第75話 それでいい
声と同時に体が動いて、船のマストに手を伸ばして駆けあがる。
スクゥアは海魔を“釣り上げる”と言い、きっとその通りになるだろう。
不思議なくらいに俺は彼女を信頼していて。
スクゥアが蹴った“棒”はよく見えなかったけど。
ともかくもそれが海に落ちると周囲に膨大な力が集まり、海の中が爆弾でも放り込まれたように赤く輝いた。
「これは……」
船の上にいても肌がひりひりする。
「たいひ~!」
水精とその背にまたがる少女たちが離れていく。
楽しそうに声を張り上げる姿は相変わらず緊張感に欠けていた。
離脱しようとするのは海魔も同じ。
体の中にあるもの全てを吐き出すみたいにやかましく叫び、逃げ道を探るようにあわただしく体をぐるぐると動かして。
海上に出るしかなかったのだろう。
水中深くにも少女たちが仕掛けた多様な罠が敷かれて、海魔はまんまと誘導──釣り上げられたのだ。
直後赤い光が爆発する。
純粋な魔法力なのか炎や煙の臭いはなく。
海魔の周囲を激しく揺さぶって、その巨体を海上へとおびき出した。
「──!」
不気味な姿だった。
大きく開いた口の中にはさらにいくつもの口が入れ子のようにあって、それぞれの周囲に無数の牙が蝟集している。
腹部には細かな触手やイボがもぞもぞとうねって、見るだけで吐き気を催しそうで。
体は白く美しいのに、全身を覆うぬめりが本能的忌避を呼び起こす。
まるでそのために生み出されたような、不快の塊。
「今だよ!」
スクゥアの声に、海魔への不快が消し飛ぶ。
マストの横木を強く蹴って高く跳び上がるけれど。
「うっ!?」
爆発があまりに激しかったからだろうか。
船の揺れが跳躍と重なって、空中で体勢が崩れた。
届くか?
剣に炎を集めながらも不安がよぎる。
スクゥアと仲間たちが作りだしてくれた好機を、こんな形で逃すわけには──
「《第二階》──」
俺を助けてくれるのはいつも。
「──“巻き上がる烈風”!」
天才《美少女》魔法使い、ディーネ・マクニース。
ごうんと、魔風が俺の体を空中でさらに持ち上げる。
勢いも十分、海魔に届く。
一瞬先の未来を瞳に映して、風を蹴る。
体を回転させて力を溜めて。
眼下には杖を掲げるディーネが映って。
俺を促す眩しい笑顔。
本当に、君は。
「イア!」
《うん!》
相棒の力が体に、そして宝剣へと流れ込む。
剣の中に凝縮した竜の力は、今までにないくらいに力強く。
《“黄昏の──”》
炎は細く鋭くそれ自体が刃のように結ばれて。
《“──旋風刃”》
宝剣が、海魔の巨体を真っ二つに斬り裂いた。
かん高い断末魔は、シルキィの声とは似ても似つかない。
竜炎を受けて海魔の身体が宙で割れ、体内に溜まった瘴気が黒雲となって霧散した。
体の崩れかたを見るに、海魔もまた幻想生物の一種──何ものかに創造されたのではないか。
そんなことを思って。
──
すとん、と尻が柔らかいものに触れた。
「お見事、竜の戦士」
シルキィの上で、スクゥアがにっこり振り返る。
海風にたなびく長い髪は美しく、心地よい香りが鼻をくすぐった。
「やっぱり君は凄いよ、カイル・ノエ」
彼女にそう言われると、えらいえらい、って頭を撫でられるみたいで。
むずがゆくて顔を上げられなかった。
□□□
勝利の余韻に浸る間もなく二隻の船は走り出す。
どちらにも(奇跡的なくらい)大きな損害はなく、甲板で負傷者の治療と、破損した船体の応急処置が行われていた。
船に戻ると、アイリーン王女が表に出て状況説明を受けていた。
王の船がさっさと先に行ってしまったことも伝えられる。
「そうですか」
それだけ言って、護衛たちを一人一人労い感謝を告げる。
王女に声を掛かけられる誰もが背筋を伸ばし、礼を返していた。
「ディーネ、ありがとう」
酔いに青ざめてへたりこんでいたディーネに声をかける。
言葉を交わさなくても互いの呼吸が通じ合う。
やっぱり、俺とディーネは相性抜群なんだ。
「楽しそうだったわね」
けれど何だか彼女は不機嫌そうで、予期しない反応に戸惑ってしまう。
「おさかなにのって、ふたりでどらいぶ」
隣りではエリィが眉をひそめて、頬を膨らませていた。
ややあって、スクゥアとシルキィのことだと理解する。
海魔を倒したあと、俺はスクゥアの背に乗ってしばらく海を走ったのだ。
「しっかりつかまって!」
言われて、俺は彼女の細くも引き締まった腰に手を回した。
まるで空気の流れそのものになったみたいで、シルキィがぴょんと跳ねるたびに海水が冷たく散って、戦いの火照りを冷ましてくれた。
イアも体を出して、俺の背中で風を感じて楽しそうにして。
「あのこのからだに、べたべたさわって」
エリィに指摘されて慌てて弁解する。
たしかにスクゥアの身体はしなやかでとても触れ心地良かったけれど、決してやましい気持ちなんかない!
何を言ってもエリィはむすっとして、ディーネは酔いでまた倒れそうだった。
「部屋に連れて行ってあげなよ」
困り果てた俺に、スクゥアが声をかけた。
振り返ると、彼女は含みを持たせた笑みを目元に浮かべて。
「抱っこでもしてさ」
彼女に言われると、どうしてかそれが正しいと思える。
いつでも俺を導いて、進むべき道を指さしてくれるように。
“それでいい”って、背中を押してくれるみたいに。
意を決して、俺はディーネを両腕で抱え上げた。
「ちょっと……!」
ディーネは驚いて体を縮こませるけれど。
「本当にありがとう、ディーネ」
心からの感謝を、もう一度。
「君がいてくれるから、俺は戦える」
「……うん」
ディーネは顔をそらしながらも身を預けてくれる。
ファーガスは兜の奥で微笑んでいたし(やっぱり分かるのだ)、スクゥアもほらねと首を傾ける。
エリィは満足げに腕を組み、「それでいい」なんて言って。
「それでいいんだよ、カイル!」
なぜかイアもうんうんうなずいて、隣で腕を組んでいた。
何がいいのか君、言ってみなさい。
島に着くまではもう魔物の襲撃はなく、海も穏やかだった。
先行した王には誰もが不信を抱いて愚痴をこぼし合っていたけれど。
アイリーン王女は終始口をつぐんでいた。
やがて“祠の島”と、船着き場に錨を降ろした王の船が見えた。
限られた時期、選ばれた者しか足を踏み入ることの許されない“聖所”。
よく晴れた空の下で、島は静かにたたずんでいた。




