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19.忙しい日々(3)

「くれぐれもアイゼンテール家に恥をかかせるな」


 そう言って鋭くもう一度私を睨みつけると、ロイは踵を返してルルリアの部屋を後にした。

 ロイが部屋を去り、部屋の主であるルルリアがほう、とため息をつくと、張り詰めた部屋の空気が一瞬でふっと緩む。

 ルルリアは戸惑ったような顔をすると、安心させるように私に微笑んでみせた。


「エリナ、気にすることはなくってよ。ロイお兄様は去年からずっとこうなの。本当は優しい人なのだけど……」

「去年から……?」

「えぇ、覚えてないの? ほら、ちょうど一年前くらいに、婚約者のターニャが流行病で急に亡くなったでしょ? そこから気分がふさいでいらっしゃるみたいで」


(え、初耳なんですけど!)


 エタ☆ラブではロイの婚約者の話は一瞬たりとも出てこなかったはずだ。てっきりロイには婚約者がいないかと思っていたものの、そういえば調理場でロイは産まれる前から婚約者がいたと聞いた。つまり、それが去年流行病で命を失ったターニャだったのだ。


(ああ、そういうことなんだ……)


 二月前に晩餐会での凍ったような冷たい横顔も、先ほどのねめつけるような視線もそれなら納得がいく。

 ロイは静かにもう会えない婚約者を思いながら、一人喪に服しているのだ。今はただ、静かに心の傷を癒したい時期だろう。神経質になるのも当然だ。


(よりにもよってターニャさんが亡くなったちょうど一年後のこの時期に婚約パーティー開くとか、ローラハム公(おとうさま)も無神経すぎるでしょ! もう少し家族のことを思いやりなさいよ!)


 と、内心強く憤りを感じてしまう。今回の婚約パーティーも、ドレス一着仕立てる時間も与えてくれないほどに急に決めたのだ。傍若無人にもほどがある。

 バナリア夫人とゾーイも神妙な顔をして一斉にため息をついた。


「ロイ様とターニャ様は、それはそれは仲がよろしくて、お似合いの二人でしたのに。ターニャ様も屈託なく明るい方で、恥ずかしがり屋のロイ様と相性が良くて……」

「ターニャ様の訃報は急なことでしたから、ロイ様のショックも当然ですわ。本当にかわいそうなほどに憔悴していらしたもの」

「その後の婚約の話も引く手あまたですのに、ロイ様はずっと断り続けているとか」


 かわいそうですわ、と揃ってゾーイとバナリア夫人がため息をついた。こういう時だけぴったり息が揃うあたり、仲がいいのか悪いのかさっぱりわからない。


 やがて、私の髪をメイドたちがテキパキと乾かし始め、部屋は先ほどよりはトーンダウンしたものの、活気を取り戻し始めた。

 ルルリアは私の後ろでメイドたちに細かい指示を出し、メイドたちが一斉に私の髪の毛をコテで巻き始める。ひと段落ついたのか、ルルリアが私の隣に優雅に座った。 いろいろ聞くには今が絶好のチャンスだ。


「ルルリアお姉さまは、お姉さまの婚約者のラーウム王子のこと、どう思ってらっしゃいますか?」

「えっ、いきなり何?」

「あ、いえ、女の子らしい話(ガールズトーク)をしようと思って……」


 私の唐突な質問に、ルルリアは少し驚いた顔をしたものの、すぐにうつむいて顔を赤らめ、形の良い指先を絡め始めた。


「ラーウム様は、すごく良い方よ。すごく紳士的で、優しいし。お父様が決めてくださったけど、本当にラーウム様は運命の人だと思っているし、その、ラーウム様とだったら、どんなことがあっても、私、きっと絶対に幸せになれると思うの」

「な、なるほどぉ……」


 あまりにピュアな告白に、私まで顔が赤くなってしまいそうだ。何年後かに乙女ゲームの主人公という最強ステータスの女の子に奪われる可能性があるんですよ、とはとても言えず、私はただ頷くにとどめた。

 私の唐突な質問がルルリアの乙女モードスイッチを押してしまったらしく、高揚した頬のルルリアは輝く瞳でこちらを見つめる。


「そういうエリナはどうなの? ほら、お相手は魔法騎士のシルヴァ様でしょ? 王宮で話題の人よ。ほら、シルヴァ様ってすごくハンサムな人じゃない? ご婦人、ご令嬢たちに人気があるのよ。今一番の騎士団の出世頭だってもっぱらの噂だし」

「へぇ……」


 初めて顔を合わせたときに、シルヴァの父であるニーアマン伯爵からシルヴァの経歴についてはあらかた聞いていたものの、身内の話だからと話半分くらいに聞いていた。ただ、実際シルヴァはすごい人物だったらしい。反してご婦人方にモテるのは予想通りだ。

 ルルリアは私の微妙な反応に不満げだったようで、唇を尖らせた。


「なによ、自分の婚約者のことなのに、反応薄いわね。もしかしてまだ婚約したってこと、いまいちピンと来てない?」

「ええ、まあ、そんな感じです」

「気持ちはわからないではないけど、大丈夫よ。そのうち実感が湧いてくるはずだから」


 まさか乙女ゲームで攻略して大本命だったアベル王子を狙っています、とはとても言い出せず、あいまいに頷く私に、ルルリアは不思議そうな顔をする。


「不安に思うことがあったら、私に何でも質問なさいな。このルルリア・アイゼンテール、あなたの人生の先輩として、何でも答えてさしあげるわ!」


 自信満々に胸を張るルルリアに、たった一つしか年は変わらないでしょ、と心の中でツッコミつつ、私は何となしにひらめいた質問をする。


「あの、これはもしかしたら、の話ですが、もし婚約者の他に好きな人がいたら、お姉さまならどうしますか?」


 私の質問に、ルルリアは目を丸くした。


「ええ? エリナは好きな人がいるの!?」


 ルルリアの悲鳴のような一言で、部屋にいる全員が私に注目した。そして、一瞬気まずい沈黙が流れ、皆何事もなかったかのように自分の仕事にもどる。しかし、こちらの話に興味津々なのはバレバレだ。もちろん、私の乳母のゾーイと、私付きのたった一人のメイド、ミミィも例外ではない。

 可及的速やかにすぐにでもこの話をやめたい、と思ったものの、乙女モード全開のルルリアが許してくれるはずがなく、ルルリアは強引に私の手を取った。


「その、エリナの、す、好きな人は、もちろん姉の私には教えてくれるわよね? 姉妹なんですから、ここで秘密にすることはないのよ!」

「誤解です! 好きな人はいません! もしも、の話です!ほら、シルヴァ様はご婦人に人気のようですし、私も不安なのです」

「ああ、お相手があなた以外の人に気移りしないか心配をしているのね……?」


 私の弁明に少しも納得していない様子だが、ルルリアは詮索をいったん辞め、頬に手を当て、生真面目に私の質問に答えた。


「せっかくお父様が決めてくださった相手なのだし、アイゼンテール家の一員として期待を裏切るわけにはいかないわ。だから、婚約者の殿方が気移りしないように、頑張るしかないと思うの」

「頑張る、とは具体的には……?」

「そうねぇ。こまめにお手紙を差し上げたり、たくさん話かけたりすることかしら? でも、もしお相手に好きな人ができてしまって、万が一にも愛の魔法なんて発動されたら、こちらとしてはお手上げですものね……」


 ほう、とルルリアはため息をつく。私はルルリアの答えに何とも言えない気持ちになった。


(皮肉なことだけど、エタ☆ラブのラーウム王子ルートのエンディングでは、まさにルルリアが言ったとおり、ラーウム王子と主人公のジルが愛の魔法を発動してしまって、結局ルルリアが婚約破棄されちゃうのよね)


 ルルリアは確かに、大好きな婚約者のラーウム王子との婚約を続けるために、彼女なりの全力を尽くして頑張ったのだ。

 ジルをいびり、嫌がらせをし、婚約者のラーウム王子から引き離そうと躍起になっていたのは事実。だけどそれは彼女のけなげな頑張りが、いつしか嫉妬や怒りに交じってエスカレートしてしまい、いびつに歪んでしまった結果だったのだ。長年婚約者として慕っていた相手を平民出身の少女に横恋慕されたのだから、プライドが高いルルリアがいたく傷ついたことは想像に難くない。

 エタ☆ラブをプレイしているときは何とも思わなかったけれど、今、ルルリアが身近にいる以上、この憎めない悪役令嬢にどうしても同情してしまう。


(アベル王子とジルがくっつくのは絶対阻止しないといけないけれど、できるだけラーウム王子とジルの恋愛も阻止なくちゃね)


 少し不器用で棘のある言い方をしてしまうけれど、本性は世話焼きでセンスが良く、健気なところがあるお姉さま(ルルリア)なのだ。物語の結末を知ってしまっている以上、彼女の幸せもできれば応援したい。

 そんな私の思惑をよそに、当のルルリアは悩ましげに両手でほんのり赤い頬を挟んだ。


「愛の魔法って、恋愛物語(ラブストーリー)としてはロマンチックではあるけれど、横恋慕される側にとっては厄介よねぇ」

「そんなに愛の魔法って、強いものなんですか?」

「そうよ。魔法の中で一番難易度が高い、最強の魔法なの。ほら、恋愛小説の中では、両親の反対も、身分の差も、婚約者の存在だって、愛の魔法の前では無力じゃない?」

「私、あんまり恋愛小説は読まないので……」

「あらやだ、今度おすすめのものを貸してあげるわ! 殿方の気持ちを理解するための、貴族令嬢のたしなみなんだから! 読まなきゃダメよ!」


 うっとりした顔で恋愛小説の話をし始めたルルリアに、私は少し苦笑した。話がくるくるよく変わるところは、年相応の女の子、という感じだ。


(あれ、さっきの話では、愛の魔法を発動したら、婚約破棄もあり得るってことよね)


 エタ☆ラブでも確かに破滅に向かう世界を愛の魔法で救っているんだから、そりゃあすべてをひっくり返すほどに強いだろう。絶対的な影響力ある両親でも、従わざるを得ないほどに。

 と、言うことは、アベル王子と愛の魔法を発動させれば、私はシルヴァとの婚約破棄も可能ということになる。


(え、もしかして、アベル王子と結ばれるのはけっこう簡単な話だったってこと?)


 要はアベル王子と愛の魔法を発動させることが私の最終的なゴールになる。かなり条件は厳しいかもしれないけれど、アベル王子攻略なら私はかなり自信がある。なんたったって寝る間を惜しんで夢中でアベル王子を攻略したのだ。目を閉じてでも重要なセリフならしっかりそらんじることもできる。


「さあ、楽しいけれど無駄話は終わりにしましょう! 髪の毛も結い終わったわ。こういう感じでいいかしら?」

「え、ええ」


 考えごとをしているうちに、あっという間に髪の毛のセットも整ったらしく、ルルリアが最後に羽飾りのついたヘッドドレスをつけてくれる。

 ルルリアのメイドたちがテキパキと目の前に鏡台を運んできてくれた。


(わあ……)


 鏡を見て、私は目を見張る。

 銀色の髪の毛は見違えるほどツヤツヤだ。ルルリアのための特製オイルはかなり効果があったらしい。シンプルながらに複雑に編み込まれた髪型に、華奢ながらも存在感のあるヘッドドレスは良く似合っている。頬と唇に少し紅を入れられたため、いつも青白いほど透き通った肌は程よく血色がよくなっている。


「これでどう? 少しは野暮ったさが抜けて、洗練されたのではなくて?」

「……あの、すごいです。別人みたい」

「私がプロデュースしたのだから当然です。本番はドレスを着るから、きっともう少し印象も変わってくるはずよ」

「髪の毛も、きれいになりましたわね」

「もとが荒れ放題だったもの。あなた、素材は良いのだから、きちんと磨かないとダメよ」


 ルルリアは自信満々に微笑んだ。


「これで本番はばっちり。社交デビューが楽しみね!」


□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇


 ルルリアとの髪型とアクセサリーについての打ち合わせが終わらせ、複雑な髪型をほどいて、西棟を後にした時には、もうすでに外は暗くなろうとしていた。ミミィは夕食の支度をするために、先に自室に戻らせている。自室に帰ったらすぐに夕食になるはずだ。


 横を歩くゾーイはルルリアに色とりどりの化粧品を抱えている。帰り際にルルリアとバナリア夫人が半ば押し付けるようにして渡してきたものだ。


「ゾーイ、それ、重くない?」

「いいえ、これくらいであれば大丈夫ですよ。それより、エリナ様は疲れていませんか?」

「座っていただけだから、大丈夫。念のため、ルルリアお姉さまとの打ち合わせに一日とっておいて良かったわ」

「ルルリア様もだいぶはしゃいでらっしゃいましたものね。あの、私、今までずっとルルリア様はてっきりエリナ様に関心がないのだと誤解していましたわ。冷たい方なのだと思っておりました」


 安心したように笑うゾーイに、私は苦笑する。


「お姉さまは恥ずかしがり屋で不器用な人だから、自分から話しかけられなかったんだと思うわ。でも、内心今か今かと世話を焼くタイミングを見計らってたんじゃないかしら」

「そうですね。でも、あそこまでルルリア様の心を開かれ、ここまでお世話を焼いてくださるのは、エリナ様が利発でお優しい方だからですよ」

「そんなことはないと思うけど」


 そう答えつつ、私はツヤツヤになった髪をいじる。あまりにツヤツヤすぎて、なんとなく気分が落ち着かないのだ。

 ゾーイがふと、何かを言いにくそうに口ごもった。私はゾーイを見上げて首をかしげる。


「あの、これは乳母の勘なのですが……」

「なあに?」

「エリナ様の好きな人とは、調理人見習いのガウスのことなんじゃ……?」


 一瞬の間があった。


「んなわけないでしょ!」

「でも、お嬢様はガウスと妙に意気投合してよく話こんでおられますし! でも、絶対だめですよ! 私は許しません!」

「ガウスはそういうのじゃない! 違いますー!」

「でも、お好きな人がいるとなれば、シルヴァ様への平然とした態度にも納得がいくんですもの!」

「もう! 違うって言ってるでしょ!」

「じゃあ、もしかして料理長のジェフですか? あの人はもっといけません! 妻子持ちですよ!?」

「だーかーらー!!」


 その後しばらく私がゾーイの誤解を解くのに苦心したのは、言うまでもない。

婚約パーティー準備編、終わりです!次話で婚約者のシルヴァ登場します。


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