61.信頼にたる誰か
「……さて、俺の婚約者殿の腹は満たされたか?」
シルヴァ様はオープンテラスの机に頬杖をつきながら微笑む。私は、食べ終わって空になったお皿を前に、若干むくれながら頷いた。
「……おかげさまで」
「ふくれっ面はよしてくれ。笑って悪かったよ。腹が減るのは元気な証拠だ」
そう言いながら、シルヴァは抑えた声で笑う。
私の代わりに、足元にいるオスカーが気に入らない様子でフン、と鼻を鳴らした。
シルヴァが連れてきてくれたのは、なにやら不思議な辛さのあるスープのお店だった。吊り下げられたランプも、カウカシア王国ではなかなか見ない、ホオズキのような珍しい形をしている。店内にまばらにいる客は、珍しい南国風のゆったりしたシルエットの服を着ている。
私は咳ばらいをして話を変えた。
「ここのスープは、どこ地方の料理なのですか?」
「ああ、東のエカティーナ国だよ。俺の一番上の兄貴がいる国さ」
「へえ、一番上のお兄様が」
私は頷きながら内心少し驚いた。シルヴァの口から兄弟の話が出るのは初めてだ。
私の意外そうな顔に、シルヴァは首を傾げた。
「おっと、話していなかったか。兄貴は二人ともこの国の外交官なんだ。婚約パーティーにも二人の兄上を呼びたかったのだが、パーティーが決まったのが急で、どうしても国外にいる二人とも帰ってこられなかったんだ。いつか、必ず会せよう」
「え、ええ……」
私は驚きながら頷く。出会って半年にもなるのに、そういえばシルヴァの兄弟の名前すら私は知らない。
(いくらなんでも、シルヴァ様のこと知らなすぎでしょ……)
自分でもその事実に気づかなかったことにドン引きだ。これではシルヴァに自分のことに興味がない、と指摘されても仕方ない。
「今更ですが、お兄様たちの名前を聞いても?」
「上の兄貴はターナーで、下の兄貴はイザイアだ。二人ともこの国の外交官だ。二人は食べるのが大好きでな。手紙をよこしてくるが、たいがい食べ物のことしか書いてこないんだ」
そう言って、シルヴァは楽しそうに笑う。
「二人は各国飛び回っているが、行く先々で美味しい小料理屋を探すのが好きでな。ここ数年は、会うたびにどんどん丸くなっていくから、俺は二人がそのうちブルスターナに売っているどの服も入らなくなるんじゃないかと気が気じゃなくてな」
そう言って、シルヴァは楽しそうに二人の兄について話し始めた。兄弟仲はかなり良いのはシルヴァの語り口から十分うかがえる。聞く限りだと、ターナーもイザイアも独身で、人は良いがどこか抜けているところがあるようだ。
しばらく話していたシルヴァは、幼少期の二人が木登りをして落ちたエピソードに話が及んだあたりで、急にトーンダウンして、ばつの悪そうな顔をする。
「……おっと、すまない。エリナは聞き上手だな。結局、俺が一方的に話してしまった」
「いえ、面白かったです。シルヴァ様はあまり、自分のことを話したがらない人ですから」
私の答えに、シルヴァは片眉をあげた。
「エリナに言われたくはないな。なんせ俺の婚約者殿も、自分のこととなるととにかく口数が少なくなる」
頬杖をついたシルヴァの漆黒の瞳がまっすぐ私を見つめる。
「俺の婚約者は秘密主義者だからな」
「……私の話なんて、聞いても面白くないです。ずっと城に引きこもっていたんですから」
「そうか? 謎めいたアイゼンテール家について、色々興味深い話は聞けそうだが」
「そう言われましても、私も、アイゼンテール家のことはあまりよくわかっていませんから……」
私にとっても、アイゼンテール家は謎だらけだ。この身体の持ち主でさえ、自分のことがよく分かっていない節がある。
エリナ自身の記憶は一応保持しているものの、ゾーイやミミィとの記憶の他には、冷たい家族との薄い繋がりと、壁を見つめていた記憶くらいしかない。エリナは私と入れ替わるまでほとんど人形も同然だった。
(エリナの過去の話も特に何もないし、別の世界の私の話をしたって仕方ないしなぁ。どうせ信じてもらえないだろうし)
とにかく、シルヴァに話すことはあまりないように思えた。
話題に困った私は、とりあえずお茶を口にする。出されたときは熱々だったお茶も、すっかり温くなってしまっている。長居しすぎたかもしれない。そろそろ家に帰らないと、ゾーイやミミィに心配をかけてしまいそうな気もする。
(言い訳は多少考えたけど、帰ったらローラハム公の尋問かな。嫌だな……)
とんでもなくタウンハウスに帰るのは気が進まないけれど、「そろそろ帰りましょう」と立ち上がろうとしたところで、シルヴァが口を開いた。
「……ところで、エリナ。一つ質問していいか?」
「はい?」
「今日は何があった? ローラハム公はなぜ俺をユフディ師の研究所に送った? まさか、ゾーイさんたちに黙って研究所に行ったわけじゃないよな?」
唐突な質問に、私は硬直した。まさかいきなりそれを質問されるとは思っていなかったのだ。
足元のオスカーが黄金色の瞳を不安そうにこちらに向ける。
(まさかオスカーの正体をバラすわけにもいかないわよね……)
心配性なシルヴァに、夜の国の魔物であるオスカーの正体を告げれば、大変な騒ぎになるだろう。
その上、ローラハム公と繋がっている乳母のゾーイとシルヴァはしょっちゅう連絡を取っている。シルヴァにいろいろなことをうかつに喋ってしまうと、隠しておきたい情報までローラハム公に筒抜けになる可能性も否定できない。
私は深呼吸すると、慎重に言葉を選ぶ。
「ローラハム公からは何も説明されていないんですか?」
「聞いていない。伝令の従者から要件を聞いた二秒後には動いたからな。しかし、ローラハム公から連絡があるなんて、一大事に決まっている。エリナの身に何かあったに違いないと思い、グダグダ理由を聞くより、一刻でも早く向かうべきだと判断した」
「それは、いささか軽率な行動では? 今日は大切な日だったというのに、たいして急ぎの案件でもなかったらどうするんですか? そんなに心配していただかなくても大丈夫ですよ」
私は憮然として言い返す。シルヴァはなにかを言い返そうとしたけれど、やれやれ、という顔をして話を元にもどした。
「……それで、何があったんだ」
「研究所に行くことは、前々から決まっていました。ローラハム公は、ゾーイを通じて研究所に行く私にこれを渡したんですが……」
私は、ポケットから例の盗聴器付きのコサージュを取り出す。シルヴァはそれを見て怪訝そうな顔をした。
「ローラハム公がこのコサージュを、エリナに?」
「ええ。でも、せっかくいただいたのに、壊してしまって。コサージュが壊れてしまったので、私の身に危険が及んだと考えて、シルヴァ様に私のもとに向かうように指示したんじゃないかと思います」
たぶん、と付け加えつつ、私はシルヴァから視線を外した。実はコサージュに盗聴器がついていたことや、私が夜の国のことなど、肝心なところをぼかしているだけで、なにも嘘はついていないはずだ。
シルヴァは興味深そうにコサージュをつまんで眺めた。
「このコサージュはどこも壊れた様子はないが……」
「ええ、魔法で直してもらいましたから」
「へえ、すごいもんだな」
シルヴァはコサージュを私の手のひらに戻して腕を組む。
「……なるほどな。ふぅん」
独り言をつぶやくような低い声でそう言うと、シルヴァは少し何かを考えるように空を見上げた。ふいに黙ったシルヴァに、私は首を傾げる。
「……えっと、シルヴァ様?」
「なあ、エリナ。これは俺の独り言だ。答えるのも、答えないのもエリナが決めたらいい。……俺に、いや、ゾーイさんやミミィ、ローラハム公にも、なにか隠していることがあるだろう」
「……っ!」
私は驚いて息をのんだ。シルヴァは私が隠し事をしているのを見抜いていたのだ。その上で、私に言うか言わないかを委ねてくれている。
「誰にだって隠し事の一つや二つあるものだ。全て教えろと言っているわけじゃない」
「…………」
「だが、もしその秘密を抱えることで辛くなったり、どうしようもなくなったたりした時は、俺に打ち明けて、頼ってもいいんだぞ」
「でも……」
「エリナは人に甘えるのが下手だからあえて言っておくが、俺に甘えてもらってもなんら問題はないんだからな。俺はこう見えてよく頭も舌も回るタイプだ。」
コツコツと額を人差し指で叩きつつ、シルヴァは茶目っ気たっぷりにウィンクする。私は少しうつむいた。
「面倒事になるかもしれませんし、アイゼンテール家のごたごたにシルヴァ様を巻き込みたくは……」
「そんなに俺は頼りないか? 親が決めたのは確かだが、一応婚約者同士なんだ。もっと頼って、信用してくれよ」
そう言って、シルヴァは漆黒の瞳をこちらに向ける。いつもの飄々としているシルヴァからはかけ離れた、真剣でまっすぐな瞳だった。
私は逡巡した。
「……シルヴァ様はなぜ、私が隠しごとをしていると思ったんですか?」
「逆に聞くが、エリナは俺に隠し通せると思っていたのか? ずっと見てるんだから、いつもと違うことくらい気付くさ」
シルヴァはこともなげに答えた。私は顔が赤くなるのを感じる。オスカーが落ち着かなげに私の足の周りをグルグル回った。
(私は、本当にシルヴァ様のことをよくわかってなかったんだな)
この世界に来て、私が自分のことでいっぱいいっぱいになっている時も、シルヴァはなんだかんだで私のことを見守り、心配してくれていたのだ。
その時、店内から、店主が顔を出して、閉店の時間が来たことをつげる。どうやら長居しすぎたようだ。
「それじゃ、行くか?」
「……あの、シルヴァ様、ありがとうございます。時が来れば、いつかお話しますから」
「ん、待ってる」
シルヴァはそう言って、整った顔に優しい笑みを浮かべた。
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シルヴァと夕食を終えて、アイゼンテール家のタウンハウスに帰宅した私は、大目玉を食らうことを覚悟していたけれど、意外にも特にお咎めもなかった。
いろいろ言い訳も考えたのに、なんだか肩透かしを食らった気分だ。
夕刻の時点でどうやらシルヴァは抜かりなく私の帰りが遅くなることをゾーイに知らせていたようで、そこまでゾーイもミミィも心配していなかったし、ローラハム公にいたっては、私が帰宅しても姿を現すことすらしなかった。
「それじゃ、お嬢様、おやすみなさい!」
「はぁい、おやすみ」
ミミィにいつも通りの夜の挨拶をすると、パタン、とドアが閉まる。急に暗くなった部屋で、私は深いため息をついた。
(なんか、波乱な一日の幕切れとしては意外とあっさりしてたわね。いろいろと言い訳を考えておいたけど、全部無駄だった……)
グラヴィスが壊した盗聴器付きのコサージュのことも、特に何も言われなかった。若干肩透かしを食らった気持ちで、私はもう一度ため息をつく。
私が寝返りをうつと、私の足元で丸まって寝ていたオスカーがノソノソとこちらにやってきた。
「エリナ、……ネレ、ネェ、……ノ?」
「うーん、ちょっとね。考えごと」
私は声を潜めて頷いた。これくらいのトーンであれば、扉の向こうに人がいても、私たちの声は聞こえないはずだ。
オスカーは私の腕の上にポテリと顎を乗せた。フワフワな毛が、私の頬をくすぐる。
「ア、ァノ、……オトコ?」
「あの男? シルヴァ様のこと?」
「ソゥ、ダ……。オデ、……アイ、ツ………イヤ……。キライ……」
「オスカーはシルヴァ様の嫌いなの? なんで? 良い人じゃない」
私の答えに、オスカーは鼻持ちならない様子で低く唸った。黄金色の瞳が爛々と光る。なんとなく気づいていたけれど、シルヴァとオスカーはどうも相性が悪いようだった。
私は、うとうとしながらオスカーの鼻の頭を撫でる。
「うーん、そんなに怖い声で唸らないで。ちょっと軽薄そうに見えるけど、シルヴァ様は、出会った時と今じゃ全然印象が違うんだよ。少し過保護な面もあるけど……」
シルヴァなら、この世界で信用に足る人物のような気がするのだ。
「いつか、シルヴァ様には本当のことを話しても良いかも。特に、夜の国のことに関しては私も疎いし、教えてもらいたいこともいっぱいあるし。あっ、もちろん、オスカーが夜の国の生き物だとは言わないわよ? そんなことしたらシルヴァ様は絶対心配して、私たちを引きはがそうとするだろうし」
「……ゥン」
「でも、シルヴァ様なら、秘密を打ち明けてもきっと大丈夫」
私が単純すぎるのかもしれないけれど、「頼ってほしい」と言いきったシルヴァの目に、嘘偽りはないような気がした。
オスカーは不服そうに黙ったけれど、私は気付かないふりをして目をつむる。
(本当のことを話すときは、私がローラハム公の実の娘ではないかもしれないって、言うべきなのかな……)
私の胸の中に、なんとなく言いようのないモヤモヤが広がる。
そもそもシルヴァはアイゼンテール家の権力狙いで婚約したのだ。もし、事実を告げてしまえば、あっという間に私は用なしとして見限られてしまいそうな気がする。
(それは、ちょっとイヤかも……)
――ズキン……
(ん、今、胸が痛かったような……?)
首をひねりつつ、私は胸の当たりをさする。今日はいろいろありすぎたし、体に負担がかかったかもしれない。何たったってこの身体はとにかく貧弱で繊細なのだ。
「明日は、ゆっくりしようね」
私は、オスカーをぎゅっと抱きしめて、今度こそ深い眠りについた。
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とっぷり夜が更けたころ、豪奢なベッドの上でスヤスヤと眠る銀髪の少女の横顔を、黒髪の男が見つめていた。瞳は、夜でも光を発しているように輝く明るい黄金色だ。
男の長い指が、少女の額にかかった銀髪をさらりとすくう。少女はただ少し唸っただけで、気づかない。もう一度、男は銀髪を指ですくった。
「エリ、ナ…………」
しゃがれた声が、男の口から漏れでた。長い間喋らなかったせいか、うまく発声できず、舌が回らない。男はもどかしくて仕方ない、という様子で眉をしかめた。
「ォ、……レが、ェ、エリナ、……マ、……マ、モル…………」
それだけなんとか言葉に出すと、男は黄金色の瞳を閉じてそっと少女の額に口づけた。
本編少し長くなってすみません!分割しようと思ったのですが、無理でした!
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