47.デートの始まりは突然に
ブルスターナに到着して6日目。
アイゼンテール家のタウンハウスの一室から見下ろすブルスターナの街は、今日も美しかった。温暖なブルスターナはそこまで肌寒さを感じないため、居城のあるオルスタにいた時より、私の体調も心なしか良いように思える。
私は少しウキウキした気持ちで朝の用意をしていた。今日は秋らしく、オリーブ色のベルベッドのように滑らかな生地のドレスを選んだ。
「今日は気持ちいい天気だね、オスカー」
秋晴れの空を眺めながら、私はソファでうたた寝しているオスカーに話しかける。オスカーは黄金の片目を開けると、おもむろに立ち上がり、鏡台の前のイスに座った私の膝にノソノソ乗ってきた。
私の癖のある銀髪に櫛を通していたミミィが微笑む。
「お嬢様、今日は一段と嬉しそうですね」
「ええ。今日は初めてブルスターナの街に行くのよ!」
「お嬢様は、ずっと街に出るのを楽しみにされていましたもんね」
ミミィは浮足立つ私にニコニコ笑いながら、ドレスと同じ色のリボンで私の髪の毛を丁寧に結いあげた。
「今日はミミィも一緒に街に出るんでしょう? 今日は冬のドレスを見に行こうと思っているのよ」
「それが、一緒に行ってのはやまやまなんですけれど、今日は無理そうなんです。予想外に荷解きに時間がかかっておりまして……」
「えっ、そうなの?」
ミミィは眉毛をハの字にして、鏡越しに私に心底残念そうな顔をした。
「荷馬車一台分の荷物を荷解きしなければいけないので、とにかく量が多くて全然終わらなくって。お嬢様の新しいドレスを着た姿、見たかったんですけどね。絶対可愛いらしいですし!」
「そう……。私もせっかくだからミミィに見てほしかったなぁ……」
「お、お嬢様ぁ……、そんなこと言われちゃったら、行きたくなるじゃないですかぁ……」
私の言葉に半泣きになるミミィを慰めていると、私の部屋のドアがゆっくりノックされる。ミミィが応対すると、ドアの向こうにセバスチャンが立っていた。
セバスチャンはローラハム公の専属の執事で、このタウンハウスでは下働きするメイドや侍従たちの数も限られているため、侍従長のような役割もしている。そのため、私の世話役も一部兼任しているのだ。
「おはよう、セバスチャン」
「お嬢様、おはようございます。本日もご機嫌麗しゅう。お客様がおいでです。部屋にお通ししても?」
「えっ、今日は出かける予定なんだけど……」
今日は一日来客の予定はなかったはずだ。戸惑う私をよそに、セバスチャンの後ろから、背の高い人物がひょっこりと顔を覗かせた。
膝の上にのっていたオスカーが不機嫌そうに唸る。
「おはよう、俺の婚約者殿!」
「シルヴァ様!」
思わぬ人の訪問に、私は驚いて目を見開いた。シルヴァは微笑む。今日はいつもの騎士団の制服ではなく、少しラフな格好だ。
「今日は、お仕事は?」
「今日は非番だ。それより、俺の大事な婚約者殿が今日は街に出ると聞いてな。急いで馳せ参じたわけだ」
「ああ、またゾーイが勝手に話してたんですね……」
ゾーイとシルヴァは、私の知らないところでかなりマメにやりとりをしているらしい。そのせいで、私の情報はシルヴァに筒抜けだ。
「今日はちょうどゾーイさんもやることがあるっていうから、代わりに俺がエリナに同行したいって願い出たわけだ。ブルスターナ街にエリナ一人で行かせるわけにも行かないからな」
「ああ、どうりで朝からゾーイの姿が見えないと思いました」
要は二人きりで出かけよう、ということらしい。間違いなく、デートだ。私は思わず及び腰になる。
「街に出るって言っても、お姉さまオススメのお店でドレスとアクセサリーを新調するだけですよ。ついてきても面白くないと思うんですが……」
「それが良いんじゃないか。ドレスとアクセサリー選びなんて、第三者の意見も必要だろ?」
「それもそうですけど、せっかくのお休みに付き合っていただくのは悪いですよ」
なおも言いよどむ私に、シルヴァは軽くウィンクをした。
「俺だったら、おすすめの小料理屋にも案内できると思うんだけどなぁ。屋台料理、肉料理、珍しい異国の料理まで、何でもござれだ。ブルスターナの街は結構詳しいつもりなんだが、どうだ?」
私は言葉に詰まらせた。
「なかなか魅力的な提案じゃないか?」
もう一押し、とばかりに片眉を上げてシルヴァは微笑む。
シルヴァはなんだかんだで私がグルメで料理にうるさいのをよく知っている。毎日口にしているアイゼンテール家のタウンハウスのシェフの作る料理は、典型的な味の薄いカウカシア料理のため、いささか嫌気がさしていたのも確かだ。
見かねたセバスチャンが、控えめに馬車の用意ができている、と告げる。成り行きを温かくミミィも、さあさあ、とばかりにぐいぐいと背中を押してきた。
私は観念して、口を開く。
「……シルヴァ様、私は今日お魚を食べたい気分です」
「おっ、承知した。魚料理がうまい小料理屋を知ってるぞ。じゃあ、行こうか」
そう言って、シルヴァは自然に私の手をとる。私の膝の上から飛び降りたオスカーが、不服そうに、フン、と鼻を鳴らした。
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馬車に乗り込んですぐ、シルヴァは大あくびをした。
「お疲れみたいですね」
「ありがたいことに、どこかの誰かさんのせいで、恩賞と仕事が増えたからな。ブルスターナに帰ってからは報告書でかかりきりだ」
「ああ、あの山賊の一件ですか。お疲れ様です」
私は軽く頷いた。先日山賊に襲われ、アジトを壊滅させた一件については、全て護衛であるシルヴァの手柄としたのだ。その一件で、シルヴァの仕事量が増えたらしい。
「アジトを壊滅させた当の本人が軽く言ってくれるなぁ。まあ、何はともあれおかげで特別に王国から恩賞が貰えるんだ。こっちとしても願ったりかなったりの話なんだけどな」
「そういえば、陛下もこの話はご存知のはずですよ」
「ああ、知ってるよ。ローラハム公に付き添われて、議会に出て、山賊の話をしたんだろう? ベラッジの一派に一泡吹かせたんだって?」
シルヴァはニヤリと微笑む。私は苦笑した。さすが、宮廷内の噂については耳が早い。議会で社交デビューしたての貴族の娘が発言するなんて異例のことらしいから、噂になるのも速かったのだろう。
「よくご存じですね」
「まあな。今、宮廷ではこの噂で連日もちきりだぞ。最初この話を聞いた時はとにかく驚いたが、ローラハム公と俺の婚約者ならやりかねないな、と思ったもんだ。ところで、俺も委細についてはしっかり把握できていないんだが、なんで議会なんかで発言したんだ?」
怪訝そうな顔をして、シルヴァは訊ねる。疑問に思うのも当然だろう。私は事情をあらかた説明した。
「……というわけで、私は議会に出されるとも知らずに王宮に行き、ローラハム公に赤の間に連れていかれたのです」
「はあ、それはなんというか、災難だったなぁ」
「ええ、まったく」
神妙な顔で頷く私に、シルヴァはため息をつく。
「ローラハム公の考えていることは、俺でもたまにわかりかねる時があるなぁ」
「私はいついかなる時でもローラハム公の考えていることがわかりません……」
「振り回されるほうはたまったもんじゃないよな。しかし、それでもエリナはよく頑張っていると思うぞ。そう言えば、王子も褒めていた。王宮でたまたま遭遇して、この話になってな。実に堂々とした話しっぷりだったらしいじゃないか」
「えっ、王子が!? 私を!?」
予期せぬ人物の登場に、私は驚いて素っ頓狂な声を出す。確かに議会には、皇帝の横にアベルとラーウム、二人の王子が控えていた。私はカっと頬が赤くなるのを感じる。
「た、確かにアベル王子は議会にいらっしゃいましたけれど、まさかお褒めの言葉をいただけるなんて……」
「ん? 褒めていたのはラーウム王子のほうだからな。俺はアベル王子とはあんまり接点がない……って、おいおい! なんで落胆した顔をしたんだ? なんであからさまにテンションが下がった?」
慌てるシルヴァの質問を軽く、気のせいですよ、とごまかして、私はそっとため息をつく。
王子に褒められたと聞いて、婚約パーティーであれほど散々言われてもなお、反射的にアベルに褒められたと勘違いをしてしまった。
(私も未練がましいなぁ。でも、未だにエタ☆ラブのアベルの姿を追っちゃっているのよね。でも、普通に考えてこの世界でアベルが私を褒めるわけがないからなぁ)
心底馬鹿な自分に呆れつつ、私はもう一度ため息をついた。
「お嬢様、お話が盛り上がっているところ申し訳ございませんが、目的地につきましたよ」
御者が小窓越しから私に呼び掛けてくれた。私は慌ててドレスの皺をのばす。いつの間にか馬車が目的地についたらしく、人通りの多い大通りに面した大きな洋品店の前で、馬車がゆっくりと減速した。
なおも色々と聞いてくるシルヴァを無視して御者の手をかりて馬車から降りると、洋品店から派手な服装のマダムが飛び出してきた。髪は栗色で、大きな紫色の目はきらきら輝き、たっぷりとした唇は燃えるような赤色だ。
「まぁあ、いらっしゃいませ! エリナ・アイゼンテール様とお見受けしました。ルルリア様のご紹介ですよね。私はエリナ様を担当させていただきます、アイシャ・ケイリーンです。ドレスのデザイナーをさせてもらってます。私のことはどうぞアイシャとお呼びくださいな」
それだけを一気にまくしたて、フレンドリーな笑みを浮かべると、アイシャはすぐに私達を洋品店の二階の部屋に通した。
「一階は既製品のドレスを売っているんですけれど、エリナ様はオートクチュールのご注文とルルリア様に聞いておりますので二階にお通ししますね。お姉さまのルルリア様はお得意様で、いつもお世話になっておりますわ。今日エリナ様が着ていらっしゃるオリーブ色のドレスも、実は私がデザインしたものですの」
「まあ、そうなのね」
「ええ、私が自信をもってデザインしたドレスですもの、よくお似合いですわ。でも、ルルリア様にしつらえたものですので、少し大きいですね。特に、腰回りと二の腕あたりがダボついているわ。まずは採寸~っと。後ろのボタン、失礼しますよ」
「ま、待ってアイシャ!」
手早く私のドレスを脱がせようとするアイシャを私はやんわりと止めた。シルヴァが居心地悪そうに部屋の隅で私から目を背けている。
「あ、あの、いくら年が離れてるとは言えども、異性の前で下着姿になるのはちょっと……」
「あっ、あら、やだー! ごめんなさいね私ったら、男性の方の存在をすっかり忘れてたわ! ドレスのことになると周りが見えなくなってしまうの。タキシードは専門外だしね! 隣の部屋が空いてると思うから、そこで待っててもらえるかしら?」
アイシャはシルヴァにそう言って、ドアをバーン、と開ける。隣の部屋に移動しろ、ということだろう。シルヴァは引きつった顔で微笑むと、ごゆっくり、とだけ言ってそそくさと部屋を出て行った。
(この人、底抜けに明るいけど接客業に致命的に向いてないタイプの人だ……!)
一抹の不安を覚えたものの、私にもはや逃げ場はない。アイシャはシルヴァが部屋を出るや否や、問答無用で私の服を引っぺがす。
「それにしても、噂に聞いていた通り妖精のように可愛らしいお嬢様ですこと……。素材が良いから、飾り立て甲斐がありましてよ。この珍しい銀髪も本当に素敵。ふふ、ふふふふ、イマジネーションが湧きますわ」
怪しげな笑みを浮かべつつ、アイシャは手早く私の身体を隅々まで採寸を始める。
(こ、これは大丈夫なのかしら……)
なんだか大変なところに来てしまった、と蒼い顔をする私をよそに、アイシャはずっと不気味な笑みを浮かべていた。





