38.男爵の礼
デイ男爵とその家族に見送られ、エナを出発したのは土砂崩れの日から丸3日経ってからのことだった。
「じゃあ、道中気を付けてね。ブルスターナへの旅路が星々に祝福されたものになりますように」
「いろいろとお世話になりました。すごくのんびりさせてもらいました」
「いいのよ。ここは何もないところだけど、のんびりするだけならいくらでもできるわ。またいつでもここに遊びに来てちょうだい。もう私はあなたのことを孫のように思っていますからね」
ゾーイの母、バセロナが私の髪を優しく撫でながらウィンクをし、ぎゅっと抱擁してくれた。男爵夫人のキーリも、別れを惜しみつつ私達のために心づくしの食料を渡してくれた。
最後に、この土地の領主であるデイ男爵が頭を下げる。私は周りを見渡して、ゾーイとミミィが近くにいないことを確認し、ニッコリ笑った。
「例の件、よろしくお願いしますね」
「ああ、まあ、あの件はもちろんしっかりやらせてもらうが、こちらからの礼はこれでいいのか? あれだけのことをやってくれたんだ。こちらとしてはもっと派手に……」
「いえ、そんなことしたらゾーイが察してしまいます。あの件については、秘密にしておきたいので」
「ああ、そうか。すまないな、我が妹は少々心配性すぎるようだ。今後も妹を頼むよ」
デイ男爵の言葉に私は微笑んで一礼をし、馬車に乗り込む。先に馬車に乗っていたオスカーが私の膝の上に乗ってきた。遅れて、慌ただしく準備を終えたゾーイとミミィが馬車に乗り込む。
私が車窓から手を振ると、御者の掛け声で馬車はゆっくりと進み始めた。ここからブルスターナまであと1,2週間ほどで、ここからの予定は天候次第で大きく予定が変わってくるようだった。
ゾーイは心配そうに私を見つめた。
「お嬢様、お体は本当に大丈夫ですか? 体調が優れないときにはすぐに言ってくださいね。今日中ならエナに戻れますから」
「丸2日もベッドの上だったのよ。さすがに大丈夫。むしろ、元気が有り余っていて馬に乗って移動できるシルヴァが羨ましいくらいよ」
私は少し頬を膨らませてむくれる。シルヴァは護衛のため、一緒に馬車には乗り込まず、愛馬に乗って馬車の後ろをついてきているのだ。大義名分は私の護衛としてここにきているのだから馬車に乗らないのは当然だけれど、狭い空間に押し込められないシルヴァが羨ましい。
「しばらく乗馬は駄目ですよ。外の空気は冷えますし、まだ体調は万全ではありませんからね」
「……気分転換程度でも?」
「まあ、シルヴァ様と一緒であれば、少しくらいなら許可しましょう。それよりも、先ほど、私の兄と何か話していませんでしたか?」
ゾーイの優しい茶色の瞳が訝しげに私を見る。私は一瞬驚いて、オスカーを撫でていた手を止めてしまった。
「えーっと、5日もお世話になっちゃったし、お礼の言葉も長くなっちゃったの」
「……なにか、私に隠し事をしていませんか」
「まさか!」
私は慌てて首を振る。ゾーイは私の目をまっすぐ見たけれど、私はあいまいな笑みを浮かべてごまかした。
(なんでこんなに鋭いの……)
ゾーイの勘の鋭さはいつものことだけど、今回はさすがにドギマギした。バレるのも時間の問題かもしれない、と思う。隠し事は不得意なほうではないと思うけれど、ゾーイには何もかも見通されてしまう気がする。
私はゾーイの視線から逃れて、さりげなく車窓を眺めているふりをしながら、デイ男爵と取り交わした約束のことを思い出す。
◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇
『して、エリナ嬢。今回の件に関してだが、何か礼をさせてほしい。こちらでできる範囲のことはしよう。そうだ、あのエリナ嬢が乗った栗毛の馬はどうだ?』
土砂崩れの一件の後、村から慌ただしく帰ってきたデイ男爵は、執務室に入ってきた私に開口一番でそう言った。
私と一緒に執務室にちゃっかりついてきたシルヴァは微笑む。
『あの牝馬は確かに名馬だ。足もしっかりしているし、何より賢い。しかし、あれだけ数多くの命を助けたんだ。これ以上の要求をしても何ら罰は当たらないはずだぞ』
暗にシルヴァは私に、要求をはね上げろ、と言っているのだ。シルヴァの言葉に、デイ男爵は苦笑しながらしっかり頷く。
『シルヴァ殿の言う通りだ。エリナ嬢のあの一言がなければ、俺も命が危なかった。命の恩人に対して牝馬一匹というのは、さすがに過小な報酬だろう。なんなりと望むものを言ってほしい』
私は少しの間考えて、口を開く。
『今回の件の報酬として、二つ要求させてください。まず、ゾーイとミミィに今回の土砂崩れの件はくれぐれも内密にしていただきたいのです。それから、二つ目は事故の状況を調べて、私に報告していただいたく思います。できるだけ詳細に。特に、土砂崩れの瞬間、何が起こったのかを知りたいのですが』
私の言葉に、デイ男爵とシルヴァが唖然とした。信じられない、と言いたげな顔だ。
『待て待て! さすがに無欲すぎるだろ!』
『そうだ、シルヴァ殿の言う通りだ。それでは全く礼にならない』
『なんだったら城くらい建ててもらってもいいくらいなんだぞ!?』
『シルヴァ殿、さすがにうちの領土の経済状況を鑑みると、城は無理だ!』
私は二人のやりとりに微笑みつつやんわりと首を振る。今のところ、城も名馬も私には不必要そうに思えた。
『あまり大きなものをもらってしまうと、ゾーイやミミィに私が危ない目にあったと知られてしまいますからね。私は春に生死の境をさまよってしまったせいで、二人にこれ以上ないほど心配をかけてしまって……。これ以上、心配をかけたくはないのです』
そもそもこれ以上二人に心配をかけてしまうと、私はブルスターナにいる間中、アイゼンテール家のタウンハウスの一室で軟禁されそうな気がしているのだ。それだけはなんとしてでも避けたい。
『それに土砂崩れの時の状況の調査は、今後の私にとって有益な情報になるかもしれません』
『それはどういうことだ……?』
『今、私はちょっと困ったことがありまして……』
私はデイ男爵に、自分の魔法属性が未だに分かっていないこと、社交シーズンでもないのにこの時期にブルスターナに行く目的は魔法の講師に会いに行くことなのだと素直に伝える。デイ男爵は私の話に少し驚いた顔をした。
『私としては、かなり今の状況に困惑しています。でも、もし今回私が魔法を発動して助かったのだとしたら、これは私にとってとても重要な情報です。どのような魔法を発動したのかを推測だけでもしておきたいのです。何の情報もなしに、講師の方に説明もしにくいですしね』
私の説明に、男爵は難しい顔をする。
『なるほど、エリナ嬢はなかなか難儀な状況にいるようだ』
『ええ。今の私はとにかく、少しでも自分の魔法についての情報が欲しいんです』
『……相分かった。エリナ嬢がそこまで言うのであれば、こちらとしても調べられる範囲でできるだけ調べ、住民たちにも、詳しく聞き取りをすると約束する。森に入るのはエリナ嬢がエナを出たあとになるが、おそらく調査にそこまで時間はかかるまい』
『ありがとうございます』
『ただし、あまたの命を救われておいてこれだけ見返りとは、こちらとしても納得いかない。今後、何か困りごとがあれば頼ってくれ。デイ家領主として、必ずや役に立とう』
デイ男爵の言葉に、私は笑顔で頷いた。
最後まで納得していない様子でシルヴァは唸っていたが、ひとまずその場はお開きとなった。
◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇
(今日あたりに調査を始めて、調査結果をまとめしだい早馬で送るって男爵は言っていたし、たぶん私がブルスターナについてすぐに手紙は受け取れるだろうな)
私達の旅路は、かなり遅いスピードで進んでいるため、もしかしたら男爵の手紙が先にアイゼンテール家のタウンハウスに届いているかもしれない。なんにせよ、ポーリの師匠に会う前に、私はデイ男爵の調査結果を受け取れる可能性は高かった。
(まあ、調査結果をもらったとしても、魔法を使ったかどうかなんてわからない可能性もあるんだけどね)
正直なところ、シルヴァはあの時私が何らかの魔法を使ったと断定しているけれど、私はいまだに半信半疑だ。
「わあ、見てください! お嬢様、あっちにきれいで大きな湖が見えますよ!」
エナでの滞在ですっかり寝不足が解消したらしいミミィがはしゃいだ声で指をさした。ゾーイはミミィの言葉におっとりと微笑む。
「ミミィ、確かに湖のようにみえますが、これは川なのよ。このモルドウ川はカウカシア王国にとってとても重要な川です。モルドウ川があったからこそ、交易が盛んになり、カウカシア王国は栄えて行ったのですから。そして、この川沿いをずっと進めば、ブルスターナに到着しますよ」
「わあ、ブルスターナまであと少しですね!」
「ええ、ここからは何か所か大きな街にも滞在できるはずだから、ぐっと旅も楽になるはずです。車窓の風景も見ていて飽きない……」
ゾーイがそう言った時、急に馬が嘶いて馬車が止まる。外では、すれ違った行商人と御者たちが何かを話していた。後ろをついてきていたシルヴァも輪に加わる。
「……何かしら?」
「なにやら真剣な顔をして話し込んでますね。……あ、シルヴァ様がいらっしゃいました」
控えめなノックのあと、馬車のドアからシルヴァと御者のリーダー格の男が顔を覗かせる。
「シルヴァ様、いったい何が?」
「緊急事態だ。行商人から聞いた話だと、ここから先の川沿いの道が一部通行できないらしい。例によって大雨のせいでな。まあ、1,2週間待てば開通するとは言っていたが……」
「まあ、大変! 道が開通するまでしばらくエナに戻ってデイ家に滞在させてもらいましょうか。あそこはいつでも部屋は空いていますからね」
「魅力的な案だが、1,2週間も到着が遅れていいのか? ブルスターナの用事も山ほどあっただろう」
シルヴァの反論に、うっ、とゾーイが言葉を詰まらせた。シルヴァの言う通り、ブルスターナの予定は存外に忙しく、スケジュールはすでにある程度決まってしまっていた。その上、厄介なことに到着してすぐに神経質なローラハム公との用事が入っている。到着が遅れるとなれば、いの一番にスケジュール調整に追われることとなり、確実に面倒くさいことになる。
年配の御者は緊急の事態にも慣れているのか、落ち着いて代替案を提案してくれた。
「ワシに考えがありましてな。実は、少し戻れば、森を抜ける迂回ルートがあるんです。大きな街も通りゃしねえ道で、休める場所が少ないのですが、そこを通れば予定通りブルスターナには到着する。ただし、お嬢様にはちっとばかり負担をかけてしまうかもしれねえのが気がかりだ」
「だ、そうだ。どうする?」
シルヴァは片眉を上げて私に意見を求めた。私の調子次第でルートを決める、ということなのだろう。
「迂回ルートを通りましょう。デイ家にこれ以上滞在するのも迷惑かもしれませんし、なによりブルスターナでの予定もありますしね」
「しかし……」
「ゾーイ、私の身体は問題ないから心配しないで。馬車の中でもどこでも問題なく寝られますし、第一エナではずっと寝ていましたから、気力体力ともに十分ありあまっています」
「……エリナ様がそう言われるのであれば……」
私の決定に、ゾーイは若干不満げだったが、渋々頷いた。こうして、私達は迂回ルートを選んだのだったけれど、この選択が後々大問題になることを、私は知るよしもなかった。





