二人の厄介児
この日、世界史に刻まれた偉業。
竜の撃退。
それを成したネアンストールの町、及びクルストファン王国は沸きに沸いた。誰もが王国の躍進に期待を膨らませ、人類の反撃に自信を深めていく。
その一方で実際に戦ったネアンストール防衛軍の一同は煮え切らない想いを抱いていた。
なぜ竜は逃げたのか。
「眼球を傷つけられたことがそれほど衝撃だったのか?」
ゲイルノート・アスフォルテは自信の推測に全く確信を持たなかった。
「あの巨体だろう。そりゃあ眼球は弱点なんだろうがそれだけで戦意を喪失するとは思えないねえ」
そしてレイン・ミィルゼムもまた不可解な竜の行動に首を傾げている。
そもそも相手は野生動物ではなく魔物だ。闘争本能も凶暴性も並みのものではなく、ちょっとやそっとのダメージなどで止まるほどヤワな存在ではないのだ。
「レジストの限界が近かった、というのはどうだ」
「なんとも言えないねぇ。そもそも魔力を切らすような兆候すら感じられなかっただろう。実際にそうだったとしても、ああそうだったのかくらいにしか思わないね」
「確かにな。実際問題として撃退に成功したことを喜ぶくらいしかできんか」
「そうなるかねえ」
執務室にて二人は同時にため息をついた。
今回の戦いではネアンストールを守ることには成功したものの竜についての情報は期待したほど得られていない。
魔力量の限界、弱点、癖。その他討伐に繋がりそうな物は大して発見できなかったのだ。
少なくとも四十人の広域殲滅魔法でも削り切れ無かったことと当代最強剣士であるメリオン・フェイクァンならば眼を潰すことが可能だということは確認できたのだが。
とはいえ防衛軍の中に犠牲者が出なかったことは奇跡的な幸運だったと言えるだろう。少なくとも地平の彼方まで消し去るというブレスを放たれなかったのは僥倖だった。
「とはいえレグナム攻略までに竜の対策は練っておかねばならん。手傷を負っているとはいえ一筋縄ではいかんのは間違いないだろう」
間違いなく竜はレグナムにいる。それはつまりレグナムに巣食う魔王軍の戦力に加えて竜をも同時に攻略しなければならないということだ。
であるならば竜相手に軍全てを差し向けるわけにはいかず、余裕を持って倒さなければならないことになる。
「理想を言うならあそこで倒しておきたかったもんだが。次は竜単体を相手にできるとは限らないからねえ」
「事前に誘い出して討伐するか?」
「それができるなら理想的。試す価値は十分にあるだろうが……」
「討伐出来る見込みが立たない、か」
そもそも戦闘能力の底が見えないのだ。魔力量にしても鱗の防御力にしても、どれも限界を確認できていない。である以上、これで倒せたらいいなというレベルの作戦しか立てられない。
現状の戦力を鑑みた際、どう計算してもレグナム攻略の目算が立たないことに二人は頭を悩ませるのだった。
冒険者ギルドでは竜の撃退に沸く一方である話題が盛り上がっていた。
それはパーティー“赤撃”及び“猛き土竜”所属のミーナについてである。
合同パーティーがレグナム近郊にて竜と遭遇し、絶望的な撤退戦を生き延びたことは瞬く間に皆が知るところとなった。
併設されている酒場のテーブルでは朝っぱらからいつぞやのCランク冒険者であるずんぐりむっくりの達磨男が向かいのひょろりとした長身の優男と話している。
「聞いたか、あの“赤撃”の話」
「ああ、竜と戦って全員生き残ったんだってな。Aランクの“豪炎の牙”は全滅したってのに」
レグナムで竜と遭遇し、捕食されてしまった冒険者パーティーはすぐに身元が判明した。竜の襲撃の後、ネアンストールに帰還しなかったパーティーは彼らだけだったのだから。
かつて最深部まで探索の足を伸ばしていたトップランカーの壊滅は相対的に“赤撃”の異常性を際立たせる結果を生んでいた。
「やはり『氷雪の魔女』は只者じゃないな。それに他のメンバーも一線級と見た」
「『魔女』だけじゃなくてか?」
「全員が帰還してるんだぞ。あの“豪炎の牙”ですら全滅だったんだ。『魔女』だけが生き残るならまだしも誰一人欠けないなんて考えられん」
達磨男の推測に優男は頷きを返し、合同パーティーを組んでいる“猛き土竜”に話を振る。
「それならもう片方のパーティーはどう見るんだ? 確か魔法使いが一人、一緒に撤退戦に参加してたはずだが」
「ヒーラーのミーナか」
「有名なのか?」
「ああ。あの『魔女』と同じ異常な性能の杖を持ってるんだ、噂にならないはずがないからな。“猛き土竜”が最近快進撃を続けているのも彼女の力だって話だ」
「マジか。てことは『魔女』並みの実力を持ってるかもしれないってことかよ。一体どんな集団だってんだそいつらは」
目を丸くする優男をちょいちょいと手招きし、達磨男は耳に顔を近づけた。
「ところでな、たまたま小耳に挟んだことがあるんだが。……冒険者ランクの昇格条件って知ってるか?」
しかしその問いかけは優男には意味が分からないらしく困惑した表情を浮かべる。
「そりゃあ依頼達成の成功率や討伐難度の高い魔物を倒せば評価が溜まって、ギルドが決めた値をクリアしたら昇格試験を受けれるようになるんだろ? 冒険者登録した時に誰でも説明は受けるだろう」
「ああ、そうだな。だがそれはあくまでAランクまでの昇格条件でしか無いのさ。……実はSランクへの昇格条件は別にあるって話だ」
「!」
達磨男の言わんとすることを察した優男は目を丸くして口元を手で隠した。
「俺が聞いた話だとAランクで実績を積めばSランクモンスター討伐の参加資格が得られるらしい。Sランクモンスターって言えば軍隊がぶつかって戦う相手だ。一番危険な場所に回されるらしいが、そこに参加して戦い抜き、見事生還した者だけが昇格できるようになってるそうだ」
「Sランクモンスターと戦う……ああそうか、だから滅多にSランクに昇格する冒険者がいないのか。そもそもSランクモンスター自体が発見されないんだから」
「そういうことだ。前にあったのは二十年近く前だったはずだ。Sランク冒険者が生まれたのもその時が最後だった」
自分の記憶と照合しながら話の信憑性を確信しつつ、達磨男がこの話題を振った理由に思い至る。
「……つ、つまりあれか? “赤撃”がSランクに昇格するかもしれないって話か!?」
「ああ。竜なんてもんは間違いなくSランク……いや、Sランクどころじゃ収まらないだろう。それをたった五人で戦い抜き、生還に成功している。つまり昇格条件は満たしているのさ。それでギルドのお偉いさんたちがどうするか話し合ってるらしい」
「おいおい、この前Aランクに上がったばかりだってのに。もしそうなったら最短記録なんじゃないか?」
「だろうな。それに『魔女』とミーナは史上最年少になるだろう。全く、まだ成人したばかりなのにな」
二人が二人とも有名人であり、見た目通りの年齢であることも知られている。その二人が歴史的快挙を成し遂げようというのだから驚きも相当なものだろう。
達磨男と優男は身体を離して背もたれにもたれかかると、ジョッキのエールを一気に飲み干した。
「はー、身近に凄い奴らがいるもんだねえ。是非あやかりたいよ」
「そうだな。……と、噂をすればだな」
「ん?」
達磨男の視線の先には見知った姿がギルドの門を潜ったところだった。
しかしそのメンバー構成は普段と違っていたので達磨男と優男は首を傾げる。
視線の先には全身黒尽くめの長身の男、フードを目深に被った『氷雪の魔女』、紫髪のミーナ、女剣士。そして普段は滅多にいない少年がいた。
「珍しいな、あいつがいるのは。強制依頼には参加してなかったと思うんだが」
「……あいつが例の“赤撃”の最後のメンバーか? なんか平凡そうなヤツだな」
「ああ。あいつ自身はまだFランクで戦闘経験はほとんど無いそうだ」
「マジかよ。あ〜、いいよなあその程度でもあんなパーティーに抱えて貰えてさ。なんなら代わって欲し「おいっ!」うぷっ!」
突然達磨男が口を塞いできて優男が目を見開く。
抗議の視線を送るが返ってきたのは刺すような視線。達磨男は怒りと共に焦りを浮かべていた。
「それ以上は言うな。……いいか、良く聞けよ。あいつは特別だ。確かに冒険者としては駆け出しのペーペーだが、本質は別にある。戦争の折には自作した魔法薬を何十と持ち込んでギルド長の作戦を成功に導いた薬師なんだ。高ランクの冒険者たちは皆、なんとかして仲良くなろうと狙っている。もちろん俺だってそうだ。不興を買いたくない」
「何言ってんだ。まだ成人したばかりの子供だろう? なのに魔法薬を錬成できるなんて」
「できるからこそ特別なんだよ。……それにな、もう一つ重要な噂がある。あいつは今、鍛治師の修行中って話だがな、実はあのとんでもない杖の出どころはあの薬師なんじゃないかって噂されてるんだ。少なくとも俺は間違いなく関わってると見ている」
「なん……だと……!? じゃあ何か、“赤撃”の躍進はあの子供のおかげだってことか?」
「その可能性が高い。だからこそ嫌われるような真似だけはして欲しくない。俺だってあいつにあやかりたいんだ」
優男が無言で頷く。
達磨男は冷や汗を拭い、酒を煽ろうとジョッキを傾け……中身が空だったことに気付いて渋い顔を浮かべるのだった。