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第76話 祠の島

 “獣の足跡”。

 歪に四角い本島と、南方沖に連なる五つの枝島がまるで爪のように見えて、島はそうも呼ばれていた。


 島がいつごろ聖所(サンクチュアリ)となったのかは分からない。

 けれど相当早く──大陸の歴史の初期であることは間違いないようだ。

 

 島の内陸には森が広がり、その最奥に“祠”はあった。

 一体誰が造ったのか、確認できる最古の文献にも初めからずっとそこにあったように書かれているらしい。


 継承権を持つ王族たちは祝祭の二日目、祠の中へと足を踏み入れて儀式に臨む。

 長い歴史の中で島への訪問がいっとき絶えても、記述や口承により受け継がれてきた儀式。


 彼らは長時間祈りを捧げて、次代の王を告げる“声”を待つ。

 結果の決まった、聞こえもしない神の声を。




□□□




 北方海岸沿いの船着き場から少し上がった高台に、宿泊所(コテージ)があった。

 船を降りると荷物を持って、俺たちは緩やかな坂道を歩いた。


 王族たちの中にはたった一日二日の滞在なのに、やたらと大荷物の者もいて。

 服はもちろんろくに使いもしない化粧台やら家具やら……ペットの家畜まで持ちこんでいるものもいた。

 付きあわされる護衛も大変そうだ。


 比べてアイリーン王女は身軽で、儀式関連の装飾具以外には最低限の着替えだけを持ってきていた。

 おかげでファーガス一人で全てを(片手で)運ぶことができた。




「やっぱりスクゥアちゃんは素敵だなぁ~」

 埠頭ではちょび髭を生やした、小太りの若い男を見かけた。

 例の“泡沫貴族”みたいで、肌も露わな女の子たちに囲まれてご機嫌そうだった。

 

「どうかな。この神聖な島で、今日こそボクと……」

 男は馴れ馴れしくスクゥアの細い腰に手を伸ばすけれど、彼女は長芋みたいなその腕をはっしとつかんで。


「調子に乗らないでくださいませ、ご主人様?」

 凍りつくような笑みを主に向けた。


「ご、ごめんなさい……」

 男はスクゥアにペコペコ頭を下げ、どっちが主か分からない。

 けれど男はどこか嬉しそうにも見えて。


 スクゥアみたいな美しくミステリアスな女性に逆(・)支(・)配(・)される喜び。

 ……正直、分からなくはない。


 すれ違ったとき、スクゥアは俺に小さく手を振った。

 それに応えるとぽっと胸の中が温かくなって。

 海の上を水精(シルキィ)で一緒に走った感覚を思い出す。


 綺麗な肌のとろけそうな柔らかさと、夢見心地に誘う甘い香り。

 冒険者としての確かな実力、幻想生物(マジナリエ)を呼び出す力、全てを見通すような奥深い瞳……そして拭えない“懐かしさ”。


 スクゥア・ハーヴァとは、一体何者なのだろう?




「見て、カイル!」

 高台を上ると、ディーネが前を指差した(酔いはすっかり晴れたようだ)。


「あぁ……」

 思わずため息が洩れる。

 眼の前には緑豊かな草原と丘陵が広がり、その合間に太古の史跡が点在していた。


 森の中に佇む祠以外も、神殿や石碑(モニュメント)など島には様々な遺跡が存在した。

 多くは長い時間の中で崩れ落ち、原型をとどめているものは少ないようだけれど。


 その失われたか(・)た(・)ち(・)が、俺を神話の記憶へと誘う。

 ここには人々が忘れてしまった、あるいは忘れかけている古代の香り漂っていた。


「素敵な場所ね」

 来られてよかった、とディーネは強い海風に髪を押さえる。

 夏の花みたいな笑顔がとても眩しくて、美しくて。

 

 ──

 

 “彼女に触れたい”。


 手のひらにはまだ、彼女を抱え上げたときの感触が残っている。

 それはスクゥアに感じるものとは全く異なって。

 もっと純粋でとても単純で、それだけに強い欲望だった。




 後ろからファーガスの声がする。

 みんなの荷運びを手伝おうと言われて、俺たちは美しい風景に背を向けてまた坂を下る。

 騒ぎはそこで起きていた。




□□□




 大量の荷物が地面に置かれたままで、その合間を縫って怒号が聞こえてきた。

 どうやら先行した王の船に対して、不満の声をぶつけた者がいたようで。

 王の姿はすでに無かったけれど、取り巻きたちとの間でいさかいが起きていた。


「国王陛下の身の安全こそが一大事である」

 王の護衛らしき王家の騎士(キングスナイト)が蔑みを隠さずに言った。

「聞けば大した被害も無かったようで、護衛としての力量を存分に示せたといったところだろう。ならばそれ以上言うことはあるまい」


 取り合う気がなさそうに彼は背を向けるけれど、抗議した男はなおも食ってかかって。

 あわや乱闘という事態になりかけたそのとき。


「静まりなさい」

 その声は周囲一帯を凍りつかせそうなくらい冷たく、そして重かった。


 聞くもの全てに畏れをもたらすその威圧感に、俺は一瞬アイリーン王女を探した。

「“選定の儀(エレクシオン)”を前に醜い諍い……神聖な儀式を汚すおつもりですか」


 黒一色の装束──まるで喪に服すかのような長身の女性。

 全身黒に染まったなかでただ一つ、両の瞳だけがたゆたう魂のように濃碧に瞬いていた。

 王女と聖女と同じように、この女性にはその場にいるだけで誰もの目を否応なく釘づけにしてしまう“支配力”があって。

 

 彼女が現王の母──そしてアイリーン王女とブリギッドの継母──先王妃エヴィレアであることを、俺は知った。

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