囚われのプリンセス
カツカツカツ
真っ暗闇の中、ただ石階段をおりる足音だけが響いてくる。食事の時間だろうか。全くと言って良いほど光の入らないこの地下牢は時間の感覚すらも奪ってくる。
食事を持ってきた衛士に話を聞くとどうやら私の処刑は数日の内には行われるらしい。どうせなら今日にでもやってくれないだろうか。そうなれば見たくないものも見ずに、考えたくないものも考えずに死ねるのだから。
あの忌まわしい母親のことを。
うっすらと光が差してくる。おそらく衛士の持つランタンの明かりが近づいてきたのだろう。私はただ黙って下を向いていた。
明かりが自分の前まで来る。私は声をかけられるのを待っていたが、一向に声を掛けてくる気配がなかった。
(別の用かしら?)
顔を上げやってきた人物をみる。明かりが眩しく、目が慣れるまで時間がかかったが、そこにいたのはまるで思いがけない人物であった。
「お久しぶりです、フェロウ様」
そこにはかつて見たあの聡明な経営者が立っていた。
「どうやってここに?」
フィロが質問する。
「まあ色々と」
佐三はそう答えながら親指と人差し指を擦り合わせるジェスチャーを見せる。「いくらか包んでみせた」。フィロはそう理解した。
「王都の衛士も落ちたものね」
「いや、そういうわけじゃない」
佐三が話す。
「俺が包んだのはもっと上の連中相手にさ。王都の衛士達はきちんと命令通りに働いているよ。組織ってのはだいたい上の方から腐っていくのさ。上が腐っていないのなら、下の腐敗は裁けるからな。『鯛は頭より腐る』とはよく言ったもんだ」
佐三はそう言って軽く笑いかける。フィロも一瞬つられて少しだけ口角を上げるも、すぐに先程の憂いを帯びた表情にもどった。
「……どうしてきたの?」
フィロが問いかける。
「私に同情?それとも笑いに来たのかしら?王都に来るついでに見物に?」
「生憎だが、そんな下らない理由でここに来る程こっちは暇じゃないんだ」
佐三が首を振って否定する。フィロは「そう」とだけ言ってまた下を向いた。
「俺はあんたを連れ出しに来た。正確には連れ出すことを伝えにだが」
「……え?」
フィロは不思議そうに佐三を見る。つい先日まで町を乗っ取りに来た女をこの男は助け出そうとしているのだ。
「馬鹿ばっかりね」
「…………」
フィロの言葉に佐三は何を言うわけでもなくただ彼女を見つめていた。
「けっこうよ。私は出るつもりはないわ」
「何故だい?君は何の罪も犯してはいないのだろう?それに復讐だって終わっていないじゃないか?」
「……終わった事よ。もう疲れたわ。逃げることも、あの馬鹿な母親を恨むことも。娘の言うことも聞かないばかりか、娘を嫉妬で殺そうとする女ですもの。……見るに堪えないわ」
フィロが冷たく突き放す。「もう話すことはない」。そうとでも言いたげな様子で佐三から視線を逸らしている。
佐三は明かりを床に置き、そのまま自分も床に座る。冬の地下牢はとてつもなく寒い。とくに床の石畳は凍り付くような冷たさだ。
(だが話を聞く相手に目線を合わせないわけにもいかないからな)
軽視されがちだが身体的距離感や態度、姿勢は話をする上で非常に大事なファクターである。椅子に座ったまま部下を呼びつけるような上司は必ず裏では信頼されない。座り込んでいるフィロに対して立ったまま上から話せば、命令はできても会話はできないのだ。
「なあ、フィロ一つ教えてくれないか」
「…………」
佐三が問いかける。
「君の母親はどんな人だったんだい?」
「っ………」
フィロが一瞬佐三の方を見る。しかしすぐに黙って下を向いた。
しばらくの沈黙が続く。すると佐三が不意に話し始めた。
「……俺の母親はどうしようもない人間だった」
「っ!?」
「愛情を理由に俺と親父を捨てていった。余所に男を作ってたのさ」
「…………」
「どうしようもなく馬鹿な女だ」
佐三はじっくりとフィロの様子を観察する。フィロは表情一つ帰ることなく静かにうつむいていた。そんな彼女の様子を見ながら、佐三は確かな手応えを感じていた。
少しして、フィロが口を開く。
「……それで」
「ん?」
「それで、貴方は母親にどうしたの?」
フィロが質問する。佐三はまっすぐフィロの瞳をみつめながら答えた。
「何も」
「え?」
「何もしていない。彼女とはそれ以降会っていないし、会うつもりもない」
「……どうして?」
佐三の言葉にフィロが不思議そうに聞いてくる。佐三はただ淡々と自分の考えをフィロに伝えた。
「必要ないからさ。俺を代わりに世話してくれる人間は他にもいるからね」
「………」
「君も憎いだろう?実の娘よりも夫への愛情を優先し、娘に嫉妬し、あろうことか殺そうとする母親なんて。そんな母親なんか捨てて、遠くで自由に生きれば良い。うちは君のような優秀な人材はいつでも歓迎するぞ」
「………」
フィロは何も言わなかった。ただうつむき、暗く冷たい床をみつめていた。佐三はそんな彼女を同様に黙ってみつめていた。
彼女が何を欲し、何に飢えているのか。彼女の利害とは何なのかが佐三には手に取るように分かる気がした。それは佐三だから分かるものであっただろう。その理解は知識や合理性から導かれたというよりは、感覚からくるものであった。
佐三は立ち上がり、明かりを拾い上げる。そして何を言うわけでもなく階段を上っていった。
「終わったのか?」
外に出ると待っていたベルフが声を掛けてくる。
「どうだった彼女は?」
「予想通り、出る気はないみたいだ」
「そうか。となれば厄介なことになったな」
佐三の返答にベルフは頭をかく。しかしベルフのそんな様子に佐三はきっぱりと首を振った。
「いや、そんなことはないだろう」
「え?」
佐三の言葉にベルフが聞き返す。
「どういうことだ?」
「彼女は自分自身の気持ちが客観視できていない。それだけさ」
ベルフは要領の得ない佐三の言葉に首をひねる。しかし佐三もそれ以上説明することはしなかった。
本音と建て前は違う。以前イエリナにも話したことだ。時に自分自身でさえ自分の事をよく分からずに話すことがある。時には自分が本音と思っていることでさえ、建て前たりうるのだ。
(なんてことはない。彼女は自分の建前に囚われているだけだ。そしてそれが辛くて、死に救いを求めているんだ)
佐三はベルフを余所に早足で歩いて行く。
今晩はやけに風が冷たい。佐三はそう感じた。
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