嬉し恥ずかし海水浴1
待ちに待った夏休みである。
健吉と一緒に指折り数えていた林太郎であったが、未だにエリスとデートの約束を取り付けていないことに、頭を抱えて悩んでいた。
エリスは女子サッカー部に入部した直後からその実力を買われ、選手としてエントリーされていた。夏の地区大会の予選があるとかで、放課後になると真紀と一緒に総合運動場へと直行しまうのである。
放課後の自由時間がないのは林太郎も一緒である。
希輔との約束を果たすべく、旧校舎にあるロック同好会の三人が集まる教室で、彼らのバンド「デウカリオン」のボーカルとなるべく、ぐぇぐぇ、ひーひーを繰り返していたからだ。
「は~い。林太郎くーん。おなか引き締めて~」
林太郎の腹筋運動に駆り出されることになった健吉が、間の伸びた声で合図した。
エレキギターとドラムの激しい演奏の脇で、壁に張り付いた林太郎の腹にパンチするように拳を当てた健吉の姿というのは、なかなかシュールである。
時折、希輔がエレキを弾きながら林太郎の姿に鋭い視線を走らせる。勿論、林太郎がさぼっていないか確認する為だ。
林太郎を睨み付けながらエレキを弾いていた希輔が、チッと舌を鳴らして演奏をストップさせた。机の上にエレキを置くと、大股で林太郎と健吉に近付いていく。
「相沢!そんな猫パンチのような弱い拳の当て方じゃ、森の腹筋運動にならんだろうがっ」
そう言って希輔は自分の硬く握った手を林太郎の腹に強く当てた。途端に林太郎の喉の奥から「ぐええ」の声が迸った。練習の成果が表れ始めたようで、その声はデスメタル調になっている。
「いいか、相沢。このくらいの強さで森の腹を押すんだぞ」
希輔の容赦ない力の入れように林太郎が苦悶の表情を浮かべた。その様子に健吉は顔を青くするばかりである。
「で、でも、そんなに強くお腹を押したら、林太郎君の胃が潰れちゃわないかなあ」
「返すと言った金を返さずにバックレる奴の胃が、そんなやわに出来ていると思うか?」
健吉の過保護さ加減に苛立った希輔が林太郎の胃を思い切りぐりぐりやるというのが、ロック同好会の最近の日常風景である。
そんなこんなで、林太郎も結構忙しい放課後だった。
気が付けば、デートのデの字もエリスに言えないまま夏休みに突入したどころか、電話番号もメールアドレスも教えて貰ってないという大失態を犯している。
(これはもう、健吉に応援を仰ぐしかないな)
思ったらすぐ行動に移すのが一番の得策である。
林太郎は電話を掛けて健吉が家にいるのを確かめると、彼の家へとすっ飛んで行った。
「…という訳で、エリスと付き合えることになったんだけど、まだデートの約束すら取り付けていないんだ。ねえ、健吉、俺はどうしたらいい?」
エリスに告白した経緯を健吉に(格好悪い場面は全て除いて)手短に説明した林太郎だ。
「そうなんだ。良かったね、林太郎君」と、かなり冷静な態度で自分に接する健吉に拍子抜けしながらも、「ありがとう」と顔を赤らめる林太郎であった。
健吉がどうしてこんなに冷静かというと、エリスが現れてから林太郎の様子が激変したのを目の当たりにしているからである。
(だって林太郎君ったら、エリスちゃんをぼうっと見つめていたと思うと急にそわそわしたり、深い溜息をついたり、今のように顔を赤らめていたりしているんだもの。あれだけ“エリスちゃんが好き”をダダ洩れさせていたら、万年君以外すぐにわかるよ。当のエリスちゃんだって気が付いてたと思うよ)
それに、期末テストの成績結果を見に行ったクラス全員が教室の入り口まで戻って来ているのにも気が付かないで、大声でエリスに告っていた林太郎である。
あと少しで授業が始まるのに気まずさから教室に入れないでいるクラスメイトの代表として、真紀が「相沢、お前、何とかしろ!」と背中を強く押された健吉であったのを、能天気な林太郎は今も知らない。
「協力は惜しまないけど、林太郎君はエリスちゃんと、どんな場所でデートしたいの?」
「海!!」
健吉の問いに林太郎は大きな声で、勢いよく、それはもうしっかりと断言した。
「えっ、海に行きたいの!」
戸惑いの声を上げる健吉に林太郎は憮然とした。
「だって、来年は受験で夏休みは遊んでいられないだろう?それに夏と言えば海じゃないか。まあ、山っていうのもあるけど、蜂とか毛虫が出るから行きたくないし」
蜂や毛虫がまるでお化けと言わんばかりに、林太郎は顔を恐怖に歪めた。
「初めてデートするんだから、無難に映画鑑賞とかにしておいたら?」
健吉の至極真っ当な意見に林太郎は幼児のような口調で駄々をこね出した。
「やだっ!海がいい!エリスと海に行きたいよぅ。クラゲが大量発生する前に海で泳ぎたいんだよう!」
口だけでは足りないというように、林太郎は両手を握りしめると太鼓を叩くように腕を動かし始めた。こうなると床に寝転がって足までじたばたさせるのは時間の問題だ。長年の経験から、こうと決めた林太郎が自分の意思を曲げないのを健吉は嫌というほど知っている。
健吉は諦め顔で林太郎の我が儘を承諾した。
「分かったから、エリスちゃんとのデートのセッティングは全部僕に任せてくれる?」
「えっ、いいの?ありがとう!健吉君」
林太郎は床から飛び起きて、健吉の手を取ってぶんぶんと振り回した。
((林太郎、お前が何事も人任せにする奴だとは知っていたが、まさか自分の初デートまで健吉にセッティングさせるとは…))
呆れ果てたおうがいの非難めいた言葉など知らんぷりで、林太郎は意気揚々と家に戻ったのであった。
そして、海、である。
林太郎はフグの腹のように頬を膨らませて、パラソルの下でちょこんと体育座りをしていた。
大きなシートの上には数人分の荷物がうず高く積み重なっている。荷物は中央に置かれていて、林太郎はシートの片隅に一人で座っていた。
何故一人でぽつんと座っているかというと、じゃんけんに負けて荷物番をしているからである。
「くそっ。エリスと初・海デートの筈なのに、何でこんなことになっているんだ」
己の初デートを健吉に丸投げした結果、エリスと約束した駅の集合場所に坂本、原田、岩崎、それから真紀とくららが現れた。
目を剥いて言葉を失う林太郎に、「エリスはちょっと遅れてくるってさ」と真紀が無慈悲な宣告をした。
林太郎はキオスクに買い物に行くと皆に告げてから、岩崎の後ろに隠れている健吉を引っ張り出して連れて行った。
「健吉ぃ!一体、これはどういうことだ!」
クラスメイトから見えない場所まで来た途端、首を締め上げんばかりの勢いで食ってかかる林太郎に健吉は必死で弁解した。
「林太郎君はどうしてもエリスちゃんと海に行きたかったんでしょ?それで僕、エリスちゃんに相談したんだよ。そうしたら、エリスちゃん、海に行くなら大勢で行きたいっていうからさ。今日予定入る人をメールで募ったらこうなったの」
「くうううぅっ!」
健吉の話に涙を流して唸る林太郎である。
諸君、考えてみたまえ。初デートにどこの阿呆が彼女と二人っきりで海とかプールに行こうと誘うだろう。好きな彼女の水着姿が見たいのは分からないでもないが、それでは男の欲望丸出しで、女子の気持ちが潮の如く引いていくのは当然の事である。
「おい、森!どうだ、この水着、カッコイイだろう」
呼ばれて林太郎が虚ろな目を上げると、真紀が腰に手を当てて仁王立ちしていた。
腹が見えるセパレートになった白地の胸元には金色の雷の模様が散らばり、その中央に歯を剥き出した虎の顔がやはり金色の糸で大きく刺繍されている。下は二分丈くらいのぴちぴちのパンツだ。
「生田よ、お前が着ているのは本当に水着なのか?俺には女子プロレスのユニフォームにしか見えないんだが」
「クラスの奴らと海に行くって言ったら、兄貴達が買ってくれたんだ。サンダータイガーっていうブランド品の水着なんだぜ。結構高かったんだからな」
「…知らねえよ、そんなブランド」
林太郎は思いっきり鼻に皺を寄せた。
「筋肉自慢のお前のことだ。どうせ水着は二の次で、本当はその腹筋を見せつけたかっただけだろう?」
「あ、やっぱり、バレちまったか」
割れた腹筋を嬉しそうに突き出して見せる真紀から、林太郎は力なく目を逸らした。
「何だよ、随分と元気ねえじゃないか。エリスならそのうち来るって。それまでくららの水着姿でも鑑賞してたらどうだ?あいつのビキニ姿見てみろよ。ちょっとスゲェぞ」
真紀が指を差す方向に林太郎は目を向けた。
いつもの大人しめは何処へやら、くららは布の面積が少ないショッキングピンクのビキニを着けて波打ち際を爪先立ちで歩いていた。ボリュームのある胸がぽよんぽよんと揺れている。その様子をクラスの男子が顔を赤らめてちらちらと盗み見していた。
「腐女子のむちむちボディ見たってなあ…」
遠い目をしながらも、くららのむっちりボディをしっかり眺める林太郎である。
「それじゃあ、俺ら適当に遊んでいるから、荷物よろしく頼むぜ」
そう言い残すと、真紀はビーチボールを抱えて健吉や原田の方へ行ってしまった。




