃を開く」

「胃から始まる恋もある」

「うん」

 2人は、声を出さずに笑った。笑いながら、少しだけ真剣になる。

「この世界があると、あっちで折れずにすむ」

「この世界があるから、あっちで折らないでいられる」

 言い換えて、2人は同じことを言った。

 うどんが運ばれてくる。出汁の透明度に、アヤメがほんの少しだけ目を見張る。

「きれい」

「澄ませるのは簡単だが、うまくするのはむずかしい」

 マスターが箸を渡す。

「いちど濁っても、火と時間で透く。生き方も、まあ似たようなものです」

 中谷が箸を手に笑う。

「マスター、今日の言葉は重い」

 マスターは肩をすくめる。

「そうでもありません。重く聞こえるのは、うどんの出汁が軽いからですよ」

 客が増え、窓に夕方の色が降りてくる。

 ロメオとジュリは、柘榴とベリーのタルトを本当に半分こにして、どちらも少しずつ甘すぎる顔をした。

 彼らが帰る時、マスターはいつも通りの挨拶をする。

「安全な帰路を」

 この町には危険はない。けれど、その言葉は、別の世界まで届くように言われる。

「さて、そろそろ行こうか」

 外へ出ると、薄い雲の向こうで月が育っていた。

 路地の角を曲がる直前、2人は振り返る。ガラス越しに見えるマスターの背中。

 あの背には、世界のどの制服も縫い付けられていない。けれど、警察官の心得を、彼は誰よりも自然に守っている……この町では、それを口にする必要がないだけだ。

 手を繋いで歩き出す。

 遠い会見場で、もうひと組の2人が、真顔で笑い、丁寧に嘘を放ち、上手に曖昧を残す。

 こちらの2人は、素直に笑い、うどんをすする。両方とも、本物だ。

 角の先で、アヤメが足を止める。

「ねえ、明日はパン屋に寄って、あの掲示板見てから行こう」

「いいね。俺はタルトの予約もしとく」

「柘榴?」

「いや、弥栄って名前のタルト。マスターの新作だって」

「また大げさな名前」

「大げさで、ちょうどいい日もある」

 夜風が、やさしく頬を撫でた。

 遠くで、小さな鐘が鳴る。

 それは、こちらの町の時刻であり、あちらの世界の合図でもある。

 2人は合図に気づき、互いに目を見て……

 同時に、違う歩幅で、同じ方向へ歩き出した。


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