真実の行方・中編
(しまった)
「あ、いや…」
慌てた林太郎はエリスに向かって小刻みに首を振った。酷く狼狽した表情でかぶりを振っている林太郎から、エリスは大きく見開いた瞳を外さずに詰め寄った。
「もしかして、林太郎、まさか、あなた、前世を…覚えてる?」
((いかんぞ、林太郎!エリスに本当の事を言ってはならん!機転を利かせて、何とかこの場を取り繕うのだ!))
(いや、無理だよ。嘘はつけない)
頭の中で必死に制止しようとするおうがいを遮って、林太郎はエリスに頷いた。
「ああ、覚えているさ。全てではないけれど、十九世紀後半のベルリンで、君と出会って恋人同士になったことを覚えている。君を愛したことを覚えている。どれだけ君を愛おしく思っていたのかを、この気持ちが何ものにも勝るものはないというのを、あの時、君を幸せにすると誓ったのを全部、覚えている」
林太郎が必死で口にする言葉に、エリスは心を動かされた様子はない。ただ、遠い目をして、林太郎の顔にぼんやりと目を当てているだけである。
その瞳がガラス玉のように無機質に透き通っていくのを見て、林太郎は酷く焦った。どんな言葉を紡いだら、エリスは心を元に戻してくれるのだろう。
「君だってそうだろう?だから、俺と付き合おうと思った。この間、君のお母さんから話を聞いて、君と俺が、この時代で再び巡り合ったのは偶然じゃなかったって、確信したんだ」
エリスの瞳に意識が戻って来た。それと同時に肩が小刻みに震え出す。
「…ママが、林太郎に、私の秘密を…“エリス”の秘密を話したっていうの?」
「そうだ。君が前世の“エリス”の記憶に苦しんでいることを、お母さんから打ち明けられた。俺を信頼してくれているからだよ。そして君を俺に託そうとまでしてくれている。エリス、お母さんが君をどんなに心配しているか、分かるかい?どうか、お母さんの気持ちを…」
「神が存在するのなら」
エリスの大きな声が、喋り立てる林太郎を黙らせた。
「私に試練を与えたのよ。前世の過ちを現世で繰り返さないようにって。だから、あなたと出会った。私の中の弱い“エリス”を克服させる糧としてね。“エリス”を屈服させて、二度と私の心に入り込んでこないようにするためにね」
決意を固めた表情で自分を見返すエリスに、林太郎はゆっくりと首を振った。
「エリス、君の考えは間違っているよ。“エリス”を力づくで押さえ込むのに成功しても、彼女は君から消えるわけじゃない。君が心を痛めるような出来事があったら、今のように“エリス”が表に出てきてしまう。そうしたら、君は再び“エリス”に苦しむことになる」
林太郎は必死な思いで、エリスに笑いかけた。両手をエリスに差し伸べる。
「ねえ、エリス。お母さんから聞いたよ。君が俺といると精神が安定していたって。もし本当なら、俺はずっと君の側にいたい。そして、君の苦しみを取り除きたい」
エリスは林太郎の手から距離を置くように後退りした。
「いいえ、林太郎、私は、あなたの元から永遠に去るつもりよ。私とあなたは別れる為に出会ったの。そうすれば“エリス”はあなたとの二度目の別離に絶望して、私の心の底で永遠の眠りにつくわ。あなたに頼る必要なんてない」
エリスの信じられない言葉に林太郎は胸を引き裂かれる思いで叫んだ。
「違う!俺は、君と別れる為に出会ったんじゃない!」
「違わないわよ。だって、今、私がそう決めたんだから」
「エリス!!」
エリスは顔を素早く横に曲げた。これ以上話したくないという意思表示だ。林太郎を見ようともせずに、自分の鞄を手に持って教室を出て行こうとする。
林太郎はエリスの後を追い縋り、鞄を持つ方の細い腕を強く握りしめた。そのあまりの握力の強さにエリスが顔を歪ませて、鞄を床に落とした。
「痛い。離してよっ」
「嫌だ!離さない!離さないぞ、俺は」
「離して!」
林太郎は絶望から激高していく己を抑えられなかった。
エリスの華奢な二の腕を両手で掴み、その顔を自分の方に向き合わせた。
自分と目を合わせるエリスの冷ややかな瞳に、林太郎は我を忘れた。
そのままエリスの体を乱暴に自分に引き寄せた。驚いたエリスが抵抗する前に、背中に右腕を回して両腕と体の動きを封じ込める。林太郎は自分の胸にエリスの体を押さえつけ、左手で後頭部を鷲掴みにした。
エリスの顔に己の顔を近づけて、無理やり唇を奪う。眉を顰め、目をぎゅっと瞑ったエリスの苦しそうな表情を自分の怒りを宿した瞳に収めながら、林太郎はきつく唇を重ねた。
林太郎の噛み付くような乱暴なキスから逃れようと、エリスがもがき出す。
林太郎を拒むエリスの動きに怒りが増大し、その引き結んだ唇を割り舌先を差し込んでこじ開けようと、林太郎は力を込めた。もみ合っているうちにエリスの体から力が抜け、食いしばっていた歯列が力尽きたように薄く開いた。
突き進もうとした瞬間、舌の先に激痛が走った。林太郎は反射的にエリスから唇を離した。
パンッと音がして、林太郎の頬が鳴った。
我に返った林太郎は、エリスが涙で頬を濡らしているのに気が付いた。
「あ」
林太郎を両手で思い切り突き飛ばしてエリスが離れた。自分のじんじんと痛む頬に手をやりながら、林太郎は呆然と立ち竦んだ。
「ごめん、エリス…。こんなことするつもりじゃなかった…のに」
「あなたは、私の体も心も、自由に出来ると思っているのね。あの時と一緒だわ」
「あの時って…」
多分、ベルリン時代の話だ。でも、何があったのか、林太郎は知らない。エリスは林太郎の表情を見て、全てを理解した様だった。
「林太郎、あなたはベルリン時代の森林太郎とエリス・ワイゲルトが破局した本当の理由を覚えていないようだから、教えてあげる。小説の結末も相当酷いけど、真実はそれ以上よ」
エリスはこれ以上ないくらいに冷たい微笑みを口元に浮かべた。
「あなたの子を身籠っていたエリスは、あなたに別れを告げられて気が動転したの。家から表へと飛び出して、走って来た馬車に轢かれて死んだのよ。たった十七歳の命だったわ」
「…そんな」
林太郎はだらりと両手を下げたまま、エリスを見ていた。半開きになった口元からは声のひとかけらも出てこなかった。
「ねえ、林太郎。あなたが口にする愛って、一体、何なのかしらね」
エリスは床に落ちている鞄を拾うと、走るように教室を飛び出していった。
誰もいなくなった教室で、林太郎はがくりと両膝を付いて床に目を落とした。
そのままの状態で、どれだけ時間が経ったのか知らないが、健吉が教室に入って来たのは分かった。
「お待たせ、林太郎君。さっき廊下でエリスちゃんとすれ違ったけど、すごく怖い顔して走ってたよ。呼び止めても全然気が付いた様子ないんだもの。何かあったのかな?…って、林太郎君どうしたの?!」
血相を変えて自分に近寄ってくる健吉を、林太郎は膝を床についたままの姿で見上げた。
自分の目から涙が無数に落ちて小さな輪染みを作る床から顔を持ち上げて、林太郎は健吉に目を移した。その顔は涙で霞んでぼやけていた。
「どうしちゃったの林太郎君!エリスちゃんと喧嘩したの?!」
慌てふためく健吉に向かって、林太郎は自虐的な笑み浮かべた。涙腺が壊れてしまったみたいで涙が止まらない。
「健吉、俺…ダメな奴なんだよ」
林太郎はしゃくりあげながら健吉に言った。
「幼稚園の時から。いや、もっと昔から、何も変わっていない。本当に、ダメな人間なんだ」
五十七部でフ〇ッシーを懐かしいと書きましたが、日本テレビで、今まさにテレビ出演してますね!
暫く見ていなかったような気がしたんですが…失礼しました<(_ _)>




