71.二人の諍い
珍しく喧嘩します。
シルヴァがタウンハウスにやってきたのは、アベル王子が来訪した日の翌日、陽が落ちて星がちらほら見え始めた夕方のことだった。
「エリナが俺を呼びつけるなんて、珍しいな。明日はカエルでも降ってくるぞ」
冗談を言いながら部屋に入ってきたシルヴァは、明るい表情をしているものの、少し顔色が悪い。端正な顔がかなりゲッソリしていた。
足元で不機嫌に唸るオスカーをそっとなだめつつ、私は首をかしげる。
「今日のシルヴァ様は顔色が悪い気がします。体調が悪ければ、断っていただいても良かったんですよ」
「エリナが俺を呼ぶなら、たとえ大怪我をしていても馳せ参じるさ」
「大怪我の時は休むものです。……もしかして、件の二人組の男女のことでお忙しいとか……」
内心申し訳なさでいっぱいになりながら、私はできるだけさりげなさを装って訊いた。
「件の二人組の男女」というのは実は私とオスカーのことなのだ。もちろんそのことは誰にも言っていない。ただ、故意でないにしろ、夜中の廃墟を荒らし、シルヴァをふっとばし、大騒ぎさせてしまったのは事実なので、罪悪感は未だに胸に積もる一方だ。
しかし、予想に反してシルヴァは首を振った。
「その一件もあるが、そもそもブルスターナで最近夜な夜な魔物が出るようになったんで、そっちで今はかかりきりだ。すっかり寝不足で……」
「まあ、それは大変ですね」
「まったくだ。おおよそ、悪趣味な誰かが、面白半分で魔物を夜な夜な解き放っているんだろう。全く、迷惑なやつ……」
言葉の途中で、シルヴァはあくびを漏らす。よっぽど疲れているのだろう。
「大変な時に呼び出してしまってすみません。すぐに要件を伝えますから、帰って早めに寝てください」
「いやいや、そう冷たいことを言うなよ。また膝枕してくれてもいいんだぞ?」
茶目っぽく眉を上げるシルヴァの言葉を無視して、私は単刀直入に訊いた。
「昨日、アベル王子から、シルヴァ様に言付けをお願いした、と聞きまして。内容を教えてくださいませんか?」
私の言葉を聞いて、それまで微笑んでいたシルヴァの顔がサッと硬くなる。反応から鑑みるに、アベルの言付けの一件に、心当たりがあるらしい。
「おいおい、第二王子が来た、だと? どういうことだ」
「シルヴァ様、質問を質問で返さないでくださいな」
「すまない。しかし、まずなぜ第二王子がここに来たか答えてくれ。もしかして俺に隠れて、しょっちゅう会ってるのか?」
「隠れて会っている!? アベル王子と!? そんなわけないじゃないですか!」
私はすぐに反論する。
そもそも、第二王子であるアベルと会ったのは、ローラハム公に連れられて王宮の議会に行った時以来だ。その上、あの時は言葉を交わしてすらない。
「アベル王子は私にダンスパーティーの招待状を渡しに来ただけですよ」
「パーティーの招待状を渡しに来た、だと!? 王子自ら??」
「来てほしい、とだけ言われております。アベル王子のお父上である皇帝も、それをお望みだと。この前の議会の件で、皇帝が私とゆっくり話したいとおっしゃっていましたから、もしかしたらその件で呼ばれたのかもしれません。その他の意図は不明です」
なるだけ簡潔に事実だけを伝える。現に、それ以上に言いようがなかった。
シルヴァは眉間にくっきりと縦皺を寄せた。整った顔に不快という二文字が浮かんでいるようだ。いつも飄々として感情の読みづらい人物だけに、このような表情は初めてみる。一瞬、その表情に気圧されかけたものの、私は負けじと踏みとどまってシルヴァの顔を睨んだ。
「私は質問に答えたはずです。次はシルヴァ様が私の質問に答えてください」
「……嫌だ、といったら?」
「困ります。この国の王子からの言付けを、無視することはできません」
「それは、アベル王子の言付けだから、ではないのか」
「……どういう意味ですか」
「エリナは、アベル王子のことが好きなんじゃないのか」
一瞬、奇妙な間ができた。
(え、なんで……?)
私はシルヴァに前世のことを話していないはずだ。エタ☆ラブの推しがアベルだということも、この世界に来てしばらくはアベルと結ばれればいいな、なんて甘いことを夢見ていたことも。
私の沈黙を、肯定とうけとったらしいシルヴァの顔が、くしゃりと歪み、自嘲するような表情になる。
「アベル王子の言付けは要約すればこうだ。『事情も知らず無理にダンスに誘ったあげく、激高してすまなかった。自らの行いを猛烈に恥じている』、と」
私は驚いた。あのアベルが、私に謝っていたのだ。そのことを事前に知っていたら、私はもう少し落ち着いてアベルを迎えることができたのに。シルヴァが言付けを伝えてくれなかったせいで、無駄に怯えすぎてしまった。
「なぜ、私に伝えてくださらなかったのです? もっと早くに教えて下さったら、昨日の対応も変わってきましたのに……!」
「端的に言えば、俺が不快だからだ。アベル王子もまた、エリナに好意を抱いている」
珍しく感情をあらわにして、きっぱりとそう言い切るシルヴァに、私は困惑した。
「待ってください! アベル王子が私に好意を抱いているなんて確証はどこにあるんですか?」
「そんなの、見てれば分かる! 親が決めた婚約者との婚約パーティーで運命の出会いとは、恋愛小説みたいだな。婚約者は弱小貴族の三男坊、対して出会ったのは一国の王子。まったく、おあつらえ向きだな。俺はとんだ当て馬だ」
皮肉気に片頬を上げるシルヴァに、私はムッとする。胸の中がモヤモヤした。
シルヴァの主張は、多大なる勘違いも甚だしい。第一、シルヴァが居合わせないところで、百年の恋も一瞬で崩れ去るような出来事が起こったのだ。
それなのに、こちらの事情も知らないで、一方的に推論だけで私とアベルのことを決めつけられ、あまつさえこうやって責められるのは納得いかない。
「お言葉ですけれど、もし私とアベル王子が恋をしているとして、シルヴァ様はどうなんです?」
「なに?」
「……大変ご令嬢たちに人気だそうじゃないですか。婚約パーティーの時も、ご令嬢に囲まれていましたしね。今は何人の方とお付き合いされているんですか?」
皮肉交じりの私の返事に、シルヴァが虚を突かれた顔をして言葉に詰まった。恐らく、私から反論されると思っていなかったのだろう。私はそれに乗じて、一気呵成にたたみかける。
「ずっとごまかせているつもりでいたようですが、私が気付かないとでも思ったんですか? 私が年下だから? 舐めないでください!」
「それは昔の話だ! 今は違う!」
「どうだか! 信用できません」
「そこは俺の言葉を信用してくれよ!」
「では、どうして私ばかり疑われて、責められねばならないのですか!」
私はそこまで一気にまくしたてると、深くため息をついた。鼻の奥がツンとする。対して、シルヴァは目を伏せて何かを考えこむように押し黙った。
それからしばらく、かなり気まずい沈黙が流れる。やがて、何かを言おうと口を開いたシルヴァは、私の顔を見て、一瞬で悄然とした顔になった。
「……すまない。傷つけるつもりはなかったんだ。俺は、少し頭を冷やす時間が必要なのかもしれない……」
掠れた声でシルヴァがそうつぶやいた。その時、自室のドアが開いて、機嫌のいいゾーイが顔を出す。
「シルヴァ様、せっかくいらっしゃったのですから、夕食でもいかがですか? 今日は良いポナイの実が入って……」
「いや、けっこうだ。これにて失礼する」
ゾーイが引き留める間も与えず、シルヴァは俯きがちにさっと外に出た。
「まあ、まあ! いつもなら何かと理由をつけて長居したがる方なのに、こんなに早く帰られるなんて! どうしたんでしょう」
目をぱちくりさせるゾーイは、私の顔を見てぎょっとした顔をした。
私は疲れた足取りで踵を返す。すっかり暮れなずんでしまったブルスターナの街が見える大きな窓が目に入る。
窓ガラスには、ボロボロと涙を流す私が映っていた。
ふたりともなんだかんだで似た者同士なので、不満がここぞというところで噴出して大喧嘩になります





