怒れる音楽教師、林太郎を褒める
二学期が始まった。岨野山田では九月の始めに全学年で学力テストが施行される。
学力テストとは言ってもそれほど大々的なものではなく、夏休みで弛緩し切った生徒達の頭を引き締める為のものである。英語と数学の二科目なのですぐに終わり、その後普通の授業に戻る。
五時間目の選択科目でちょっとしたアクシデントが起きた。
林太郎の協力を得た健吉は、無事、夏休みの課題である作曲を提出できた。それで一件落着と思ったら、事態は思わぬ展開を見せたのだ。
音楽教師の辰巳慎吾が、作曲した生徒本人をピアノの前に立たせながら、彼らの曲
を生徒全員の前でピアノで再現するという晒し(公開処刑とも言う)に等しい行為を行ったからである。
五線紙に書かれた音符は、楽しい夏休みに無理難題を押し付けられた生徒達の怒りと絶望で彩られていた。
そう書くと、ちょっと文学的に聞こえるが、何のことはない、ほぼ全てが音楽とは程遠い音符の羅列であるか、「ぞうさん」や「ちょうちょ」などの童謡の完コピであった。
あまりにいい加減な作曲に、こめかみに青筋を立てて鍵盤を激しく叩き出した辰巳に、生徒達は恐怖した。
最後に残ったのが健吉と林太郎の曲であった。
険しい表情で五線紙を眺めていた辰巳が急に“あれ?”と少し驚いた表情になった。鍵盤に落とす指が滑らかに動く。曲の体裁を成している音がピアノから流れた。
「ふむ」
辰巳が何度も頷いて林太郎と健吉の五線紙に目をやっている。
そのうちチャイムが鳴り始め、辰巳は生徒達の作曲した紙を一纏めにして授業の終了を告げた。
緊張で心身共に疲れ果て、ぐったりとした生徒達が音楽室から出て行く中、辰巳が林太郎と健吉を呼び止めて「森君と相沢君、ちょっとこちらに来なさい」と、音楽室の隣にある教員室を指差した。
呼ばれた理由が分かっている林太郎と健吉は、びくびくしながら辰巳の後から教員室に入った。
辰巳は二枚の五線紙を机の上に並べると、林太郎と健吉の顔を交互に見た。
「これ、君達のどちらか一人が作った曲でしょう?どっちが作曲したの?」
「あ、はい。俺です」
林太郎は小さく手を上げた。
「頼まれもしないのに、相沢君の曲は俺が勝手に作曲しました。怒るんなら俺だけ怒って下さい」
そう言って頭を下げる林太郎に、「いや、別に怒ってないから」と辰巳は手を振った。
「そうか。森君が作ったのか。なかなか良く出来てるよ。君はこれまでに作曲したことあるのかな?何か楽器を習っていたの?曲を作る時の音源はピアノかな。それでコードを取ってこのメロディを作ったのかい?」
矢継ぎ早に聞いてくる辰巳に気後れしながらも、林太郎は「楽器を習ったことはないし作曲も今回が初めてです。友達から借りたギターでコードを取って、それで」と頭を掻いた。実はスマホの無料の作曲アプリも使ったのだが、それを言うと辰巳が機嫌を悪くしそうなのでやめておいた。
「なるほどね。森君、君、才能あるかもね」
林太郎の書いた楽譜に目を落としながら辰巳は言った。
「あ、次の授業始まっちゃうね。ごめんね呼び止めて。早く教室に戻りなさい」
追い立てられるように音楽教員室から出された林太郎と健吉は、廊下を小走りして教室に戻った。
「すごいね、林太郎君。辰巳先生に才能あるって言われたよ」
「才能あるの次に“かも”が付いてたから、どうだかな。それにあの先生の言う事だから、真に受けない方がよさそうだ」
嬉しそうな健吉にそう言いながらも、林太郎は満更でもない顔をした。
帰りの学級活動を終えると、エリスはすぐに席から立って帰り支度を始めた。その慌ただしい様子に、何事かと後ろを向いた林太郎にエリスは小さく微笑んだ。
「今日はちょっと急用があるの。先に帰るね」
ぎこちない笑顔を自分に向けてから、そそくさと教室を出て行くエリスの後ろ姿が気になって、いつまでも教室の開いた扉を見ている林太郎である。
「林太郎君、早くロック同好会に行こうよ。希輔君達が待ってるよ」
後ろ髪を引かれる思いを教室に残して、バックパックを背負った林太郎は健吉と一緒に旧校舎に足を向けた。
「お前、いつもロック(メタル)同好会の教室にいるけど、詩吟同好会の方に顔出さなくても大丈夫なのか?」
「林太郎君の腹筋と頸筋を引き締める面倒を見るのを希輔君に頼まれているしなあ。それに、僕がいなくても、アイドル同好会はつつがなく活動が行われているから、大丈夫」
「だったら、いいけど」
あと一か月もすれば岨野山田高校の学園祭である。今回、希輔が熱心に生徒会を口説き落とした結果、
文化祭のフィナーレを飾るべく、体育館でのロック同好会の演奏が許可された。
去年は頑として聞き入れなかった生徒会の変貌には、会長の上倉かおりが関係している。林太郎がロック同好会のボーカルを務める旨を希輔から聞いた彼女は、先生方を説得(男性教諭の場合は悩殺)して回ったのだ。
「デウカリオン」の超ハードな演奏が学校で聞けるとあって、ロック好きの男子生徒が喜んでいる隣で、林太郎ファンの女子生徒もはしゃいでいた。
美形ボーカルの林太郎のバック演奏として希輔達がギターを弾くという、アイドルのコンサート的な場景を女子が夢想しているのを知っている男子生徒は、表立って「デウカリオン」を話題にしなかった。
夢を壊さないようにとの気遣いもあるが、本当の事を言ってしまったら、真実を受け入れられない女子達から袋叩きにされる可能性が高いと判断したからである。
プロとしての演奏テクニックを持つ希輔達の音に負けないような声を出すのは容易ではない。林太郎は夏休みの期間中、希輔の作ったメニューを熟すべく、一生懸命、家(大抵は風呂場)で発声練習をしていた。
「森、お前、随分と迫力のあるデスボイスが出るようになったな。高音域もなかなかいいぞ」
「へへ、そう?」
希輔以下、デウカリオンのメンバーに褒められて少しばかり得意げな林太郎だ。
「次は“振り”も身につけないとな。マイクの前にただ突っ立って歌う訳にはいかないからな」
「ああ、分かった。YouTubeで見たぞ。ボーカルがカッコ良く体を動かしながら歌っているやつだな」
林太郎はワクワクしながら希輔を見た。
「確かに基本、リズムに乗って体を揺するのは変わらんが、メタルには一番大事な“振り”がある。今からそれを教えよう」
希輔はエレキギターを弾きながら林太郎の前で首を上下に激しく振り動かした。




