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76.皇帝の困った提案

 アベルに部屋の外で待機するよう言われたシルヴァは、一応の抵抗はしてみたものの、王の謁見は許された人しか許されないため、渋々身を引かざるを得なかった。


「エリナ、何かされそうになったらすぐに声をあげろ」

「フン、心配には及ばない。エリナの安全は俺が保証しよう」

 

 アベルはシルヴァに勝ち誇った顔でそう告げ、私を王の待つ部屋の中に入れる。

 通された部屋はとにかく豪奢なつくりで、あちこちに歴代の王たちの肖像画が飾ってあった。天井からぶら下がって、きらきらときらめくシャンデリアは「巨大」という言葉がぴったりくるくらい大きい。


(こういう豪華絢爛な場所は実家で慣れたはずだったけれど、上には上がいるんだわ……)


 それもそのはず、この場所はこの国の頂点に立つ、偉大なる皇帝のためにある部屋だ。この国のあらゆる贅を尽くして作られたのだろう。

 部屋の豪華さにただただ圧倒される私をしり目に、アベルは慣れた様子で部屋を進んでいく。


「父上、エリナ・アイゼンテールをお連れしました」


 部屋の中ほどで、アベルは部屋の奥に呼び掛けた。すると、奥まったところにあるソファの上でもぞり、と何かが動いた。私は驚いて肩を震わせる。

 ソファのクッションと同化していたのは皇帝だった。


「お、おお、よく来たな、エリナ・アイゼンテール」

「へ、陛下!」

「すまないな、このような場所で迎えてしまって。この年になると眠くてたまらないため、ソファに座るとすぐに夢の中だ。いささか困っているが、かといって体力づくりのために運動はしたくない。いやあ、困ったものだ」


 砕けた口調の皇帝は、前回会った時とは少し印象が違う。アベルと同じ色の深い青の瞳には、どことなく茶目っ気すら感じさせる。

 アベルは呆れた顔をした。


「父上は最近、少々無理をし過ぎです。母上も最近は離宮に遊びに来てくれないと、寂しがっておりますよ」

「優しい我が息子よ。国のためにこの身を尽くすのが王たる役目だ。多少の無理は仕方あるまい」

「しかし……」

「アベルよ、お前の優しい諫言(かんげん)に耳を傾けることもやぶさかではないが、今夜はせっかくここに足を運んでくれた大事な客人と話をさせておくれ。……さあ、エリナ、こちらのソファに」


 私は深々と膝を折り、感謝の意を示した後、しずしずと指定された椅子に座る。アベルも私の隣に腰を下ろし、長い足を組んだ。

 私は再度頭を下げる。


(あまね)く星々の光のもと、偉大なる陛下にお会いできて光栄です。そして、パーティーにお招きいただき、重ね重ね感謝の意を」

「うむ、立派な挨拶はしかと受け取った。しかし、堅苦しいのは、今夜くらい抜きにしてくれ。ここには儀礼にうるさい奴らはおらぬ。ゆっくりくつろぎ、お前の言葉で話せ」

「……はい」


 私は驚いた。まさか貴族の頂点にいる皇帝が、儀礼を重んじる貴族たちの考えとまったく逆行したことを言うとは、思ってもみなかったのだ。

 皇帝は私が素直に頷いたのに満足そうにうなずき、白いものが混じった指で顎髭をしごいた。


「この前の赤の間の演説、素晴らしかったぞ」

「そう言ってもらえて、光栄ですわ」

「うむ、まったく、ローラハムの奴はおもしろい娘を隠しておったの」


 カッカッカ、とでっぷり太った体を揺らしながら、鷹揚に皇帝は笑う。昔はさぞかし美少年だったと思わせる顔だけど、今は長年蓄積した疲れとプレッシャーからか、顔はむくみ、顔色も悪い。

 皇帝は、私の顔をじっと見つめた。


「エリナ・アイゼンテール。我が国の北限で育った美しい姫よ。我がお前を呼んだ理由は、お前の意見を聞いてみたいと思ったからだ。いくつか質問をさせてほしい」

「はい、なんなりと」

「まず、この国の貴族と平民についてじゃ。エリナ、お前はどう思う」

「ええっと……。貴族と平民の間にある隔たりを、取り払ったほうが良いかと。平民であっても、優れたアイディアを持っている人は大勢いるでしょう? ですから、平民からもアイディアを募り、国の運用に活かすべきです」

「ふむ。では、次の質問じゃが……」


 皇帝は矢継ぎ早に私に質問を投げかけた。

 どの質問も、そう難しい内容ではないものの、考え込んでしまうものもなかには混じっている。私はどぎまぎしながら、できるかぎり丁寧に答えた。

 しばらく質問が続いたものの、あらかた用意していた質問をし終えたのか、皇帝は深いため息をついた。


「……うむ、やはりエリナの意見は他の貴族たちと……、さらにいえばローラハムとも常軌を逸する意見を持っておるようだ。興味深い、実に興味深い」

「恐縮ながら、私は貴族らしくない、という自覚はありますよ」

「はっはっは、良いのじゃ。多様性なくして、国の発展はない。お前さんのような、常識にとらわれない素直な意見は、大いに参考になる。やはり、こうして喋る場を設けて正解だったな。なあ、そう思わないか、アベルよ」


 私の隣で黙ってやり取りを聞いていたアベルは、急にお鉢が回ってきて少し驚いた顔をした。そして、すぐ答えることをせず、少し考えこむように顎をなでると、ややあって口を開く。


「エリナの話を聞いて、俺は……自分のいたらなさを恥じています。俺は、狭い視野で世界をみていた」

「ええ、アベル様、そこまで言わなくても……」

「いや、エリナ。お前はすごい。聡明で賢く、利発で、美しい」


 深い蒼色の熱のこもった瞳が、私をまっすぐ見る。あまりにストレートな褒め言葉に、私は居心地が悪く、もぞもぞしてしまった。背中がむずがゆい。


(いや、褒められるのは嬉しいけど、ちょっと過大評価ぎみっていうか……)


 アベルの言葉を聞いて、皇帝は微笑む。


「いやはや、二人は年も近いし、なかなかお似合いだと思うのだ」

「お、お似合い!?」


 びっくりした声が上ずった私に、皇帝がしたり顔で頷く。


「そうじゃ。アベルは今まで頑なに婚約者を受け入れなんだ。まあ、我が后の意向もあったものの、しかし、一人の親として、そろそろ聡明な婚約者がアベルにも必要だと思うのだが……」


 そういうと、ちらり、と皇帝は私を見る。


「エリナ、そなたは我が息子にふさわしい娘のように、我は思う」


(こ、これは……!)


 私は答えに迷う。皇帝が言いたいことがうっすら分かってしまった。

 つまり、私にアベルの婚約者にならないか、と言っているのだ。私とシルヴァが婚約者であることを、皇帝が知っているかどうかは知らないけれど、おそらく私に婚約者がいてもいなくても、皇帝にとっては些細なことだろう。この国で、皇帝の意見は絶対なのだから。

 それに、私の父親であるローラハム公も、私が王子であるアベルとの婚約ができるとなるときけば、一も二もなく皇帝の提案に飛びつくに決まっている。アイゼンテール家の長女であるルルリアはラーウム王子の婚約者だけれど、それに加えて、次女である私もアベル王子の婚約者となれば、今後のアイゼンテール家の権力は盤石だ。

 もちろん、私とアベルが婚約を結ぶとなると、シルヴァとの婚約は、あっさり破棄される。私とシルヴァは自分たちの意見を言うこともできないまま、あっという間に赤の他人になるのだろう。きっと、一緒に外出することはおろか、これまで通り話をすることさえも許されない。

 私は目の前が真っ暗になった。

 一介の貴族令嬢である私が、皇帝に向かって首を振るは許されない。いくら先ほど皇帝直々に無礼講を許されたといっても、身の程は痛いほどわきまえている。


(シルヴァ様と、せっかく仲直りできたのに! いきなり仲を引き裂かれるのは嫌!)


 エタ☆ラブでは確かに、アベルに憧れていた。1年前の私であれば、アベルと婚約をするように王にせまられている、なんて展開を知ったら狂喜乱舞するだろう。でも、今は違う。

 私は、シルヴァのことを知りすぎてしまった。優しくて、世話焼きで、どんな危険な時にもそばにいようとしてくれる人。


(私はどうしても、シルヴァ様の側にいたい……)


 長い長い沈黙の後、黙りこくってしまった私の代わりに口をひらいたのは、アベルだった。


「父上、やめてください。俺はこういうことを……望んではいません。それに、エリナの気持ちを、大事にしたいのです」

「しかし、エリナのことを、我はいたく気に入った。婚約者としては申し分ないだろう。しかもアベル、思い違いでなければお前は……」

「父上! 父上そういう発言をすれば、父上にその意思がなくてもエリナは従わざるをえなくなる。……俺は、そういうのはいやなんだ」

「…………」

「悔しいことに、エリナはすぐに父上の提案に答えられなかった。俺との婚約に迷いがある、ということだ。当たり前だ。俺は、出会い頭にエリナを怖がらせてしまった。まだ挽回のチャンスすら、俺はもらっていない」


 悔しそうな、震えるような声でアベルは言う。


「エリナがこちらを振り向かないのなら、振り向くまで気長に待つ。父上の援助は不要です」

「…………」


 部屋の中の空気がシン、となった。遠くでパーティーに浮かれる貴族たちの賑やかな笑い声が聞こえる。


(アベル様が、助けてくれた……)


 アベルの気持ちを知ったことに対して驚いた気持ち以上に、安堵の気持ちが大きい。私は、どうしてもこんな形でシルヴァと婚約の解消をしたくはなかったのだ。

 しばらくして、皇帝がため息交じりに苦笑する。


「ああ、まったく、息子が知らぬうちに成長してしまった。そして、我のやろうとしていたことは、どうやら余計なお世話だったようだな。すまなかった、エリナ。我は親心を暴走させてしまったようだ」

「いえ……」

「うーん、しかし、一応言っておくが、我は諦めてはおらぬゆえ。まあ、我が倅は身内びいき抜きにしても、良い性格をしておる。どうかチャンスを……」


 皇帝が全てを言い終わる前に、遠くで爆発音が響き渡り甲高い悲鳴が上がった。

 部屋のガラスがビリビリと震える。シャンデリアが揺れ、不快な音が部屋中に響き渡った。


「なんだ!? 衛兵! 衛兵はいないか! 王を守れ!」


 立ち上がったアベルが鋭い声で衛兵を呼んだ。衛兵たちがどこからともなく現れ、皇帝の両脇を守る。

 爆発音が続けざまに響き、悪いことにその爆発音はどんどん近くなっている。混乱した悲鳴は大きくなる一方だ。


「な、なに……?」

「エリナは俺のそばに。離れるなよ」

「い、いえ。私より御身のほうが大事ですから、とにかく安全なところへ……」


 私がそう言った途端、ガラス窓が砕け散った。悲鳴があがる。

 そこに現れたのは、夜明け前の空の闇を(うろこ)に溶かし込んだような、漆黒の翼竜(ドラゴン)だった。

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