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第78話 影と烏

 落ち着かなくて、外に出て夜風に当たった。

 主の相手をする()()()たちがちょっとうるさいというのもあるけれど。

 らしくもなく緊張しているのだろうか。


 小さな村のように近くに固まった宿泊所(コテージ)の中で、少し離れてぽつんと孤立した一棟が見える。

 アイリーン=ミレーシア・レースターン王女の一行。

 まるでお皿の隅に寄せられた食べ残しみたい。




 アイリーン王女と聖女ブリギッド。

 先王と最初の妃──ミレーシアの血族との間に残された、次代の胤。


 “聖女”がミレーシアから誕生したことを、王都の民は意外とすんなり受けいれた。

 ブリギッドの性格もあるのだろうけれど、かの“外なる者”を取り巻く状況は確実に変化していた。

 かつて“ミレーシア”とはそのもの穢れであり、忌避の対象でしかなかったのに。


 人々が彼らを口汚くののしる様を散々見てきたものだ。

 まさか大陸の王がその穢れた血族から妻を娶るなんて、以前は考えられなかった。

 反対は根強くあったけれど、英雄の気質を持つ王が押し切れるくらいには風向きが変わっていた。


 貴族連中にはいまだに王家の純血主義を掲げる者がいるし、ゆえに彼らは話したこともないアイリーン王女を疎んでいる。

 それでいて聖女ブリギッドの祝福にはちゃっかりお預かりしているのだから、いい加減なものだ。

 彼女の恵みは肉体の、それこそ血中の隅々にまで行き渡るというのに。


 もちろん彼らには彼らなりのモノの見方がある。

 その中に閉じこもる限り、矛盾など問題にはならない。

 変わらないもの、変われないものはどうしたってあるのだ。


「君はどうなんだい、エヴィレア=ウルステウ・レスターン?」

 しばらく前から私の背後をうかがう()()に声をかける。


 黒一色の装束に身をつつんだ偉大なる王母。

 護衛もつけずに一人、夜の高台をうろついて。

 

「それとも、こう呼んだほうがいいかな」

 ぞわっと周囲の空気が変化する。

 彼方に近く、人から遠きものへ。

 

眷属(トゥハナ)の一、“黒烏(モリグナ)”」


 王妃の背から翼がばさりと開いて、足下に黒羽がはらはらと舞った。




□□□




「息災で何よりぞ、スクゥア」

 黒烏──モリグナは言って、地面に半分埋まった石の上に腰を下ろした。

 床面にそっと手を置いて、優雅に足を組む様はさながらに貴人。


 いいや、王妃の体を借りるまでもなく彼女はずっと貴人だった。

 この世界の全てを、まるで支配者(メトレス)のように高みから見下ろしてきた。

 万象に対し気の向くままに干渉し、ときには掻き乱して大いに嗤って。


「やはり明日は一大事ということかな」

「なるようになるだけよ」

 うそぶく彼女の視線は、果て無く広がる夜の海に向く。

 海魔(マナン)うごめく闇の領域、その先にある“外なる世界”へと。


「楽しみよのぉ」

 見えるはずのない外洋の地を眼前に映し、黒烏は声を震わせた。

 

「明日を超えた先、願わくば長き安寧に寝ぼけ眼の人の子らへ、絶望が降りかかるとよいなぁ」

 小さな鼻をスンスンと鳴らし海風を吸いこんで。


「泣き叫ぶ声と流れる鮮血、そして積み重なる死骸の山……」

 たまらんのぉ、とこみ上げる情感に烏の頬がぽっと上気する。

 

「相変わらず趣味が悪いね」

 やれやれ、とため息をつくと。


「それが我ゆえ、なぁ?」

 自身を誇るかのように烏は笑った。

 

 その通りなのだろう。

 彼女はただそう生まれついて、そのままに生きているだけなのだから。


 大地に芽吹いた誰もがそうであるように。

 それは……ああ、なんという悲劇だろう。




「お主もやはり、“災厄(デイアドラ)”の気配を追ってきたか?」

 私に向く瞳には、純粋な好奇が浮かんでいた。


「早々に黒炎に呑まれてしまうと思うとったが意外や意外。あの若造、ようやっておる。危い場面もあったが、ついに大蛇を討ち果たしおった。仲間に恵まれたとはいえ、なかなかよなぁ」

 モリグナは惜しむことなく竜の戦士(ドラグナー)を讃える。


蛇の王(ミルディーン)はやっぱり?」

「うむ、消し炭となり完全に消滅した。もはや目覚めることはあるまい。我ら眷属に、久方の死者よ」

 烏は顔を上げて流れる星を仰いだ。


「嫌われ者だとて、二度と会えないとなると寂しいものよなぁ」

 彼方へと友を送り出すように。

 ともに生きてきた長い長い時を懐かしむように。


 心にもないことを、と言いかけて口をつぐむ。

 この気まぐれな烏は誰よりも長く、移り変わる時代を見つめてきたのだ。

 案外思うところがあるのかもしれない。


 それはともかくとして。

 ()()()()()()()()()

 この紛れもない事実。


 カイル・ノエの繰り出す、美しい竜炎。

 それは私の知る竜の力と寸分も違わないけれど。

 彼の炎に潜む()()()が、記憶の底にこびりついた不安を呼び起こす。


 大蛇を倒したのは間違いなく竜の力だけれど。

 殺したのは“黒炎”の力。

 かつての竜でさえ、同胞を殺せはしなかった。


 神の分け身たる不死の眷属さえ葬る力。

 そんなことができるものがいるとすれば。


 ──“神喰らい(ドヴレル)”。


 大地の神々と争い、一時は滅亡の淵まで追いやった“災厄”。

 今は地下の奥深くに眠る者。

 神さえ畏れ封印を施した、払えぬ闇。

 

「浮かぬ顔をしおって」

 モリグナは細い眉をひそめる。

「楽しみではないか。来たる災厄に、蟻のように数だけ増えたヒトが果たしてどう抗うか、あるいは為す術なく塵と消えゆくのか……」

 

 くすくすと笑う姿が懐かしい。

 彼女は“渾沌(カオス)”。

 世界の乱れをこそ糧として生きる。


「誰もが君のようではあれないよ。みんな、この大地の秩序に従って生きているんだから」

 そう、時代は変わったのだ。

 神々が自由に闊歩して、気ままに殺し望むままを行う時代は終わった。

 そして人が作り上げてきた枠組みも今、変革の時を迎えている。


 アイリーン王女。

 彼女はおそらく気づいている。

 橙の瞳は、この先の何百年かをさえ見据えていた。


 すでに人の軛を外れている私には、彼女がどんな時代を創ろうと関係はないのだけれど。

 それでもやっぱり見てみたい。


 今を生きる子どもたちのこれからを。

 可能性の、その果てを。




「そろそろ休むか。ヒトの身体は疲れてしかたのぅてな」

 モリグナがうんと伸びをすると、血を抜き取られたような青白い腕が闇に映えた。


「それではな。祭りを楽しもうぞ……そなたにも期待しておるでなぁ、“影の女王”」

 ばさりと翼を開いて黒烏は飛び上がった。


 モリグナが消えると、岸に打ちつける波の音が妙に高く響く。

 空には厚い雲の間を星々の川が漂い、ますます闇を濃くする彼方の海へと落ちていった。

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