~禿山~ 4
頼良は、登任軍が河崎柵の為行に阻まれて、西進したことを確認すると、磐井川の支流市野々川沿いを遡り、ひそかに営岡と三迫川を挟んで対岸の岩ヶ崎の山中に自身の率いる本軍の兵を隠した。
この時すでに清原光頼も援軍として加わっており、光頼の兵は営岡の上に鎮座する、屯岡八幡宮に隠れた。
営岡は、延暦年間に坂上田村麻呂が、蝦夷征討の際に軍団を屯わさせた所と言い伝えられているが、往古より神聖な場所であり、その地に田村麻呂が八幡神を勧請したとされている。
ここで頼良の本軍と分かれた軍勢は、貞任を筆頭に宗任、正任、則任らであった。
また、経清と永衡もこれに加わっていた。
営岡を左に見て、二迫川を渡河すると南進し、やがて照井川(一迫川)を見下ろす峰上に出た。
この地には小泊瀬稚鷦鷯尊、すなわち武烈天皇を祀る社がある。
陸奥---特に栗原郡の周囲には、武烈天皇にまつわる伝承が数多く伝わっている。
武烈帝をもって、仁徳帝に連なる血統は絶えたといわれる、いわゆる『継体天皇即位の謎』であるが、これについては、別の機会に譲ろうと思う。
---武烈帝を祀る社に詣でた貞任らは、照井川を渡りさらに南進、ついに荒雄川至った。
池月の照井氏の柵に正任と則任が残ると、貞任と宗任はそのまま川沿いに、決戦の地、鬼切部へと向かった。
「有屋峠を越える主力は、まもなく峠を過ぎ片倉沢より不動滝の辺りに出ると思われます。」
若神子原を見下ろす高台に本陣を張った貞任と宗任は、繁成軍の動きを監視していた偵騎の報告を聞いていた。
「岩崎川へ分かれた約二千の兵は、峠越えに難渋しているようです。おそらくは、戦のはじめには間に合わないものと思われます。」
もう一騎の報告に貞任はうなずいた。
「三郎、お前は軍沢を渡り、大森山に陣を張れ。儂はこの陣で備える。」
貞任は、背後の山並みから突き出すように張り出した、対岸の小高い峰を指して言った。
宗任は兄の指示に叩首すると、手勢を連れて陣を出ていった。
「叔父上もそろそろ、営岡に陣を張り終える頃であろう。急ぐのだ。」
繁成が、峠越えの行軍に疲れ果てている自軍の兵たちに声をかける。
「このまま気づかれずに進めば、北から来るであろう俘囚どもと、陸奥守の軍が相撃っている所に、横合いから痛撃を与えることができようぞ。」
ひとり元気な騎上の繁成は、膝に手をつき、ようやく登ってくる兵たちを鼓舞した。




