80.まさかの監獄ライフ
目を覚ますと、そこは真っ暗で底冷えのする部屋だった。
「ここはどこ……?」
私はとりあえず周りを見渡したものの、ここがどこなのか全く見当もつかない。
天上は低く、部屋全体が少しかび臭い。申し訳程度に暖炉に火がついているものの、薪は燃え尽きてほとんど灰になっている。部屋には窓がないため、自分がどこにいるのか、今が昼なのか夜なのかさえもわからない。
訝しげに目をこらしてあちこち見ていた私は、ふいに大きなくしゃみをした。
「寒っ……」
身体が芯から冷えていることに気づいた私は、慌てて身体からずり落ちたブランケットを手繰り寄せる。しかし、ブランケットはペラペラで体に巻き付けても気休め程度にしかならないし、第一、着ている服も、見たこともないほど簡素なものだった。
状況を鑑みるに、どうやら私は監禁されているようだ。まるで罪人のように。
試しにドアノブらしきものをひいたものの、案の定、鍵がかけられているらしく、私の力ではびくともしなかった。
「困ったなぁ……」
私は仕方なく、ほとんど火のついていない暖炉でなけなしの暖をとる。火は消えかけているので、手にほんのり温かさを感じる程度の暖をとることしかできない。
このままだと凍えてしまいそうだったので、魔法で火を起こす。これでようやくマシになった。ついでに、ペラペラのブランケットも肌触りの良いフワフワのものに変えておく。
魔法でドアを破壊して外にでることも一瞬考えたものの、止めておくことにした。
なんせ、おぼろげな記憶をたどれば、私はローラハム公に皇帝への反逆者のレッテルを貼られてここにいるはずだ。状況が把握できていない今は、下手に動かないほうが良い。なんせ、相手はあの狡猾で冷酷なローラハム公なのだから。
「それにしても、なんでローラハム公は私にこんなことを?」
私はぶつぶつと一人で呟く。
確かに、パーティー会場を抜け出して、皇帝を襲った竜を追いかけまわしたのは、貴族令嬢らしからぬ行動だった。けれど、そんなことが原因で、娘を監禁するとは思えない。ただの躾にしては明らかに行き過ぎだ。
「もしかして、私、ローラハム公が知ってほしくないことを、知ってしまったのかしら?」
ぼんやりと暖炉の火を眺めてぽつりとつぶやいたその時、前触れもなく、カチャン、と錠が外れる音がした。
私が驚いて振り向くと、ドアが音もなく開く。
細いドアの隙間から、冷たい空気と共に滑り込むように入ってきたのは、長い銀髪の細身の女性だった。
「あら、目が覚めたのね」
「え、誰……って、お、お母様!?」
私はすっとんきょうな声をあげる。
部屋に入ってきたのはエリナの母である、ソフィア・アイゼンテールだった。予期せぬ人の登場に、私は眼を丸くする。ソフィアは人嫌いで、家族の前ですらめったに姿を現さない。そのため、一瞬誰が入ってきたのか全く分からなかった。第一、こうやって間近で言葉を交わしたのは初めてだ。
ソフィアは母親、というより、同じ城に住む他人、と言ったほうがしっくりくる。血は繋がっていないものの、ゾーイのほうがまだ母親らしい。
私の当惑をしり目に、ソフィアはコクリと小首を傾げた。
「あなたが目を覚ましたのは2週間ぶりよ」
「そ、そんなに眠っていたんですか?」
「ええ。ローラハムは、ここに閉じ込めて、あなたを殺そうとしていたの」
「殺そうと……!?」
「ええ。あなたは身体が弱いから、私が介抱しなければ、間違いなくあのまま衰弱死していたでしょうね」
ソフィアは造作もなく笑えない一言を言い放つと、私の背中に手を当てて、複雑な呪文を唱えた。私の身体はすぐにポカポカと温まる。回復魔法だ。それも、かなり高度の。
「あ、ありがとうございます」
「お礼を言うなら、ロイとルルリアに。あの二人がエリナを助けてほしい、と必死で私にお願いしてきたのよ」
「お兄さまと、お姉さまが?」
「ええ」
ソフィアは淡々と頷いて、私と向かい合う。あまりに表情に乏しいため、精巧に作られた人形を前にしているような錯覚に私は陥った。
「今日は寝なさい。体力も、魔力もまだ十分に回復していないのだから。念のため言っておきますが、私がここに来たことは、だれにも言わぬよう」
「待ってください! 私はまだ知りたいことが……」
「それはまた今度。暖炉に火を足すなんて、無駄に魔法を使うのもやめて、なるだけ魔力は温存しなさい」
それだけ言うと、音もなく来たときと同じようにソフィアは部屋を出て行った。それと入れ違いで、腰の曲がったおばあさんが私の部屋に入り、無言で最低限の掃除をし、薪を足してくれた。
ようやく温かくなった部屋で、私はソフィアに言われた通り、ベッドに身体を横たえる。ベッドは硬く、寝心地は最悪だったけれど、とにもかくにも今は体力を回復させるために、私は無理やり目を閉じて眠りについた。
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それからというもの、ソフィアは毎日部屋に来て、淡々と私を介抱してくれた。
いつも人形のように無表情なため、初めは不気味な人だと思ったのも事実だ。だけど、表情筋が固まったまま動かなくなったのだろう、と思い込んで接しているうちに徐々に慣れてしまった。
ソフィアは確かに口数は少ないものの、質問すれば律儀に答えてくれる。
話をしているうちに、私は自分の置かれた状況をだいたい把握することができた。
まず、私は王宮の庭園でローラハム公に気絶させられたあと、すぐにアイゼンテール家の領土であるオルスタに竜で運ばれたらしい。
昏々と眠り続ける私を連れたローラハム公は、言葉少なに私を城の地下にあるこの部屋に閉じ込め、私の世話は最低限のみするよう命じて、またすぐにブルスターナに戻っていったという。
それを知ったロイとルルリアが、身体の弱い私を心配して、ローラハム公の命令に逆らって、ソフィアに私を助けるように懇願したらしい。
「ローラハムの命令に逆らってまであの二人が私を頼るなんて、本当に珍しいことだわ」
まるで他人事のように、ソフィアは言った。この口調から判断するに、おそらくロイとルルリアが頼まなければ、ソフィアは私の命を助けるようなことはしなかったはずだ。
(お兄さまとお姉さまが、とにかく心配性でお世話焼きな性格で良かった……!)
私はぞっとしつつ、そっと胸をなでおろした。
監獄部屋の掃除や食事は、腰の曲がったおばあさんがいつもやってくれた。ミミィやゾーイはどこにいるのか尋ねたところ、未だにオルスタには帰ってきていないらしい。おそらく、ブルスターナに残っているのだろう。
ただ、驚いたことにオスカーだけはオルスタに戻ってきているらしい。詳しく聞いてみると、オスカーは私を必死で追ってオルスタに戻ってきたようだ。つい先日ボロボロになって城の前で倒れているのをロイが見つけ、手当をしている真っ最中だという。
オスカーのことは少々心配だけれど、ロイは昔オスカーの傷を治したことがあるから、おそらく大丈夫だろう。
とにもかくにも、私の監獄ライフはわりと快適だった。
部屋を掃除してくれるおばあさんは、毎回こっそり私に料理人のガウスや姉のルルリアからの差し入れを持ち込んでくれるようになったのだ。それだけではない。見ず知らずの庭師やメイドからも、ちょこちょこ差し入れがあった。
「城のものが皆、エリナを心配して、どうにかしてエリナに会おうとするらしいの。この部屋の見張りが困っていたわ」
ある日、部屋に来たソフィアが、ポツリと呟いた。
「皆、エリナのことが好きなのね」
「それはなんというか、ありがたいことです。見張りの方には申し訳ないですけれど」
私は苦笑する。
おばあさんの持ち込みを、見張りの兵士は見て見ぬふりをしてくれているらしい。
そのおかげでこの部屋はどんどん快適になっていったし、それなりに退屈だったけれど、ルルリアからの差し入れられた恋愛小説やパズルで時間をつぶすことができた。
それに、ソフィアも気まぐれに魔法を教えてくれたので、その魔法の練習をするのも楽しかった――まあ、練習のし過ぎで魔力を使いすぎると、すぐにばれて怒られたけれど。
ある日、手が滑ってお皿をうっかり割ってしまった時があった。偶然その場に居合わせたソフィアが、慣れた手つきで呪文を唱える。すぐにお皿は何事もなかったかのように元通りになった。
「わあ、すごい! あっという間に割れたお皿が元通りに! そういえば、グラヴィスちゃんも同じ魔法を使っていた気がします。 どういう魔法を使ったんですか?」
「時を操る魔法よ。そのお皿の時間を巻き戻して、もとの皿の形に戻すの」
「時を戻す魔法?」
私は首を傾げた。
「初めて聞きました」
「この魔法は、喜怒哀楽、どの魔法にも属さない、古の禁忌の魔法に近いから、グラヴィス先生もあえて教えなかったんでしょう。多大なる魔力を使うから、限られた魔法使いにしか使えない魔法よ。一度魔法で変えてしまった過去は、もう二度と修正できないから、気を付けないといけないのだけど……」
「私も、やってみたいです!」
「止めておきなさい。大量の魔力を使うから。……それより、グラヴィス先生は元気だった?」
「ああ、そう言えば、グラヴィスちゃんのこと、お母さまは知ってるんですね」
「ええ、アカデミーの時にお世話になったわ。あの時が一番楽しかった。魔法の研究と、実験のに明け暮れた毎日……」
ふっと、表情に乏しいソフィアの顔に、昔を懐かしむような、そしてどこか切なそうな表情が浮かんだ。
「ローラハムも、あの時は大人しくて優しい人だと思ったのに、どこでああなっちゃったのかしら」
「えっ、大人しくて優しい人ですか!? あのローラハム公が!?」
「ええ」
ソフィアは軽く頷く。その無機質な美貌からはもはや表情をうかがい知ることはできなくなっていた。
謎に包まれた両親の過去は少々気になるものの、ソフィアはそれ以上言及することなく、いつも通りそっけない会話をすると部屋をあとにした。
(昔、ローラハム公は大人しくて優しい人だった……?)
私は一人首を傾げる。
あの見るからに神経質で冷酷で狡猾、その上自分の利益になることしか考えていない自己中心的な人物が、昔は優しくて大人しい人物だったとは。
「時を戻す魔法で、ローラハム公を昔に戻したら、人が変わったように優しくなったりして」
独り言ちると、私は苦笑して首を振る。いまさら、優しいローラハム公なんて気味が悪いだけだ。
それから、私は枕元からルルリアから借りた本を取り出した。ルルリアのお気に入りの本らしく、大事に扱われてはいるものの、あちこちが擦り切れている本だ。
「この本の時を戻せば、新品みたいになるのよね」
大切な本が多少でも新しくなっていたら、本の持ち主のルルリアも喜ぶはずだ。時を戻す魔法の練習台としてはおあつらえ向きだろう。
私は心の中からすべての感情を追い出して、その本の時を戻し、新品になるイメージをする。手元に魔力が集まり、本の方へ――……
「ん、……あ、あれ?」
急に魔法が体中から抜けたような奇妙な感覚に陥る。時を戻す魔法自体は発動しなかったものの、魔力はかなり消費してしまったらしく、私は眩暈がしてへたりこんだ。
目の前の本は、古びた本のまま、全く変わっていない。
私はなんとか這うようにしてベッドに向かう。今日は休んだほうが良さそうだ。
その次の日に何度か時を操る魔法を試したものの、やはり結果は同じだった。魔力ばかり空費してしまう。
(こうなったら、意地でも時を戻す魔法をできるようになるまで練習なくちゃ! なんせ時間だけはいっぱいあるもの!)
そう意気込んだものの、その日のうちに私が隠れて時を操る魔法を自主練していたことがバレてしまい、さすがに感情の起伏があまりないソフィアから、その時ばかりは氷のような冷たい視線で睨まれたため、時を操る魔法の練習はとりあえず見送ることにした。
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