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68.ダンスはまだ踊れない

 オルスタに残っている姉のルルリアから手紙がきたのは一段と寒い日の朝のことだった。

 手紙の内容は、カーシス商会で買ったアクセサリーのことだ。「お姉さまに似合うと思って」と簡単な手紙とともに送ったネックレスは、ふんだんに柘榴石が散りばめらた豪奢なものだった。ルルリアはそれをいたく気に入ったようだ。

 私はそのことをふと思い出して、いつものようにうちに遊びに来ていたカーシス商会の頭取とうどりの妹、ザラとの会話の話題にあげた。


「ザラ、この前選んでくれたアクセサリー、お姉さまに送って、もう届いたみたい。すごく喜んでいたわ。ありがとう」


 改めて頭を下げると、ザラは涼しい目元を嬉しそうに細めた。


「光栄だわ。きれいなルルリアさんの胸元で光るあのネックレスはさぞかし美しいでしょうね」


 ザラはうっとりとした顔をした。あまりに通常運転のザラに、私は苦笑する。ザラは人間はあくまで美しいネックレスのお飾りである、という独特の価値観をもっているのだ。


「……それでね、お姉さまが今度ブルスターナに来た時に、ザラにぜひ会いたいって」

「まあ、嬉しい! お兄ちゃんもきっと喜びますわ。だって、カーシス家のような弱小貴族からしたら、アイゼンテール家とお付き合いがあるなんて、光栄なことだもの。こうやって、エリナとお茶をしてもらうだけですごいことなのに……」


 そこまでいうと、ザラは恥ずかしそうに目を伏せる。


「そんなこと言わないで! ザラは私の大事な友達だよ。アイゼンテール家の末娘っていっても、そんなに大したことないし……」


 私は本心からそう言った。

 ブルスターナに来て気付いたのだけれど、アイゼンテール家の末娘だからとすり寄ってくる貴族はかなり多かった。こちらが鼻白むほどにあからさまな媚を売ってくる貴族も少なくはない。アイゼンテール家はそれほどまでに権力を持っていた。無駄に貴族令嬢たちのお茶会に誘われるし、なにかと理由をつけてこのタウンハウスを訪れる来客も多い。

 確かにブルスターナに来て知り合いは格段に増えた。

 それでも、心を開いて話せる貴族令嬢はザラとアリッサくらいだ。この二人は信頼できる、貴重な友達だった。

 ザラは頬を少し赤らめたまま、少し首を振る。


「エリナったら、本当に優しいですわ……」

「ザラだって優しいわよ? ファッションセンスのない私に、根気強く色々教えてくれるじゃない」

「その点について否定できませんわ。エリナはもう少し、いいものを見る目を養ってもらわないと! 今日のアクセサリーだって、合わせるドレスを間違えてますのよ? こういう襟の小さなドレスには、大ぶりのものをつけないと! これではアクセサリーがかわいそう!」


 急に饒舌に語りだしたザラに、私は苦笑する。こうやってズケズケと悪いところを指摘してくれる友人は、かなり貴重だ。それにしても、私のセンスはよっぽどザラにとって受け入れがたいものらしい。このままだと延々とアクセサリーの話になりそうなので、私は話題を変えることにした。


「そういえば、街外れの廃墟のことを知ってる?」


 私の唐突な質問に、ザラは目を丸くした。


「え、ええ。一時期大騒ぎになりましたから、もちろん知っていますわ。あの場所がどうかしまして?」

「ちょっと前を通ったら気になって……」

「ああ、あの場所はちょっと不気味ですものね。確か、3年前に火事があったはずですわ……」


 ザラはずっとブルスターナに住んでいるため、郊外にある孤児院の火事についてよく知っていた。

 聞けば、やはり私が訪れたあの廃墟は孤児院で間違いないようだ。3年前激しい火事によって焼け落ちたらしい。出火元は不明。火事が会った日はちょうど雨季で、自然発火はあり得ない。

 私は首をかしげる。


「孤児院だから、子供たちがいたはずよね? みんなはどこに行ってしまったの?」

「孤児院の孤児たちは散り散りになったようですよ。何人かは養子になったようですけれど、きっと路頭に迷った子もいたでしょうね……。本当に可哀想だわ……。私に、何かできることがあったらよかったのだけど……」


 そう言いながらしょんぼりとした顔をするザラに、私は慌てた。


「そんな暗い顔しないで! ごめんね、変なこと訊いて」

「こちらこそ、ごめんなさい。あの火事を思い出すと気持ちが沈んでしまいますの。……それより、このお茶すごく美味しいですわ」


 ザラはゆったりとした仕草でお茶を飲んでため息をつく。


「落ち着く味、と言ったらいいのかしら。カーシス商会ではお茶も扱っているけれど、こんなにおいしいお茶はなかなか見つからないですわ」

「これ、オルスタのお茶なの。そんなに生産していないみたいで、あまり出回ってないの……」

「まあ、そうなの! すてき!」


 再びなごやかな雑談に話が戻ったものの、私の内心はあまり穏やかなものではない。


(このままじゃ、ジルの行方がずっと分からないままだわ……)


 ジルが攻略キャラクターの誰とも恋に落ちず、『愛の魔法』をぶっ放すこともなく、このままストーリーが進めば、問答無用でこの国は滅びる。無論、それは何としてでも避けたいところだ。

 しかし、ジルの行方が全くつかめない以上、今の私には次の打つ手がまるでない。


(もしかして、自力で魔王を倒さないといけないとか、そういう展開なのかな……)


 ふと胸に浮かんだ考えを、まさか、と私は否定した。悪役令嬢の妹(モブキャラ)が世界を救えるわけがない。世界を救うのは、いつだって主人公だ。

 そんななか、にわかに廊下が騒がしくなった。


「お、お嬢様!」


 ミミィがノックもせずに、転がるように部屋に入ってくる。私はぎょっとした。


「えっ、なに、どうしたの?」

「お、お、お客様です!!」

「えっ、予定はないはずよね? うーん、せっかく来てもらって悪いけれど、今ザラと話してるし、来客があるから、ってお断りしてもらえる?」

「で、で、で、できません!! そんな!!!」


 ミミィはブンブンと頭を振った。私は怪訝な顔をする。

 儀礼を重んじるこの国では、連絡をよこさずに来客するという行為は、不作法にあたる。貴族を相手に約束アポなしで急に来訪して許されるのは、かなり親しい相手か、もしくはこの国の王族くらいだ。

 普通なら約束なしに来た客はやんわりと追い返すはずなのに、今日はなぜかミミィが私に来客を告げている。なにか特別な理由があるはずなのだけど、いまだ慌てて要領を得ないミミィに、私とザラが揃って首をかしげる。


「どういうこと? 誰が来たの?」

「い、いらっしゃったのは――っ……!!」


 ミミィが名前を言いかけたのと、ドアがガチャリと開いたのはほぼ同時だった。


「ふあっ!?」


 突如現れたその人を前に、私は変な声が出た。ザラは驚きのあまり、紅茶を飲みかけたまま時が止まったかのように動かなくなる。

 それもそのはず、部屋に入ってきたのはカウカシア王国第二王子、アベル・ドン・ルガーランスだった。

 麗しい顔面は今日も氷のように冷ややかだ。鋭い瞳は深い海を思わせる蒼色で、幼いながらに威厳のあるその居ずまいは、その年に相応しからぬ存在感がある。


「あ、アベル王子!?」

「急入ってきてしまって、すまない。予定があとにある。急いでいるんだ」


 年のわりに落ち着いた声で、アベルは淡々と告げた。ミミィが青白い顔で「部屋の前で待ってって言ったのに」と小さな声で呟く。


(な、なんで、アベル王子がここに……?)


 頭の中が一瞬にして「?」だらけになる。訳が分からない。

 とにもかくにも、一瞬呆然としたものの、私は我に返って立ち上がると深々と礼を取った。硬直していたザラも、慌てて立ち上がって頭を下げる。


「ようこそ、いらっしゃいました」

「いや、そんなに改まらずとも良い。要件は大したことではない」


 そういうと、アベルは一瞬口ごもって目を伏せた。長いまつ毛が、頬に影を落とす。まるで精巧な絵画や彫刻を見ているようだ。

 私はただただアベルの整った顔をぼんやりと眺めた。


(本当に、見るだけなら最高なんだけどな……。眼福だわ……)


 そんな場違いなことを一瞬考えてしまうけれど、そんなことを考えてる場合ではない。

 婚約パーティーでダンスを断って怒らせてしまったため、アベルは私に対して悪い印象を持っているのは間違いなかった。

 それなのになぜ、アイゼンテール家のタウンハウスまで来たのか。まったく見当もつかない。


(ダンスを断ったとき、けっこう、っていうかかなり怒ってたよね……?)


 私はもう一度婚約パーティーの日のことを思い出し、やっぱり怒ってたな、と再確認する。第一王子のラーウムと姉のルルリアが仲裁に入ってくれたからどうにかなったものの、アベルの突然の激高はほぼトラウマレベルの出来事だ。

 アベルは長い沈黙のあと、ようやく口を開いた。


「これを、渡しに来た」


 そういって、私に二つ折りのカードを差し出す。一目見て上等な紙は、金糸でとじられている。私は恐る恐るカードを受け取ると、一言断ってから、丁寧に結ばれた金糸をとき、中身を見た。


「しょ、招待状……?」


 それは、一週間後に王宮で開催される王族主催のダンスパーティーの招待状だった。


「来てほしい。我が父である王も、それをお望みだ」


 ぽつりとそれだけ言うと、アベルはそっぽを向く。


(お、王様から!? っていうか、なんで、王子自ら招待状を……?)


 ますますもって意味が分からない私は、ただわたわたして手を彷徨さまよわせる。


「あの、私、まだダンスは踊れませんよ……?」


 自分から地雷を踏みに行った気もしないでもない。案の定、アベルは戸惑ったような、少し不貞腐れたような顔をした。


「構わない。事情は知っている」

「は、はあ……」

「あの時のことは、その……。シルヴァ・ニーアマンに言付けをお願いしたはずだ。何度も言わせるな」

「こ、言付け!?」


 ますます何のことかわからない。記憶違いでなければ、シルヴァからアベルの話は一度も聞いたことはない。しかし、何も聞いていない、とストレートに答えてしまえば角が立つのは目に見えていた。詳しくはあとでシルヴァに訊くとして、今はとにかく言葉を濁す。

 

「すみません、婚約者も忙しく、十分話せていない部分も多いのです。今度会った時に、聞くようにいたします」


 暗に『シルヴァからは何も聞いていない』、と遠回しに伝える。また怒らせてしまうかもしれない、と少しかまえたものの、アベルはがしたのは意外な反応だった。


「……なに? 十分、話せていない? ……そうなのか。ふーん……話せていない、か」


 アベルはシャープな顎に指を添わせて、呟くように独り言を漏らす。心なしか嬉しそうな顔をした、ようにも見える表情だけれど、付き合いが浅い私にははっきりとアベルの表情の意味を掴むことができない。

 私が言葉の意味を訊く前に、アベルはさっと踵を返した。


「次の予定があるので俺はこれにて失礼する。邪魔したな」


 それだけ言うと、アベルは来たときと同じように唐突に、深緑色の外套を翻して帰っていった。まるで嵐だ。

 私とザラ、そしてミミイは、ただ呆気に取られて、ぼんやりとその堂々とした後ろ姿を見送ることしかできなかった。

アベルははお気に入りのキャラクターなのですが、ようやく物語に再登場させることができてうれしかったです。今後もちょこちょこ出てきます!

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