63.虚の魔法
カウカシア王国の首都、ブルスターナには短い冬が来た。
この時期になると、ブルスターナの市場にようやく暖炉用の薪やマフラー、コートといった類の、暖をとるための商品が並ぶ。裏を返せば、それらのものは冬本番といえるこの時期まで必要ないということだ。
「だいぶ寒くなってきたけど、オルスタよりマシね」
ブルスターナの街を快適に走る馬車の中で、私は独り言をいう。車窓の磨きあげられたガラスからうっすらと冷気を感じるものの、そこまでの寒さではない。
ブルスターナの冬は、思ったよりはるかに快適だった。というより、アイゼンテール家の領土であるオルスタの冬が過酷すぎたのだ。
オルスタにいる姉のルルリアから頻繁に寄こされる手紙は、寒さと雪の愚痴、一刻も早く春が来てほしい、という内容ばかりになっている。今年は積雪が多いらしく、城の庭はすっかり雪でうまってしまったらしい。単調な日々に飽き飽きしている様子は容易にうかがえた。
一方、ブルスターナにいる私はといえば、なんだかんだで忙しい日々を送っている。ブルスターナに滞在の期間は限られているので、日々なにかとスケジュールが詰め込まれていた。
今日は週一回の魔法のレッスンの日だ。
(魔法のレッスンに行くのに、盗聴器付きのコサージュを渡されたのは最初の一回だけだったわね)
ローラハム公の考えは、未だによくわからない。タウンハウスでたまにすれ違っても、いつも通り無視されるかあからさまに不快そうな顔をされるだけだ。
ゾーイは相変わらずブルスターナの大魔女グラヴィスを嫌っているけれど、私がグラヴィスのいるユフディの研究所に行くことを特に咎めてくることはない。
(まあ、様子見ってところなんだろうけどね)
私は深いため息をついて足を組む。とにかく、ローラハム公から様子見されていたとしても、今は魔法が使えるようになることが第一だ。
「お嬢様、そろそろ目的地につきます。ご準備を」
馬車を繰る御者から声をかけられて、私はコクリと頷いた。
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「さてさて、おさらいになるが、まず小さな火をおこしてみよ」
ユフディの合図で、私は深呼吸をして頷く。
(何も考えずに、小さな火をイメージして……)
次の瞬間、手元がほわりと温かくなる。手元で小さな火が揺らめいている。成功だ。
「よろしい。次は風……」
私はユフディに指示された通りに、次々に魔法を繰り出していく。年齢不詳の女性の姿をしたグラヴィスが、私の魔法を満面の笑みで見つめた。
「いいわ、いいわよ、エリナ!! さすが栄えある私の327番目の弟子! この私の目に狂いはないわ!」
「お二人の指導があってこそです」
「まあね! わかってるじゃない! それはそうと、やっぱり呪文がないほうがやりやすい?」
「ええ。どうしても呪文があると頭の中がごちゃごちゃしちゃって」
一般的に、「喜・怒・哀・楽」各属性の魔法使いたちは感情をエネルギーとして呪文でそのエネルギーを練り上げ、それを魔法として放出するらしいけれど、私の虚の魔法は逆だ。すべての感情は邪魔になる。必要なのは、何も考えず、ただ無心でやりたいことをイメージすること。それだけだ。
最初は確かに難しかったけれど、ある程度慣れると上達は早かった。その上、どうやら一般的な魔法と比べても力が強いらしい。
腕を組んで私の魔法の訓練を見ていたユフディは、たくわえた髭をしきりに指でしごきながら、低く唸った。
「やはりエリナ君の全属性全ての魔法が使えるようだ。儂達とは全く質が違う」
「そりゃあ、夜の国の魔法である虚の魔法なんて使えるんだから、全てが違うに決まってるでしょ。私たちの魔法とエリナの魔法は、似て非なるモノ」
「グラヴィスちゃん、あまりそうズケズケものを言うものではない」
ユフディは顔をしかめてグラヴィスちゃんを咎めると、私に「すまないのう」と小さな声で謝った。私は苦笑する。
「いえ、グラヴィスちゃんは間違っていることはいっていませんから。お二人にとって、虚の魔法なんて未知の領域の魔法のはずなのに、こうやって訓練に付き合ってくださって本当に感謝しています」
「それはかまわん。儂にとっても興味深いことばかりじゃ。また一層に研究が進むわい」
ユフディは満足げにぶ厚い紙の束をトントンと指でたたいてみせる。私の魔法について詳細に書き付けているメモだ。
(そういえば、オルスタで魔法を教えてくれたポーリもメモ魔だったなぁ……)
ポーリのことを思い出して、私はなんとなく懐かしい気持ちになる。そんなに昔の出来事ではないのに、いろいろありすぎてもはや遠い過去の話のようだ。
ユフディは、メモの間に挟んでいたデイ伯爵が送ってくれた土砂崩れについてのレポートを取り出す。
「……これまでのことを鑑みると、やはりこの土砂崩れの時に魔法を発動させたのはエリナ君じゃな」
「なんだか、いまだに信じられません。あの時は必死で……」
「おそらく、必死だったから、できたことじゃろうて。盗賊の一件の時もそうじゃ。必死だったじゃろう? 火事場の馬鹿力、というやつじゃわい」
「そうなんでしょうか……。私があんなに大きな魔法を……」
いまだに納得できない私の頬を、グラヴィスの長い指が優しく撫でた。
「エリナ、アナタは自覚していないけど、アナタはまだ本気を出していないの。いざとなれば、この研究所なんて一瞬で吹き飛ばせるくらいの魔力を、アナタは持ってるのよ。私の弟子たちの中でピカイチの魔力だと保証してあげる! ま、それでも大魔女グラヴィスの力にはかないませんけど!!」
「は、はあ……」
「まったく、エリナは自分の力をまだ信じられないの? エリナって意外と、自分に自信がないタイプ!? まあ、その時にならないと、アナタの本当の力はわからないかもしれないかもね」
グラヴィスはそういうと、軽やかにボロボロの肘掛け椅子の上に腰かける。
「とりあえず、お茶にしましょう。エリナ、アナタ少し魔力を使いすぎよ。ユフディ、ニールの葉でお茶を淹れて」
当たり前のようにお茶を出すように命令されたユフディは、やれやれ、とばかりに首を振るとお茶を淹れに奥に引っ込んだ。師匠であるグラヴィスには頭がどうしても頭が上がらないのだ。
正直なところ魔力はまだ十分にあるし、魔法の練習を続けたかったものの、私は大人しく頷いて大量に怪しげな本が置いてあるソファに腰かける。
「今日は、あの黒い仔犬ちゃんは?」
「オスカーですか? 最初の一件からすっかりグラヴィスちゃんを怖がってしまって、朝から姿すらみていませんよ」
「あら、残念! 私、可愛い生き物は大好きなのに」
さして残念でもなさそうな顔をして、グラヴィスは頬に手を当てる。
「ねえ、これはただの好奇心で訊くんだけど、エリナはローラハムやあの過保護な乳母や婚約者たちに自分の属性をどう説明しているの? まさか、自分が虚の魔法使いだと馬鹿正直に伝えてはいないでしょうね?」
「いえ、楽の魔法と怒の魔法、二属性使えるということにしています」
幸いなことに、この言い訳は簡単に皆すんなり信じた。エタ☆ラブのツンデレ眼鏡担当であり、私の兄のロイも二属性の魔法が使える魔法使いだからだ。
ちなみに、ローラハム公には報告すらしていない。まあ、ゾーイあたりから話は言っているだろう。
グラヴィスは年齢不詳の顔貌に魅力的な笑みを浮かべる。
「それが良いわ。人前で使う魔法だけ気をつけなさいな。そういえば、楽の魔法が使えると公言しているのであれば、この偉大なる大魔女グラヴィスのように、姿を変える魔法も使えるってことにできるんじゃない?」
「あっ、そうですね! やってみます!」
考えたこともなかったけれど、変身できるという能力はかなり便利そうだ。いかんせん、この身体だと高いところに手が届かなかったり、歩くスピードが遅かったりと、制約が多い。
私はさっそく立ち上がって、魔法を使うべく深呼吸をした。
(身体を、大きく――……)
心の中から無駄な考えを全て取り除き、身体が大きくなるようにイメージをする。身体中がふわりと温かくなって、光に包まれたとき、突如ベリベリ、と布が引き裂かれる嫌な音がする。
「……って、あ、あれぇ!? ストップ、ストップ!」
違和感を覚え、慌てた時にはもう遅かった。慌てて身動きすると、身体中のあちこちで、布が裂け、糸が引きちぎれる。
「な、何事かね!! ――っ、おわぁ!!」
慌てた様子で奥からユフディが飛んできたものの、私の姿を見たとたん顔を真っ赤にして、両手で目を覆って回れ右をする。
それもそのはず、ソファの上の私は、ズタズタの服をかろうじて身にまとってはいるものの、あられもない姿になっていた。私が身に着けていた服は大きくなった私の身体に耐え切れず、ズタズタになってしまったのだ。
「あらあら、傑作! 幻覚系の魔法をかけたんじゃなくて、本当に自分の身体を強化するかたちで大きくしちゃったのね。すごいわあ」
グラヴィスが手を叩いてケタケタと笑う。
(そういえば、グラヴィスちゃんが若い姿でいるのは人の目を欺くような魔法を使ってるって、前に言ってたような……)
私はどうやら根本から間違っていたらしい。
目を両手で覆ったままのユフディが慌てた様子で口を出す。
「グラヴィスちゃん! 感心してないでエリナ君に服を、服を渡してあげなさい!」
「はいはい、わかってるわよ」
ユフディの言葉に面倒くさそうに頷くと、グラヴィスは指を鳴らす。ポン、と軽やかな音をたてて、私の目の前に黒いシルクのローブがあらわれた。私はそそくさとそのローブを身にまとう。
そんな私を、グラヴィスは興味深げに眺めつつ蜂蜜色の瞳を細める。
「姿をみてらっしゃい! 鏡は、後ろのカーテンの向こうにあるわ。このズタズタの服は、このグラヴィスちゃんが特別に直しててあげる」
「は、はい。ありがとうございます……」
私は慣れない身体に苦戦しつつ立ち上がると、埃かぶったカーテンをゆっくりと開ける。
カーテンの奥にある鏡に映っているのは、驚いた顔をした銀髪の美しい女の人だった。
私は思わず、頬に手を当てる。
「わあ……。こ、これが、成長したエリナ……?」
鏡の中の呆然として見開いた翡翠色の瞳が、私を見つめ返していた。清楚でどこかはかなげな印象を持たせる美女がそこにいる。すべてのパーツが恐ろしく整っていて、長いまつ毛に縁どられた甘く潤む瞳は神秘的に輝いていた。
いつの間にか後ろにいたグラヴィスが、私の肩に手を置いて微笑んだ。
「まあ、ソフィアにそっくりね」
「お母さまに? うーん、言われてみれば、確かに似てますね……」
「ええ。うーん、でも目の色と目元が少し違うかしらね。あと、ソフィアは痩せすぎてたけど、エリナはそうじゃないのね。胸もお尻も、出るとこ出てるじゃない。よかったわね!」
「ぐ、グラヴィスちゃん! どこを見てるんですか!」
「胸を張りなさい! あって困るもんじゃないわ!」
「グラヴィスちゃん、それはセクハラです!」
顔を赤らめて思わず叫ぶと、グラヴィスはいたずらっ子のように笑って、クローゼットの奥のタンスを指さした。
「まあ、今後何かと困るだろうし、お下がりでよければ私のクローゼットから服を何枚か持っていきなさい。上から二番目ね。もちろん、すべて最高級のものばかりよ? 大魔女は太っ腹なの」
そう言って、グラヴィスは高笑いをする。私はお礼を言って頷くと、遠慮なくタンスの中の服を何枚か見繕って取り出す。どの服も、あまり袖を通していないようだった。
お茶を出してくれていたユフディが、ニコニコと笑った。
「エリナ君、持っていく服はそれだけでよいのか? もっととっても良いんじゃぞ」
「いえ、これで十分です」
「うーむ、エリナ君は無欲じゃのう。しかしこちらとしては、全部の服を持って行ってほしいくらいなんじゃぞ。 そこにあるのは、グラヴィスちゃんが太りすぎて着られなくなったものの、いつか着られると夢を見てタンスにずっとしまってある服ばかりでの」
ユフディの不用意な発言に、高笑いしていたグラヴィスの笑顔が凍りつき、一瞬にして剣呑な雰囲気を漂わせる。
「この馬鹿弟子、口を慎みなさい」
「しかし、儂は間違ったことをいってはいないと……」
「なによ、このグラヴィスちゃんに口答えする気なの? また呪いをかけてやるからね!」
「ひっ、ヒィイイ!」
いつも通りの二人のやり取りに、私は苦笑することしかできなかった。





