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アイハブコントロール

塾講師 保科

 本っ当に腹立たしい。

 収まらない怒りに、雑踏の中自然歩調は早くなる。久しぶりに履いたポインテッドトゥのパンプスは少し痛くてつま先の光沢ばかりが目につく。

 何なのもう。

 事の発端は学生時代の後輩が結婚したという社会人あるある世間話。

 いつもの如く営業スマイルで場に合わせて喜んでいたら、マズい方向に飛び火してしまった。

 盛り上がっちゃった後輩は得意げに、

「知り合いの店貸し切れて、あっ、そこ、普段人気でなかなか行けないんですけどっ、今回特別にって。ワタシ、幹事頼まれちゃって。なんか、あれなんですよっ。いい店知ってるでしょ?とか頼まれちゃうと断れなくなっちゃって。で、とにかくすっごく良い店なんで絶対絶対来て下さいねっ、ねっ、ねっ。」とかなり強引に誘われた。

 この子、普段からあまりヒトの話を聞かないんだよね。それでなくても私ってば外面良い小心者だから。全くではないけれど、それほど親しくもなかった後輩の披露宴的二次会に出席する羽目に。

 行ってみたら確かに良い店ではあった。シノワズリな感じで、内装も雰囲気も落ち着いているし、料理も良かった。また来たいなと思えるくらいに。

 二次会の会場になるだけあって、急場しのぎではあろうけど、きちんとクロークも用意されていたし。

 そう、クロークがあって、ちゃんとそこに預けたのよ、鞄を。

 なのに、

 なんで、

 クロークが無くなっているの。

 混雑のなか並ぶのが嫌で人波が捌けてから荷物を取りに行こうとしたら、クロークだった場所はパーテンションで閉じられていた。

「え、鞄…」って口からこぼれ出たのを耳聡く聞きつけた(くだん)の後輩が「あっ、皆さんの分、まとめておきましたっ。お店の方達、忙しそうだったんでっ。」と言って指し示した先には、信じられない光景が。

 おそらく残っている他の客たちのものと一緒くたにされているのだろう。店内ですらない店先のアスファルトにクロークから出された残りものの手荷物達がちんまりとした山となって積まれていた。

 って。

 え、

 何これ。

 何この扱い。

 部活か?遠征時運動場の端に積み上げられてる部活バッグか?

 店内には話しかけるなと言わんばかりにせかせかと動き回り片付け作業に専念する従業員たち。

 その中で常連感と仲良し感とシゴトしてます感を前面に押し出しながら、従業員でもないのにせっせと片付けを手伝う後輩に得意満面に答えられて、どうしてくれようかと思ったわよ。

 自分の鞄を救出して足早に立ち去るので精一杯だったわ。辛うじて、「お疲れ様、お先に。」と絞り出した自分を褒めたい。

 何でヒトの鞄、勝手に置くかな。しかも地べたに。私は地面に置かない派なんだよ、スーツケース以外。それも超イイ仕事しましたみたいな顔していやがったなアイツ。

 百歩譲ってこれが仕事の時、仕事用の鞄とかだったら別にね。もう仕事の時はビジネスモードだからそれくらい割り切りますよ、大人ですし。

 だけどプライベートの時は別じゃい。

 しかもドレスアップしてる時じゃぞ。余所行き(ヨソユキ)の鞄は汚れやすいし、傷つきやすいんじゃ。

 合宿の時みたく、貸切バスから荷下ろしされてガンガン地面に積み上げられていく部活バッグと一緒にすな。

 くっそー。

 アスファルトを抜け駅のコンコースへと向かうタイル地の床はいつも以上にヒールの音がうるさい。

 だいたい店も店だよね。いくら常連の仲良しさんだろうが何だろうが、赤の他人でしょうが。その他人に客から預かった鞄、ひいては貴重品をあっさり任せ、あまつさえ放置するとは。そうだよ、貴重品はお手元にと言われていたとはいえ、中には大切なもの、そう例えばお気に入りのイヤホンだったり、プレゼントで貰った大切な香水入りのアトマイザーだったりを入れている人だっているはず。私に言わせりゃもうね、鞄自体が貴重品なのよ、わっかんないかなー。従業員教育、どうなってるわけ。有り得ない。忙しいだなんて言い訳、よくも言えたな。

 ダンッ、と鞄ごと改札機のセンサーに押し付けホームに向かう。

 駄目だ、気分最悪。このまま家に帰っても怒りが収まりそうに無い。ずっと引き摺りそうだ。

 何か気分転換を。

 気分転換…、何か…音楽とか、本とか…。

 乗り込んだ電車内で、吊り革に半分ぶら下がりながら携帯をいじる。帰路上にどこか何かないかと検索するが、CDショップ、本屋、ことごとく閉まっている。

 ショッピングや夕飯目的の客はとうに帰宅し、二次会もお開きになるような時間帯。

 あー、そうだよね、この微妙な時間帯じゃあなぁ。

 んー。

 ふと、見るともなしに流れていく窓の外の景色を見遣る。川を渡ったらもうすぐ自宅の最寄駅だ。そしてそこを過ぎれば週五で通う職場方面。

 そういや、職場近くの駅ビルがリニューアルして、大型レンタルショップが入ったんだよと職場の先輩が言ってたっけ。営業時間も長いし子供用のDVDとかも借りられて便利って言ってたような。

 ちょっと回り道になっちゃうけど、多少の回り道という面倒よりも今は気分転換を優先しよう。

 本来の降車駅を乗り過ごしながらお目当てのビルを検索していると、減速した電車が目的駅のホームに滑り込む。

 おお、まるで計ったようだわ。

 ぱたんと携帯を鞄に仕舞うと、ヒールの音も高らかに駅ビルへ向かった。

 迷う事なく辿りつけたのはワンフロア全てが目的地だったから。「でっか、広…。」と思わず声に出てしまう。誰にも聞かれていないか慌てて取り繕うが、浦島太郎状態は否めない。

 こんなに変わってたんだ。

 DVDはもちろん、CDやコミック本もレンタル出来るうえに、本屋も併設され雑貨も売っていたりする。更にはフリーWiFi完備のカフェスペースまである。

「すっご…、」新規開拓の高揚感に酔いしれながらしばらく店内をぐるぐる回る。

 えーどうしよっかな。カフェスペースは会員制かぁ。レンタル会員なら使えるみたいだけど、会員証とか作るのって結構面倒くさいだよなぁ。なんならレンタルして返却するのも。確かにレンタルの方がコスパもスペパも良いんだろうけど。

 しっかしスペパって言いづらいっ。最近コスパだのタイパだのやたら「パ」をつけるのが流行っているけど、スペパは流石にね、スペースパフォーマンスって、無理矢理感すごくない?言いづらいって。

 でも実家に寄生している肩身の狭い身としては、あまり荷物を溜め込んでいく訳にはいかないのでスペパ大事。

 まあそんな事言ってる暇あったら早いとこ良い物件見つけて独り暮らしすりゃいいんだけどさ。そう思ってはいるけど、実は物件探しなんて全くしていなかったりする。母親から、一人暮らしするお金があったら結婚資金の為に貯金しなさい、とグレープフルーツを皮ごと食べた時くらい苦みたっぷりに口酸っぱく言われているから。

 ハハハ、お母さんごめんなさい。あなたの娘は一生結婚資金を貯め続けていく事になるかもデスよ。私、実はグレープフルーツの実はもちろん、あの白い皮の部分も案外好きなのよ。ふっと自分がこたつに入ってグレープフルーツでお手玉をする姿が脳内で展開される。

 いかんいかん。

 無駄にめんどくさがりで男運もない自身を脳内で無理矢理追い払いながら散策ならぬ散()を進めて行く。

 それにしても散()って言い得て妙よね。元々散策の誤字だったらしいけど探索しながらの散歩って雰囲気が出てて思わず使いたくなるわ。そのうち辞書に載ったりして、なんて。

 とりとめのない事を次々と頭に飛来させていると、いつの間にやらDVDコーナーに足を踏み入れていた。邦画、洋画、アニメ、スポーツ、ミュージック、様々なジャンルを分け入っていく。ふと目についたのはとある海外TVドラマ。

 懐かしさに思わず手に取る。

 確かそう、土曜の夜。子どもが観るには遅い放映時間だったけれど、土曜は夜更かしを許されていたから観れていたんだ。基本一話完結タイプのドラマで展開も早くとても観やすかったっけ。

 ジャケ写を見て記憶が蘇ってくる。

 お洒落で仕事のデキる登場人物達が織り成すいかにも欧米らしいドタバタ劇は、当時の自分にとって憧れの大人の世界だった。

 このドラマを観てジェリービーンズとかカプチーノとか知ったんだよね。ちょっぴり背伸びしたくて、ジェリービーンズ代わりのグミを透明なガラスのコップに入れて食べてみたり、牛乳たっぷり入れて、飲めなかったコーヒーをカプチーノ気分で飲んでみたりと主人公達の真似していたのも懐かしい黒歴史。

 私の黒歴史はさておき、確かこの主人公、仕事に恋に忙しくシーズン毎に彼氏と別れてはまたなんだかんだ新しい恋人が出来るけど、結局結婚しないんじゃなかったっけか、ははは。

 結構、巻数あるな。

 ずらっと並んだ棚の列と手元のDVDケースを見比べ、手に取ったケースをいったん元に戻す。そしておもむろに目を瞑り、背表紙の真ん中あたりを人差し指と中指でつつつとなぞっていく。

 ぱっと目を開けたところで指を止め、そのまま指が当たっていた箇所のケースを抜き出した。

 特に何巻かも確認せずそのままレジへ向かった。


 あまり聞き慣れない洋楽と、カーテンを物ともしない朝日とに押され、なんとか気怠い脳と固まっていた身体を覚醒に向かわせようと格闘する。

 なんだっけ、この曲。視野が徐々に広がっていき意識が浮上してくる。そういえば昨夜借りたDVDについつい見入ってしまい、そのノリのままうっかりドラマの主題歌をアラームにしてしまったんだっけ。深夜テンションってコワイ。

 ゔーんと唸りながら掛け布団を跳ね除け、いったん大の字になり全身に朝日を浴びて覚醒を促す。

 あー、今日晴れてて良かったー。雨とか曇りとかでどんよりしてたら起きる自信なかったわー。

 部屋のカーテンを決める時、遮光のものを勧められたが、敢えてそうしなかった。朝は明るくないと目が覚めないもの。

 今だけソーラーシステムになって太陽光をチャージするんだワタシ…頑張れ私…光エネルギーで覚醒するんだ…頭の中でくだらない妄想を展開させる。

 あー、厨二病。

 学生時代は成績優秀品行方正な優等生、社会に出てからは仕事のデキる女の顔を被り続け必死で誤魔化してはいるが、本当はドラマだけじゃなくアニメも漫画もそれらに付随する妄想も大好きな生粋のオタクだ。

 最近、市民権を得てきているとはいえ、まだまだおおっぴらにできるような趣味でない事は確か。

 しかもガチ勢のオタクなら専門職的な職人気質をご披露もできるだろうが、そこまでではない中途半端さ。

 あー、私って、何やっても中途半端…。

 いっそ、昨夜のドラマの主人公のようにいかにもアメリカンな感じで突如無心に踊り続けたら気も晴れるだろうか。いや、妄想だけにしておこう。

 ――充電完了。ユーハブコントロール。

 脳内の妄想オペレーターが私に告げる。

「アイハブ。」

 誰も聞いていない時にだけ唱える台詞で、えいやっと気合いを入れ起き上がった。


 つい三ヶ月ほど前に入った新しい職場は、比較的名が知られている学習塾。学年に関係なく子供から大人まで学べるという建前で幼稚園児から高校生までいるが、やはり中心は小学生だ。

 教室の準備と宿題採点は小学生達の下校時間より少し前、つまりこの後どっと小学生達が押し寄せて来るその前までに終わらせる事になっている。その準備スタッフだった私は教室の簡単な清掃も終え帰るところだったのだが、この後教室に入る予定だったはずのスタッフのお子さんが熱を出したという連絡が入った。代わりに残るから後は任せて早くお子さんのところへとそのスタッフさんに帰るよう促す。

 挨拶もそこそこに申し訳なさと有り難さを放出させながら慌てて早退していくスタッフさんを快く見送っていると「保科さん、本当に助かるよ。ありがとうねえ。」と塾長からも感謝のお言葉。

「いえいえ、困った時はお互い様ですし。」などと善人フルスロットルな笑顔且つ控えめに応えつつ、内心では「大っ変よねぇー、ホント。子供ってこんなに熱出したり怪我したりするもんなんだー。」とミュート機能で思う。

 というのもこのスタッフさんが早退するのは一度や二度ではない。でも仕事はきっちりやる人だしいつも電話の音がするたびビクッとしているもんだから、何だか逆に気の毒になってくる。

 本来私は採点業務メインとして採用されたから、授業中教室には入らない裏方としてのスタッフだったのだけれど、ある日「保科さん、この後教室入れない?なるべく子供の相手しなくていいようにするから!教室の隅で採点してくれるだけでいいから!お願い!」と、一度頼まれて了承して以来、気付いたらあれよあれよと裏方業務から表方業務へ、生徒達の相手までするハメに。

 うーん、採用時の条件とは違うんだけどねー。

 正直子供なんて苦手意識しかなく、どちらかと言えば嫌いな部類。この塾の採用面接の時にも子供は苦手なんですがと、前置きしたくらい。

 そもそも子供の相手が出来る保育士や教師という職業にはとんでもないレベルの忍耐力と崇高な志とが必要とされると常々思っている。

 だから生徒の相手はしないことを確認して採用してもらっていたのだが。

 まあ、時間に融通の効く気楽な独りもんですからね。それを踏まえての採用でしょうし。

 なんだかんだ頼られて感謝されるのは純粋に嬉しいし。


「知ってた?デカフェってノンカフェインの事なんだってー。」

 穴場のカフェで待ち合わせをしていたのは大咲ミチル。腹を割って話せる数少ない友人の一人であるミチルは幼稚園から小中高まで一緒という奇跡の友人。遅刻してきたお詫びと言って差し出されたマフィンを二人で頬張りながら久しぶりの近況報告会だ。

 健診を控えているためダイエットに励んでいるという彼女は相変わらずスラっとしていてとても妊娠中とは思えない。

「いやぁ、ウエストはゴムに限ると思っていたけれど、ゴムに加えてさらに紐付きだと最強だね。微調整が出来てイイ!」と先程ドロストパンツを強烈に推された。ドロストって何やねんって聞いたら「ドローストリング、紐で縛るヤツだよん。」とドヤ顔。たまにミチルは通販テレビの人間みたいになる。

 なるほど、確かに今日のミチルのボトムスはスウェットパンツといういかにもお腹に優しい仕様だ。だがゆったりとはいえスッキリとした色とデザインのおかげか引き締め効果を存分に発揮しておりやっぱり妊婦には見えない。

 学生時代から中性的な魅力を誇っていた彼女だったが、結婚してからもそれは変わらず性別不詳のまま、更に最近は年齢不詳も加わった気がする。

 そんな彼女につい意地悪したくなり「ダイエット中なのに、マフィンなんか食べてていいの?」と牽制パンチを入れてみると、「いーじゃん、今日はその分歩くんよー。」

 味方してよと言わんばかりに見つめてくるその目は半分懇願半分強制で、「いま通っている産科の助産師さんは容赦ないというか有難いというか…もうもう健診の度に体重チェックがオソロシイんよ。」と言い出す。

「私、妊婦さんってもっと食べなきゃいかんとか思ってた。それこそ二人分食べなさいってイメージ?」

「そう!私もそう思ってたんよー。でも増やしすぎはだめなんだってさー。」

 しょんもりと肩を落としお腹をさするミチルはそれでも元気そうで何よりだ。

 待ち合わせ場所を決める時、山盛りの野菜を食べたいと彼女が言っていたのを思い出して、サラダバー付きのホテルビュッフェを予約しようと提案していたのだけれど、時間通りに行く自信がないというので、融通が効くカフェで一旦待ち合わせすることになったのだ。私が想像していた以上に妊娠中というのは体調が不安定になるそうで、それは自身でも予測不可能なんだとか。大変なんだな。

「で、どう?ランチ行けそう?」

「うん!でも今は野菜より肉が食べたい!肉肉!」

 目を輝かせて肉肉はしゃいでいる姿はまるで海賊に憧れる小学生のようだ。

「肉…ねぇ。」

 そんなこってりしたもん食べたら気分悪くなったりせんのかい、とか妊娠未経験者の私は思っちゃうけれど、悪阻とはそういうものでもないらしい。食べたいものはその時々でコロコロ変わるらしく、さっぱりした野菜や果物を食べたいと思うときもあれば、こってりがっつりな肉料理なんかを食べたいと思うときもあるという。食欲もあったりなかったりでコントロールが難しいんだそうだ。

「ま、じゃ、肉食べに行きますか。」

 タタッと携帯を操作しオススメの肉料理店を表示して見せるとにんまりと「待ってました。ほっしー大好き。」と全身から喜びを発し立ち上がった。そんなミチルを一旦座らせ二人分のトレイを片してからカフェを出た。


「そんで?ほっしーが子供相手してるの?うーわ、ダイジョブ?想像つかなーい。」

 新卒で入ったブラックな会社を辞めて以降、様々な職種を経験しそれなりに楽しんできたが、今はまさかの塾講師になっている事に自分でも驚きながら報告したところ。

「話せば長くなるんだけど、私もびっくりよ。元々は講師なんかじゃなく、単に採点補助ってだけの話だったんだけどね。なんだか知らないうちに講師まで頼まれちゃって。」

「さーすが成績優秀な元優等生。でもなんだかんだまーた見栄張って無理してんじゃないの?ホントに平気?」

 満足そうに肉を頬張りながらしかし目は心配そうに私を見つめてくる。

「んー、なんだかんだ結局頼られるの好きなんだよねー。ヤバいねー、承認欲求か?私ってば。」

「ほー。ま、自己分析できてる分マシか。」

「それより体調は大丈夫?悪阻って辛いんでしょ?」

「なんか、体調に波があって自分でもよくわからないんだよね。悪いね、時間ガバガバで。」

「そんなん体調第一でしょ当然。元々カフェとかで時間潰すの好きだし気にしないで。」

「もー、そんなほっしーも大好き。」とミチルが軽く握った両手を口の前に添えてウルウルするもんだから、「そんなほっしーは子供相手に頑張っているのですよ。」と両手で頬杖をついて見つめ返してみる。

 すると、「あんなに避けてたのにねぇ。ふふ。」と笑いながら高校時代の家庭科の授業の話を持ち出してきた。「オカシかったわー、あのほっしーのレポート。」

 それは夏休みに出された家庭科の宿題で、保育園へお手伝いしに行き、その体験をレポートにするというもの。机上の勉強なら得意だが行動力に乏しい私に、一緒に行こうよと誘ってくれたのがミチルだ。

 私がぐだぐだと悩んでいるうちに行動力のあるミチルはあっという間に実習先となる保育園を選別、交渉し、班員集めから役割分担までやってのけた。

 さらに実習当日の集合時間場所の設定、引率までまるで部活の顧問のようにスマートにこなしてみせた。

 本当に頭の良い人っていうのはミチルみたいな人なんだなと、いわゆる勉強の成績だけは良い私はただただ脱帽、感嘆しかない。

 そんな強い憧れとささやかな嫉妬のせいか、普段だったら無難で差し障ないお利口さんなレポートにするところを、ついつい感情のままはっちゃけた内容にしてしまった。

 やれ、子供なんて理解不能だの、やれ理屈が通じないだの、挙げ句の果てに結論として子供は嫌いとまで言い切ったレポートを仕上げてしまった。

 さらに自称子供好きだという人達にまで裾野を広げ、子供って可愛いよねぇーとか、わたしぃ子供好きなんですぅーとか言ってのけるという事はその重大性を一切理解できておらず無責任だという他ない。だからこそ私は迂闊に子供には近づかないよう己れに課している…、とか何とか。

 今思い出してもアホだなと思う。

 でもそれまでひた隠しにしていた内なる感情を少々さらけ出したおかげか、ミチルとの仲はただの同中出身の友達という関係から一気にグレードアップしたのだから世の中わからないものだ。

「それは言わない約束でしょー。」と毎回この話題になるたびのお決まりの台詞を返しながら続ける。

「あとね、今の職場って人間関係がいーんだぁ。何より楽なのは周りがほんわか系で既婚者ばっかってとこ?変に恋愛方面とかガッついてなくてマジ助かる。」

「あー。」

「なんだかねー。そういうのほんともう勘弁なのよー。いやもう、偉そうで何様発言かもだけど。だめもう疲れるんですよ。」

「二十代にして既にお疲れモードですか。」

 頬杖をついていた両腕が段々と崩れていき突っ伏したような状態になる。

「はいー、ご存知の通り恋愛方面は本当に向いてないんだって。ホント勘弁ー。」

 顔を伏せながら片手だけひらひらと力無く振る。

「この前、呼ばれてた例の後輩の二次会とやらは?あんなん出会いの場と勘違いしてる輩多いんちゃう?」

「いや、二次会と言えばさあ、もう聞いてくれる?」

 まるでクイズ番組の早押しボタンのように両腕はテーブルに伏せたままピコンと顔だけあげて、例の鞄放置事件について説明した。

「引くね、それは。」

 塩分控えめにしてもらった付け合わせのポテトをつまみながらミチルが首を傾げる。

「他に文句とか言う人いなかったん?」

「それが、怒り心頭で記憶にないわー。どうだったんだろ。」

 少々お行儀が悪いと思いつつ皿の上に残っていたミニトマトを手で摘んで丸ごと口に入れる。そっと噛み砕くと皮が舌に残った。「余裕ないんだー私。」

「何?やっぱり何かあったん?」

 さすがお見通し、ちゃんと聞いてくれる。伊達に長年奇跡の友人やっていらっしゃらない。

 品行方正な優等生のフリをしているだけだとバレている数少ない友人であるミチルに隠し事はしたくない、というより正確には暴いて欲しい、と願っている面倒臭い人間なのだ、私は。ついつい思わせぶりな言葉や態度が出てしまいいつも心の中で懺悔している。いや、ほんと懺悔プラス感謝だわ。

「実は…、うん、何か声かけられて対応ミスったかもしんない。」舌の上に残っていたトマトの皮を無理矢理冷たい水で飲み下し、俯きながら続ける。

「うん?」

「いや、あの、サークルの後輩が連れてきていた先輩の彼とやらが連れてきた友達とやらが、」

「ちょいちょい待て待て。誰が連れてきた誰だって?」

 がばっと上体を起こし「どうしよう。」と乗り出す。

「私、何も言ってないのに知らないうちに付き合う事になっちゃってるみたいなんだけど、」

「は?」

 ポテトがぽとりと落ちる。

「ポテト落ちたよ。」

「うん…、え、何それ。新手のホラー?」

「ホラー、うん、ホラーか、うんホラーかも。」

 鞄放置事件で怒りに任せて誤魔化していたあやふやな記憶があらためてぼんやりと襲ってくる

「ええっと、あのそれがなんかこう、ワーってなって、いやそれであれが、バーって、んでガーって、、」

「落ち着け。さっきから擬音ばっか。こそあど言葉とオノマトペだけになってるぞ。」

 わあ、こそあど言葉、懐かしい。

 これ、それ、あれ、どれ。

「ええっと、」ついつい現実逃避したくなるところを堪え、語彙を手繰り寄せつつどうにかこうにか説明する。

「つまり何?しょーもないカップルの愚痴を聞いてあげてたら、元彼の事をうっかり喋っちゃって?それでいらない正義感振りかざした馬鹿な偽善者どもが余計なことばかりしてきやがり図々しく付き合っちゃえよとか付き合っちゃおうぜだとか言ってきやがったと?」

 大体あってる。

「なんで、断らんのよ。」

「もちろん断ったわよ。」

「じゃなんで…」

 ミチルが落ちたポテトを拾いながら言いかけた時、なんともタイミング良く携帯が震えて存在感を主張した。小刻みに三回、着信ではなくメッセージだ。

 パッと一瞬画面が明るくなりまた暗くなる。その一瞬で見知らぬ名前からのメッセージが見てとれた。

 ――今日、会える?

「なに、怖いんですけどー。」

「やだほんと、どうしよう。」

「そもそも何で連絡先知ってんのよ、プライバシーはどうなってる?」

「偽善者団体が勝手に教えやがってるのよ。アイツらめっちゃ良い事してるって思い込んでるから。」

「怖すぎるっ。」

「いくら私が、恋愛感情シんでるーとか、もう私なんて付き合う価値ないし誰とも付き合う気はないーって言っても聞く耳持たずよ?うんうん、そうだね、可哀想に、価値観変えてあげるよってホント何様?!人の話聞けよ。何で付き合う気なんてないって断言しているのにこんなに見下されて可哀想扱いされる訳?何あのオレと付き合えて感謝しろよ目線、紹介してあげたワタシを褒めて目線、あー段々腹立ってきた。」

 一気に捲し立てて血圧が上がってきた気がする。息継ぎをすべくコップの水を喉に流し込む。少しぬるくなっていた。

「お膳立てされるのってマジむかつくわ。」

「ホントそう!それ!」

「そして、アンタもなぜその勢いで断らんかった?」

 ド正論で返されうっと詰まる。

「ま、それが出来るようなほっしーだったらここまで拗らせてないか。」

 これまた図星で軽く落ち込む。

「どーせまた皆んなにイイ顔してたんでしょう。もー、なんで仕事や勉強では強気で堂々と出来るのにプライベートではこんなに小心者かねー。」

 ごもっとも過ぎて何も言えない。

「まさかアンタ、まぁた嫌われ作戦とか考えてないでしょうね。」

 いや、ミチルさん、貴女エスパーですか。

「何でバレてるん?」

「成長しとらんな、以前それやってメンドクサイ事になったでしょーが。」

 嫌われ作戦、要は敢えて相手が嫌がるような言動をとり、嫌われるよう仕向けて相手から振られようとする行為。自分から振るということが出来ない小心者の私にぴったりな作戦だと思っていたのだが。

「ダメか?ダメなのか…。名案だと思っていたのだが…?」

「ダメに決まってるでしょーが!時と場合によりけりかもだけれども、そう何回も同じことしないでよ。ほっしーが良くても私が許さんっ。」

 なんで悪くもないほっしーが皆んなから悪役扱いされなきゃいかんのよ、と揺るぎなく見つめてくる二つの力強い瞳に心が震える。本当に私のことを思っての言葉に改めて惚れ直し一生ついて行きますと心の中で叫ぶ。

「どうしたらいいんだろう。」

「ま、無難に相手をひたすら良い人扱いしてみたら?そういう奴らって結局、何言ったところで聞く耳持ちゃしないんだから。こっちの意見なんて認めない事は既に証明されちゃってるみたいだし?正論ぶつけたところで、ね。」と、卓上に放置された携帯を横目で見ながら一息つくとパッと頬の横で両手を組みながら「さすがぁ貴方様との信じられなーいリハビリとやらのおかげ様ですっごい素敵なセンスある彼氏ができましたぁハートマーク、的な?相手を持ち上げて持ち上げて、んで煙に巻く、と。」舞台女優さながらミュージカルの台詞のように大仰によどみなく言ってのけた。

「なんじゃそりゃ。「そ」が抜けたね。「す」は二つ入っちゃってたけど。」

「「そ」ってなんだっけ?」

 さすが

 しらなかった

 すごい

 センスいい

 そうなんだ

「あ、「し」って知らなかったーなんだ。信じられないかと思ってた。」

「知らない人に教えてあげるという優越感をくすぐらせるらしいよ。」

「誰に聞いたん?」

「うちの母。昔合コンとかで流行ってたんだって。」

「さすが母、物知りやな。」

 しかし誰が言い出したか知らんけど絶妙だよね。確実に相手を良い気分にさせる事が出来る魔法の言葉。

 そもそもこんなもんに頼らなきゃ会話が出来ないって事自体、終わってるけどね。

 まあでも隠れ人見知りな私のような人間にとっては有難いマニュアルではあるかも。

 そう、マニュアルがあるのは有難い。定石とか王道とかセオリーとか大好物だ。安心感がある。

 片やミチルは定石は壊すためにあるなんてカッコいい事言っちゃうタイプだ。実際に言ったわけではないけど普段の言動を見ているとそうとしか。

「今度、そいつと会っちゃろうか?」

「さすがにそこまで面倒かけられないよ。ま、いざとなったらお願いするかもだけど。」

「ん、いざとなったら頼りなさいよ。」

「有難いなぁ。」

「アリガタイでしょ。」

 ふふんと顎を逸らして応えるミチルってばカワイイ。いいなぁ。私もこのくらい堂々と出来たらいいのに。

 自分に自信がない人間はなかなか思い切った事が出来ない。だから自分じゃない人間に成り切って演じる事でなんとかしようとする。

「ん、頑張るかー。」

 顎をそらしゆっくり大きく伸びをする。天井でシーリングファンがゆっくりゆっくり回っていた。

「ほどほどに。」

 うん、ほどほどに、頑張りすぎない。

 それは以前勤めていた会社を自主退職させられた時につくづく思った。

 よくあるテレビの料理番組のように、ここからは時間がかかるので差し替えます、と言って料理途中の鍋の中身があっという間に美しく仕上げられているように人間関係も差し替えられたらいいんだけど。そうも言っていられない。

 だからちょっと成り切ってみよう。

 時に我儘とも思えるような、自信があって自分を大切にする事ができる、強引な、けれど清々しさを持ったキャラに。

 そう、真似てみよう。昨夜見たドラマのキャラ達のような。ドタバタだけれども愛すべきキャラ。

 どうせ私は妄想のなかでしか恋愛できないんだ。ならば徹底しよう。現実世界ではいっそ演じ切ろう。


 形から入る私は、ドラマの主人公が着ていたものによく似たシャツを買って帰った。

 自分でコントロールするんだ、他人に振り回されて影響されまくらないように。

――アイハブコントロール。

 真新しいシャツに袖を通し、ボタンをゆっくり留めていく。一つずつ、念入りに。


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