第92話 困難
覚悟が決まっても、方策がなければどうしようもない。
幸い力を解き放った直後で、巨人が動く気配はない。
今のうちに近づければ──
「力を貸すよ、竜の戦士」
スクゥアの手には、鋭い返しのついた槍が握られて。
「やほー」
仲間の少女たちもいつの間にか集まっていた。
取り残された小太りの王族が崖下であたふたしていたけど。
彼女らは気にする様子もなかった(可哀想に)。
「スクゥア──」
いったい彼女は何者なのだろう?
何度も問いかけようとしては機を逸してしまった。
「後でちゃんと話す。約束するよ」
そう言って眉を下げる彼女は、やっぱりブリギッドに似ていた。
「まずは王女の宿る心臓を露出させるんだ」
そうしたら、とスクゥアは海上の巨人を指差し、手にした槍を掲げてみせた。
「私がこいつで、彼女を引き剥がす」
槍の柄は海の底みたいに深い蒼をたたえて。
隠しようもない焼けつくような威圧を放っていた。
とんでもない代物であることは間違いない。
俺の“黄昏の陽"と同等か、それ以上の。
「でも、槍で突き刺したりしたら……」
不安げなディーネに、スクゥアが首を振って。
「大丈夫。私の槍は貫いた相手の生死を支配できる」
すべては象徴的なことだから、と請け合った。
「……頼みます」
言っていることはよく分からないけど、どのみち選択肢なんてなかった。
「巨人にはどうやって近づく。船で忍び寄るのか?」
ファーガスが問うと、スクゥアは後ろの少女たちに振り返る。
「この子たちに飛んでもらうよ」
少女たちは怖気づくそぶりも見せず、ただニコニコと笑顔を浮かべて。
そこには主人の命令通りに振る舞う、作り物めいた雰囲気があった。
「みんな、相手はあの銀碗王だ。気をつけてね」
「はーい」
「任せてー」
「分かった」
可憐な少女たちは互いに「頑張ろうね」と言い合って、ぴすぴすなんて指でサインしてみせて。
緊張感がなくて気が抜けそうになる。
「頼んだよ、みんな」
けれどスクゥアが左手の手甲を見せると、雰囲気が一変した。
手甲の表面には真っ直ぐな線と曲線が交互に絡み合う、渦巻く紋様が描かれていた。
見ていると自分がその中に吸い込まれていくような心地がして、同時にどこか懐かしい気分にもなって。
そして紋様に光が走ると、少女たちの体もまた輝いて、体がぐぬぐぬと変化していく。
「ああ……」
背中から生える美しい白翼。
穂麦のようにたなびく体毛と、つんと突き出すすました尻尾。
半月みたいに優美に反った肢体と、それを支える細く引き締まった二本の足。
白鳥。
神話に謳われる通りの美しさに、俺は目を奪われた。
船でも目にしたスクゥアの召喚術。
まさか、この少女たちまでもが幻獣だったなんて。
「頼むよ、“リゥの白鳥たち”」
鳥の背には小さな鞍と手綱が備えられている。
スクゥアに促されるまま、俺は一羽の上に乗った。
体はとても柔らかいけれど、固い大地を踏み締めているように頼もしくもあって。
「ありがとう」
声をかけると、白鳥は首をくいっと捻ってみせた。
飛び立つのは俺とスクゥア、そしてディーネ。
ファーガスは島に残り、皆を守る。
「残りの連中を高台に集めてほしい。下にいると危険かもしれない」
歯噛みしながらも役目を受けいれるファーガスに、スクゥアは労わるように言った。
誰よりも王女の元に飛んで行きたいだろうけど、やはりファーガスは大きすぎるのだ。
「みな素直に従ってくれるだろうか」
「大丈夫だと思うよ。他に選択肢がないし、それに先王はいまだ王都の人々にとって“偶像"だから」
ファーガスの姿を目にした王族たちの、瞳の揺らぎが印象に残っている。
そこには衝撃だけじゃない、憧憬や恐怖、さまざまな感情が複雑に入りまじっていて。
……“先王”とはいったい、どんな人物だったのだろう。
「君は見た目だけじゃなく雰囲気もよく似てるよ……実際に政務についても、結構いい仕事をするんじゃないかな?」
「馬鹿な」
ファーガスはありえないと首を振るけど。
スクゥアの言葉はあながち間違っていないと思う。
アイリーン王女からの求婚の話を明かされたとき。
玉座にどっしり腰を下ろすファーガスの姿が思い浮かんだ。
優れた人格も実力も、俺はよく知っている。
そこにいるだけで放たれる圧倒的な存在感は、アイリーン王女に十分並び立つ。
……女性からの押しにはちょっと弱いみたいだけど。
“偶像”。
神様でも王様でも、英雄でも。
自分がそれと一つになって同じ夢を見られる存在を。
夢を託せる“大きなもの”を、いつだってみんな求めている。
ファーガスならきっと、人々の夢を背負う指導者になれると思うんだ。
「カイル」
俺を送るファーガスの表情には、巨人──アイリーン王女の元に行けない苦しみが滲み出ていた。
「大丈夫、必ず王女を連れて帰るよ」
「すまない……頼む」
状況の難しさはお互いよくわかっている。
どれだけ覚悟を確かにしたところで、あの巨人を倒すのは困難だ。
だけど俺だってみすみすやられるつもりなんてないから。
わずかな可能性を手繰り寄せて、王女を取り戻す。
彼女は大陸の未来そのものなのだから。
やりとげてみせる。
たとえ、命と引き換えにでも──
「聞いて、カイル・ノエ」
スクゥアの声は、水の底にことりと石を置くみたいに響いた。
「運命には抗えない」
俺の中の不安が射抜かれたみたいに、心臓がどきんと跳ねる。
「でもね」
その“声”はどこか遠いところから聞こえてきて。
そしてスクゥアの瞳もまた、遥か彼方から俺を見ているみたいで。
「困難に立ち向かうことはできる」
言葉と、それを発する声の奥には切なげな靄がかかって、全てを見通すことはできないけれど。
「だから“流れ”に乗るんだ。たとえ激流であっても、必ず出口が──光明があるはずだから」
優しい声。
「それを、忘れないで」
聞いているだけで安らかになるような。
まるで、まるで──
「……はい」
目の前には海上に鎮座する銀碗の巨神。
他の眷属さえ圧倒する、王の中の王。
恐ろしい。
今まで戦ってきたどんな相手よりも。
《カイル》
それでも。
「大丈夫だ」
俺は一人じゃない。
小さな、最強の竜精がいる。
頼もしい仲間たちがいる。
運命には抗えない。
そうかもしれないけれど。
それがなんだっていうんだ。
今までもいろんな困難があった。
でも俺は仲間たちと一緒に、それを乗り越えてきたんだ。
後をファーガスに託し、スクゥアとディーネを見やって手綱を引く。
白鳥たちが翼を広げ、足にぐっと力を入れた。
「どうか、ご無事で」
目元をうるませるマーヤにひとつ、うなずきを返して。
「行こう」
巨人のたたずむ静かな海へと俺は飛び立った。




