イエリナVS佐三
「頭領!ダメです。ここ数日間襲撃ポイントには荷馬車の一つも通らなくなってきました」
「街道の部隊も全員退けられました。ここに来て特定の街道だけ異常な程警戒が強くなっています」
チリウは舌打ちをしながら爪を噛む。ここまでうまくいいってきた作戦だが、急に雲行きが怪しくなってきた。
「食料の残りはどれくらいだ?」
「このまま包囲だけを続ければあと五日ほどでなくなります」
「あの依頼人の、小領主のところへ送った支援要請はどうなっている?」
「それが自分たちの分は自分たちで用意しろと。金の用意はいましばらく時間がかかると」
「……ふざけてるわね」
勿論小さい集落を襲えば食料ぐらいは手に入る。しかし貧しい村を襲うことは彼女たちを支えている唯一の誇りを失うことになる。それだけはできない。
チリウは苛立ちを隠せない様子で拳を握りしめる。あの小領主との契約、その内容は猫の町を包囲する代わりに成功のあかつきにはあの町を居住地として利用してもよいという内容であった。
基本的に領主同士の争いは禁じられている。しかしあの町は自治区であり、正式な領地ではない。それ故に合意さえあれば他の領主が治めることもできるのだ。
しかしこれまでは獣人族土地ということで忌避されてきたのである。聞くところによると最近女狂いの領主が手を出そうとしたらしいがそれも例外である。
「せっかくの好条件だと手を出したばっかりに……」
チリウの想定ではもっと早くに目的を達成できるはずであった。賊が出るという噂だけで基本的に商人の往来は減らすことができる。誰の領地でもなければ尚のこと。
しかし想定になかったことはあの人狼憑きの存在である。一介の町でありながら商人への注意喚起の速さ、完璧なまでの街道の護衛。どれも今までにであったどの長よりも優れていた。
(かつては別の地域で領主の軍を相手にしたこともあった。あのときは必死で犠牲も少なくはなかったけど、なんとかできた。それなのに……)
かつて居所にしていた場所、そこでは一時的に穏やかな暮らしができた。半ば自給自足にも近く、土地にも恵まれていたわけではなかったが、それなりに幸せであった。
しかしあるときに軍に目を付けられ、女達だけだと分かるやすぐに襲撃をかけてきた。自らの欲望のはけ口とするために。
女達は必死に戦った。そして勝った。しかしそれでも土地を手放すことにはなってしまった。
(あのときの空しさと怒りは今でも忘れない。だからこそ今まで、必死に考え、多くの敵と戦い、生き抜いてきた)
チリウはこれまでの経験から、憎悪や憎しみを蓄えると共に、一定の自信も付けてきていた。自分たちならやれる。必ず勝利できると。その自信が彼女たちをここまで奮い立たせてきたのだ。
しかし今相手にしているその町は、これまで戦ってきたどんな敵よりも厄介に見えた。底知れぬ闇のような者が、相手からはうかがえた。
(やっとみんなで幸せに暮らせる場所が、安全に生きていける居場所がみつかるかと思ったのに……)
悔やんでいてもしょうがない。チリウはそう考えて、目下の事態に対処すべく、部下達に指示を送る。
生き残るために、今を必死で戦うしかない。自分たちにはそれしかないと言い聞かせて。
(このまま行けばサゾーの言うとおりに……)
イエリナは報告書を見ながら、この戦いの行く末を考える。報告によると佐三の計画通り盗賊達による被害は急激に数を減らしていた。
イエリナは先日佐三にもらった紙を開く。交渉するための三箇条、その意図をイエリナははかりかねていた。
(相手の利害を考えること、相手の話をきくこと、イチかゼロかで考えないこと……。相手というのは佐三のこと?それともチリウさん達の?私は一体、誰と何の話をすればいいの?)
イエリナの頭の中で様々なことがグルグルと回る。チリウ達が襲撃を仕掛けてくる以上、この町は戦わなくてはならない。彼女たちは彼女たちで理由があって戦っている。それに私たちを敵対する意志があるのも明らかだ。
それに加えて小領主の問題もある。なんとかしなければ、この町が狙われ続けることになる。かつての佐三が来るまでのあの頃を思い出せば、それは見過ごせない。
「イエリナ様、大丈夫?」
ふと脇を見るとナージャが心配そうにイエリナを見上げている。
「ごめん、ナージャ。大丈夫よ」
「本当?よかった」
イエリナはそっとナージャの頭を撫でる。ナージャはうれしそうに頭を差し出していた。
「あ、イエリナ様。これ」
ナージャがふと思い出したかのように白の上着を差し出す。それは佐三がかつてくれたものであった。
「ありがとう。でもどうしてこれを?」
「イエリナ様、寒そうにしてたから」
イエリナはここで部屋の気温が落ち始めていることに気付く。昼間は陽が入り暖かいが、夕方になってくるにつれて急激に気温が落ちてくる。言われてみれば先程から細かく体を揺すっていた。
(自分では案外気付かないものね)
イエリナはそう言いながらその外套を羽織る。そしてその時、イエリナの頭の中で何かが噛み合った気がした。
(自分では気付かない……?いや、気付いていたとしても言葉に出していないことも……)
イエリナは再び報告書と佐三が残した紙を見る。そして新しく紙を取り出し、思いつくことを書いていった。
(サゾーが望んでいること、チリウさん達が望んでいること、私が望んでいること、人々がが望んでいること……)
イエリナは一心不乱にペンを動かし続ける。そして少ししてから、ナージャをほったらかしにしていることに気付いた。
「あ、ナージャごめんなさい。急にべつのこと……ナージャ?」
見るとナージャはうれしそうにイエリナの方を見ている。イエリナはその理由が分からずただ呆然とナージャを見つめていた。
「なにかおかしい?ナージャ?」
イエリナが質問する。するとナージャがうれしそうに答える。
「なんだかイエリナ様、サゾー様みたい」
ナージャはきゃっきゃっと笑いながらイエリナを見上げている。イエリナも小さく笑いながら、大きく深呼吸した。
「ねえ、ナージャ」
「なーに?イエリナ様」
「私、サゾー様に勝てるかしら?」
「え?」
思いがけない質問だったのかナージャは少し上を向いて考える。そして思いついたように返答した。
「勝てないと思う」
「あら、そう。なんでそう思うの?」
イエリナは少し残念そうに口を尖らせ、質問する。分かっていることだがハッキリと言われると傷つくものがある。
しかしナージャの回答はすこし意味合いが違っていた。
「だってサゾー様はイエリナ様の旦那様だもん。旦那様と戦うことなんて、できないからね」
ナージャの明るい笑顔にイエリナはつい言葉がでてこなくなる。イエリナは「そうね」と答えて、またナージャの頭を撫でた。
そして同時にイエリナの中で色々なことがつながっていく。イチかゼロかで考えない。佐三の三箇条目の意味合いが徐々に理解できていく気がした。
「いつも思い通りにさせるのも癪だしね」
イエリナは佐三の顔を思い浮かべる。いつぞやの抱きしめたときの顔、あんな慌てた顔がまた見たくなってきた。
(イチかゼロかじゃない。誰かが勝つのでもない。皆の望みをそれぞれ配慮して考える)
徐々に自分の中でビジョンが浮かんできた。それはできるかどうかも分からない。しかしやらなければいけないのだ。どんなに難しくても、誰かが辛い思いをするよりはずっといい。この町も、チリウ達も、そしてあの小領主の領民も。全員が笑うことのできる結末だってあるはずだ。
それはリスクを伴うだろう。それは佐三の計画よりずっと大変だ。だがそれでも、目指す価値はある。イエリナはそう思った。
(こんなこと……サゾーは何て言うだろうか)
きっと「甘い」とか「リスクを広げたとも言える」等と言うのだろうか。彼からしてみれば私の考えは随分と慈悲深いのだろう。
(でも、やってみせる)
イエリナはそう決心した。
旦那様に一泡吹かせて、またあんな顔を見てみよう。イエリナはそんなことを考えた。
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