23.百年の恋の冷まし方
友人に勧められ、エタ☆ラブのパッケージを初めて手に取ったとき、私は一目惚れした。絶対この人を攻略すると心に決めた。
(カウカシア王国第二王子、アベル・ドン・ルガーランス……)
薄灰色の短く切り揃えられた髪と冷ややかでスッキリとした面差し。鋭い瞳は深い海を思わせる蒼。
私がおそらく、人生で一番夢中になった人。
その人が、信じられないことに私の目の前に立っている。何も言わずにただ驚いて立ちすくむ私に、姉のルルリアが微笑んだ。
「紹介いたします。私の婚約者ラーウム様と弟君、アベル様です」
「初めまして、エリナ嬢。挨拶が遅くなって申し訳ないね。この度はおめでとう」
先に、兄王子であるラーウムが私に一歩近づき、騎士風の美しい一礼をして、私に向かって親しげに微笑みかける。ラーウムの後ろで、弟王子のアベルも優雅に一礼する。一応礼に則った仕草に、私も慌てて王国流の正式な礼で応えた。
「……! お初にお目にかかります。王子お二人自ら御光臨賜りまして恐悦至極でございます」
「実は、昔君とは会ったことがあるんだ。といっても、君がちょうど歩き始めたころだったから、君は憶えていないと思うけどね。僕がこういうことを言うのもおかしいけれど、大きくなったね」
「私のような存在に対しても身に余るご配慮、痛み入ります」
そう言って私は顔を上げる。ルルリアは私に向かって微笑み、小さくうなずいた。私の王子たちへ挨拶は及第点といったところなのだろう。
相手は姉のルルリアの婚約者であろうと、やはりカウカシア王国の第一王子だ。初対面ということも相まって、貴族令嬢としてふさわしい言葉遣いをしなければならない。
(そう思うと、エタ☆ラブの主人公は、最初からとんでもなく無礼だったのよね……)
何たったって、主人公の初めの挨拶は『初めまして、私はジル・ピピン! よろしくね!』だったはずなのだ。溌剌とした彼女の明るいキャラクター性は最初の挨拶からよくわかるものの、出会って早々に純然たる貴族令嬢であるルルリアが、平民出身の主人公 ジルの口調を咎めたのも当然だ。この国では王子への言葉遣い一つで、最悪不敬罪で死刑にもなりえる。そう思うと、注意したルルリアは口調はきつかったものの、優しかったのかもしれない。
ルルリアは微笑んだ。
「何年も前にエリナに会ったきりだというのに、覚えてらっしゃるなんて、さすがラーウム様。記憶力が抜群に良くていらっしゃいますこと」
「大切な婚約者の家族のことだからね、覚えておいて当然だろう」
「まあ! そうやって言っていただけるなんて、光栄ですわ!」
ルルリアはラーウムの腕を取ると得意げにふんぞり返った。周りにこれ見よがしに親密さをアピールしているのだ。
(ああ、お姉さま。そのしぐさ、すごく悪役令嬢っぽいです……)
そんなルルリアを腕にくっつけたまま、ラーウムは空いているほうの手でにこやかにアベルをずい、と私の前にさしだす。
「さっきから黙っているが、これは弟のアベル。彼は完璧に初対面だと思う。そうだったよね、アベル?」
挨拶しろ、とばかりにラーウムは遠慮なくずいずいと私に向かってアベルを突き出す。急にお鉢が回ってきたアベルは、少し迷惑そうな顔をしてラーウムの手を払った。
「お、お初にお目にかかります、アベル王子」
私がドギマギしながら礼を取ると、私の顔を凝視したまま、アベルは無造作に軽く頷く。背は私より頭一つ分高いくらいだろうか。私は完璧に見下ろされている格好になった。
「まったく、アベルは人見知りなんだ。とにかく不愛想だけど、悪く思わないでほしい」
ラーウムが苦笑すると、アベルは軽く鼻を鳴らす。
(ええ、よく存じております。小さい時から人見知りで、新しい環境が苦手なんですもんね)
私のエタ☆ラブ情報は完璧だ。アベル攻略の序盤はなかなか打ち解けられず、つれない態度を取られ続けるのだ。攻略するには、ひたすらそばに寄り添い、たまに話を聞き、一緒に時間を過ごすしかない。
幸いラーウムとルルリアが楽しそうに会話をしていたので、私がそんなに話さなくても間が持った。アベルもときどき親しげな様子で口を挟む。
ラーウムとルルリアは、アベルを交えると婚約者同士というよりどこか幼馴染のような雰囲気だった。お互い、年の近い友人を作りにくい環境にいるからだろう。特にルルリアはとにかくはしゃいでいて嬉しそうだった。
(この悪役令嬢、根っこはおしゃべり好きで寂しがり屋だから、こういう華やかなところが楽しいんだろうな……)
微笑ましく三人を見つめていると、不意にルルリアが顔を曇らせる。ラーウムが首を傾げた。
「あの、私、ちょっとのどが渇きましたわ……」
「お前がしゃべりすぎるからだろ」
ルルリアの一言に、アベルが冷たくそう言い放ったため、ルルリアは少し頬を膨らませてラーウムの手を取る。
「ラーウム様、アベル様なんてほっといて、飲み物を取って参りましょう。アビタ産の紅茶の新作がありましてよ」
「あ、ああ。じゃあ、アベルとエリナは仲良くお留守番しててね」
大丈夫かい、となぜかラーウムは私に確認する。私は苦笑して頷いた。その横で、アベルが余計な確認をするな、と苦々しい顔をする。
「さっさと行け」
「アベル様にそう言われなくても、もちろん行かせていただきますわ」
プリプリと頬を膨らますルルリアは、ラーウムを連れてさっさと人込みの中に消えてしまった。
間を持たせていたルルリアとラーウムがいなくなったため、当然私とアベルの間には沈黙が生まれる。予想はしていたものの、気まずい。ガヤガヤとした貴族たちの楽しそうなお喋りが空しく二人の間をうめる。
(な、なにか気の利いた会話を……!)
必死で思いめぐらすのに、私の頭の中には悔しいほど恋愛に関する情報がないため、話しかける糸口がまるで掴めない。その上、なぜか頭頂部には痛いほどアベルからの視線を感じていた。先ほどからどうやらアベルは私を凝視しているのだ。
なにか言わなくては、ととっさに私は口を開く。
「あ、あの、オルスタはいかがでしたか……?」
「初めて訪れたが、道中なにもなかったな。一面の平地と、山」
「な、なるほどぉ……!」
「……………………」
(か、会話終了しましたが!!!!)
エタ☆ラブではこのようなやり取りは日常茶飯事だったはずなのに、実物を前にするとかなり戸惑う。なんせ相手は言葉のキャッチボールをする気がまるでなさそうなのだ。
(ああ、シルヴァ様のあの如才ない話術って実はすごいありがたかったのね……)
ここにいない年上の婚約者のありがたみをしみじみ実感しながら、私は話題を探そうとさりげなさを装いながらボールルームに目を向ける。6曲目のワルツが始まっていて、優雅に踊る男女の中から、シルヴァもすぐ見つけることができた。ド派手な色のドレスのふくよかなご婦人と踊っている。あれは確か、ミリス伯爵夫人だ。
踊っているシルヴァは、流れるようにスムーズにステップを踏んでいる。
それなりにミリス伯爵夫人は体重があるように見えるのだけど、シルヴァはそれを感じさせないくらいしなやかにリードしていた。周りの貴族たちと比べてもその踊りの軽やかさは一目瞭然で、素人目にもうまいのだとわかる。
ボールルームの外では、何人かの貴婦人たちが明らかにシルヴァを目で追っていた。おそらく、次のダンスの相手になるために、タイミングを虎視眈々と狙っているのだろう。
「……その、踊るか?」
「ひゃい!?」
突然のことで驚いて変な声が出た私は、急にしゃべりかけてきたアベルを見上げた。相変わらず無表情な整った顔がこちらを見ている。心臓が痛いほどにドキドキした。
「そんなに驚くな……。踊ろうか、と誘っているんだ」
変声期前のはずなのに、すでに落ち着いた威厳のある声で、アベルは私に再度聞く。私は背中にどっと汗が流れるのを感じた。
(う、うそでしょ! 私ソーラン節しか踊れないって!)
急に踊れと言われましても。
(うわー、時間はなかったけど無理にでもダンスのレッスンを受けとけばよかった……)
私の心の中に後悔が渦巻く。まさかこんなにすぐにダンスに誘われると思っていなかった。しかも、誘われた相手は憧れのアベル王子。できることなら手をとり、ロマンチックに踊りたい。
しかし、まったくステップを踏めない私がここで無理にダンスの誘いを受けてしまえば、必ず注目され、嘲笑の的になるだろう。相手はこの国の王子だから、下手なダンスを踊るのも無礼にあたる。
(せ、せっかくここまでうまく社交デビューしたのよ!? それがダンス一つでパア……)
ここは何としてでも断らねばならないところだった。
「あの、大変心苦しいのですが、私はダンスは踊れないんです」
「……なんだと!?」
アベルが不意に声を張り上げた。私は驚いて凍りつく。周りにいた貴族たちが一瞬訝し気にこちらを振り向いた。
「どうしたの、二人とも」
大きな声を聞きつけ、慌ててラーウムとルルリアがこちらに向かって小走りでやってくる。
「アベル、大きな声を出しちゃだめだよ。エリナ嬢もすっかり怯えているじゃないか」
「こいつ、俺のダンスの誘いを断りやがった」
「ええ……。それだけでそんなに怒らなくてもいいじゃないか。それくらい、普通だろ。そりゃ、気分が乗らなきゃ断られることだってある」
私とアベルの間に割って入りながら、ラーウムが私をかばう。ルルリアも頷いた。
「エリナは身体が弱くて、まだダンス講師をつけていません。本当に踊れないんですのよ」
ピシャリとルルリアに言われて、気色ばんでいたアベルが虚をつかれた顔をする。そして、少しうつむくと拗ねたようにつぶやいた。
「……俺だってこんな子供っぽい女とダンスは踊りたくない。仕方なく誘ったんだ」
「アベル!」
「こんなガリガリのチビ、シルヴァ・ニーアマンもよく婚約者にしたものだな。王宮でやり手と誉れ高い魔法騎士も、落ちたものだ」
(はあああーーーーー!? ダンスを断られたくらいでそこまで言う!?)
驚いた私がムッとした顔をするより先に、ラーウムの手がアベルの胸ぐらを強く押しのけた。ラーウムは明るい青色の瞳に憤怒の炎を浮かべる。
「おい、アベル! あまり調子に乗るなよ」
「……チッ、本当はラーウムだってそう思っているんだろ」
「思っていない。誰だって生まれ持った誰かの容姿や体型をバカにする権利はないし、そもそもエリナ嬢は美しい人だ。お前の目は節穴か何かなのか」
ラーウムの言葉にアベルは少し唇を噛んでにらんだが、悪態をついて踵をかえした。
私はその背中を呆然と見送る。ラーウムとルルリアは、揃って大きなため息をついた。
(え、知ってるアベル王子と印象が全然違うんですけど)
思ってたんと違うー、と心の中で私の叫びがこだまする。
私の抱いていたアベルという人物への憧れは、こうして音をたててバラバラを崩れ落ちていった。
前回次話で婚約パーティー編終わるといいましたが、あれは嘘です。
……本当にすみません!!





