32.首都へ出発
ブルスターナへの旅程は、私の体調を考慮してかなりのんびりしたものだった。普通なら馬車で半月程度の移動らしいが、今回の旅路は途中で休み休み一月かけて移動することになっている。
旅の道具をそろえるのに、今日は姉のルルリアが手伝ってくれていた。大量の荷物をトランクケースに詰め、あらかたの用意は完了したところだ。最近この部屋の住人になった仔犬のオスカーは、所狭しと置かれたトランクの間を楽しそうに走り回っていた。
「お姉さま、こんなにいろいろ借りてしまっていいんですか?」
「構いませんわ。この旅の道具は一式、冬の間は使わないもの。春には帰ってくるのでしょう? その時に返してくれれば問題ないわ」
「すごく助かりました。こんなに立派な旅具、私一人では揃えられませんでしたもの」
私の言葉に、ルルリアは満足げにニッコリ微笑んだ。最初に会った時は嫌味な悪役令嬢だと思っていたけれど、今やすっかりお節介焼きのお姉さまと化している。
今回のブルスターナ行きのために、旅具はもちろん、ルルリアのお下がりのドレスも何着か貸してもらった。
「冬の間は社交シーズンではないから、非公式なパーティーしか開かれないけれど、それでもパーティーには呼ばれると思うの。非公式とはいえ、しっかりしたドレスを着なくちゃだめよ」
「はい、そうですよね」
「アイゼンテール家の一員として、いついかなる時も粗相のないようにね。それから、お下がりばかり着てないで、ドレスは必ず夏用と冬用で三着ずつしつらえてもらうのよ? アイゼンテール家御用達のお店は前リストアップした通りだからね」
私はルルリアの言葉に折り目正しく頷いてみせる。
ルルリアに指摘されるまで、非公式のパーティーに呼ばれるなんて全く考えつかなかった。そのため、ドレスを持っていくなんてこれっぽっちも想定しておらず、ルルリアに指摘されたときはかなり慌てた。しかし、冷静に考えてみれば、私はもう社交デビューを終えた貴族令嬢なので、一人前にパーティーやお茶会の類に呼ばれるのは当然だ。
ブルスターナでの滞在は、思ったよりも忙しいものになりそうだった。
「それにしても、うらやましいわ。冬のブルスターナには、私、行ったことがありませんの。社交シーズンは春から夏にかけてだし、その時期に合わせていくのが普通なんだけれど、今回のエリナは特別だものね」
「ええ、そうですね。今回は、社交が目的ではなくて、療養と魔法の勉強のためですから」
「仕方ないのは分かっているけれど、エリナに冬の間会えないのは、すごく寂しいわ……」
ルルリアはため息交じりにつぶやいた。
「ロイお兄さまもこの城に残るようですし」
「お兄さまはいつもお勉強ばかりなんだもの。あまりお話し相手になってくれないのよ。ねえ、エリナ、絶対手紙をたくさん書いてね」
約束よ、と無理やり小指を絡めてくる寂しがり屋の姉に、私は微笑んで頷いた。この社交的な令嬢は、冬の間この城が雪と氷で閉ざされてしまうのが嫌で仕方ないらしい。ましてや、格好の話し相手だった妹がブルスターナに行ってしまうのだから、さらに寂しく感じてしまうのも当然かもしれない。
「お姉さまへのお土産をたくさん持って春には帰ってきますから」
「そんなこと言ったって、冬は長いもの。それに、今度は入れ違いで春には社交シーズンで私がブルスターナに行ってしまうのよ」
私の気休めの言葉に、ルルリアは唇を尖らせる。
彼女の言うとおり、次の社交シーズンの前に、私はオルスタに帰る予定だった。私はすでに婚約しているので、パーティーのような公の場で婚約者を探す必要もない。なにより、頻繁に公式のダンスパーティーやお茶会が開かれる社交シーズンは私の身体がもたないと判断されたのだ。冬の間療養目的でブルスターナに滞在するのに、再び無理をして寝込んでしまうわけにもいかないだろう。
オスカーがトランクの間から顔を出し、私のもとに走り寄ってきた。首元を少しかいてやると、嬉しそうに黄金の目を細める。その様子を見ていたルルリアが、恐る恐る横から手を伸ばしてきた。
「……あの、さわってもいいかしら」
「大丈夫ですよ。オスカーは噛んだりしませんから」
私がオスカーを抱き上げてルルリアの膝の上にのせると、ルルリアはそっとオスカーの背中を撫でた。もともと動物の類に慣れていないのか、まだオスカーとのふれあいはおっかなびっくりだ。
オスカーはされるがままになっている。
「この仔犬もブルスターナに連れて行くんでしょう?」
「ええ」
「まったく、この仔犬ですら今は羨ましいわ。代わってほしいくらいよ」
ため息をつくルルリアに、私は微笑んでみせる。なんだかんだ言いながら、夢中でオスカーを撫でているルルリアからふと目線を外すと、窓の外のオルスティン山が、すっかり秋めいて木々が燃えるような赤に色づいているのが見えた。
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出発の日は慌ただしく訪れた。出発は早朝だったのにも関わらず、ロイとルルリアが見送りに来てくれ、使用人たちが列をなして頭を下げる中、朝霧の中を馬車がアイゼンテール家の城からゆっくり出発する。
「うちってあんなにたくさん使用人の人たちがいたのね」
「あら、エリナ様。あそこにいるのは、ほんの一部ですよ」
「えっ、まだいるの!?」
私は驚きつつ、料理人見習いのガウスが持たせてくれたサンドイッチを頬張る。具だくさんのサンドイッチの具は、ガウスが気を利かせてくれたのか、私が好きなものばかりだ。仕方がないけれど、これからしばらくガウスたちが作ったおいしい料理が食べられないと思うと寂しい。
(冬の間は薄味の料理を食べることになるのかぁ……)
カウカシア王国全土の料理は薄味が特徴らしい。ブルスターナ行きは楽しみだけど、これからの食生活が思いやられる。
「お嬢様、暗い顔をしていませんか? もうホームシックですか?」
「……ううん、なんでもないのよ」
心配そうに見つめてくるミミィに、私はそっと微笑んでごまかした。
今回のブルスターナ行きは、いつも通りゾーイとミミィが同行してくれている。もちろん、オスカーも一緒だ。
私の魔法の講師であるポーリも、私のブルスターナ行きに同行したいと常々言っていたが、ロイとルルリアの魔法のレッスンを冬の間休止にすることもできないらしく、仕方なく諦めたようだった。
『師匠にこの手紙を渡してくれ。なに、すでに話は通してあるから大丈夫だ。ちょっと変わった人だけど、良くしてくれると思うよ。結果がわかったらすぐに手紙をくれよ』
そう念押しして、ポーリは私にぶ厚い封筒を渡した。表面には住所が書いてあり、この住所を頼りに私はポーリの師匠の家を訪ねることになっている。絶対忘れないように、私はそれを小さな旅行鞄にしまった。
平地と山々が淡々と続く車窓を眺めながら、ミミィは嬉しそうに薄茶色の瞳を輝かせている。
「ブルスターナ、楽しみですね。私、たくさんお土産を買ってくるように言われてて!」
「ミミィ、遠足や旅行じゃないんですから、あんまりはしゃいではいけませんよ」
おっとりと注意するゾーイも心なしか浮足立って見える。かく言う私も、例外なくはしゃいでいた。手元に持ってきた地図を広げ、行き先を確認し始める。さながら観光気分だ。
ゾーイは丁寧に私に旅程の説明をする。
「アイゼンテール家の領土、オルスタは平地と山ばかりですけれど、ずっと平地を西に進んで、エナを過ぎれば美しい森の中を通るはずですよ」
「エナにある、ゾーイの実家にも寄るんでしょう?」
「ええ、貧しい領土ですし、特に盛大におもてなしはできないとは思いますけれど……」
ゾーイは控えめに微笑む。この旅は、ゾーイの久々の帰省という側面も実はあった。ここ数か月何かと気苦労が絶えないゾーイのために、エナには何泊かするつもりだ。
一方ミミィはオルスタの城下町出身で、オルスタを出るのは初めてのようだった。ミミィは嬉しそうに足をパタパタとぶらつかせた。
「ブルスターナは冬でも雪が降らないらしいですね。ずっと日差しが降り注いでいて、お店がところ狭しと並んでいるとか。早く見てみたいです」
「ブルスターナも少しは雪が降りますよ。積もらないだけで」
「雪が降っても積もらないってどういうことですか?」
興味津々、という様子できらきらした目でミミィはゾーイに聞き返す。ゾーイは苦笑しながらミミィにいろいろと教え始めた。





