55.研究所へようこそ(2)
(ど、どういうこと!?)
私は一人首をかしげる。前回アイゼンテール家のタウンハウスで会った時は、大魔女グラヴィスは年齢不詳の美女だったはずだ。しかし、今グラヴィスと名乗ったのは明らかに老婆だった。
状況を全て把握したユフディが、呆れたように大きなため息を一つついた。
「グラヴィスちゃん、と呼ばされているあたり、どうやら事前に君はグラヴィスちゃんに会ったようじゃな? いつ会ったか教えてくれるか?」
「1週間前に我が家に突然現れて……」
「ああ、そうか……」
深いため息をついてやれやれとばかりに片手で額をおさえたユフディは、ややあって私に苦笑してみせる。
「さっきも言った通り、グラヴィスちゃんは儂の師匠、つまり儂はグラヴィスちゃんの弟子じゃ。ポーリはグラヴィスちゃんの孫弟子だから、エリナ君は曾孫弟子にあたるかのぉ」
「ひ、曾孫弟子!? あの、グラヴィスちゃんって正確な年齢はいくつなんですか? 年を聞いたら答えてくれなくて」
「ほう、グラヴィスちゃんに年を聞いたとな?」
ユフディは片眉をあげた。
「グラヴィスちゃんに年なんて聞くものでないぞ。儂は若いころうっかり酔った勢いで聞いてしまってな、グラヴィスちゃんの逆鱗に触れ、1か月二足歩行を禁じられたことがある」
「えっ、歩けなくなったってことですか!?」
「うむ、四つん這いしかできない、なかなか不便な1か月じゃったよ。なんせ目線が低くてな」
そう言って、ユフディは愉快そうにフォフォフォ、と笑った。
(そんな人とよく一緒にいられるなぁ……)
よっぽど寛容な人物なのか、はてまたただ鈍感力が高めなだけなのかよくわからない。
ユフディは興味深そうに口ひげをしごいた。
「それにしても、グラヴィスちゃんはエリナ君によっぽど興味があったようじゃな。いつもはめったにこの家から出ないというのに、わざわざ君の家まで赴くなんて。まあ、いい運動になったじゃろうて」
「あの、前会った時のグラヴィスちゃんと、だいぶ印象が違って見えるのですが……」
「ああ、若返りの魔法じゃよ。グラヴィスちゃんの十八番じゃ。楽の魔法を応用するとな、幻覚系の魔法になる。それを利用すると、ああやって他人の目を欺いて自らを若くみせることができる」
なるほど、と私は頷いた。
一般的な魔法は、灯りを照らしたり、そよ風を吹かしたりする程度のかなり単純なものだ。しかし、高度の魔法になると、かなり複雑なことができるようになるらしい。しかし、そこまでの魔法が使えるようになるにはかなりの鍛錬が必要だとポーリに聞いている。
ユフディが椅子を勧めたため、私は本と紙が積まれたソファのあいているところに注意深く座った。オスカーは私の腕からピョン、と飛び降りてソファの下にもぐる。
「さて、本題に移ろうか。ポーリ曰く、エリナ君は属性が分からないから困っているそうじゃな?」
「はい、そうなんです。魔法も、弱いものしか使えず、ユフディ様のお知恵をお借りしたく思います」
私は素直に頷く。
アイゼンテール家は魔法を使う能力が非常に高い一家であるはずなのに、末娘の私はなぜか極端に弱い魔法しか使えない。また、魔法使いたちは生まれながらにして喜・怒・哀・楽どの属性かの適性があるはずなのに、私はそのどの属性にも当てはまらないようだった。
しかし、ブルスターナに来る道中に、雲行きが変わってきた。
「ただ、この数週間で私は強力な魔法を使ったかもしれないのです。それも二度。私もにもよくわからないのですが……」
「ほうほう! それは興味深いな」
「最初の魔法を使った疑惑のある時についてまとめてもらったものが、こちらにまとめてあります」
私は、デイ子爵からの書類を渡す。土砂崩れに巻き込まれかけた際に、何が起こったか、現場にいた住民たちに聞き、詳細に記したものだ。ユフディはデイ子爵からの報告書受け取ると、胸ポケットの中に入っていた傷だらけの老眼鏡を出した。
「おお、よくまとまっておる。こういうのがあると助かるのう。ん、んんん……?」
ユフディはしばらく書類を読みふけり、時々声をあげたり、ため息を漏らしたりした。私は落ち着かない気持ちでユフディを見つめる。
(これで、何かわかるといいけれど……)
エナの森で土砂崩れに巻き込まれたとき、私は当事者だったためさっぱり状況を把握できていなかった。土砂崩れに巻き込まれそうになり、シルヴァに庇われ、気付いたら助かっていたのだ。
デイ子爵の手紙によれば、複数の住人が、土砂崩れが私達を避けるように流れていたところを目撃していたらしい。また、後日現場を改めて確認したところ、土砂崩れの岩石の一部が、まるで誰かに積まれたように、橋のたもとを形成していたという。そして、もちろん私達のほかに魔法を使える人物はいなかった。
(冷静に考えれば考えるほど、手元を照らす灯り程度の魔法しか使えない私が、土砂を避けたり、岩石を積んだりするような大規模な魔法を使えるわけがないのよね……)
思い上がりも甚だしい、と一喝されても仕方ない気がする。
全て読み終えたらしいユフディは口ひげをしきりにつまんだりのばしたりしていた。だんだん恥ずかしくなってきて、私はついに我慢できずに口を開ける。
「あの、さすがに絶対私がこの魔法を使ったんだ、とは思っていません。一緒にいた魔法騎士の婚約者がいたんですけど、彼は『喜』の魔法属性だと聞いていますし、もしかしたら、彼が……」
「いや、その騎士は、魔法は使っておらぬじゃろう。これは『喜』の魔法だけではなく、複数の属性の魔法が入り混じっておる」
きっぱりと断言され、私は驚いて口をつぐむ。黙った私の代わりに、ユフディは昂った感情を落ち着けるように一つ長いため息をつくと、急に堰を切ったように話し出した。
「いやはや、すごいものじゃ……。見事に全て応用魔法で、しかも、こんな見事な魔法見たことがない! 例えば、ここに書いてある事象、土砂崩れが一瞬浮いたと書いてあるじゃろ? これはおそらく盾の魔法で、それから、多分これは岩が積みあがったのは移動魔法と……」
「はぁーい、お待たせ!」
突如上から声が降ってきて、私はびっくりして顔を上げた。そこには、タウンハウスで会った赤毛の魔女が立っていた。大魔女グラヴィスだ。
「グラヴィスちゃん!」
「このブルスターナの至宝たる大魔女グラヴィスに会いに来たのに、待たせちゃってごめんね。おめかしに時間がかかっちゃって」
相変わらず年齢不詳の風貌に微笑みを浮かべるグラヴィスにおびえ、ソファの下にもぐっていたオスカーがヒンヒンと鳴いた。やはりオスカーはなぜかグラヴィスを怖がっている。
フォフォフォ、とユフディは笑った。
「若返りの魔法にずいぶん時間がかかるようになったの。引きこもりすぎて腕が鈍ったか」
「うるさい、また魔法をかけてやるわよ」
ピシャリ、と言われて、ユフディは怯えたように小さくなった。
グラヴィスの蜂蜜色の目がゆっくりこちらを射抜いた。
「あら、エリナ、そのアクセサリーは何? ダサいわ」
ツカツカと私に近づくと、グラヴィスはゾーイから朝つけられたあの赤色の薔薇のコサージュに手を伸ばす。そして、コサージュをピン、と人差し指ではじいた。そのとたん、琥珀色の石がピシリ、と亀裂が入り、あっという間にパリン、と粉々に割れる。濃い赤色の花弁も、色褪せ、ひらひら床に落ちた。
私が声を上げるより先に、驚いたユフディが悲鳴のような声をあげる。
「ぐ、グラヴィスちゃん、何を! 我が研究所にはそんな高価そうなアクセサリーを弁償する資金はないんじゃぞ!」
グラヴィスはフン、鼻を鳴らした。
「馬鹿ね、盗み聞きされてたのよ」
すみません、「研究所にようこそ」非常に長かったので、25日夜に1,2に分けました!





