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おうがい、思い出を語る(暴走編)


 「ああ、(くわ)しくここに写さんも要なけれど、余が彼を愛づる心の俄かに強くなりて、遂に離れがたき中となりしはこの折なりき」


 鴻池の朗読はまだ続いている。

 彼女がどこまで読み進めたのか、最初から聞いていない林太郎には全く分からない。

 だが、鴻池が口にした一小節をおうがいが感情を込めて(そら)んじたのと同時に、林太郎のこめかみに浮かんだ冷たい汗が一筋、頬を伝って滴り落ちた。




((余は、母の直筆の手紙とその訃報を両手に握り締めて肩を震わせた。両目から溢れこぼれる涙をそのままに、頬をしとどに濡らした。

 

 エリスは手紙を開いた場所に両膝を折って泣き崩れている余の背中にしがみ付くようにしゃがみ込むと、両腕をそっと余の胸に回した。

 そして、余の背に顔を押し当てて「林太郎」と、名を小さく呼んだ。

 

 後ろを振り向いてエリスを力一杯抱きしめた。エリスの肩に押し付けていた顔を上げてエリスを見ると、涙に濡れた余の目よりも悲しい色に染められた青い瞳がそこにあった。

 エリスの顔を両手で包んだ。余の両の掌と指で覆われてしまうくらい、エリスの顔は小さかった。 エリスの頬を撫でながら、ゆっくりとその細い首筋へと指を落とした。

 

 首に這わせた指を立ててエリスの華奢な顎を持ち上げる。エリスは余の顔をじっと仰ぎ見た。余はエリスの唇に余のそれを近づけた。エリスは抵抗することなく目を閉じた。

 

エリスが余の宿舎を訪ね来るようになってから幾度となく口づけを交していた。だが、それは小鳥が互いの(くちばし)(ついば)むような幼い口づけであった))




(おうがいっ、お前、清い関係とか言ってたくせに、何だよそれ!嘘ついてたな!!)

 林太郎が怒り狂うのを完無視して、おうがいは喋り続けた。


((今は違った。余はエリスの小さな舌を己が物とすべく深い接吻を繰り返した))


(でぃーぷ・きすだと!お前、エリスに何というはれんちな行為をするのだ!くそっ!羨ましい!)

 歯噛みして悔しがる林太郎などお構いなしで、おうがいの饒舌さは増す一方だ。


((初めての情熱的な余の接吻に、エリスは緊張で身を固くしていた。だが、嫌がらずに余の行為を受け止めてくれた。余はエリスを抱きかかえると余の寝室へと運んだ))


(は?おうがい、ちょっと待って)


((余はエリスをベッドの上に優しく投げ出すと、その上に覆い被さった))


(ま、待て、待て、待て!)


((余はエリスの来ている簡素なドレスのボタンを毟り取るように外していった。エリスは抵抗しなかった。それどころか、ドレスの下のシュミーズのホックを自ら外し、余の目の前に広げたのだ))


(おうがい、もういい、止めろ!後ろに本人が座っているんだぞ!)

 林太郎は茹でだこのようになった顔を教科書で隠した。


((ああ、余の前に晒された()の上半身の何と美しきことか。薄暗いランプの光の中で、エリスの二つの膨らみは神々しいほどに白く輝いて見えた))


(ちょっ)


((ドロワーズを取る時にはエリスは少し抵抗した。それも致し方ないだろう。彼女は生娘なのだか

ら))


(ドロワーズって何?)


((ぱんつだ))


(わ―――)

 火を噴くように顔が熱くなっていく。誰かに見られたら大変と、林太郎は教科書を顔に強く押し付けた。


((林太郎よ。余が寝ている間に新たなるパワーをゲットしたことをお前に知らせておいてやろう))

 おうがいは喜々として林太郎の頭の中で飛び跳ねた。


(寝ているだけでパワーが手に入るなんてことあるのか?随分と都合のいい話だな。お前の中で酵母菌が増えて旨みでも増したっていうのか?)


((余は発酵食品ではない。いいか、よく聞け。今までは写真を一枚ずつスライドするしかなかった余の思考画像を、お前の頭の中で動画にする能力を身に付けたのだ。推察するに、「万年兄秘蔵ファイル」が余に新たな力を与えたのだと思う。強いて言えば、ヘッドセット無しのⅤ(ヴァーチャルリアリティー)ってやつかな。それを今からお前に披露してやろう))


(え)


 林太郎は即座に理解した。


 自分の脳内で阿鼻叫喚する映像が流れようとしているのだと。おうがいに秘蔵ファイルを二時間以上も見せてしまったことを、林太郎は死ぬほど後悔した。


(おうがい君、今、授業中だよ?それ、まずいでしょ?ねえ、やめようよ)

 当然の如く、おうがいは林太郎の言葉など微塵も聞いちゃいなかった。


((ほれ))

 間の抜けた掛け声とともに、林太郎の頭の中に一糸纏わぬ姿のエリスが現れた。


(ぎゃ―――!!)


 エリスは両腕を交差して胸を隠し、硬く閉じた長い足を斜めに揃えていた。


 ウエストは林太郎が両手を回したら指先と指先が触れるくらいに細い。なだらかな曲線を描く腰も華奢である。俯き加減の顔は羞恥に染まっているが、目だけはしっかりと持ち上げて林太郎を見つめている。


 たった一人の肉親である母を失って悲観に暮れているおうがいに、エリスは自分の身を捧げて慰めようとしているのだ。


 胸の上にあった腕がするりと解けて、林太郎に向かって差し出された。小振りではあるが形の良い乳房に目が釘付けになっていると、エリスの唇が林太郎の名を刻み、自分の唇に近づいてくる。 


 そのいじらしさに林太郎は胸が熱くなる思いだが、4Kテレビ画像以上に脳内映像はあまりにも精彩で、精神的感動だけでは収まらなくなっている。


 教室で、それも授業中に、ありえない身体的変化が林太郎に起こりつつあった。


(馬鹿っ、おうがい!映像を止めろ!頼むから止めてくれ!止めて下さいっっ)


 頭の中で悲鳴を上げながら哀願しまくる林太郎だが、エリスとの初めての逢瀬の回想に夢中になっているおうがいには届かない。


((エリス、エリス。余の愛しい人よ。初めて見た時から恋していた。職を失い祖国にも戻れるかどうかの瀬戸際なのに、何と浅はかな行為をしたものだと非難する人間もいるだろうが、これほど情の深き美しき乙女とどうして離れることなど出来ようか))


(ひいいいっ)


 青少年の健やかな精神育成に極めて有害な「万年兄秘蔵ファイル」を中三の頃から見倒すだけ見倒して二次元的画像にはかなり免疫のある林太郎だが、悲しいかな、初恋の相手となれば話は別である。

 

 そしてそれは何とも(むご)いことに立体映像(3D)であった。

 

 エリスの裸体が目の前に大写しになった林太郎は、その映像によって脳をダイレクトに刺激された。

 

 おうがいの思い出(快楽)は林太郎のシナプスに作用して瞬く間に本能の抑制を解除させると、脳神経細胞体(ニューロン)から脳神経細胞体へと経由して副腎髄質からアドレナリンの分泌を促し、その他の(性的興奮を増大させるテストステロン等)物質と共に瞬時に体内中へと伝達していく。

 それが脊髄中枢を矢を射るが如く一気に下降して、肺や心臓、もっと下の体の部位、林太郎の下半身へと到達していった。

 

 幸い林太郎の周りは男子が多い。

 授業中、机の下にある林太郎の下半身をまじまじと覗き込む奴がいないのがせめてもの救いである。(いたら大変な変態である)

 健吉のようにシャツの裾をスラックスから出しておけばよかったと林太郎は悔やんだ。シャツで下腹部が隠れてこんなに慌てふためくこともなかったろう。後悔しても後の祭りである。

 

 だからといって、授業中にごそごそとシャツの裾なんか出していたら、目敏い健吉に下半身を目撃される恐れがある。いくら幼稚園からの親友だって、こんな状態は絶対に見せたくない。

 

 林太郎は気を逸らそうと、凄まじい握力で教科書を握りしめながらヒッヒッフーと息を吸ったり吐いたりを繰り返した。

 

 陣痛で苦しんでいる妊婦のような荒い息が、真紀の首筋にかかってしまったらしい。真紀は首だけ捩じって林太郎に顔を向けると怒った声で囁いた。


「おい、気持ち悪い息吹きかけんな」


「あ、ご、ごめん」


 林太郎の汗だくの顔に気が付いた真紀は眉を顰めて林太郎にだけ聞こえるように囁いた。


「お前、腹でも下してんのか?だったら我慢しないで便所に行ってこい」 


 真紀なりに気を使ってくれたようだが、とんだ勘違いである。

 林太郎と真紀のやり取りを聞いていた健吉が、心配そうな顔を林太郎に向けてその勘違いに加わった。


「林太郎君、おなか痛いの?保健室行こうか」


「いや、何でもない。大丈夫。気にしないで」


「そこ、少しうるさいですよ。どうかしましたか?」


 黒板に文字を書いて説明していた鈴木が振り向いて注意した。


「すいません、何でもありません」

 健吉が林太郎の体調をどうこう言う前に、林太郎は鈴木に即座に謝った。


(席なんか立つことになってみろ。その瞬間から、俺の学校生活は終わっちまう)


 真紀はすぐに前を向き、健吉も黒板の文章をノートに書き写し始めた。気が逸れたお陰でエリスの裸体が林太郎の頭から消えた。


 安堵の息を吐いたのも束の間、おうがいは林太郎の頭の中で即座に映像を復活させた。恐ろしいことに、真紀達と話しているうちにも映像は先に進んでいた。


 それはもう、目の毒などという状態を通り越して成人指定以上の際どい映像であった。


 最初に説明した通り、おうがいは林太郎の精神に派生した林太郎の転生前の人格である。

 独立した人格を持つおうがいだが、彼も林太郎の精神の一部としての存在なので、自分自身の肉体はない。

 体はないが、年の功で、短時間は林太郎の精神及び神経を己の精神と切り離したり繋いだりして操ることが出来る。

 

 ぶっちゃけて言えば、現在、林太郎の肉体はおうがいの肉体と化してしまったのである。

 

 普段は林太郎の人格を無視するような阿漕(あこぎ)な真似は(林太郎に感知されない程度にしか)行わないが、今はぶっ飛び状態でエリスとの思い出(快楽)の中をこれでもかと転げ回っている。


 おうがいのパワーとやらは、三世代型(?)VRへと急速に進化して、恐ろしくリアルな感覚を体感できるようになっていた。ジーザスクライスト。


(おうがい、もう、やめてくれ!俺をこの世から抹殺する気か!)


 水でもぶっかけない限り止まらないであろう段階にまで達していたおうがいには、林太郎の絶望的な悲鳴など、ベルリンの官舎の隙間風くらいにしか聞こえない。


((ああ、至福。ここはもう天国ぞ))


(地獄じゃあああ!!)


 林太郎は力一杯、己の頭の中で叫んだ。これ以上は我慢の限界である。


(お母様。林太郎はこれからあの世へと旅立ちます。先立つ不孝をお許し下さい)




 うううと弱々しい呻き声に、健吉は、ふと林太郎を見た。

 それから血相を変えて手を上げると甲高い声で鈴木に報告した。


「先生、大変です!森君が失神寸前で白目を剥きながら鼻血を噴いてます!」


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