Chapter 1. 少年、入学する -8
アルゴが向かった所はカイに乗せる調練用の鞍をしつらえる店だった。もう数十年も経っているのか、ペンキが剥がれてボロボロの看板が危うくかかっていた。でも中に入るとシャンと同い年とおぼしき大勢の子供たちが竜の鞍を買いに来ていた。
シャンが訊いた。
「こんなに小さいのに、もう鞍を乗せるの?」
「後で大きくなったら乗り回さなアカンからな。今のうちに馴らしとかんと興奮した竜が主人を振り落としかねんのや」
「へえ」
シャンはカイを見下ろした。こんなに小さな奴がそのうち乗って飛び回れるほど大きくなるなんて、何だか想像できなかった。カイのすぐ前では、とある竜が主人の肩に止まっていた。
頭から尻尾まで真っ赤な種で翼はカイより小さかったが、脚の筋肉はずっと発達していた。
店員が銀の鞍を乗せると赤い竜は満足そうに翼をはためかせた。ようやくシャンの順番が回って来た。
「らっしゃい。この竜に乗せるのかな?」
シャンがカイを肩から下ろした。
「ええ、カイっていいます。はい、ご挨拶」
カイが翼をバタバタさせた。
「こんちは! こんちは!」
「まあ、もう言葉を覚えてたなんて。ふむ、最近は魔法使いのお客様ばかりだったのに今日は竜のお客が2人も来るなんて、何て偶然かしら」
学者が言った。
「幼きドラゴンテイマーたちの入学シーズンですからな」
「ああ、魔法アカデミーの? 確かにあそこはドラゴンテイマーも少なからず入学するわね」
彼女はメジャーを出してカイの腰回りと前脚、そして翼長を計った。
「脱皮はまだね? 生まれた日時はここに書いて」
彼女は受付カードを出してシャンに渡した。カイが生まれたときの体重、初めてエサを食べた日付から主人であるシャンの年齢まで書き込むようになっていた。
受付カードを書き終えると彼女は考え込んだ。
「困ったわね、どんな種なのか分からない竜なんて。これじゃ成竜になったらどこまで育つのか見当もつかないわ」
「こちらの学者様の話だと、野生の竜だそうです」
「野生竜? そんなタマゴ、よく見つけたわね。ふむ……、ひとまず鞍は余裕を持ってしつらえないとね。力も強そうだからヒトカゲの革で作ったのが必要そう」
彼女はしばらく倉庫へ引っ込んだ後、箱をひとつ抱えてやって来た。箱の中にはカイにちょうど良いサイズの小さな黒いベルベットの鞍が入っていた。
「狼人間の革で作ったやつだから丈夫よ、気に入るかしら?」
シャンは小さな鞍をなでた。こんなに小さいのに、鐙やホーンまでしっかり作られていた。
「大きくなるたびにベルトで調整してね。最初は竜がすごく嫌がるでしょうけど、絶対に解いたらダメよ。分かった? 適応訓練なんだからね」
シャンんは一目で鞍が気に入った。
「はい」
店員がカイの背中に鞍を乗せると、カイは後ろ足で鞍を引っ掻いた。
「ママー、なにこれ? きゅうくつ」
「絶対に必要なものだって。代わりにあとでおいしいもの買ってあげるよ」
カイがピョンピョンと跳ねた。
「さっきの、あれ、さっきの、あれ!」
串焼きのことらしい。シャンはうなずいてみせた。するとカイは満足したのか翼をバタつかせながらシャンの肩に飛び乗った。店員は一層格好のよくなった竜を満足げに見ながら訊いた。
「ドラゴンストーンは付ける?」
シャンが聞き返した。
「ドラゴンストーンって?」
まったく知らないようだ。学者が付け加えた。
「ドラゴンテイマーたちが竜の力を操るってことは知っておるな?」
「ええ」
「その役割をするのがドラゴンストーンじゃ。ひとつの原石を2つに分けると、その力を互いに共有できるようになる。それがドラゴンストーンじゃ。宝石の力を借りて竜の力を操れるようになるのだ」
シャンがうなずいた。
「魔法使いの杖みたいなものですね」
飲み込みの早い子だった。アルゴは誇らしげに弟の頭をなでた。
「それも買えば負けてくれます?」
「それは困りますわ。うちは定価制なの。それにドラゴンテイマーはだんだん減っているし、納品している店はもううちだけなのよ! だから負けるのは……」
店員がそう言うと、アルゴは床にゴロンと寝そべりそうな姿勢で言った。
「なんや、なら社長呼んでや。ヌベス商団のアルゴっつえば分かるやろから」
「ええ?」
「さあさ、早ぅ!」
アルゴに催促された店員は上の階へ上がりながら、心の中で愚痴た。
『いくらなんでも定価から負けろなんて、見かけに寄らないわね!』
ところが彼の名を聞くや否や社長は突き出た腹を揺すりながら階段を転がるようにして降りて来た。
「おやおや、アルゴ君! こんなとこまで何用かね?」
するとアルゴの表情が明るくなった。
「いやー、社長! 最近どないでっか?」
二人は10年振りに会った家族のように抱き合った。そしてアルゴはシャンを指差した。
「うちの末っ子が今度入学することになりましてん。ドラゴンストーンを買い求めようかと……」
その言葉に社長は頭の中でそろばんを素早く弾いた。
「いやいや、品物があるにはあるんだが、うちも景気がよくなくてねぇ」
「そういや社長、この前言っていたアレ、アレって奥様もすでにご存知で?」
アルゴはウィンクしながら小指を立てた。その意味を知らないシャンはただボーッと兄の様子を見守るだけだった。社長の顔がカッと赤くなったか思うと、アルゴの指を慌てて隠した。
「ちょっとちょっと、公私は弁えてくれたまえよ! こんなとこでそんな……」
「おっと失礼。最近はえらく気がせってますねん。で、ちょっとは負ける気になりましたかな」
デブの社長の顔が赤くなったり青ざめたりを繰り返した。やがて彼が決心したかのように口を開いた。
「竜の渓谷産ドラゴンストーンなら、満足かね?」
「もっといいの、ありまっしゃろ? 黄泉で手に入れたの、あるくせに」
「ダメだ! それはすでに予約が入ってるんだ」
「ほな私は奥様とお話しを……」
「ちょ、ちょっと待て!」
社長は彼の手をギュッと掴んだ。ぶるぶる震える指先が哀れなほどだった。やがて社長が口を開いた。
「……売ってやるよ」
「何パー引きで?」
「ビタ一文負けられんわ! 黄泉の石は滅多に仕入れられないのに、それを負けろなんて良く言えたもんだな! 仕入元もいくつかのチームが命をかけてようやく手に入れた代物だというのに」
「ちぇー、ま、そういうことなら。奥様あああ! どーこにおられますかー? 奥様あああ!」
アルゴの良く通る声が店内に響いた。結局、社長は白旗を揚げざるを得なかった。
「持ってけ泥棒! 負けてやるからさっさと行け!」
アルゴは社長の両手をギュッと握った。
「今日、社長は家庭の平和を立派に守られました。おめでとうございます!」
何がおめでとうだ! 社長は今にも爆発しそうなほどに顔を真っ赤にさせていた。
アルゴが店を出るや否や、社長のこれ見よがしな声が聞こえて来た。
「塩だ、塩持ってこい!」
「ウェルカム・トゥ・家和万事成! ぃやっふ~!」
アルゴはドラゴンストーンの入ったベルベットの箱を機嫌良さげに振った。シャンは心配そうな目で見つめた。
「大丈夫やで。どうせ手を切ろうとしていた相手やし、それに黄泉の石に比べりゃ安いもんだ」
「ねえ兄さん。それ、何なの?」
「ん~…。まずは何か食べよっか」
アルゴが連れて行った所は竜も人間も出入り可能なレストランだった。彼は学者とシャンにはこの店の名物のピリ辛ポークリブステーキを注文し、カイには子ヤギをキャベツに包んで蒸した料理を注文した。
人間のそれより4倍も量が多いのに、カイは一口でゴクゴクと飲み込み始めた。
ステーキは甘く歯ごたえがあった。家ではいつも菜食メインだったのでこうして本格的な肉料理を食べれたことにシャンはとても嬉しかった。食事を終えるとアルゴはさっき店から持って来たベルベットの箱をテーブルの上に乗せた。
「ふふふ、乞うご期待。じゃじゃーん」
箱の中には竜の首飾りと人の指にはまるほどの指輪が入っていた。首飾りの真ん中には金色の宝石が嵌っており、それをよく見るとその中には黒い縞模様が描かれていた。
「指輪にも同じ模様があるんやで、見てみ」