19.旅支度・その2
セダさんに連れられて来たのが、昨夜炎上していた街の一角だと気づくのに、そう時間はかからなかった。露店の立ち並ぶ大通りだ。
「ここ……」
昨夜の記憶がフラッシュバックする。逃げ惑う人々に、踏み荒らされた天幕に、散乱する硝子。昼下がりの陽光の下、石造りの建物は外壁が黒く焦げおり、昨夜の騒ぎが夢ではないと告げていた。道の脇には破壊の跡に残っていたのであろう木片が寄せられて山を成している。
だが、それだけだった。
「さぁ、ご覧あれ! 南のシャルナハから遥々取り寄せた香料だ! 一つどうだいお姉さん!」
「テュムルス名物、羊の香味焼きはいかがかね! うちの店のが一番美味いぞ!」
私の前には、色とりどりの天幕の下、賑やかな市場があった。商人たちの呼び込みの声は賑やかで、耳が痛いほど。
「これは……」
驚いて辺りを見回す。無論、私が昨日初めて訪れた時とまったく変わっていない、とは言わない。天幕の数は明らかに少ないし、商人や客の数だってそうだ。
それでも、そこで人々は市場を開いていた。昨夜盗賊の襲撃を受けていたまさにその場所で、だ。
「おや、神官様? 神官様じゃあないか!」
食べ物の屋台を開いている青年がセダさんを呼び止めた。連動して、近くの店から商人や客達までもがこちらへと顔を向ける。
「神官様!」
「昨夜は本当にありがとうございました!」
「こうして今日も無事生きてるのはあなたのおかげだ!」
瞬く間にセダさんは、口々に感謝を述べる人々に取り囲まれてしまった。私はというと、人だかりの外で呆然と立ち尽くしている。
最初に声をかけてきた屋台の青年に話しかける。
「あの、セダさんが何か」
「何だい嬢ちゃん、神官様の知り合いか? あの方はな、昨日の盗賊どものせいで怪我した俺たちを治療してくださったんだ」
青年は人好きのする笑みを浮かべた。
「俺も腹ぁ切られてもう駄目かって思ったが、こうしてぴんぴんしてらあ!」
「…………」
言葉を失う。
つまり、この人は、昨夜の襲撃──カガリと、彼女が焚きつけた盗賊、あるいは操る屍体によって傷つけられた人だ。
私のせいで、巻き込まれた人だ。
黙り込む私を見て青年が目を瞬かせた。
「どうした嬢ちゃん、顔色悪ィぞ。腹ぁ減ってんのか? ならうちの店のを」
「二つくれ。ついでにそっちの胡桃も」
「神官様! まいどあり!」
人だかりから何とか抜け出したセダさんだった。囲まれたからか、疲れたような顔をしていた。
「セダさん、約束通り私がお金を……」
「小娘から施しを受けてたまるか」
あれよあれよという間にセダさんがお会計を済ましてしまう。しかも、私の分まで払ってくれた。本当に頭が上がらない。お礼を言って受け取る。
パンだった。両手の親指と人差し指を繋げて作る円くらいの大きさで、指で弾いたらコンコンという音がしそうな程に固く焼いてある。蓋のような水平の切れ目があって、それを取ると中には茶色のどろりとした液体が入っており、ほかほかと白い湯気を立てていた。一見すると、パンを器としたビーフシチューのようだ。
セダさんを探すと屋台の横、露店の跡地らしき空き地に置いてあった木箱に腰掛け、上に乗っていた蓋で中の液体を掬い、それごと食べていた。私もそれに倣う。
「……美味しい……」
シチューの味を想像していたのだが、存外スパイシーな味付けだった。ベースはトマトだが酸味と辛味があって、煮込まれて柔らかくなった牛肉が入っている。胃の中が温まる。
ティアはというと、私の膝の上で器用に両手を使い胡桃を齧っている。屋台のお兄さんが言うには、本来は胡桃を割って、追加でスープに入れるのだそうだ。確かに、言われてみればトマトの他にナッツのような風味もある。どちらにせよ美味しい。
「美味いだろ?」
「はい。美味しい、です……すごく」
青年の顔を何故だか見ていられなくて、俯いたままパンを齧る。固かったパンはスープによってだんだん柔らかくなるらしい。最終的には、器としていたパンごと食べるものなのだそうだ。
「怪我は治したがまだ本調子じゃあないだろう。商売なんかしていて平気なのか」
「いやあ、休めるんなら休みたいですけど。それじゃ飯が食えないですからね」
他の客へとまたスープをよそいつつ、青年が答える。
「まあ、この辺り一帯めちゃくちゃだったんすけど……宰相様の兵士様たちが手伝ってくださって。お陰で何とか、こうして市を開けてます」
宰相。その言葉を聞いた瞬間に、ティアが身を固くした。
「うちんとこの領主さまは糞だから、お貴族様たちには期待してなかったんすけど。宰相様はどうやら違うようで。北部の領民が羨ましいですよ」
青年が笑う。彼にしてみれば、軽い世間話のつもりなのだろう。
「皇帝陛下じゃなくて、宰相様が一番偉くなってくれないかねえ……」
そして当然のこととして、私の膝の上の白い獣が、俯いていることに気づけるはずもなかった。
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何となく、昼食以降ティアとは気まずくなってしまった。というか、ティアが一方的に考えに耽っているといった方が正しい。
昼食の後は、予定通り旅支度をするためにいくつか店を回った。セダさんは消耗品の補充を、私は旅立ちに必要な一式を揃えるために。
必要なものは、旅人向けの中古品を扱う露店があったのでそこで揃える。セダさんは多くを語りはしなかったが、何が必要か、何を基準に選べばいいかなどは教えてくれた。
私が買ったのは、天幕に使う防水の皮布、ロープ、ナイフ、火打石、油が入った小瓶、傷薬、包帯、携帯食料などなど。本当はもっと必要なのだが、私が元の世界から持ち込んだもので代用できるのではないかと思ったので今回は見送った。
そして、忘れてはならないのが服だ。
「どうでしょう?」
着替え終えた私を見て、セダさんは目を僅かに見開いた。
トップスは生成りのシャツに、皮製のショートベストを重ねている。下はショートパンツ。靴は足首を覆う皮のブーツにするのが冒険者の鉄則らしい。
腰には深緑の腰布を巻いている。どうやらこの世界では女性が生足を出すのは好ましくないそうなので、巻き方を少し変えればロングスカートになるものを選んだ。邪魔な時は今のように腰のあたりに巻きつけておけばいいし、寒い時はマントのように羽織ることもできる。
それから、ラザに借りたのと似たようなフード。黒髪を隠すために、絶対必要なものだ。
試着スペースは布で四方を覆っているだけのエリアで、もちろん鏡なんていうものはない。自分では似合っているのかさえわからないので、セダさんとティアに聞くしかないのだが。
「何というか」
「………………普通?」
「ですよねー」
眉根を寄せたセダさんの言葉に頷くしかない。所詮は平凡女子高生、衣装チェンジしたところで劇的に変わるはずもなかった。
異世界転移とか異世界転生ものだと、猫も杓子も主人公に好意を寄せまくるハーレム状態というのが定石だと思うのだが、私にそれは適用されなかったらしい。
まあでもそれも仕方ないだろう、私がもしセダさんだったら、他の人間に現を抜かすよりも鏡を眺めることを選ぶと思う。本当に、三次元に成立していることが不思議なくらいの美貌なのだから。
とにかく、替えの服とともにお買い上げして宿屋への帰路につく。いつのまにか日は傾きかけていた。この世界で二度目の夜がもうじきやってくる。
昼食のときに聞いた話──「宰相」のことについては、とうとうティアに聞けずじまいだった。




