帰り道
ブクマ、ポイントありがとうございます。
面白い作品にしていきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。
(困ったことになったな)
林太郎は学校の帰り道をとぼとぼと一人で歩いていた。
井坂に雑用でも言いつけられたのか、健吉は、エリスに鞄を届ける為に保健室に行ったっきり戻ってこない。二十分ほど待ってから、林太郎は先に帰ると健吉にメールを入れて学校を後にした。
エリスは健吉に連れられて保管室に行ったまま、授業が終わっても教室に戻ってこなかった。次の授業には戻ってくると思ったのに、エリスは教室に現れなかった。
昼休みになっても姿を現さないエリスを心配して、健吉が様子を見に行って来ると言い出した。真紀も健吉に付いて行くと言う。
林太郎も一緒に行きたかったが、堀田怜奈と子分二人がこちらの様子を窺ってひそひそとやっている。これ以上事態が悪くなるのは避けたいので、後ろ髪を引かれる思いで教室に残ることにした。
(くそ。昼休みって、こんなに長かったっけ)
健吉達が戻ってくるのを待ち切れずに廊下に出た。
堀田達から見えない場所に立っていると、廊下の向こうから健吉と真紀が並んで歩いてくる。
健吉が明るい表情で林太郎に手を振ったのを見て、林太郎はほっとした。エリスの具合はそれほど悪くはないらしい。
「エリ…ワイゲルトさんの体調はどうだった?」
戻って来た二人に努めて平静な表情で、林太郎はエリスの様子を訪ねた
「それがさあ。あいつ、なんかもうスンゲエぐうぐう寝てんの。試しに指でほっぺを突っ付いてみたけど、ぴくりともしないんだぜ」
真紀が呆れたように肩を竦めて言った。真紀の話に全く要領を得ない林太郎の為に、健吉が解説を始めた。
「エリスちゃん、保健室のベッドに入った途端に熟睡しちゃって、ずっと起きないんだ。井坂先生が言うには、時差ボケが治らなくて睡眠不足だったんじゃないかって。眠ているだけだから、起きるまでそっとしておくって」
「そうか。具合が悪いんじゃないんだ」
林太郎はほっとして胸を撫で下ろした。目が覚めればエリスは教室に戻ってくると知ったからだ。
だが、昼休みが終わっても、エリスの姿は教室になかった。
午後の授業が終わり、帰りのホームルームの時間になっても、エリスの席は空っぽのままだった。
帰りの挨拶を終えると、林太郎はエリスの席にそっと目をやった。
(そんなにショックを受けちゃったのか、エリス)
確かに堀田は怖かった。あの脅しっぷりは見事という他ない。恐らく大根田を使って気に入らない生徒への脅迫を常習化させているのだろう。まるでヤクザの女組長だ。
エリスはとても心の儚い女であった。相手が少しでも強い態度を取ると、目に涙を浮かべてその場からすぐに逃げ出してしまう。
しかしそれは、皮肉なことにエリスに恩恵をもたらす事も多かった。
あまりに虚弱な気性である為に、あの輝くような美しさは霞んでしまい、人目を引くこともない。貧困街で貧しい少女が荒くれ男どもの目に留まることはなかった。
(エリスは真紀のアドバイス通りに、堀田達から隠れるようにして学校生活を過ごすだろう。そうすればエリスの日々の平穏は保たれる…のか?いや、堀田の奴が自分より綺麗なエリスをこのまま放っておくわけがない。だけど)
プライドの高そうな堀田の事だ。林太郎がどれほど言葉を選んで注意しても、エリスを庇ったと怒るに違いない。
そうなったら大根田の登場だ。自慢じゃないが、腕力はからっきしだ。
生田真紀の片腕の力だけで簡単に動きを封じられてしまうのだから、もし大根田と喧嘩になったら、林太郎は一発で瞬殺されてしまうだろう。高校二年で人生が終わってしまうのは困る。
(堀田を怒らせないで、エリスへのいじめを止める方法はないもんかな)
思案に暮れて俯き加減に歩いている林太郎の前方から「おい」と、声を掛ける者がいる。
突然呼び掛けられて驚いて顔を上げると、見たくもない少年の姿が電柱の陰から現れて林太郎の前に立ち塞がった。
「うえ、また出やがった!」
林太郎は甲高い声で悲鳴を上げると、左腕で自分の両眼を隠して素早く後退りした。
そんな林太郎の行動を見た少年は激怒して叫んだ。
「森林太郎!変質者に遭遇してしまったとしか思えぬ態度をこの俺に取るとは、きさまは本当に失礼極まりない奴だ!」
林太郎に人差し指を向けてがなり立てるのは、上田万年という林太郎と同い年の少年である。
「お前が言う通り、登場の仕方が変質者そのものなんだよ。電柱の陰にこそこそ隠れていやがって、よく警察に通報されなかったな」
「だ、誰が変質者だっ!」
自分の言葉が墓穴を掘ったのに気が付いて、万年は悔しそうに歯ぎしりした。
「電柱の陰に隠れていようといまいと関係ない。俺はどこから見ても真っ当な高校生だろうが!」
そう言って、万年は自分の制服の上着を両手で掴んで見せた。
万年が着ているのは帝峰学園という私立高校の制服だ。
帝峰は、超一流大学への進学率の高さで全国にその名を轟かせている私立の名門男子高校で、林太郎の通う岨野山田高校とは駅を挟んで反対方向にある。
寄り道するにしたって、駅を通り越してこっちの街まで歩いて来るのには、かなりの時間を要する。
酔狂という他ないのだが、万年は林太郎の前によく出没するのである。
彼、上田万年が、林太郎の前に姿を現すのには訳があった。
高校受験を控えた夏、勉強に全く身の入らない健吉を彼の両親はかなり心配していた。
無理やり駅前の塾に通わせようとしたところ、林太郎と一緒ならば塾に行くというのが健吉の出した条件だった。
志望校である岨野山田の合格安全圏のトップを不動のものにしている林太郎が、塾に通う必要性はなかった。
だが、幼稚園の頃から世話になりっぱなしの健吉の母に拝み倒された挙句「林ちゃん、塾の帰りにうちでご飯食べていってね。ケーキのデザート付きよ」と、まんまと食べ物で釣られたこともあり、夏期講習の間だけ健吉と一緒に塾に行くことにした。
健吉が林太郎と一緒で喜んでいたのも数時間だけだった。塾の学力テストで、すぐにCクラスとSクラスに分離されてしまったからだ。
Sクラスとは首都圏難関校を目指す少人数制の選抜クラスである。その中に上田万年が在籍していた。
小学五年生からこの塾に通い始めて以来、Sクラスのトップを定位置としていた万年だったが、夏期限定で入塾してきた林太郎に、あっさりとその地位を奪われてしまったのである。
その時の万年少年が受けたショックの大きさは、例えて言うなら「宇宙から飛来した小型の隕石が地球に落ちてくるみたいなんだけどぉ、アメリカ航空宇宙局(NASA)の予報だと、その隕石ってぇ、日本の関東地方の一都市の駅前にある塾の教室にいる上田万年っていう中学三年生の頭を直撃するんだってぇー」と、女の子達に指差されてくすくすと笑われたくらいに、衝撃的なものであった。…って、どんな例えだよ。
それからというもの、万年は何かと林太郎にちょっかいを出すようになった。
夏期講習が終わって林太郎が塾を辞めても、受験が終わって別々の高校生活が始まったも、万年はこうやって林太郎に度々会いにやって来るのだ。
普通であれば「他の学校のお友達」くらいの付き合いをしてやってもいいのだが、万年は塾の夏期講習での屈辱があってから、林太郎を唯一のライバルと見なして敵意剥き出しで話しかけてくる。それもかなり上から目線だ。口の利き方も、むかつくほどにぞんざいだ。
「上田万年!お前はよく俺の事をいつもきさま呼ばわりするが、それこそ失礼だと思わないのか?もうちょっと丁寧に呼んでみろよ。健吉のように林太郎君!とかさ」
「はあっ?何でこの俺がきさまを相沢のように、りんたろうくーん!などと呼ばねばならんのだ!きさまと俺の間にそんな馴れ合いなど必要ない!」
腰に手を当てて、はっはと高らかに笑う万年を見て、林太郎は深い溜息を付いた。
上田の家は三代続いた官僚だと万年自身から聞いている。家族に人の上に立つ人間になれと教育されたらしいが、どうやら万年はその意味を完全に取り違えて成長してしまったようである。
いつもなら鋭い嫌味を連発してやるところだが、林太郎は黙って口を噤んだ。
何故なら目の前でがなり立てているこの少年が、あの“上田万年”の転生した人物だったからである。




