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真実の行方・前編


 弁当箱を取りに教室に戻ると、エリスが一人で自分の机に広げた模造紙にレポートを書いていた。


「あれ?みんなは?」


 林太郎は教室を見渡したが、誰もいない。


「模造紙に書くのは殆んど終わったから、みんなには帰ってもらったの。今書いているのもも、あと少しだから」


「俺も手伝うよ」


 そう言ってマジックペンを手に持ってエリスの側に寄った林太郎はレポートに驚いた。今、初めて見るものだったからだ。


「これは?」


「ユニセフの活動よ。誰にも知らせないで、勝手に一枚追加したの。だから、私がこの模造紙に、全部、自分で書くの」


 エリスは文字を書く手を休めずに、うっすらと微笑んだ。


「文化祭が終わったら、私、アメリカに帰るの。だから、日本の高校生活のいい思い出にする為に、このレポートは一人で完成させるのよ」



「アメリカに、帰るって…」


 林太郎は手に持ったマジックペンを床に落とした。

 その、カランという乾いた音にもエリスは顔を上げないで、黙々と手を動かしている。


「私ね、この間アメリカの家に急用があるからって、学校休んだでしょ?あれは、ママと離婚しないでって、父を説得しに行ったから。父と話して分かったことは、父の心には、ママはもう、いなかったってこと。別の若い女で一杯だってこと」


 エリスはふっと鼻を小さく鳴らして、目を眇めて笑った。


「だから、今度は、父の愛人だっていう女と掛け合ったの。パパを私とママに返してって。あなたと結婚したいっていうのは、パパの一時的な気の迷いだからって。そうしたら、その女、何て言ったと思う?」


 字を書く手を止めて、エリスはマジックペンに蓋をした。模造紙をくるくると撒いて筒状にする。その様子を林太郎は声も出せずにただ眺めるばかりだった。


「そう思うなら、あなたが私から父親を奪い返せばいいって。あなたのお父さんが、誰に優先的に愛情を注ぐのかなんて、一つも気にしてないって。彼女は、自分の研究に資金を出してくれる人が欲しかっただけで、その筆頭出資者だった父に求婚されたのは想定外だったみたい。だけどこれで、研究資金に頭を悩ませることはなくなるから良かったって、言ってたわ」


「そんな…」


 絶句する林太郎にエリスは喋り続けた。その声には感情はない。


「父の中では、母は古臭い女になってしまったのよ。ただ、束縛するだけの女。父はね、最先端の技術を作り出す頭脳の持ち主、国の未来を担う飛び抜けた頭脳を持つ女との可能性に自分の人生をシフトさせたってわけ。さすが、投資で巨万の富を築き上げた男よね。必要なくなったと思えば、長年連れ添った妻だって簡単にロスカットす(切り捨て)るの」


 喋り終えるとエリスは肩を竦めた。口にはまだ笑みが張り付いているが、その目は虚ろだ。


「君の両親のことは理解したよ。だけど…エリスがアメリカに帰るっていうのとは、話が全然繋がらないじゃないか!どうして!」


 林太郎の悲痛な声にもエリスは動じなかった。模造紙があった机の上に視線を落としたままだ。感情のない瞳に林太郎は慄然(りつぜん)とした。


「私は、ユニセフで働きたいの。それにはアメリカの大学に行くのが一番手っ取り早いから」


 それは、前にも聞いた。決意を露わにした表情で、強い言葉で、しっかりと前を見据えて。林太郎が心を奪われた瞬間だった。


 なのに、今は…。


「日本の大学からだって、ユニセフに入れるよ?何も、お母さんを裏切ったお父さんのいるアメリカに帰らなくったっていいじゃないか。それに、君がアメリカに戻ったら、お母さんが可哀そうだよ。離婚で一番傷付いているのはお母さんだろ?そのお母さんを、君は一人にするのか?」 


 エリスは椅子から立ち上がると帰り支度を始めた。林太郎の顔を一度も見ない。


「エリス」


 林太郎はエリスの名を呼んだ。エリスは無言のまま鞄を机の上に乗せた。鞄を開けて机の中の教科書を詰め込む。


「エリス!何か言ってくれ!」


 林太郎は鞄の蓋を閉めようとするエリスの手を掴んだ。林太郎の手に掴まれた自分の手を、エリスは曇った青い瞳でじっと見つめ、それからゆっくりと口を開いた。


「私、逃げたくないの」


「逃げるって、何から」


「私に中にある、弱さからよ」 


 息が震え、胸が震えた。


 エリスの弱さ。それは、前世のエリスだ。両親の離婚のショックで、心の中に再び姿を現した“エリス”を克服しようと彼女は今、必死なのだ。日本の生活と新しく出来た友達、母親、それから、林太郎と遠く離れることになっても。


「エリス、君は両親の離婚で心を痛めている。そんな状態で自分の弱さを克服しようとしたって、君の心が疲れちゃうだけだよ。大体、誰の中にも弱さはある。人間なんだからさ。それは君の一部なんだ。頑なに否定する必要はないだろ?」


「そんなの、(てい)のいい自己防衛の言葉だわ」


 エリスは暗い目のままで呟いた。


「弱さを肯定して、受け入れて、それで、その先はどうなるの?弱くなった心に強さが戻らなかったら、それで自分を守れなくなったら、他の誰かが助けてくれるとでもいうの。守ってくれるっていうの?」


「俺が助ける」


 林太郎は、エリスの手を握りしめたまま静かに言った。


「俺が君を守る」


 エリスは目を見開いて林太郎を見た。見る見るうちに大きな瞳が涙で潤んだと思うと一粒が零れて頬を伝い、震える唇に吸い込まれた。


 エリスの体からがくりと力が抜けて、その場に崩れ落ちそうになる。エリスを支えようとして、林太郎は開いた片手を咄嗟にエリスの背中に回した。


「ふざけないで!」


 エリスは林太郎の手を乱暴に振り払った。


「その弱さは私じゃない!私は弱さなんか必要としないの!あなたは、私のことなんか、何も…何も、知らないくせに!だからそんな言葉を気安く口にできるのよ!!」


 エリスに乱暴に手を振り払われて、林太郎はかっとなった。


「エリス!俺は、君の事なら何だって知っているんだ!何も知らないのは君の方だ!俺がどれだけ君を大切に思っているのか。今度こそ君を幸せにすると誓って…」


((林太郎!!))


 おうがいの声にはっとして、林太郎は口を閉じた。

 息を飲み、エリスを見る。エリスは真っ青な顔で林太郎の顔を見上げていた。


「今度こそ、ですって?」


 エリスの血の気の失せた唇が戦慄(わなな)いた。 




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