それは恋だった
ガーシュの昔話。
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「エディ、待っていて欲しい」
その願いを聞き届けることなく、ガーシュは仮住まいを辞した。
遠い遠い記憶だ。
「ガーシュは恋したことあるの?」
主人であるアレスターの妻、ツェーレンのティータイムの用意をしている時だった。
何気ない問いに、ガーシュは考え込む。
「恋、ですか」
「長く生きてるからある……よな? 座って一緒にお茶しながら話してくれよ」
「その場限りはあります。ですが───、」
「ん」
こうなるとこの王子様は粘り強い。
「恋ではありませんが、昔こんな事がありましたね」
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二百年ほど前のこと。ふと思い立ちグレイシアを後にした。いつ帰るとも決めず、気ままに旅をした。
やがて何もない辺境の村に薬師として居着いた。怪しまれるようなら移動するだけだと思っていたが、医者もいない村は彼を歓迎した。
現金は必要なく、そもそも食物も不要だが不審に思われたくはないので物々交換を受け入れた。大概は野菜や果物、干し肉だがある青年が魔石はどうかと尋ねてきた。
「いいですよ、薬にも使えるし」
食事がいらなくても、ガーシュは人間の習慣に倣う。たくさんの食物は要らないので魔石はありがたかった。
「良かった。俺はハンターなんだ。街まで降りずに薬が手に入るのは嬉しい」
凛々しく爽やかでガーシュの周りにはいない人種だ。初代以外のグレイシアはクセが強い者が多い。妻である公爵令嬢がかなり強かで見かけとは違う女性だったからかも知れない。裏の顔は夫には決して見せず、かれの敵を葬るのを躊躇しない。奥手な初代にベタ惚れし押して押し倒した猛者だ。
青年の持ち込む魔石は質が良い。さほど大した物ではないが、周辺にいる魔物が強くないせいだ。かれはとても腕が良く強い。
なんらかのギフトを持っているのは明らかだが鑑定できる教会は遠く、辺境の人々には機会がない。
眩い太陽を思わせる青年を、ガーシュはなんとなく苦手にしていた。闇に属する吸血鬼とは正反対だからかと考えないようにした。
新年の村祭りが催されると聞いたが、興味がないので早々に店仕舞いする。
そこへ青年が訪ねてきた。
「エディ、一緒に祭りに行かないか」
「興味がないのですが」
「少しだけでもいいんだ、その───、」
躊躇ってから取り出したのは美しい鳥の羽。紅に銀の走る珍しいものだ。
「こ、この鳥の羽根を」
「?」
「……その、祭りで受け取ってもらえたら、俺と付き合ってもいいという意味で」
「告白ですか」
「そうです!」
少し考えてから口を開く。
「私には子を成す機能はありませんが」
「さすがに知ってるよ」
「人は命を繋いでいくのが本分では?」
そう告げればむきになり真っ赤な顔で訴えてきた。
「エディがいい! エディは人気なんだ! 綺麗で面倒見が良くて腕のいい薬師だ。誰かに取られたらと心配で、だから───」
元々、暇つぶしでやって来ただけだ。
これまでにも遊んだ経験はあるし、青年の真っ直ぐさはグレイシアの初代を思わせる。苦手でもあるが。
長居をするでもなし、ガーシュの人生のほんの一部を与えるくらいどうって事はない。
「男性の経験はありますか」
「けいっ! そ、その、ちゃんと訊いてきた! 辛い思いはさせない、って……、今は祭りの話なんだけど、、」
「では少し顔を出して、帰りましょう」
「───エディ、」
先に行こうとする腕を取られ後ろから抱き締められる。
「……愛してる。エディにも愛してもらえるように頑張る」
拙く飾らない言葉。ガーシュに言い寄る貴族はもっとスマートだった。
駆け引きや言葉遊び、文学からの引用。気が向けば閨に付き合うがそれまでの関係だ。
苦手だ、とまた思う。なのに首肯いてしまったのは何故だろう。
生命力に満ち溢れたところ、真っ直ぐ過ぎて対応に戸惑ってしまうところ、苦手なのにざわざわと胸が騒がしくなる。
「……年の終わりの誓いは特別なんだ。俺は生涯エディだけを愛し続ける」
「そう簡単に誓うものではありません」
突き放した言葉にもめげず、あの太陽のような笑顔を見せた。
「見ててくれ。俺は貫き通すから」
それから少しだけ祭りに顔を出すと、胸元に飾った羽根で周囲から冷やかされた。がっくりしている者もいた。
年が変わるその夜、ふたりは結ばれた。
共に暮らし始め、慣れない甘やかしにガーシュは困惑していた。
「髪は自分で洗えます」
「やりたいんだ」
「あなたは優しそうに見えて強引だ」
「愛してるよ」
ああ苦手だ。胸の騒めきが治らない。
エディシル・フォン・ガーシュイン。ガーシュの本名だが使わなくなって久しい。
グレイシア初代が呼んだ「ガーシュ」が気に入っているから。
旅先で本名の一部を名乗ったのは初めてだった。
月日は流れ、ある日、村に神官の一団がやって来た。
「エディ、話がある」
深刻な表情に事情を察する。神官は青年を訪ねて来たので。
「教会からの命令で国を廻らなきゃいけない。いつ帰れるか分からない……」
「あなたは勇者に選ばれたんですね」
青年は俯いた。
魔王はまだ産まれないとの託宣だが、調査を頼まれた。封印の地を訪れ、道中で魔物退治をする。
長い旅になるだろう。
「俺は勇者って柄じゃない。でも、エディがいるこの世界を守りたいから行くよ」
勇者となった青年が旅立った。
ガーシュは山ほどの薬を作り置き、製造法を見込みのある若者に託した。面倒だったが、村からすっかり頼られていたので仕方なくだ。薬草畑を増やして育成法も伝授する。
ドラゴンを狩ってその魔石を結界石とし村を防護した。農地の土を改良し畑を拡げ、水車を作り水路を構築し、飢饉に強い芋を植えさせた。
豊かになった水で衛生を広め、病人や妊婦への注意事項を伝えた。
傷んだ家を補修し暮らしに役立つ様々な知識を与えた。
初代グレイシアの知を受け継ぐガーシュだが、やり過ぎないようにはした。あるじはとても優しくお人好しで、知識を奪おうとする連中に何度も騙されかけてはガーシュが阻止したものだ。
「さすが勇者の伴侶だなあ。あんたは俺らにとっちゃ神様みたいなもんだ」
村人から感謝と敬意を向けられ困惑する。
今回のこれは単に勇者へのお礼に過ぎない。退屈凌ぎをしてくれたかれの帰る場所がなくなるのは良くない。
ガーシュにとって、全ては人の振りをした見立て遊びだ。グレイシアを見守り続けるため、生に飽いてしまいそうになるとこうして旅に出る。それだけの話。
色々やり終えてから旅支度をすると、村人たちは大層残念がり、勇者の帰還を待たなくていいのかと引き留めようとした。
滞在してもう五年だ。歳を取らないガーシュにはそろそろ限界だった。
「私には仕える家があるのです。帰らねばなりません」
待つ約束はしていないのだ。
待って欲しいという言葉には返事をしないまま、どうか無事で、と頬に口付けた。
自分の獲物だぞと徴を付けた。これで大概の魔物は怯えて動けないだろう。
いつも付けていた指輪を家に残したのも気まぐれに過ぎない。紋章も刻印も無く身元に繋がる要素はない。ただなんとなく、そうするべきだと思ったので。
国をいくつも跨いで更に海を挟んだ場所だった。当然、勇者もガーシュを見つけることは叶わなかった。
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「……ガーシュ、それ本になってるよ」
長くなった語りのあと、どこか呆れたようにツェーレンが呟いた。
「本?」
「その地は今は交易の中間点として発展している。昔々勇者の想い人が整備したから安全で豊かな土地だ」
「それだけでは、私の事とは」
「旅を終えた勇者は、消えてしまった大事な人を探してまた旅立つんだ。そして世界を救い続ける。世界のどこかにいるあの人が平和に暮らせるように、かれが笑っていられるように」
───生涯、愛し続けるよ
───エディがいる世界を守りたいから
バカな男だ。誓いを立て自らを呪ってしまうなんて。自分を捨てたような相手をなんで。
情報は遮断し勇者については耳を塞いできた。かれの最期も知らない。
「好きだったんだな」
「……恋ではありませんよ。好きなら一緒にいました」
「同じ時は生きられないだろ。だから離れたんじゃないのか。ガーシュは何度も何度も、見送ってばかりだったよな。……俺には耐えられないよ」
そっと立ち上がったツェーレンが隣に座ると、ガーシュの頭を抱き締めた。
「ツェーレン様、なにを───」
「ひとりで頑張ってきたガーシュを褒めたくなったから」
三百歳以上も下の子どもによしよしと頭を撫でられている。子を孕んだかれは前よりも聖女の力が増していた。
温かな癒しが染み入ってくる。
好き、だったのだろうか。
「なあガーシュ、今度出掛けよう」
体勢を変えずにツェーレンが提案するが、今は大事な時期だ。
「その身体では、」
「歩いて一時間ほどだ。なんならアレスに連れてってもらう」
「勇者の石碑がある」
「は?」
「最期の地だ。辿り着いたかれに言葉はなく、ただそこに立ち尽くし涙を流し、小屋を建てわずかな余生を過ごした──そう伝えられてる」
「まさか、洞窟の」
ガーシュが人間としての生を終えた場所。その死の気配を感じ取れたのだろうか。
「───ヒトは愚かです」
「うん」
「待たずに去ったんですよ」
「そうだな」
「勇者が吸血鬼と、なんて」
「聖女と魔王よりはあり得るだろ」
驚いて頭を上げればツェーレンが苦笑していた。
「マリア義姉さまとカズサ義兄さまが教えてくれたよ。俺は知っておくべきだと」
「……どう思いましたか」
「だからあんなにカッコいいんだなって」
頬を赤らめるツェーレン。
かれの肚の据わり具合は知っていたがここまでとは。感心と呆れで言葉も出ない。
「俺がいたら覚醒しないらしいし大丈夫だろ」
「そうですね」
ツェーレンの眩しさは少しかれに似ている。だが青年のそれは胸を灼きつくされそうな光だった。
じりじりと焦げるような、それは。
「ツェーレン様」
「うん」
「私は、生涯一度きりの恋をしました」
いつかまた生まれ変わりにでも出逢えるだろうか。それまで生きていくのも悪くはない。
まるでかれの考えを読んだかのように、勇者と魔王が出会い頭に戦い始めないといいな、と呑気に言うツェーレンにガーシュは笑みを溢した。




