岨野山田高校の有名人Ⅰ
「うわっ!何だ、この音?!」
今まで聞いたことのない爆音に、林太郎は思わず耳を塞いだ。エレキギターとドラムの超の付く速音が、まるで鼓膜を刻むようだ。
「また始まった」
苦々しげに顔を顰めて、三人の生徒がお喋りを止めた。
「隣のロックバンド同好会の奴らが練習始めたんだ」
「ロック同好会?これ、音楽なの?」
驚く林太郎を無視して、アイドル同好会会長の三年生が健吉に命令した。
「相沢君、隣の部屋に行って、音を小さくするように頼んできてくれないかな」
「俺が注意してきますよ」
会長の横柄な態度に腹を立てた林太郎は椅子から立ち上がった。
「待って、林太郎君。僕も一緒に行くよ」
健吉も急いで席から立ち上がる。林太郎が引き戸を開けると、高速でドラムを叩く音が教室になだれ込んで来た。
「耳がおかしくなっちゃうから早く締めてぇっ!」
会長のなよっとした甲高い声に促されるまでもなく、林太郎は詩吟同好会の引き戸をばちんと音を立てて閉めると、健吉と隣の教室の前に立った。
「おい、うるさいから音を下げてくれ」
引き戸を思い切り叩きながら叫んだが、案の定、反応はない。
「いつもこうなのか?こんな音出して、よく先生に怒られないな」
林太郎は喉が裂けんばかりの大声を張り上げて健吉に尋ねた。
「ここ、旧校舎の端っこだからね。職員室からもかなり距離があるでしょ。どんなに大きな音出したって 誰も文句言わないよ。近くで活動しているのはうちの詩吟同好会だけだし、うち以外からクレームないから平気なんだよ」
耳の穴に指を差し込んでいる健吉が林太郎に怒鳴り返した。
(なるほどな。覚えめでたくない同好会は旧校舎の端に押しやられているってことか)
「それが本当なら、詩吟同好会における真の活動が、先生方にはとっくにばれているってことじゃないのか?」
「え?林太郎君、何か言った?音が大きくて聞こえないよ」
「いや、何でもない」
林太郎は目の前の引き戸を力任せに全開した。
途端に、そこら中に鳴り響いていた爆音が止まった。
教室の中にいる三人の男子生徒が、ぽかんとした表情で林太郎を見た。
二人の男子生徒がエレキギターの弦からピックを離し、後ろのドラムを叩いている生徒もスティックを止めた。
「おい、うるさいぞ。隣でも同好会が活動しているんだ。少しは人の迷惑も考えろ」
教室の入り口に立った林太郎が語気を強めて注意する。
「活動だと?ふん、地下アイドル情報を喋り倒しているだけの同好会の為に、何故、俺達が演奏練習を自粛せねばならんのだ?」
エレキギターをスリングで肩から横掛けした中央の男子生徒が不機嫌そうに言い放った。
身長は林太郎と同じくらい。全体的に華奢な作りだが、その目は見る者を圧倒する威圧感のある光を放っている。
「ごめんね、希輔君。君達の練習を邪魔するつもりはないんだけれど、もう少し音を小さくしてくれないかな。先輩達の会話に支障を来さないくらいでいいからさ」
希輔と呼んだ男子生徒に健吉が両手を合わせた。
「分かった。三年の奴らはともかく、相沢、お前に迷惑はかけたくはないからな。アンプの音量を下げるとしよう」
「え、健吉、こいつと知り合いなの?口の利き方からすると同級生っぽいけど。で、誰?」
林太郎が目を丸くする横で、健吉も驚いた顔で林太郎を見上げた。
「ええっ。林太郎君!忘れちゃったの?野木希輔君だよ。中学は違うけど、塾で一緒だったじゃないか」
「こんな奴いたか?」
思い切り首を傾げる林太郎に、希輔はむっとした表情で口を開いた。
「そうだろうな。森林太郎、俺は相沢と同じクラスで高校受験まで一緒だったけど、お前は夏期講習で塾をやめちまったから、俺のことは覚えていないんだろう」
確かにこいつの言う通りだ。林太郎はSクラスで健吉はCクラスだった。クラスが別になった健吉とも塾の行き帰りにしか顔を合わせないし、それも夏期講習期間だけだから、他校の中学生など覚えている筈もない。
「だがな、森。俺はお前をよぉぉく覚えているぞ」
希輔は鋭い目で林太郎を凝視しながら、ドスの効いた声で喋り出した。
「塾の帰りにお前と相沢と俺の三人でコンビニに立ち寄ったことがある。森林太郎、お前はそこで、たけのこの形をしたチョコレート菓子とコンソメ味のポテチとお茶のペットボトル、それから夜食に食うカップ麺を二個、消費税込みで合計七百八十六円の買い物をした。持ち合わせがないと言うから、俺が一緒に会計を済ませた。お前は明日金を返すと言ったっきり、塾に姿を現さなくなった」
「…そんなこと、あったっけ?」
「林太郎君。希輔君に借りたお金を踏み倒していたの?ダメでしょう、そんなことしちゃ!」
健吉が怖い顔で林太郎を叱った。
「いやあ、どう、だったかな…。全く覚えていないんだけど」
借りた金はなるべくなら返したくないのが林太郎のモットーである。それに加えて、学業における記憶力はずば抜けているが、己の都合の悪い事はすぐに忘れるという超自己中心的思考に特化した頭脳の持ち主なのである。
「相沢、そんなにいきり立つな。もう二年近くも前の話だ。踏み倒された額も千円以下だ。今更、七百八十六円耳を揃えて返せと騒ぎ立てるほど、俺は小さな男ではない。中学時には少々痛い出費であったが、今では森に奢ってやったという事で、俺の中では既に決着がついている」
(決着ついてるって言うなら、そんなに睨まないでくれないかなぁ。それに二年も経っているのに、俺の買った品物とその金額の端数までしっかり覚えているんだから、未だに根に持っているよな。何て小さな男だ)
さすが林太郎。借りた金を返さずにとんずらした自分の非はしっかりと棚に上げて、人の揚げ足を取るのには長けている。万年のように思った事をすぐ口に出すとトラブルになるのも重々承知しているから、心の呟きに留めておくのが小賢しい。
「よく覚えていないんだけど、もしそれが本当ならば、奢ってくれたことにしてくれてどうもありがとう」
健吉の手前、林太郎は乃木に全く心の籠っていないお礼を言って、形ばかりのお辞儀をしてから、はてと考えた。
野木希輔。どこかで聞いたことのある名前だ。
((おお!彼は、乃木希典陸軍大将ではないか!))
林太郎の頭の中でむくりと起き上がったおうがいが感慨深げに叫んだ。
(乃木希典?ああ、分かったぞ。明治天皇が崩御した時に夫婦一緒に殉死したので有名な軍人だよな。こいつ、その陸軍大将とやらの生まれ変わりだっていうのか?!)
((そうだ。乃木大将は明治の軍人としての重責を、自刃するまでその身に背負った立派な御仁であった。明治魂を持つ男として、それは国民に人気があったのだ))
(ふうーん)
明治時代、どれだけ立派な陸軍大将であったとしても、今は林太郎と同じただの高校生だ。
エレキギターなどを肩からぶら下げている所を見ると、野木希輔も転生前の記憶は全くないのだろう。
((エリスに相沢謙吉、上田万年の次は乃木大将とはな。林太郎、お前には明治からの転生者を引き寄せる特殊な能力があるのかも知れんな))
(いらんわ!そんな何の得にもならん能力!エリスと健吉は別として、明治時代の転生者同士で仲良くなるつもりなど毛頭ないっ)
「じゃあ、音量下げるの、よろしく頼む」
早く家に帰りたい林太郎は仏頂面で言うと、教室を出て行こうと引き戸に手を掛けた。
「ふん、鼻血王子が。俺達に偉そうに命令すんなよ」
ドラムの男子生徒がにやにや笑いながら右手のスティックを振り回した。
林太郎が引き戸からゆっくりと手を下ろす様子を見て、健吉が青くなった。




