第1話 追放された荷物持ち
迷宮都市バロールの安宿街、肌寒い朝の空気のなか、俺は酒場の前で膝をついていた。
足元にあるのは、大人の背丈ほどもある革製の大型背負い袋だ。
所属するDランクパーティ『銀翼の剣』の探索用物資を詰め込んだ荷物の紐を、俺は黙々と締め直していた。
ポーションの小瓶が擦れ合って割れないよう布で丁寧に包み、野営用の毛布を外側にしっかりと括りつける。
食料や予備の松明、解毒草の束まで詰め込まれた袋の重さは、優に三十キロを超える。
十五歳の俺の体格には荷が勝ちすぎていたが、酒場前に並んだ隊列の後ろで、荷物を完璧に整えることこそがパーティでの俺の役目だった。
「おい、エルン!」
隊列の先頭、酒場の木扉の前から、逆立てた金褐色の髪をした男が歩み寄ってきた。
髪の手入れは粗い。鋼鉄の胸当ては実績を誇示するようにピカピカに磨き上げられ、背には両手持ちの大剣を背負っている。
俺が所属する『銀翼の剣』のリーダー、ラウルだ。
その背後には、二人の取り巻きメンバーが下品な笑みを浮かべて控えていた。
ラウルの怒鳴り声に、酒場の前を行き交う冒険者や通行人たちが足を止め、一斉にこちらへ視線を向ける。
「準備は整っています。いつでも出発できます、ラウルさん」
「出発だと? 誰がお前と一緒に行くと言った?」
立ち上がった俺を見下ろし、ラウルは左頬の浅い傷跡を覗かせ、顔を歪めて鼻で笑った。
「ハッ、必要経験値が百倍の呪い持ちなんて寄生虫、いつまでも養ってられるかよ。Dランクの俺たちに泥を塗る前にクビだ。さっさと消え失せろ」
ラウルの言い放った言葉に、背後の取り巻きたちも嘲笑の声を上げた。
周囲の冒険者たちの視線が、冷たく見下すようなものへと変わっていくのがわかる。
「おいおい、あいつが例の呪い持ちかよ」
「十五歳でLv1のままの無能だろ。『銀翼の剣』もよく連れて歩いてたよな」
「必要経験値百倍じゃ、一生レベルなんて上がらねえよ」
ひそひそと囁かれる嘲笑と陰口が耳に届く。
――必要経験値百倍の呪い。
ラウルたちの罵倒を浴びせられながら、俺は数日前、十五歳の春に受けた神授の儀を思い出していた。
迷宮都市バロールの神殿、祭壇に置かれたステータス水晶に手を触れ、魔力を流し込んだときのことだ。
青く輝く水晶の表面に浮かび上がったのは、【経験値×100】と【身体強化】という二つのスキルの文字列だった。
だが、それを見た神官はみるみる顔を曇らせ、深く首を振ってこう告げたのだ。
『……これは、次のレベルに上がるための必要経験値が百倍になる、最悪の呪いです。【身体強化】があっても、Lv1のままでは意味がありません。残念ですが、あなたが生涯でレベルを上げることは叶わないでしょう』
その宣告以来、俺は「一生レベルの上がらない無能」として扱われ、パーティの雑用係兼荷物持ちとして同行させられてきた。
けれど、あのときから俺の胸には、拭いきれない小さな違和感がずっと残っていた。
青い水晶の表面に浮かんでいた【経験値×100】の文字列に、「必要経験値」という言葉は書かれていなかったはずなのだ。
ラウルは大剣の柄に手をかけたまま、地面にツバを吐き捨てた。
「……分け前は。出すつもりはあるのか」
「あァ!? てめえ、寝言言ってんじゃねえぞ! Lv1の役立たずをここまで連れて歩いて、飯を食わせてやった恩を忘れやがったか! むしろこっちが迷惑料をもらいたいくらいだぜ!」
この数日の同行でも、俺は命の危険に晒されながら三十キロを超える重荷を運び続け、野営の準備や魔物の解体、武器の手入れといった雑務をすべて一人でこなしてきた。
だが、その労働に対する報酬は銅貨一枚すら渡す気はないらしい。
理不尽な物言いに、悔しさが湧き上がった。
けれど、俺は怒鳴り散らしたり、情けなくすがりついたりしなかった。
ここでどれだけ言葉を重ねたところで、この男たちが自分の非を認めることなど絶対にない。最初から使い捨てにするつもりだった。
これ以上、この男たちに付き合う理由はどこにもない。
指先に残る、先ほど丁寧に締め直した革紐の感触。けれど、これはもう俺の荷物ではない。
俺は静かに息を吐き出し、足元に置いていた大型背負い袋の紐からそっと手を離した。
パーティから預かっていた荷物をその場に残し、ラウルを真っ直ぐに見据える。
「……わかった」
余計な言葉は口にせず、俺は静かに背を向けた。
背後から「二度と俺たちの前にツラ見せんじゃねえぞ!」というラウルの怒声と、取り巻きたちの下品な笑い声が響いたが、俺は一度も振り返ることなくその場を立ち去った。
背後から浴びせられた嘲笑がまだ耳に残っていた。安宿街を抜けて大通りを歩き、俺は迷宮都市バロールの冒険者ギルド支部へと向かった。
早朝にもかかわらず、巨大な石造りのギルドは、朝の迷宮探索に向けて依頼板を確認する冒険者たちで熱気に包まれていた。
俺は受付窓口の一角へと歩みを進めた。
カウンターの奥にいたのは、藍色の髪を上品なハーフアップにまとめ、濃紺のベストと白ブラウスの制服に真鍮のギルド職員章をつけた受付嬢――ミレーヌさんだった。
俺の姿に気づくと、知的な深緑色の瞳を細めて優しく微笑んだ。
「おはようございます、エルンさん。本日は『銀翼の剣』の皆様と迷宮探索ですか?」
「おはようございます、ミレーヌさん。いえ……実は先ほど、パーティを追放されました」
俺が努めて淡々と告げると、ミレーヌさんは驚いたように目を丸くした。
「えっ……追放、ですか?」
「はい。……追い出されました」
ミレーヌさんが息を呑むなか、俺は手持ちの銀色の冒険者カードを取り出した。
「報酬も出なかったので、これからは一人でやろうと思います。登録を変えてほしいんです」
差し出されたカードを見つめ、ミレーヌさんは信じられないといった様子で眉をひそめた。
「報酬も出さずに追い出すなんて酷すぎます! エルンさんは探索の準備も雑務も、誰より真面目にこなしていたのに……!」
普段は冷静なミレーヌさんが、本気で怒ってくれた。
こんな理不尽な目に遭っても、こうして本気で怒ってくれる人がいる。それだけで、胸の奥が温かくなった。
「エルンさん、所持金もなくてLv1のままでは危険ですよ。ギルドの雑務や安全な街中依頼なら、すぐに紹介できますから……」
「ありがとうございます、ミレーヌさん。でも、俺は自分のスキルを自分で試してみたいんです。始まりの森で、自分の力で狩ってきます」
「えっ……始まりの森へ、お一人でですか?」
「はい。一人で行きます」
ミレーヌさんは心配そうに眉を寄せたが、俺の真っ直ぐな視線を受け止めると、小さく息をついて表情を緩めた。
「……わかりました。でも、お一人で森へ向かうなんて無茶だけはなさらないでくださいね。危なくなったら、すぐに引き返してください」
ミレーヌさんは手早く羊皮紙の書類を整理し、カウンターの魔導端末にカードを差し込んだ。
微かな魔力の光とともに、カードに刻まれていたパーティ名が『ソロ』へと書き換わる。
「登録の変更が完了いたしました。冒険者カードをお返しします」
「ありがとうございます。行ってきます」
両手で差し出されたカードを丁寧に受け取り、俺はギルドを後にした。
ギルドを出た俺は、迷宮都市バロールの東門を目指して歩いた。
巨大な石造りの城門をくぐり抜けると、爽やかな風とともに視界が開ける。
門の外に広がっているのは、初心者向けの狩り場である「始まりの森」だ。
森へ向けて足を踏み出した瞬間、俺は自分の身体の軽さに目を見張った。
いつも両肩に食い込んでいた、三十キロを超えるあの重い大型背負い袋がない。
他人の荷物を下ろした身体は、驚くほど軽かった。
身につけているのは、使い込んできた革鎧と、腰に下げた一本の短剣だけだ。
誰の顔色を窺う必要も、誰の命令に従う必要も、もうない。自分の足で歩いて、自分で獲物を探す。
胸の奥から、前向きな気持ちと高揚感が湧き上がってきた。自然と口元に笑みがこぼれた。
木漏れ日が揺れる浅い林の中へ足を踏み入れる。
木々のざわめきが耳に入り、湿った土や草の匂いが鼻先をかすめた。
周囲に気を配りながら、浅い林の中を慎重に進む。
歩き始めて数分が経ったとき、前方十メートルほどの草むらがガサリと音を立てて揺れた。
現れたのは、丸々とした赤茶色の毛並みで、長い耳を持ち、額の中央から鋭い一本の角を生やした魔物だった。
Fランク魔物「角兎」だ。
草むらから躍り出た角兎は、俺の姿を認めるなり赤い瞳をギラつかせ、額の角を突き出して身を低く構えた。
これまでの迷宮探索では魔物を見るたびに後方へ退避していたが、今は逃げる理由などない。
俺は、これまで荷物を守るためだけに腰に下げていた使い古しの短剣の柄を握り、鞘から一気に引き抜いた。
頭に浮かぶのは、水晶に浮かんでいた【経験値×100】の文字だ。
「誰の荷物持ちでもない……俺の獲物だ。自分の手で倒して確かめる!」
キィッ、と甲高い威嚇の鳴き声を上げ、角兎が一直線に突進してきた。
逃げずに奥歯を噛み締め、俺は力強く地を蹴って前へ出た。
迫り来る角兎との間合いを一瞬で詰め、頭上へ構えた短剣を渾身の力で振り下ろす――!




